(6-5)ディアナのいないロニーの日常③
「……きたか」
来客の気配に、意識が反応する。
ロニーはうっすら目を開ける。
夜空が見える。ディアナが喜んでいた夏の夜空だ。
湖に飛び込んだまま、しばらく気絶するように眠っていた。
「お前、自分は寝たまま人を動かすとか、親父さんより上手なんじゃないの」
顔を覗きこんで、暗がりの中でハーフォード・カワードが苦笑いをしている。
ロニーは寝たままパチリと指を鳴らす。空に明るい光が満ちて、昼間の青空に変わる。
「あれ、フィリアスは?」
ゆっくりと、ロニーは湖面に起き上がった。
「俺、あいつに送ったつもりだったんだけどな」
ロニーはフィリアスとの間に、専用の受け渡し空間を持っている。魔術師団に入ってから空間収納魔術で作ったものだ。
仕事で入手した珍しい薬草の種を、魔術でそこに放り込んでおく。あとは放っておいてもフィリアスが勝手に持っていって、嬉々として育てている。ロニーは収穫されたものの一部をもらう。
業務上、どうしても読まなくてはいけない最新の魔術書があったら、ぶち込んでおく。翌日くらいにはフィリアスが直接来てひとしきり勝手に語っていくから、それをかいつまんで理解する。
要は、持ちつ持たれつ、というやつだ。
さっき、その空間に、例の困った金魚バケツを放り込んでおいた。
これで必ずフィリアスは、ロニーのところに経緯を聞きにやってくる。あいつは正体不明の魔術現象を目の前にしたら、絶対にそのままにはしておけない。魔術に関してだけは、好奇心の塊のような男だ。その他の常識は、はるかかなたにすっ飛んでいるが。
「もしかして、フィリアスに叩き起こされました?」
「思いっきり起こされた。12時過ぎだぜ?寝てるっての」
「すいません」
ハーフォードに謝りつつ、ロニーはポケットに入れっぱなしだった懐中時計で確かめる。
さっきから30分も経っていない。深夜の召集にしては、最速でことが運んでいる。
誰が敵で味方なのかもわからない状況では不用意に伝令鳥も飛ばせないから、一番内密に進められる方法を取ってみたが。
どうやら正解だったようで安堵の息を軽く漏らす。
「で、フィリアスは?」
「あっちにいる。湖の果てがどうやって魔術処理されてるのか気になったらしい。おい、フィー、戻ってこい。どこまで行っても同じ空間だろ」
湖の向こうから、フィリアスがひょろっと歩いてくる。学院を卒業してからも背が伸び続けた彼は、今ではロニーよりも背が高い。
髪の毛が多少短くなっていて、鼻は見えるようになっていた。相変わらず、目は見えない。
フィリアスは、3年前、若干20歳の時に第2魔術師団の団長になった。その時に、さすがに顔がほとんど髪の毛に隠れて見えないのはまずいだろう、といろんな人に言われて切る羽目になったらしい。
「第1と第2の団長閣下に揃って来てもらって、ほんとすみません」
言いながら、ロニーは気の抜けた大あくびをした。
移動魔術を使ってふたり揃って直接家の中に入ってくるとか、さすが特級魔術師、容赦がない。手厚く防御の術をかけているのに、あっさり突破されてしまった。
「ぜーんぜん説得力ないなぁ。すみませんって顔してないだろが」
ハーフォードは笑ってどっかり湖上にあぐらをかく。
ぱしゃん、と、手のひらで水面を叩いた。
「ロニー、お前、ずいぶんやばい魔術を隠し持ってたんだな。部屋の中に湖。しかも2層式」
「人間が使うエリアと金魚の棲むエリア、分けてるだけです。俺が寝てる時に金魚を潰したらまずいし」
「ぶっとんでんな」
「仕事に便利ですよ」
「魔力の消費量、膨大だろ」
気遣わしそうに眉間にシワを寄せて、ハーフォードは尋ねる。
「体調は? 一日何時間くらい起きてる」
「まぁ、そこそこに。大丈夫です。自分の限界はわきまえてる」
