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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第6章 相棒、は順調ですが。

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(6-1)速記のディアナ、記事になる


「以上をもって、この裁判を結審とする」


 終わりを告げる裁判長の重々しい声が響いて、一拍ののち、法廷の空気が緩む。

 裁判官たちの1段下。速記官席に座っていたディアナは、持っていた鉛筆を机に置く。ほっと小さく息を吐いた。


 王立学院を卒業し、1年の研修期間を経て、裁判速記官として本格的に働き始めて5年目。ディアナは23歳になっていた。

 これまで数え切れないほどの裁判に立ち合って、速記記号で記録することに集中力を注ぎ込んできた。終わったあとはいつでも頭がクタクタだ。

 一気に全身の感覚が巡ってきて、気づけばお腹がぺこぺこだった。とにかくランチを食べたい。甘いものも欲しい。ミルクのたっぷり入ったコーヒーを飲みたい。

 そんなことをひたすら考えながら、自分のデスクに戻ろうとして、廊下の向こうからやってくる後輩と鉢合わせた。


「ディアナせんぱーい、終わりましたー?」


 1歳年下の2級速記官、パム・バージが大きく手を振って歩み寄ってくる。

 つややかな栗色の髪を流行の肩上ボブスタイルに切り揃えた彼女は、いつものように爪の先まできっちり磨き上げ、全身くまなく気を遣っているのがわかる隙のない身だしなみだ。

 自分のことには手を抜きがちでロニーにいつも怒られるディアナと、最新オシャレ女子代表みたいなパムは、なぜだか妙に馬が合う。

 ディアナも笑って、一番気心しれた同僚に手を振った。


「うん、終わったばっかり。パムの方の魔術裁判は?」

「無事1時間くらい前に終わりました。もうへっとへと。これから職員レストランにランチ食べに行くんですけど、先輩も一緒にどうです?」

「わぁ、行く行く。ちょっとオフィスに戻ってから合流するのでも良い?」

「もちろんですよー。先に注文しておきましょっか。いつものパンケーキセットでいいですよね」

「うん、パンケーキをメープルシロップの海に沈めたいなぁ」

「いいですねー、どっぷり沈没させてやりましょ!」


 いつものパンケーキセットには、ふっくら焼き上げたパンケーキが2枚に、レタスとポテトのサラダ、焼きたてジューシーなソーセージまでついてくる。

 ある意味、完全食なのだ。仕事で疲れ切った頭と心に、甘いものとしょっぱいものを一気に取り込める。

 よし!癒しのランチタイムが待っている!

