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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第5章 友だち、をとっくに過ぎたその先で。
33/35

(5-5)6年前——王立学院5年生⑤


 そこから先のディアナの父は、魔術師ダニエルの手のひらで踊らされる人形みたいなものだった。


 あっという間に言いくるめられ、おだてられ、新しい鉱山商売の話に夢中になって。

 片手間にディアナの後見人書類にさっさとサインをし、あとはもう見向きもしない。


 そうだろうな、とディアナは思う。むしろ清々(すがすが)しい気持ちで、父から目を逸らす。

 18歳で成人するまであと1年ほど。

 成人したら、親の許可がなくてもなんでもできる。

 それを待たずに、父とディアナの関係は、とっくに途切れている。それを目の前であらためて確認できただけだ。むしろ、いまさら変に興味を持たれなくて本当によかった。


 言葉巧みに父を手玉に取り続けるダニー父さまに、感謝のまなざしを向ける。

 ロニーにも、ご家族にも、たくさん守られてばかりだ。この感謝の気持ちをどうやって返していけばいいのだろう。

 気配に聡いダニエルがこちらに目を走らせて、ばちん、とウインクした。


 ——まかせて!僕、この状況をすっごく楽しんでるからね!


 その目がそう言っている。ダニー父さまは、ディアナの気持ちにすぐに気づいてくれる。父よりよっぽど本当の父親らしい。

 目頭が熱くなってくるのをごまかしていたら、隣のジェニー母さまが、そっと手を握ってくれる。

 ディアナは微笑んだ。

 すぐに帰って、クッキーを焼きたい。無心で粉を混ぜて()ねて練って焼いて、今日はありがとうって心から言って、焼きたてサクサクの一番美味しいのを食べてもらいたい。5人でクッキーをかじりながらお茶をして、やれやれ大変な1日だったねぇ、って笑って、いつもの日常に早く帰りたい。


「ディアちゃん、ロニー。残りの細かい商売の話は大人の間でするからさ。君たちは適当にゆっくりしておいで。あとで合流しよう」


 ディアナの気持ちを見透かしたように、ダニエルは微笑んだ。ありがたく応接室を出る。

 ドアを閉じた瞬間、ディアナは、ほっと息を吐いて脱力した。

 ロニーもキリリとした態度を脱ぎ捨てて、大きく伸びをした。ウンザリとした様子でうなる。


「あぁー、肩凝った。意外と重いなこのローブ」

「重いんだ?」

「自分のやつを新調するときに、絶対軽量化の術をかけてやる」


 言いながら、ふぁぁぁ〜と気の抜けた大きなあくびを漏らす。

 それからディアナの顔、なぜだか特に目の下のあたりを慎重に眺めて、「まあ、(くま)、薄くなったか。合格」と勝手に納得し、これまたなぜだかディアナのほっぺたを両手で包んだ。軽くむにむにと揉みほぐされる。

