(5-3)6年前——王立学院5年生③
「ディア、おい、起きろ」
そっと体を揺さぶられる。
ディアナは重いまぶたをこじ開けて、ゆっくりと目を開けた。
もぞもぞと起き上がる。
嫌な夢を見ていた気がする。
でも、目の前のロニーの顔を見たとたんに、そんな気分も吹き飛んでしまった。
ディアナは少しぼーっとしながら、ふわふわと漂うように笑った。
「おはよ、ロニー」
「おはよう、ディアナ」
ロニーがかがみ込んでくる。
どうしたのかな、と思いながらぼんやり笑っていたら、おでこにおでこがコツンとぶつけられて、すぐに離れた。
「ひょ、ひょえええええ?!」
一気に目が覚める。覚めたどころじゃない。とっさにばさっと毛布を頭から被ってしまう。ディアナはこれ以上なくうろたえた。
「ろ、ロニー?!ど、どうしたの!?」
「単なる朝のあいさつだろ。そこにおでこがあったから」
「ひょ、ひょえええええ……」
おそるおそる毛布の端から顔を出す。
そんなキザなことをいう人じゃなかった気がする。
そんな甘いような優しいような顔で笑う人でもなかった気がする!
だ、誰だろう、このロニーみたいな顔をしたイケメン……。いや、元々ロニーは顔が良いのだけれど。
「お兄さんが乗り移った……?!」
「おっまえなぁ、んなわけねぇだろ!」
とたんにいつもの凶悪な顔に戻って、ロニーの両手が毛布を払いのけ、ディアナの頬をむぎゅむぎゅ挟み潰す。
「ご、ごれんなひゃい」
ほっとしながら、ディアナは謝る。
「はは、かわいいな」
口を思いっきり突き出したディアナの変顔を見て、柔らかい顔でロニーが笑った。
や、やっぱりなんか変な気がする……?
でもまぁ、どんなにおかしくてもロニーはロニーだ。
ディアナは気を取り直して、ごそごそとベットから立ち上がった。
「私、どのくらい寝ちゃってたんだろう……」
「7時間くらいかな。今ちょうど昼飯どきだ」
「えっ?そんなに?!あ、う、どうしよう、実家行きの馬車に乗り遅れた!」
「落ち着け。俺が明日の朝に連れていくって言ってんだろ。それより、私服に着替えろよ。うちの実家で昼飯食うぞ」
「え、どうして?!」
「いいから、早く」
とにかくせき立てられて、クローゼットにかけてあった服の一つに着替える。
訳がわからないままに、あっという間に移動魔術でボージェス家の豪邸の居間にいた。
待ち構えたようにジェニー母さまが飛んできて、ディアナを思いっきり抱きしめる。
「大丈夫だからね」
その言葉に、思考停止していたディアナの頭がようやく現実を思い出す。
けれど、自分でも驚くくらい落ち着いた気分で、笑顔でお礼が言えた。
こんなに気遣ってくれる人たちがいる。大丈夫。ジェニーさんの言葉の通りだ。
たいそう豪勢なローストチキンのランチが用意されていて、一口いただいたら、信じられないくらいに美味しかった。
外がパリッと中がふんわりジューシーなチキンで、こんな時なのに真剣に味に集中してしまう。少しだけスパイシーな味付けのおかげか、すっかり冷え切っていた体の芯から温まってくる。
「ロニー、私、なんか人間に戻った気がする」
「んだよそれ。よかったな。もっと人間に戻っとけ」
苦笑いしながら、ロニーが切り分けたチキンを一切れ、ディアナの皿に追加で載せてくれる。
食べ終わる頃に、ひょっこりとダニー父さまが姿を現した。
「どうだい、ディアちゃん美味しいかい? 僕のお気に入りのレストランのシェフを朝から叩き起こしてつくらせたからねぇ。ランチ営業してない店だからレアだよ〜」
「父さん、よくやりました」
「だろー?」
ロニーとダニエルが顔を見合わせて、満足そうにうなずきあっている。
ディアナは慌てた。よくやりました、じゃないと思う。叩きおこされたシェフが気の毒すぎる。
「心配しないで、うちが出資して営業してるレストランだから。ちょっとした僕のわがままにも慣れっこさ」
堂々と言い放つと、ダニエルは、ディアナとロニーの向かいの席に座った。
とにかく今は、素直に気持ちを受け取るのが一番な気がする。ディアナは微笑んで、頭を下げた。
「ありがとうございます。すっごく美味しかった! 朝ごはんを食べられなかったから、余計に体に染み渡ってます」
「うんうん、そうだろう。とにかくいつでもしっかり食べないとね」
ダニエルは大きくうなずくと、ふいにニヤニヤ笑いを浮かべてロニーを見た。
「さて、うちの息子の作戦を聞こうか。どうせたっぷり考えてきたんだろ」
驚いたディアナは、ロニーの横顔を見る。その厳しい表情に息を呑む。言葉をかけられない。
ディアナが眠りこけていた間に、何を考えてくれていたのだろう。
ロニーはおもむろに背筋を伸ばす。
前置きもなく、静かに切り出した。
「父さんに、ディアナの後見人になってもらいたいです。明日の葬式、一緒に来てもらえますか」