「ほどほどにしとけよ。あんまり無茶して眠りすぎると、そのまま起きられなくなるぞ」
何かに心当たりのありそうな、強い懸念が込められた声だった。
「誰か、前例が?」
「うちの師匠がな」
「……なるほど。気をつけます」
突然世を去った恩人の顔を思い出して、ロニーは神妙にうなずいた。
自分は力を使い果たして早死にしたいわけではない。特に長生きしたいわけでもないが。ディアナを悲しませることだけはしたくない。
「それで、どう思います?」
立ったままのフィリアスがぶら下げているバケツを見て、簡潔に切り込む。
ハーフォードはバケツを受け取って、中の金魚を覗き込む。眉を思い切りひそめた。
「元は人間だな。えげつないことしやがって」
「ですよね。魔力の核が感じられるってことは、まだ人間に戻せますよね?」
「楽勝」
「はは。そりゃすげぇ。俺、なんとなく戻し方の方向性はわかるけど、魔法陣には描き起こせないから自信なくて。とっととフィリアスに丸投げしました。人の命がかかってる時に、無責任なこともできない」
「お前、ほんとに感覚派だよな」
「はは、面目ない」
「いいんじゃねぇの。状況判断として真っ当だ。適材適所で使える俺たちを使えばいい。と言うわけでフィー、魔法陣の描き起こしは一番慣れてるお前に頼んだ」
フィリアスはうなずきもせずに、右手を宙に突き出した。
小さく詠唱を始める。手のひらに、青白くひとつの魔法陣が立ち上がっていく。
ロニーは陣に閉じ込められた魔術語を目で辿り、口に出してゆっくり読み解き始める。
「これは……『人間、を、犬、に変える、ただし期間限定、解術の合図は、3回まわってワンと鳴く』……はぁ?」
目を疑った。確かに正しく読めていると思う。思うが、陣の意味がまったくわからない。
「これ、うちの師匠が遊びで俺たちにかけてた術な」
「え?」
「子どもの頃は、よく、犬にされてたんだわ。1日くらい犬になって遊んで、人間に戻る」
「……は? そんな違法な遊びをよくもまぁ」
「ま、バレないバレない」
悪びれずにハーフォードは笑い飛ばして胸を張る。
ロニーはちらりとフィリアスを見た。ただでさえ魔術バカなやつだ。さぞかし変身魔術は楽しかったことだろう。人間に戻すのにはかなり手を焼いたんじゃなかろうか。
「そうそう、フィーは人間に戻るのを嫌がってたな」
こちらの内心を見透かしたように、ハーフォードはニヤリと笑う。
「犬でいるのが楽しいもんだから、人間に戻るのが嫌で嫌で、怒ってイライラぐるぐる回って、最後に怒って一声吠えるから、結局人間に戻っちまうの」
「はは。師匠の手の上で踊らされてる」
ファラン師匠の飄々と人を食った笑顔が目に浮かぶ。うちの親父の下でこき使われるのも大変だが、あの師匠の弟子をするのもかなり大変そうだ。
肩をすくめてから、あらためてその魔法陣を観察する。
「見事な魔法陣ですね。研ぎ澄まされてる。余計な魔術語がひとつもない」
「師匠特製だからな」
「……今回の変換魔術を作った人間は、ファラン師匠並に才能があると?」
「違うな」
あっさりと、ハーフォードが即答した。
「前にネズミが金魚に変えられてた事件があっただろ。あの時の魔法陣は、解析を見る限り、かなり幼稚だった。言葉が雑然と詰めこまれ、長い間かけて試行錯誤して偶然正解に辿り着いた、って印象の陣だ」
「……そこに改変を重ねて、今回とうとう人間にまで応用した……?」
「もしくは、当時の陣の情報を盗み出して、新たに開発したか、だな」
「盗み出す?!捜査資料から?そんなの、魔術師団の奴でもないと……」
口に出しかけて、言葉を飲み込んだ。納得する。やはり、父が自分に金魚を丸投げしていた理由はそこにあるのか。
その間にも、フィリアスはみるみる魔法陣を描き換えていく。
ロニーは慎重に読み上げる。
