(1-4)10年前——王立学院1年生③
「ねぇ、ハースさん。まだ入るグループ決まってないよね」
大げさなくらいに朗らかな笑みを浮かべながら、その男子はこちらを見下ろした。
まぁその通りではあったので、座ったままのディアナは素直にうなずく。
「よかった。じゃあ俺たちのとこにおいでよ」
今は教養科目の歴史の時間。鼻の下できっちり整えた四角い白髭が印象的な、ダンディーおじいちゃん先生の授業だ。
さきほど先生は教卓に立つなり、明るくのんびり宣言したのだった。
「はーい、今日から4人1組で課題に取り組んでもらいますよ〜。適当に周りの人とグループを作ってね〜」
——わぁ、えっと、どうしようかな。
とっさに隣の席に目を走らせる。
いつもはおひとりさま生活を満喫しているディアナでも、さすがに誰かと一緒にチームを組まないといけない。
ロニー・ボージェスを起こそうか。
真っ先にそんなことを考えて、ディアナはためらった。ざわつく教室にお構いなしに、ロニーは今日も絶好調で昼寝中だ。
……そもそもこの人、ほんとに人間かな?教室の亡霊か何かじゃないかしら?
などと考えあぐねていた時に、とびきりの笑顔を浮かべた男子がいきなり声をかけてきたのだ。
「ほら、あそこにいる俺の友だちふたりも一緒に」
指し示された方向を見ると、体の大きな男子ふたりがにやにやと手を振っている。
うっかり手を振り返してから、ディアナは状況を正確に把握した。
——ちゃんと課題をやる気がないな、この人たち。
今、ディアナをグループに引き入れようとしているのは、クラスでもとりわけ体が大きい男の子3人組だった。
そろって防衛軍事専攻だったと思う。つまりは軍人、しかも幹部将校になりたい人たちだ。
彼らはいつでも「体を鍛えて腕っぷしを強くして、最新の戦略戦術を勉強できればそれでいいし、卒業後はどうせ王立士官学校の将校クラスに進学するし」と思う気持ちがダダ漏れだった。一般教養の授業で先生に指されても、いつも適当にやる気が無さそうに答えている。きっと古くさい歴史の授業なんて、彼らが馬鹿にしている最たるものだ。
「あなたたち、課題全部を私に任せるつもりかな?」
率直に、ディアナは指摘した。
まさかそんなことをいきなり言われるとは思っていなかった顔で、男の子はぐっと言葉に詰まった。爽やかな笑顔の口元がひきつっている。
彼の名前は確か……エドワード・アッテンボローだったっけ。
「私はそれでも構わないんだけれど。知識が深まるし。あなたたちはそれでいい? かっこいい司令官になった後、歴史を知らないで和平交渉とかできるもの?? ひとつ判断を間違えただけでも、敗残の将って汚名が残らない?」
単純に気になることを尋ねたつもりだった。のに、なぜか目の前の男子は顔を真っ赤にして、口をぱくぱく無言で動かしている。
「水の中のお魚さんみたいね……?」
「やめてくれ。あいつらの方が1000倍かわいい」
ぼそっとディアナの隣から声がした。ロニーの声にも思えたけれど、やっぱり彼は机に突っ伏したままだ。
しびれを切らしたようにエドワード・アッテンボローの友人たちがどかどか揃ってやってきて、一人がぐいっとディアナの細い手首をつかんだ。
「何をぼけっとしてんだよ。早くあっちに行こうぜ」
体の大きい男子たちに取り囲まれると、それなりに圧迫感がある。
このシチュエーション、何かで知っている。
……あれだ、地元で流行りの恋愛小説に出てきた「ナンパ」もしくは「カツアゲ」ってやつじゃない?
気づいた瞬間、ディアナのテンションは一気にあがった。
こんなガリガリのチビ娘でも、小説の擬似体験ができるとか、さすが王都!懐が深すぎない?
ディアナは恋愛には興味がないし、たぶんこれからも恋をするとか有り得ない。自分の人生で手いっぱいだ。
でも擬似体験なら面白いかもしれない。さてさてこれからどうなるのかな。
わくわくしながら自分の手首を見る。自分より大きな手にがっちりつかまれている。うっかり抵抗したら折れてしまいそうだ。うっかり抵抗してみようか。そのほうが恋愛小説っぽいよね?よし、まずは言葉にしてみようかな。
ディアナはすうっと息を吸い込んで、元気に言ってみた。
「やめてください!」
「だから、あんた、なんでそんなに楽しそうなの」
今度こそ本当に確実に、ロニーの声だった。
いつの間にか、むくりと体を起こしている。
「だ、誰だよ、お前」
ディアナの手首を握りしめている大きな手が、動揺で緩んだ。すかさずさっと自分の胸元に手を取り返してから、男の子たちの顔を見上げてみる。
3人そろってぽかーんとしている。
それはそうだと思う。もう学校が始まって1カ月も経つのに、彼らは初めてロニーの存在に気づいたのだから。
「クラスメイトの名前も知らないのかよ。脳の中まで筋肉か」
頬杖をついたまま、うんざりしたようにロニーは言ってのける。今までずっと気配を殺して、居ないふりして寝ていたくせに。
そのまま気だるげに、右の人さし指をくいっと上に動かした。
とたんに、3人がいっせいに爪先立ちになった。
『お、おおおお?!』
ほとんど同時に叫んだ3人の口が、ぱちんと指が一つ鳴ったとたんにぴたりと閉じられる。
ロニーの右手がくるりと優雅に翻ると、その動きに合わせたように、くるりと3人揃ってディアナに背を向けた。
そのままゼンマイ人形のようにぎこちなく、もといた自分たちの席に戻っていく。
「そこ、どうしたんだい。何かあった?えっと、君は」
「ロニー・ボージェスです。俺とディアナ・ハースは2人組でいいですか?このクラス、42人編成なんで」
先生の呼びかけにしれっと答えるロニーの顔を、クラス全員が、ぽっかーーんとした顔で凝視している。
ロニーはどこ吹く風でそっぽを向いて、チッと密かに舌打ちした。
「せっかく今まで隠密魔術が上手くいってたのに。めんどくせぇ」
ぼそりとつぶやく声は、たぶんディアナにだけ聞こえている。
そのままクラスメイトから好奇の視線をチラチラと向けられ続けたロニーは、授業が終わるなり、ディアナの手を引っつかんで教室を飛び出した。