 突然のマッサージの塩梅(あんばい)が気持ちいいやら訳がわからないやら。固まるディアナにおかましなしに、ロニーはそのまま辺りを見回す。


「ディアの部屋はどこにあんの?」

「えっと、こっち。でもまだあるのかなぁ」


 ディアナとしては、特にいまさら愛着もないのだけれど。ロニーが見たいのだったらいくらでも案内する。

 続いて歩き始めたロニーが、急に立ち止まり、後ろを振り返った。

 低く鋭い声で、問いかける。


「なに」

「……」


 ディアナもつられて振り返る。


 弟が、そわそわしながら立っていた。


 ディアナの髪と目の色は、母親譲りの黒だ。

 2歳年下の弟のマルスは、父親譲りの茶色い髪に、(はしばみ)色の目を持っている。

 顔立ちも、さして似ているところがない。ディアナの顔は、どちらかというと亡くなった母方の祖母に似ているけれど、弟は父方の顔の特徴を色濃く受け継いでいる。

 実家にいた頃に、そんなに口をきいた記憶もない。親しみを感じる要素もない。もともと遠いところにいた弟だが、今ではもっと遠い存在だった。


 ディアナから、かける言葉は見つからない。

 でも弟は、ディアナの顔を穴が開きそうなほどに見つめたまま、何かを待っているように見える。


 あからさまにロニーが、めんどくせぇなぁ、という顔をした。


「なんか用?」

「……」


 弟は何も答えない。ただひたすらディアナから目を離さずに、棒立ちでそこにいる。

 ロニーが小さく舌打ちをした。


「ああ。そうか。潰されたいんだな?」


 いいながら、手のひらに見るからに得体の知れない青白く凍りついた玉をひとつ、じわりと浮かべてみせる。

 急に辺りがほんのり寒くなる。

 玉はじりじりと雷光のようなものを(まと)わせながら、みるみるうちに禍々(まがまが)しく大きくなっていく。

 ロニーはうっすらと、悪鬼のような笑みを浮かべた。


「いる?」


 ひっ、とマルスの喉が鳴る。恐怖に青ざめた顔でじわじわと後ずさると、耐えきれなくなったようにくるりと(きびす)を返して一目散に逃げ出した。


 ディアナは苦笑いで弟の姿が消えたのを最後まで見届けて、反対側に向かって歩き出す。

 ロニーは何もなかったように邪悪な球をするっと消し、ディアナの横に並んだ。

 その脇腹めがけ、えいっと軽く体当たりして、ため息をつきながら膨れてみせる。


「もう。そういうのやめなよー」

「なんで。弟の肩を持つのかよ」


 とたんに不機嫌になったロニーに、「違うちがう」と首を振る。


「ロニーが悪い人だって誤解されるのが嫌。今、すっごーく悪い顔してたよ?」

「はは。それなら本望だ」

「そういうことを言わないの!」


 1階の廊下をまっすぐ行って、物置部屋の隣。それがディアナの部屋だった。

 裏庭に面していて、午前中は日が当たる。

 念のためにレースの手袋をそっと脱いでから、ドアを開ける。

 ギィっと軋んだ音を立てながら開いた扉の向こうに、ひさびさの部屋が見えた。

 

「ああ、やっぱり。すっかり物置になっちゃってるね」


 壊れた椅子や、大きな木箱などが、ポツリポツリと置いてある。

 記憶していた時よりも、はるかに小さな空間だった。

 たぶん、もともとは使用人が使っていた部屋なのだと思う。

 家族にとっては、ディアナという娘は、それくらいの価値しかなかったのだ。それをあらためて突きつけられても、もう、どうでもよかった。

 ロニーも同じことに気づいているはずだけど、なにも言わない。

 ただ、大切な何かを確かめるように、壁をそっと撫でた。


「ホコリついちゃうよ?」


 ディアナは苦笑しながら、ロニーの指を捕まえて、汚れて黒ずんだところをハンカチで拭き取る。

 数歩を進むだけでもホコリが舞って、空気がざらつく。

 出窓を開ける。

 そこから見える裏庭は、誰も手入れをする人がいないのだろう。伸びっぱなしの木々の葉が、秋の終わりに色づいている。


「その窓か?」

「何が?」

「ディアがイチゴを種から育ててたの」

「あ、そうそう。よく覚えてたね!」

「さっきのケーキで思い出した」

「記憶力すごいね。私ですら忘れてた」

「忘れられるわけないだろ。衝撃的だったのに」


 むしろあきれたように、言われてしまう。

 ロニーは殺風景な部屋をぐるりと見回し、放置されていたベッドの硬さをゆっくり手のひらで確かめて、眉をひそめた。


「で、他の私物は?」

「ないよ? 学院に来る時に必要なものは持ってきた。あとは捨てた。もう、ここに戻ってくるつもりもなかったから。だから今、ちょっと不思議な感じ。正直いうと、もうそろそろ帰りたい」


