(5-4)6年前——王立学院5年生④
こんなに小さな街だったろうか。
どこか他人事のように思いながら、ディアナはひさびさの実家に向かう道を歩いている。
ディアナの左右を、厳粛な表情のジェニー母さまとダニー父さまが歩く。
その後ろを守護するように、背の高いロニーとアーサーが麗しく涼しげな表情をキメて歩いている。
4人とも、黒の装いでビシッと固め、その上から、王宮魔術師ローブを羽織っている。
本当はまだロニーは学生なのだけれど、「まぁ、いいじゃないか」とニヤニヤしながらダニエルが予備のローブを出してきた。
黒地に優美な銀糸の刺繍を施された、高級感あふれるローブ。まとった4人は特別な地位にある人だということが、一目で伝わってくる。
その人たちに大切に守られて、繊細なベールがあしらわれたトークハットをかぶってディアナは歩く。
身につけたレースの手袋も、たいそう細やかで美しい。美しすぎて、いつ糸をどこかに引っ掛けてダメにしてしまわないかと内心ではヒヤヒヤしている。決して顔には出せないけれど。
今朝、ロニー自ら気合を入れてつけてくれたのが、特製の新作ヘアオイルとネイルクリームだった。おかげさまで、髪の毛も手指もこれ以上なくしっとりと艶めいている。
ジェニー母さまも張り切って、時間をかけてメイクをしてくれた。たいそうナチュラルに見えるけれど、たいそう手の込んでいる仕様だ。いつもよりなぜかまつ毛が長いし、目もくっきり大きく見えている。それこそ魔法みたいに。
隅から隅まで磨かれて、要は、見た目は、完璧な深窓の令嬢だ。
——完璧すぎて、実家の人々に、まったく気づかれなかった。
さきほど墓地にいきなり5人が揃って現れた時、父は故人と親しい参列者が現れたのだと思ったらしい。
しかも身なりから判断して、上流階級の人間だ。
とたんに腰を低くして、丁重な言葉で出迎えた。父の後ろに、母と兄弟も揃っている。
「このたびは、このようなところにまでご足労をいただきまして、本当にありがとうございます。まもなくセレモニーが始まるところですので、ぜひ、故人に花を手向けてやっていただければ」
「心より、お悔やみ申し上げます」
重々しい口調で、ダニエルも丁寧に礼をした。
ディアナたちも、一呼吸遅れてゆったりと上品な角度で頭を下げる。
「王宮魔術師をしておりますダニエル・ボージェスと申します。私たちのかわいいディアナのお祖父様、お祖母様のご葬儀ですので、何を差し置いても最期のお別れとごあいさつをさせていただきたく参りました。遅くなってしまい申し訳ありません。今朝、王都からこちらに到着したばかりでして」
「王宮魔術師!それはそれはそんなご立派な方々が。長距離のご移動でさぞお疲れのことで………ディ……ディアナ?」
父は口ごもり、その参列客の中心にいる娘を見た。
ベール越しに、目が合う。
——こんなに、小さい人だっただろうか。
怒気を撒き散らす父はいつでも恐ろしくて、見下す目が冷たくて、ディアナの体を震えさせるくらい大きな人だと思っていた。
でも、目の前にいるのは、普通の、少しくたびれた、中年の男性だ。
不思議なことに、なんの感情も湧いてこない。
そっと、ディアナの背に、ロニーの手が添えられた。それが温かくて嬉しいばかりで、ディアナはうっすらと微笑んだ。
「ご無沙汰をしております。ただいま戻ってまいりました」
父さま、とは呼ばなかった。ディアナにとっての父さまは、もう、ダニエルだ。この人じゃない。
「そ、そうか」
気圧されたように、半歩をじりっと後ろにさがり、父はそれ以上何も言えなくなる。
父が何も言わなければ、他の家族も何かを言えるはずがない。
おかげでそのあとのお別れのセレモニーでは、棺に眠る祖父母に花をたむけて、落ち着いて心の中で最後のあいさつができた。
祖父母は、今シーズン使い始めたばかりの暖炉の不燃焼事故で、煙にまかれ、命を落としてしまったのだという。
そういうことは、すべて、他の参列者との会話で知った。
家族だった人たちからは、いまだに何も聞いていない。
埋葬がつつがなく済んだあと、父がダニエルにおそるおそるといった様子で声をかけた。
「もしよろしければ、我が家で少し体を休めていかれませんか。大したおもてなしはできませんが……」
「それはありがたい。お言葉に甘えさせていただきます」
ダニエルがちらっとディアナに目を走らせて、鷹揚にうなずいた。
ハース家がこちらに背を向けて歩き出した瞬間、ディアナの耳に小さくささやく。
「なんでディアちゃんに直接声をかけてこないんだろうねぇ。ヘタレだねぇ」
ディアナはかすかに口元を緩めてうなずいた。
完全に、父はディアナに気後れしている。