「ああ、いくつか単語を置き換えたのか。『金魚、を、人間、に変える、恒常的に、ただし……』」
その先の魔術語には、元々人間として持っていた容姿や能力、性格や記憶、そのすべてを復元できるよう、細やかな注釈が連なっていく。
複雑な魔術語が整然と並ぶ。最後まで読み切ることを放棄して、ロニーは頭をガリガリとかいた。
「うっわ、めんどくせ。やっぱ俺、こんな陣は描けないわ」
「そんなロニーに朗報だ。陣が描き上がったら、発動に魔力を貸してくれ。フィリアスひとりでやったら半日寝込むレベルだろ。明日の仕事に差し障ったら困る」
「いいけど……一度でもこの陣に俺の魔力を通したら、俺もいつでも使えるようになりますよ? 横から盗んだみたいで気が進まない」
たいていの魔術師は、一度自分の魔力を巡らせて発動できた魔法陣は忘れない。
他人の作った貴重なオリジナル魔術も、まるで我が物顔で使うことができてしまう。
「気にすんな。むしろ覚えておいた方がいい。これから重宝するぞ」
ハーフォードの言葉に、ロニーはとっさに軽く耳を塞ぐふりをしながらぼやいた。本気で聞きたくない。
「またこんな対応をする機会が出てくるって? やめてくれー、めんどくせぇー」
「諦めろ。そもそも、これで終わると思うか? 人間を金魚にするのは何のためだ? 何のためにこんな馬鹿な真似をする?」
ハーフォードの鋭いたたみかけに、ロニーはげっそりと首を横に振った。考えたくなくても答えが浮かんでしまう。ぞんざいに吐き捨てる。
「実験してるんだろ。もっと高度な生き物の生成のために。最終的に作りたいのは、人間の知性を持った、人間じゃない何かだ。じゃなきゃ、わざわざ人間を使うなんてリスクを冒すはずがねぇ」
ばちゃん、と、ロニーは湖面にやけくそのように仰向けになる。何も知らなかったことにして、このまま眠ってしまいたい。
「……はぁぁぁぁぁ勘弁してくれ。俺、そういうの、一切興味ねぇよ。本気で気色悪い。人の命を何だと思ってやがるんだ。金儲けでネズミ金魚を作ってた違法商人の方が、まだ理解できる」
「同感だな。それでお前、この怪しい金魚をどこで手に入れた」
「うちの親父が勝手に置いてった」
「だろうな」
「だろうな?」
「あの人、今、壮大な悪巧みしてるだろ」
「……は?」
ハーフォードは身軽に立ち上がると、手を伸ばしてロニーを引き起こす。
ぼうぜんと立ち上がったロニーの背中をぽんと叩いてから、フィリアスと向き合う。
「フィーお疲れ。もう発動できるな?」
「遅い」
「すまんすまん」
軽い調子で謝りながら、ハーフォードはフィリアスの背後に回り、肩に手を置く。
「ロニーは反対側の肩に置け。フィリアスが陣に魔力を注ぎ始めたら、ゆっくり自分の魔力を手のひらから流し込め」
「……わかりました」
直前の父の話が猛烈に気にかかる。それでも今すべきことに集中する。
魔力を動かしはじめたフィリアスの邪魔にならないよう、そっと静かに魔力を注ぐ。
自分の体からするすると魔力が出ていく感覚に、軽く目を閉じて集中する。
ごっそり力がもっていかれて、そしてぴたりと止まった。
目を開ける。
見知ったバケツが転がっている。
見知らぬ男も転がっている。
体を丸めて横たわっているのは、若い男だった。その体は規則正しい呼吸を繰り返す。
一瞬、第4魔術師団の誰かが転がっていたらどうしよう、と最悪の想像を浮かべてしまっていたロニーは、その顔に馴染みがないことに、ほっとする。体から少しだけ、力を抜いた。
淡々とフィリアスが近寄って、その男の顔をのぞきこむ。
「あ。」
その口から、小さな声が漏れた。
「どうした?」
厳しい声で問いかけながら、ハーフォードが歩み寄る。その後ろから、ロニーも覗き込む。やはり、知らない顔だ。
だが、ハーフォードはその顔をみるなり、驚きの声をもらした。
「こいつ、フィーの部下じゃねぇか」
