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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第6章 相棒、は順調ですが。

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(6-6)斜陽のハース家


 あの人が、忘れられない。

 寝ても、覚めても、マルスの頭の中にいる。


 記憶の中にいる見すぼらしい姉とは、まったくの別人だ。

 あんなに美しい人を、見たことがない。

 ディアナ。

 その名前の響きが、突然、極上の女神のものになった。

 あの日のことを、忘れられない。


 姉を名乗る女神がやってきて、ハース家は突然豊かになった。

 ずっと諦めていた宝の山が、枯れ山から見つかったのだ。

 あの人は、やっぱり本当の女神だったのだ。


 父は伯爵家の威光を取り戻せると喜んだ。

 古ぼけた家を塗り直し、家具を新調し、16歳のマルスを王都にある貴族向けの学校に編入させた。

 そこでマルスは初めて知る。

 姉を名乗るあの女神が通っていた学校は、国内最難関の学校だった。

 まったく手が届かない。金があれば入れる貴族学校とは天と地ほどの差がある。

 今時、貴族のマナーを身につけたところで、なんの価値もないのに。

 それを貧乏のどん底で生きてきたマルスは知っていた。

 浪費を楽しむ級友の間で、ほぞを噛む。

 いま、自分に必要なのは、商売の、経済の、知恵と知識だ。

 それを悟ってからは、図書館に通い詰め、独学で経済学や経営学、簿記の知識を頭に叩き込んだ。


 18歳で、中堅の商会に就職した。

 その頃には、実家はますます栄えていた。

 働かなくていい、戻ってこいと言われたけれど、マルスは王都に残ることを選んだ。

 いつか、あの女神とすれ違えないかと思ったのだ。

 

 だが、あの人には、一度も逢えなかった。


 逢えなければ逢えないほど、想いは膨らんだ。

 王都に行けば、あれくらいの美しい人はたくさんいると思っていた。

 だが、いなかった。

 彼女ほど、美しい人は、どこにもいない。


 毎朝、毎晩、思い返す。

 美しい、感情のこもらないあの目が、頭から離れない。


 やがて、マルスは気づきはじめる。 


 あんな目でマルスを見る人が、血のつながった姉であるはずがないのだ。

 まるでこっちに興味のひとかけらもない、まるで透明な空気でも見ているような。

 肉親の情などひとつも浮かべていない、極上のあの目。


 それが完全に腑に落ちた時、マルスは震えた。

 運命に心から感謝した。


 あの人と、自分はきょうだいではない。

 見た目だって、自分と何ひとつ似ていないじゃないか。

 確かに、あの人は、母方の祖母に、少しだけ似ている気がする。

 でも、それだけだ。

 美しい目、美しい髪、美しい唇。

 やつれて陰気な母には、ちっとも似ていない。

 傲慢で軽薄な父にも、まったく似ていない。

 あの人が、家族であるはずがない。まさしく、他人だ。


 だったら、あの気高い人を、マルスのものにしたって、なんの罪もない。

 夢の中で、何度も(けが)したって、罪はないのだ。


 そんな時、実家の兄から連絡が来た。

 鉱山事業に、(かげ)りが見えているという。実家の資金繰りを手伝ってほしいらしい。

 王都の商会をやめるつもりはこれっぽっちもなかった。

 そんなことをしたら、あの人から遠ざかってしまう。

 浮かない気分のどん底で長期休暇をもらって、故郷に向かう馬車に乗った。


 馬車に揺られながら思う。


 あなたと離れるのは辛いけれど、すぐに戻ってくるからね。

 だから、待っていて。

 ああ、声が聞きたい。

 あなたの瞳にこの身を映してほしい。

 僕の女神——ディアナ姉さま。



************



 ハース家には、ぞっとするような沈黙が転がっていた。


 家長であるオルクスが書類を机に叩きつけ、向かいに座った長男のラールはびくりと体を震わせる。


「なんの冗談だ」


 それは、先日行われた地質調査の結果だった。

 鉱山を運営している商会が行なっているもので、信じられないことが書いてあった。


「サーシェライト保有量は、あと3年相当と見込まれる」


 巨額の富を生み出す魔石が、あと3年もすれば掘り尽くされるという予測だった。

 たったの3年!


 あの恐ろしく奇想天外な魔術師が持ち込んだ鉱山事業は、1年で軌道に乗った。

 それからの5年、ハース伯爵家は一気に息を吹き返した。

 多額の借金を完済し、生活を貴族に相応しいレベルに引き上げ、使用人を2人雇った。

 下の息子を立派な貴族学校に通わせ、ハース夫妻と長男は王都の社交界に復帰した。定期的に王都に通い、貴族専用のホテルに泊まり、パーティーを渡り歩き、貴族らしい生活を謳歌(おうか)している。

 その生活が、あと3年で、終わる?