 とたんにディアナの足取りはすっかり軽くなった。いったんパムと別れ、スキップしたいのを何とか堪えながら、オフィスに仕事道具を置いて身軽になる。

 それから裁判所の建物を出て、近道の中庭を突っ切っていく。

 うきうきとつぶやいた。


「人間、ごほうびも大事!」


 社会人になってからの、ロニーの口ぐせだ。

 今朝も眠そうな顔でそんなことを言いながら、ディアナの育てたイチゴをもりもり食べていた。


「ピィィィ」


 聞き覚えのある鳴き声がして、1羽の小鳥がパタパタと軽い羽音を立ててディアナの肩に止まった。

 ロニーの伝令鳥だ。

 たいていの魔術師は、自分の魔力で編み出した小鳥を伝令役として持っている。

 ロニーの小鳥は、ディアナの黒い髪の色とそっくりな濡羽色(ぬればいろ)をしていた。すりすりと頭をディアナの頬に押しつけてから、ぽん、っと1枚の紙に変わる。

 見慣れた速記記号で、短い文章が綴られていた。


『変わりないか? 夕飯、何食べるか考えといて』


「変わりないか、だって」


 ディアナはくすくすと笑った。今朝も一緒に出勤して、数時間前に魔術裁判所の前で別れたばかりだ。変わりなんてあるわけがないのに。


『いつもどおり頭がくったくた。夕ごはんは、キドニーパイにビールでどう?』


 ロニーの伝言の下に、指先でするすると速記で綴る。望んだ通りの文字が、自然と紙に浮かび上がっていく。

 ディアナが学院で速記を習って以来、いつの間にやらロニーまで速記を習得していた。今ではふたりの間の伝言は、いつでも速記記号だ。


「そのほうが、あんたの勉強になんだろ」


 学生時代、ぶっきらぼうに言ったロニーの顔を思い出して、ディアナの口元にあたたかい笑いが滲む。

 手紙を記し終わって、さらりと書面を手で撫でる。

 とたんに伝言用紙は再びぽんっと小鳥に変わった。小首をかしげてこちらをじっと見る、その丸い目はロニーと同じ、深い夜空の色だ。


「ロニーによろしくね」

「ピィ」


 頭を撫でてあげると、うっとりと目を細め、小鳥はするりと飛び立っていった。

 主人の元に戻っていく姿を見送る。

 春の風が、サワサワと中庭の木々を揺らして穏やかに吹き抜けていく。心地がいい。


「ディアナさん、お疲れさまです。今朝の新聞見ましたよ!」


 レストランの手前で、顔見知りの若手事務員に声をかけられた。


「俺、記事を読むまで知らなかったですよー。ディアナさん、魔力持ってないんですか?」

「そうそう、私、レアなんです」


 ディアナは笑う。

 養成所を出てからの2年は、一般裁判の速記官として働いていた。

 でもどうしても魔術裁判に関わりたくて、2年間、猛勉強を重ね、異動願いを出し続け。ようやっと一昨年(おととし)、念願が叶ったばかりだ。 

 そこから丸々2年半、憧れの魔術裁判で必死に働いて、ようやく気持ちに余裕が出てきた先月、大手新聞からのインタビュー取材を申し込まれた。

 異色の経歴を持つ職業人にクローズアップした人気連載だ。

 元々は、新聞社から裁判所の広報部に、取り上げる部署と人選の相談が行ったらしい。

 裁判所の速記官は、さして知名度の高い職業ではない。

 これを機会に世間にPRして良い人材を確保したい上層部の思惑もあり、これ以上ない面白素材代表として、ディアナに白羽の矢が立ったのだ。


「そのあたりのお話をぜひいろいろ聞きたいなぁ。どうです、ランチをご一緒しませんか?」


 新聞記者のようなことを言うその男性に、ディアナは「ごめんなさい」と頭を下げる。

 

「後輩にもう席を取ってもらっていて……あ、あちらに。すみません、失礼しますね」


 2人席に陣取って、パムが手を振っている。

 名残惜しそうな男を残して、ディアナはいそいそとテーブルに歩み寄った。

 もうランチがテーブルに運ばれている。


「わぁぁぁ、美味しそう〜!見ているだけで生き返る〜〜!」

「ディアナ先輩、まーたナンパされてたんですか? 気をつけてくださいね。ロニー先輩にバレたら、相手の人の命がないですよー?」

「ナンパなんかされてないし、命もあるから大丈夫」

「またまたぁ」


 パムが仕方ないなぁ、とでも言いたそうな目でディアナを見る。

 

「ディアナ先輩の自己評価の低さ、ほんと心配です〜。ほら、みんなチラチラ見てるでしょ?先輩が美人だから!」

「いや、今日、新聞に載ったからだと思うよ?」


 いたって冷静に返すと、ディアナはパンケーキにメープルシロップをたっぷりかけて、口に運んだ。

 パムは、王立学院の1学年下、魔術科出身だ。在学中は面識がなかったけれど、パム自身はディアナとロニーのことを学内でよく見かけていたらしい。

 「憧れのカップルでした〜!」と初めて職場で会って開口一番に切り出され、ディアナは誤解を解くのに必死になった。今でも、その認識を正せたとは言い難い。


「もしも先輩が美人じゃなかったら、我々なんか、みーんなジャガイモです!イモ!イモイモ!」


 軽く興奮したパムは、追加で頼んだ丸ごとベイクドポテトに、ぐさぐさフォークを突き立てている。


「ちらちら見てくる野郎どもに言ってやりたいです〜。超絶美人でめっちゃかわいい私のディアナ先輩には、恐ろしく怖ろしいイケメンの彼氏がいるから諦めろー!お前ら鏡の自分をいっぺん見てみろー!って。そしたらスッキリするのにぃ」