 あっけらかんと、ディアナは言った。未練はまったくない。かろうじて心を寄せていた祖父母はもういなくなってしまった。

 ディアナをこの街に繋ぎ止めるものは何もない。


「パイは?」

「え?」

「早食い競争のパイ」


 なんのことかわからずに、ディアナは軽く首を傾げる。そこからようやく思い出した。

 そういえば、入学したての頃、地元のパイ競争に憧れている話をしたことがあった。

 

「本当によく覚えてるね?! 確かにそれだけは心残りかも!一度食べてみたかったなぁ」

「んじゃ、買ってとっとと先に帰ろうぜ」

「うーん。それはあまりにも申し訳ないから、ちゃんと5人で帰ろうよ」

「えぇー、めんどくせぇー」

「そんなこと言わないの!」


 思いっきり不満そうなしかめ面をしたロニーは、ディアナと同じ窓辺に立った。

 少しだけ背をかがめ、髪にピンで留めているディアナの帽子の角度を絶妙に調整してくれながら言う。


「まぁでも、パイは別の日でもいいか。こんな格式ばった服装で出歩くのもかったるいし」

「別の日って、そんな簡単に来られる距離じゃないでしょ」

「簡単に来られる距離だな。俺の移動魔術でくればいい」

「ロニー、なんか……隠さなくなったね?」

「そうだな」


 あっさりと、ロニーはうなずいた。


「この街に、魔術師団用の移動魔法陣がもともと設置されてたとか、幸運すぎるだろ。使えるものは、なんでも使えばいい」


 今までのロニーは自分が魔術でどんなことができるのか、ほとんど話さなかったし、出来るだけ隠したいようなそぶりもあった。

 長いこと、自分は4級魔術師だと言い張って。王宮魔術師になるために必須の2級への昇級試験を受けるのだって、気乗りしない雰囲気だったのに。


「……何かあった?」

「何にもねぇよ。そろそろいい機会だと思っただけ」

「機会?」

「王宮魔術師になるんだから、1級魔術師レベルのことくらいは出来てたっていいだろ」

「本当にそれだけ?」

「それだけ」


 そのとき、背後でかたん、と小さな物音がした。

 また弟かと思って身構えながら振り返る。

 意外な人がいて、ディアナは目を見開いた。


「母さま?」


 母が廊下に立っていた。

 部屋に入りたいそぶりを見せて、結局ためらった。


「どうかしましたか?」


 ディアナは首を傾げて、静かに尋ねた。母に敬語を使ったのは初めてだ。ロニーの真似をしてみたのだけれど、案外しっくりくるものだった。心の距離を取りたい人に対しては、これくらいの丁寧さがちょうどいい。