「認めない」


 オルクスが吐き捨てる。

 父がいくら認めなくても、まもなくこの家には破滅が訪れる。

 それを長男のラールは知っていた。

 この家には、今、あふれんばかりの金がある。

 しかし、金を増やす手段がない。

 増えた金でいくつかの国内の事業に投資はしている。でも期待していたほどの成果が上がっていない。

 父は、商売に向いていない。視野が狭く、世間を知らないのだ。そのくせ、独断と偏見でことを進めようとする。

 それを批判できないのが、ラールだった。自分だって世間知らずだ。このままではいけないと理解できても、父に意見できない。気が弱く、残酷な世間を知る勇気など持てない。


 だが、まもなく次男のマルスが王都から帰ってくる。

 今日には到着するはずだ。

 あと3年で得られる富でハース家がどう生き残れるか、商会で働く聡い弟ならきっと妙案を出してくれる。

 それが他力本願だとも気づかずに、ラールはただ、信じて待っている。


「ディアナを、嫁がせればいいではありませんか」


 部屋の片隅から、暗い声がした。

 めったに発言しない役立たずで辛気(しんき)臭い妻がいきなり場に割り込んできて、オルクスはイライラと眉を跳ね上げた。


「お前は黙っていろ。何もわからないくせに出しゃばるな」


 だが妻は、静かに新聞を差し出した。

 先週、腹立たしい気持ちで読んだ新聞だった。


 かわいげがなく、見苦しいばかりだった娘が、新進気鋭の裁判速記官としてインタビューされていた。

 載っていた写真を信じるならば、確かに見苦しくはなくなっていたが、発言の内容にはやはりかわいげがなかった。

 第一、速記なんて、聞いたことを書き写すだけだ。誰にでもできる。

 新聞インタビューに得意げに応じるなど、思い上がりも甚だしい。そんな誰にだって出来る仕事など、給料だってたかが知れているに違いないのだ。


「安月給の小娘が、何様のつもりだ」


 オルクスは怒気まじりに吐き捨てる。


「ですが、美しく育ちました。だからすぐに縁談がきたではありませんか」


 静かに、妻は4つの釣書をオルクスの前に置く。そのまま断ろうと、書斎につんだままにしておいたものだ。

 オルクスは、ドン、と机を叩いた。

 道理をわきまえない妻が心底腹立たしい。


「馬鹿を言うな!ディアナの後ろには、宮廷魔術師一家がついている。あれの逆鱗に触れるようなことは、絶対にしてはならない。そんなこともなぜ分からない!!」

「ディアナ・ハース。家名が変わっていません」

「だからなんだと?!」

「破局したのでは?」


 その言葉に、冷や水を浴びたようにオルクスの頭は冷静になった。

 確かに、娘はまだ、結婚していない。

 あれだけ仲睦まじそうだった魔術師の息子と、順調だったらとっくに結婚しているべき年齢だ。

 あの恐ろしい魔術師一家と、決別している——?

 だから安月給で働かざるを得なかった。

 ありそうだ。確かに、そう考えてもおかしくない。


 オルクスはあらためて新聞を広げた。

 何度見ても他人のような、娘の顔を見る。

 悪くない。


「これだったら、高く売れそうだ」

「その釣書の一番上。この新聞社の社長の御曹司ですわ」


 奇跡的に役に立ちそうなことを言う妻の言葉に、オルクスはその釣書を開いた。


「子爵家か。家柄は劣るが……悪くないな」


 新聞ばかりでなく出版や不動産まで手広く手がける業界最大手の商会の三男だった。

 オルクスですら、その父親の名前は知っている。以前出席した社交パーティーで、見たことがある。その一家のまわりには黒山の人だかりが出来ていて、オルクスは近づくことさえできなかった。


 ほかの釣書も流し読みして、オルクスは決めた。


「この子爵家の三男だ。高く売りつけよう。そのまま商売でも手を結べたら、我が家は安泰だ」

「でしたら、僕がその釣書を王都に持っていきますよ」


 聡明そうな声が響いて、オルクスは部屋の入り口を見る。

 開いたドアにもたれかかって、次男のマルスが立っていた。


「おお、マルス!おかえり!よく来たな」


 オルクスは立ち上がって、満面の笑みでマルスを迎える。

 貴族学校を主席で卒業した次男は、彼のかわいい自慢の息子だった。

 王都で働いているのは気に食わないが、「社会勉強です」と言われたら、許さないわけにもいかない。たまに社交パーティーに同行させることで、気持ちを落ち着かせていた。


「ただいま戻りました。戻ったばかりですが、その釣書、すぐに姉上のもとに僕が直接届けましょう。姉上が幸せになる機会をみすみす逃すわけにはいかない」

「お前はなんて優しい子だ!」

「……姉上のためなら、僕は何でもしますよ」


 感動に震えるオルクスに、マルスは上品に微笑んだ。父ご自慢の貴族的な優雅であいまいな笑みだった。


「マルス、おかえりなさい。いま、お茶を持ってきますね」


 そういうオルクスの妻の声を、誰も聞いていない。

 彼女は部屋を出ると、ほんのりと、至極わずかに、仄暗(ほのぐら)い笑みをその唇に乗せた。


 夫は面白いくらい思い通りに踊ってくれた。

 これまで一度も試してみなかったのが、残念なくらいだ。


 新聞の写真でひさびさに見た娘は、変わらず幸せそうだった。

 あの娘が、あの魔術師の青年と、別れているはずがない。

 枯れ果てた草を、娘のために甦らせてしまうような邪悪な執念を持ったあの男が、ディアナを手放すとは思えない。

 死んだものを蘇生する。人の道から外れた、化け物のような力だった。

 あの男のものに手を出して、無事で済むわけがない。

 噛みついてくるこの家を容赦なく叩き潰すくらい、容易にやってのけるだろう。


 オルクスの妻は、ゆっくりと、戸棚から優美に輝く新しい茶器を取り出した。

 メイドは買い物に行っている。

 だから、お茶は、自分が入れなくてはならない。メイドのように。

 オルクスの妻。ラールとマルスの母。

 ——この家では、誰も私の名前を呼ばない。

 自分でも、もう、自分の名前を忘れてしまいそうだ。


 滅びてしまえばいい。こんな家など。


 そう、ディアナの母だった人は、静かに思った。

 



 

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