磨き上げた外見は武器にもなる。その最初の一歩を教えてくれたロニーがいなかったら、今のディアナはいない。
ディアナはロニーのローブの端を引っ張った。
耳を寄せてきたロニーに、こっそり耳打ちする。
「ねぇ、今度、ロニーのヘアオイル売ろうよ。絶対大金持ちになれるよ私たち」
「なんでいきなり今それを言う」
ロニーが笑いたいのを根性で堪える顔をした。図太すぎるディアナに不意打ちを食らって、口元がぴくぴくしている。
その顔を見られただけで満足して、ディアナは前を向く。
これから実家で何を言われても、ヘアオイルで大儲けする方法をあれこれ考えていればへっちゃらだ。
そうして歩く道のりで、後ろから少し離れてついてくるボージェス一家を気にして、ディアナの兄と弟が何度も振り返る。
「んだよ、あいつら、ディアをチラチラ盗み見しやがって」
「いいじゃないか、どうせ指一本触れさせないんだろう?」
「当たり前だろ!触れたら潰す」
「私も参加しようかな。いい虫退治になりそうだねぇ」
不機嫌なロニーと、上機嫌なアーサーが後ろで物騒な会話を平然と交わしていて、ディアナはいつもの顔で笑ってしまった。
ちょうどその時、弟と目が合った。何かに撃ち抜かれたようにその体がふらついた。
しっかり歩け、と、兄に軽くどやされている。
5年ぶりに会った兄は21歳、弟は15歳。ふたりとも昔より成長してはいるけれど、印象は対して変わっていない。
ディアナだけが、完全に変わってしまった。
「あいつ……今度見たら絶対ディアに隠密魔術をかける」
「いいねぇ、私は彼らに暗闇の術をかけようかな」
「ふたりとも後が面倒だから自重しようねー。僕だったら絶対振り返れない身体強制魔術にするな」
ダニエルまでもが参戦し、ジェニー母さまがすっかり諦めのため息をついている。
その後は本当に兄も弟も振り返らなかったので、実は一番の過激派はダニー父さまなのかもしれない。
おしゃべりしながら歩いているうちに、あっという間に着いてしまった。
ひさしぶりに見た実家の建物は、
——なんだか普通、だ。
ディアナは拍子抜けしながら、家の中に入る。
ドア、家具、カーテン。
かつては格式があったけれど、今は古ぼけていているものばかりで満ちていた。新しいものがほとんどない。使用人もいない。相変わらず実家の景気が良くないのが伝わってくる。
「ああ、どうぞそちらに座ってください。4人はお座りになれますので」
応接室にある3人がけのロングソファと、一人がけのソファを見やって、父はいう。
ひさびさに冷酷になろうとして、なりきれない父の目が、ディアナに向く。
「ディアナ、お前は後ろで立っていろ」
「いやいや、ディアちゃん、こっちにおいで」
父の言葉を遮るようにして、ダニエルがディアナの手を優しく引いた。
「うちの愚息ふたりは立っていれば十分」
ロングソファに、ディアナを挟んでジェニーとダニエルが座る。
その後ろに、いかめしい衛兵みたいな顔でロニーとアーサーが立った。
背後から、冷気みたいな殺気みたいなものが漂ってくる。
——ロニー、怒ってくれているんだな。
ディアナは冷静に思う。
きっと冷徹な守護壁のように立ってくれているのだろう。座りながらボージェス家の子息を見上げる父の額に、うっすら冷たい汗が浮かんでいる。
「あらためまして、ダニエル・ボージェスです。王宮第4魔術師団の団長を務めております。こちらは妻のジェニー、第3魔術師団の1級魔術師です。長男のアーサー、第1魔術師団の1級魔術師。次男のロニー、今は2級魔術師で、来年からは王宮魔術師として働くことになっています」
「そ、そうですか……」
カラカラに干からびた声で、父はなんとかそう返す。自分の家族を紹介し返すこともすっかり頭の中から抜けている様子だった。
この街には、魔術を使える人はあまりいない。ディアナも学院に入学してロニーと会うまで魔術を見たことがなかった。
しかも、よりにもよって、王宮魔術師。雲の上の存在が、目の前に4人もいる。
父はハンカチを取り出すと、忙しなく額を拭いた。迂闊なことは言えないと思っているのだろう。
兄と弟は応接室の隅に置いた丸椅子に腰掛けながら、固唾を飲んで様子をうかがっている。
「それで、うちのディアナとはどこで……」
「ああ、う・ち・の・ディアちゃんは、息子のロニーの同級生でしてね。それが縁でとても仲良くさせてもらっているんです。本当にかわいくて素敵で優秀なお嬢さんで、もはや我が家の娘同然です」
膝に置いて握りしめていたディアナの両手の上に、ダニエルの手が優しく重なる。
一瞬だけ異様な冷気が後ろから流れてきて、ダニエルの腹筋が面白そうにわずかに震えた。