「パム、だからロニーはそんなんじゃなくて、」

「いやいやまたまた。毎日帰り際に威嚇(いかく)される私の身にもなってくださいよぉ。ロニー先輩、マジ(こわ)ッ」


 言いながら、急に真顔になったパムは、ぶるっと身を震わせる。

 パムの認知の歪みを正すことをとうとう諦めたディアナは、そのあとはゆっくり食事を楽しんだ。


「先輩、午後は反訳原稿の書き起こし作業?」

「そう、今日は1本だけで楽ちんなんだ」

「いいなぁ、私なんか、もう1本速記しないといけないんですよー。軽めの調停裁判だからまぁ、いいんですけど。慰めてください〜」

「うんうん、頑張ってね」


 パムの頭をよしよしと手で撫でる。


「うふっふー、ディアナ先輩のよしよしゲットー!うらやましいだろー!」

「虚空にそんな大声で自慢したってしょうがないんじゃない……?」

「いいのいいの!届くところには届くから!ディアナ先輩はそのままでいてくださいね」

「??」

 

 よくわからないのだけれど、それでもうっとりと目を閉じている後輩は、大喜びで撫でられている小型犬みたいに愛らしい。ディアナはしばらく無心でパムを撫で続けた。癒しをくれる後輩って、本当に素晴らしい!


 午後は黙々と、速記文字を普通の文字の原稿へと清書する作業を続ける。

 その反訳原稿が完成したのは、定時退勤の15分ほど前のことだった。


「はい、お疲れさまでした」


 上司のサンドラ・リードは、ディアナの提出した原稿にざっくりと目を通すと微笑んだ。

 40代半ばの彼女は、3級魔術師だ。いつも業務の時は、体内の魔力が漏れ出さないように魔力封じのパッチを腕に貼り付けている。

 魔術裁判の現場では、それが普通のことだ。速記の内容は、正確さが命。万が一にも、悪しき魔術の影響で書かれた事実が捻じ曲げられるようなことがあってはならない。

 ディアナもパッチをつけている。ただし、自分に魔力はないので、外から悪意のある術をかけられないための防御パッチだ。

 サンドラは、いつもの冷静な事務官の顔を少しだけ引っ込めて、いたずらっ子のように3階の窓から外を見おろす。


「ディアナさん、もう帰っていいわよ。旦那さんがお迎えに来てるわ」

「旦那さんではないです〜」

「はいはい、もういいから」


 このやりとりも、毎日のお約束のようになってしまっている。最初はもっと抵抗していたのだけれど、今はすっかり諦めた。

 ディアナはちらっとパムを見る。

 机にかじりついていた彼女は、軽く顔を上げ、残念そうに小さく手を振る。今日は珍しく残業するようだ。


「それでは、お疲れさまでした。失礼します!」


 ハキハキとあいさつして、オフィスを出る。

 1階のロッカーエリアで、腕の魔力防御パッチを剥がす。

 私物のカバンを取り出して、ロニーのブレスレットを手首に戻す。

 仕事中、魔道具のアクセサリーは身につけられない。学生時代からずっと守ってくれていた大事なブレスレット。なるべくつけていたいけれど、こればっかりは仕方ない。

 軽い足取りで、裁判所の門を出る。


「ロニー!お待たせ」


 背の高い体を持て余すように壁に預けて待っていたロニーが、身を起こした。金茶色の髪に、黒いローブがよく映える。誰が見ても、立派な王宮魔術師だ。

 ディアナを見て、ほっとしたように柔らかく笑って歩み寄ってくる。

 そのまま手首を捕まえられる。

 じっくりとブレスレットを観察された。


「今日も、何もなかったな?」 

「ないない!なーんも」


 どうせ毎日のロニーチェックだ。速記官が襲われる事件なんか滅多にないのに、心配性だ。ディアナの答えも慣れている。


「それよりキドニーパイ!ビール!」

「はいよ。腹減ったな」

「すっごい減ったー」

「公園の屋台で外飲みするか」

「いいねぇ、それ最高!」


 肩を並べて歩いていく。

 道々、口に出せる範囲で今日の魔術裁判のことを話し合う。

 昔はまったくわからなかった魔術用語も、自由自在に使えるようになった。

 ディアナは、一日のうちで、この時間が一番好きだ。

 2級魔術師ロニー・ボージェスに、2級速記官ディアナ・ハースが、ようやくちゃんと追いつけた気がする。

 ちゃんと、ロニーと同じものを見ている。

 ふたりで、一緒に、歩いていく。




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