「もう違う。去年、辞めてる」
「理由は?」
「俺のことが気に食わない」
「やっかみか。たしかこいつの論文を読んだことあるけど、たいしたことがなかったな。どっかの大臣のコネで入団してきたボンボンだろ」
「そう」
ロニーは近寄って、まじまじとその顔を見る。襟の内側にちらりと小さなタトゥーのようなものが刻んであるのが見えている。
指先で襟を下げ、顔を寄せて、まじまじと見る。
丸い形の紋章だ。ドラゴンが自らの口で尾を飲み込もうとしている。
「なんの刺青だこれ。んで、なんで金魚にされたのあんた」
意識を取り戻さない男からは、当然なんの返事もない。
ハーフォードは男の脈を取って問題ないことを確かめて、外見をつぶさに観察しながら言う。
「本来だったら第4師団に任せたい案件だが仕方ねぇなぁ。第1が内密に預かるわ。この男から、回復次第、事情を聞く。わかったことは、フィーとロニーに共有する。ひとまずそれでいいか?」
「俺はもちろん。助かります。情報探索が必要だったら、直接俺に投げてください。早急に対応します」
「了解。はぁー、さようなら俺の今日の安眠」
ハーフォードは冗談めかしながら、本気で頭をかき回す。
フィリアスはふぁ、と小さくあくびをした。
「俺は寝る」
「ありがとな。あ、これ、ディアから。こないだ借りた魔術書。礼の菓子付き」
魔術師団で会ったら渡しておいてとディアナから頼まれた紙袋を、フィンガースナップで取り出して渡す。
仕事熱心なディアナは、自分の担当する裁判で分からない知識があると、必ず勉強する。この本もそのために借りたものだった。
「ん。」
フィリアスは紙袋を消すと同時に、一つの箱を取り出した。リボンがかかっている。ロニーにそのまま渡してくる。
「なにこれ?」
「新聞の祝い」
「ああ、ディアナの記事か。わざわざすまん。……って、お前、新聞なんて現実的なもの読むのか?!」
フィリアスは何も言わずに、ずぶりと湖に沈んだ。
ずぶずぶずぶと沈み込んで、完全に水に浸かり込んだらもう姿が消えている。
興味しんしんだった湖の中を見られたから、あっという間に満足して帰ったのだろう。
「なんだこれ?」
もらった箱を軽く振ってみる。
ちゃぷ、と小さな水音がする。
「ああ、それ、ビストロ・アリーバのステーキソースじゃねぇかな。俺の友だちが経営してんの」
ハーフォードの言葉に、ロニーは驚いた。
「ディアが食いたがってた店だ」
「じゃあ、予約取るときに俺の名前を出すといい。確実に席がとれる」
「あっりがてぇ。ディアが喜びます」
「相変わらず仲良いなぁ」
「そりゃもう当然」
変な事件に巻き込まれて本当にまいったけど、最後の最後にごほうび情報が入手できた。
少し気持ちが上向いて、ようやく次の言葉を口に出来た。
「ハーフォードさん、俺、親父も疑った方がいいですか?」
その言葉を口にするのは勇気が要った。きついな、と内心で思う。実の親だ。できれば疑惑の目で見ることはしたくない。
ハーフォードはロニーの頭をぐしゃぐしゃに撫でてながら笑う。
「すまんすまん、さっきは変な言い方をした。お前の親父さんは、腹は黒いが賢明な人だろ。今あの人が企んでるのは、もーっとでっかい計画だ。俺は喜んで踊らされるね。むしろ疑うべきは、」
ハーフォードは顔を引き締める。
「第5魔術師団だ」
それを聞いた瞬間に、ミラード・カーターの顔が脳裏に浮かんだ。ロニーをしつこく新設の第5師団に誘ってこようとする男。
親父の一番近くで働く男。
どうりで父は容易には動けないわけだ。
「なーるほど?」
ロニーは完全な無表情になった。
いろんなことがありすぎる。
ディアナのいないロニーの日常は、こんな腐ったことばっかりだ。
彼女だけが、自分を正常にしてくれる。
早く会いたくて、もう、どうしようもない。