「お客さまにお茶のおかわりをお出しするのだけれど」

「それが何か?」

「本当はディアナの仕事でしょう」


 突然、ロニーに引き寄せられる。そのまま強い力で肩を抱かれて、ぴたりと体がくっついた。


「行かせるかよ」


 小さくつぶやく声が聞こえて、ディアナは肩に置かれたロニーの手に自分の手を重ねた。

 ——行かないよ。行くわけがない。

 心を殺して、はっきりと、淡々と口を開く。


「それは、もう、私の仕事ではありません」

「あなた、いきなり何を言い出して……掃除だって、洗濯だって、お茶だしだって、あなたの仕事じゃないの。それを5年も放り出して、私がどれだけ大変だったか」


 込み上げる激情を押しつぶすように、母の語尾が震える。

 ひたすら穏やかに、ディアナは答えた。


「この家に、私の仕事は、ありません」


 ——私、ペストリーショップでアルバイトしているんです。王立アカデミーで速記者のバイトだってしてるんです。たくさん勉強して、いずれ裁判速記者になるんです。


 そういうことを、本当は少しでも聞いてほしかった。

 でも、誰も聞いてくれない。5年も不在だったのに。

 父は儲け話に夢中になって、母はディアナを昔の姿でしか見ていない。

 兄も弟も、何かを言いたいような顔をして、でも、一言も話しかけない。

 疲れ果てたような、母のやつれた顔を見る。

 5年の間に家族にあった出来事が、気にならないといったら嘘になる。

 胸が痛んだ。

 でも、ここに、ディアナがすべきことは何ひとつない。

 おかえり、と一言もいってくれないこの家は、もう、ディアナの家ではない。


「ロニー、帰ろっか」


 ディアナは笑って、ロニーを見上げた。

 母を険しい表情でにらみつけていた、その眉間のシワがゆるむ。


「そうだな。帰ろう」


 重ねられていたディアナの手を、ロニーの手が上からあらためて握り包んで、トントンっとディアナの肩に押し付ける。大丈夫だよ、というように。

 ディアナは微笑んで、少しだけ、体重をロニーの半身に預ける。


「母さま、一つだけ、おうかがいしてもいいですか?」


 母は無言だ。かまわずディアナは続けた。


「私がお渡ししたイチゴの鉢植え、まだどこかにありますか?」

「…………そこに、あるじゃないの」

 

 母の視線を追う。

 木箱と木箱の間、押し込められるように、植木鉢がひとつだけ、置いてある。

 

 ロニーがそっとディアナから体を離して、しゃがみ込んだ。


「……これか?」


 乾いてひび割れた土の上に、すっかりかさかさに乾ききった茎と葉が、ほんの少しだけ残っていた。


「うん、そうだね」


 ディアナは、さっぱりと笑った。自分の内側から滲み出てきそうな黒い感情を押し殺して。

 大事に大事に種から育ててきたイチゴの株だった。

 母に渡したその後に、見向きもされなかったのだろう。でも、鉢が残っていただけでもよかった。

 鉢だけでも、持って帰ろう。そこにもう一度、イチゴを植えたい。ロニーに見せたい。種から育てたイチゴの花は、本当に本当にかわいいから。


「そうか」


 低くつぶやくと、ロニーは、ディアナの手に植木鉢を渡した。


「そのまま持ってて」

「……?」


 ロニーはそっと、鉢の上に両手をかざした。

 手の中に青い光が生まれ、静かな慈雨のように降り注ぎはじめる。

 しっとりと、土が濡れ始める。抱えた腕の中で、鉢がぐんと重くなった。

 

 ディアナはロニーの顔を見る。

 とてもとても愛おしいものを見るような優しい眼差しで、ロニーは鉢の中を見つめ続ける。

 口元は少しほころんで、楽しそうにさえ見える。

 

 胸が締め付けられる。熱くて熱くて、ディアナは鉢を抱きしめる。

 とても綺麗な笑みを浮かべたまま、ロニーは魔力を注ぎ、動かし続ける。

 その顔を、絶対ディアナは一生忘れられない。


 やがて、枯れ果てていた茎がみずみずしい緑色を取り戻し始める。

 くったりとうなだれていた葉が、ふわりと立ち上がった。いくつもいくつも茎が出て、葉がひろがっていく。


 とうとう見事なイチゴの株が蘇ったところで、ロニーはそっと手を離した。


「今はここまでだな。ここまでしたら、あとはディアが花を咲かせてくれるだろ?」


 胸が詰まって言葉が出ない。

 ただ、満たされて、うんうんと何度もうなずくディアナの肩を抱き直して、ロニーは得意そうに胸を張った。


「な? 魔術を隠さず使い倒した方が、結構お得で便利だろ?」

「……お、おとくすぎるよぉ〜」

「いい土産が手に入ったな。とっとと帰るか。俺たちの家に」

「うん。帰ろう」


 そのまま、部屋を出る。血の気を失った母の隣を通り過ぎる。


「ディアナ、あなた」


 ディアナもロニーも立ち止まらなかった。


「幸せなのね?」


 (きし)むような声がする。


 ——ああ、この人は、私の幸せを、祝福してくれない。

   

 だから、ディアナは立ち止まる。

 抱きしめていたイチゴの鉢を、ロニーに預ける。

 髪のピンを外して、トークハットを丁寧に外した。

 母に、ベール越しでなく、今の自分の顔をしっかり見てもらうために。

 にっこりと、思いっきり笑みを浮かべて、少しだけ振り返った。


 ——私は、幸せです。だから、永遠に、


「さようなら」








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