母がお茶を運んでくる。昔から使っている来客用のティーカップ。賓客4人と父の分だけで、当然、母とディアナのものはない。それから母は、少し離れて座っている兄と弟にもカップを手渡している。
ちらり、とそれに目を走らせて、ダニエルは陽気に言い切った。
「ああ、お茶なんてお構いなく。『食べたければ自分で買え』でしたっけ。あなた方がディアちゃんに素敵な家訓を教えてくださったおかげで、私たちも遠慮なくこうやって食べることができますよ」
ニコニコと邪気がなさそうに微笑んで、笑っていない目のままダニエルはパチンと指を鳴らした。
そのとたん、ディアナの前に、風雅なティーカップと香り高い紅茶が置かれていた。それから応接テーブルに、大きな銀のトレー。芸術的なまでに美しい細工を施されたケーキの数々が、並べられている。
部屋の片隅から、ディアナの兄弟が、ごくんと喉を鳴らす音がする。
ダニエルは、ティーセットをディアナにそっと手渡した。
「ディアちゃん、好きだろ、ラング産セカンドフラッシュの紅茶」
これまで家族の前で、紅茶なんて飲んだことがない。実家でケーキを食べたこともない。
ディアナはその超高級銘柄のお茶を緊張しながら一口いただいて、思わず満面の笑顔になった。
「すっっっっごく美味しい!」
「それからこのケーキはねぇ、私が並んで買ってきたんだよ!」
後ろからずいっと身を乗り出して、アーサーがいきなり華やかな声を上げる。
ディアナは本気で驚いた。同級生が自慢しているのを聞いたことがある。
「これ、もしかして、人気がすごすぎてなかなか買えないって噂のシャンデリーのカットケーキ?!」
「そうなの!私、頑張ったんだよ!ディアナさんはどれを食べたいのかな。このチョコレートケーキが一番人気らしいよ?中がイチゴクリームなんだって」
「それじゃ、それをいただいてもいいですか?!」
「もちろんさ」
ツヤツヤに光ったビターチョコレートケーキの上に、ふわふわと絹糸みたいにミルクチョコレートの糸がかけられている。そしてチョコの糸に守られるみたいに中心に鎮座しているのは、宝石みたいな一粒のイチゴ!
アーサーは優雅にパチリと指を鳴らした。そのとたん、真っ白で縁に金彩が施されたプレートに、美しすぎるチョコレートケーキが置かれていた。
「後のケーキはねぇ、うちの家族の好みは大体わかるから……」
軽く思案しながら再びのフィンガースナップ。残りの4つのケーキもあっという間に魔術で取り分けられて、銀のお盆は消えている。
「ほらディアナさん、お先に一口どうぞ」
自分の皿に置かれたカシスのムースケーキをフォークで一口すくって、アーサーはディアナの口元にそれを運んだ。反射的に、パクリといただく。
ディアナは目を見開いた。極上の甘味が口の中いっぱいに広がって、舌を動かすのさえもったいない。まったく言葉が見つからない。
「感動的なまでに美味しいでしょう? ああ、このアーサー兄さんにお礼なんて言わなくていいんだからね?」
キラキラと期待に満ちた目で見つめられて、ディアナは吹き出すのを堪えて、可愛らしく口に出してみる。
「ありがとう!アーサー兄さま!」
「兄さま!ああ!いいな、兄さま!」
初めての兄さま呼びに感極まったアーサーをジロリとにらんで、ロニーからフォークに乗せられたチーズケーキがやってくる。
一口食べて、ディアナは笑顔を引っ込めた。笑うどころではない。素でロニーを見上げてしまう。
「ロニー、これ、うちで作れないかな?」
「え、マジで?本気で目が怖いぞ、作る気かよ……お、ほんとにうまいな!大して甘くもないし、毎日でも食えそうだ」
「でしょでしょ!? あ、このチョコケーキも食べる?」
「いいよ、ディアが食ってからで」
「いいの?最後まで残さず食べちゃうかもよ〜?」
「いいって、適当に横から手を出すから」
「ん。了解」
自分もケーキを口に運びながら、ジェニーが笑い出す。
「とまぁ、こんな感じでうちのロニーとディアナさん、仲良くさせていただいてます。ディアちゃん、私のやつもちょっと食べる?」
「え、ほんとに?食べたい!」
いつの間にか、ディアナはすっかりのびのび素の表情になっていて、目の前の魔術に度肝を抜かれたディアナの両親は、青ざめたまま沈黙している。
そんなハース伯爵夫妻を一瞬だけ鋭い目で観察してから、ダニエルは食べ終わった自分のケーキ皿を、パチンと指を鳴らして消す。
世間話でもするように、何気ない様子で切り出した。
「さて、と。実は以前、この地方に何度か仕事が来たことがありましてねぇ」
「さ、さようですか」
「そこでちょっと知った情報がありまして」
「じょ、じょうほう」
同じ言葉しか繰り返せない鳥みたいになっている父に、ダニエルはにっこりといきなり斬り込んだ。
「商売の話を、しませんか?」