「おや、後見人なんかでいいのかい? なんならディアちゃんをうちの養女にしちゃおうかと思ってたんだけど。そしたら、ロニーはディアちゃんときょうだいになれるだろ?」
「こ・う・け・ん・に・ん・で」
ロニーはバカでかい声で、一音一音はっきりと聞き逃しようがなく言い切った。
その眉間に刻まれた深いシワを見て、ダニエルはニヤニヤ笑いをますます深める。
「はいはい、後見人ね。それくらいでよければいつでもすぐにでもなりますよ。血縁者の同意サインがあればいいんだよね。明日、ディアちゃんの両親のところにもらいに行こう。今日中に書面は用意しておく。それで解決かな?」
「いや、それだけだと、またディアナが搾取される可能性がある。裁判速記官なんて高給取り、あいつらにとってはこれ以上なく美味しいカモでしょう」
「残念ながら、そうだろうねぇ。で、お前は何を企んでるのかな」
「ナモン山」
突然飛び出したその地名に、ディアナはぴくりと肩を振るわせた。聞き覚えがありすぎる。
「うちの私有地にある山だよね……?」
「そう。荒れ山で、林業などの収入はまったく見込めない。やせた土で、耕作にも向かない」
「だから買い手もつかなくて、没落してもずっと伯爵家の所有のままだったんだけど……あの山がどうかした?」
「土に微量のサーシェライトの砂が含有されている。ずいぶん前から地質調査でわかっていたことだ」
ディアナもそのことは知っていた。
サーシェライトは希少鉱物の名前で、魔力を込められるいわゆる高級魔石の一種だ。
数代前の当主が、魔石を掘り当てることを狙って、隣領からナモン山を買ったのだという。
でも、結局、その山からは何も見つからず、単なる荒れ山のまま見捨てられ、放置され続けている。
ロニーの言葉に、ダニエルが器用に片眉だけをあげた。面白そうに腕組みする。
「じゃぁ、その山にはもしかしたら魔石の鉱脈があるかもしれないって?」
「もしかしたら、じゃない。あるんです。山の中腹あたりに採掘を試みた横穴がいくつかある。そのひとつの突き当たりをもっと掘り進め、そこから下に向けて垂直に縦穴を掘ると、確実に出てくる」
「……へぇ。ロニー、お前はそれをどこで、どうやって知ったんだ」
ダニエルの口調があらたまる。低い声で発せられた問いに、ロニーは平然と首を振った。
「黙秘します。父さんが極秘の情報ルートを持っているように、俺にも俺のルートがあるんです」
「……なるほどねぇ。うちの息子も言うようになったなぁ」
「疑わしかったら、明日、ディアの家に行く前に現場をご案内しますよ。父さんは、超絶秘密主義ですけどね。実は俺と同じくらいの力はしれっと持っているんでしょう? だったら、実際に現地を見るのが一番早い。すぐに理解できるはずだ」
「うわぁ」
ダニエルが、大げさに悲鳴を上げてのけぞった。
「うちの息子がさりげなく脅してくる。なんなの。お前いつからそんなに僕そっくりになってきたの」
「やめてくれ。好きでやってるわけじゃねぇよ!」
「知ってる。そういうところも含めて、お前は僕の息子だよ」
にっこり笑うと、人差し指をロニーに向ける。
「じゃぁ、僕は、明日しぶしぶ現地で鉱脈の有無を確認しよう。それで?」
「うちの親戚筋の商会と、ディアナの実家をつないでください」
「ほうほう。あそこの商会に鉱山事業をやらせて、ディアちゃんの実家に利益を落とす。お互いハッピーってわけだ。で、本当の目的は?」
「この利益情報の提供と引き換えに、ディアナには今後、手を出さないように交渉したい」
「なるほどね。高級魔石の生み出す富と比べたら、娘の給料を搾取したって大した利益にはならないだろ、と」
ダニエルは一瞬だけ目をつぶる。
すぐにうなずいて、明るくパンっと両手を打ち鳴らす。
「欲深い没落旧家ほど、飛びつきそうな美味い話だねぇ。いい筋立てなんじゃない。ディアちゃんさえよければ、明日はその作戦で行こうか」
ふたりの視線がディアナに向けられる。
先ほどからとまどいながら話を聞くばかりだったディアナは、おずおずと尋ねた。
「後見人……本当にお願いしちゃっても、大丈夫なんでしょうか?」
「いいよいいよ、むしろ本当は正式にうちの娘になってほしいんだって。ロニーが必死だから養女作戦は諦めるけど」
「ありがとうございます……うれしい……」
必要としてもらえた喜びを、ディアナは噛み締める。
「あとひとつ……本当にあんなに何にもない山に鉱脈があるのだとして。どれくらいの規模なの?大きな鉱脈だったら、とっくの昔に掘り当てられてるはずなんじゃないかな、って思っちゃって」
とたんにニヤリ、とロニーが非常に悪い顔になった。
「ディアの推察どおり。そんなに規模はデカくない。10年以内には掘り尽くす、って感じかな」
「10年……」
「10年たんまり儲けられたら十分なんじゃねぇの。稼いだ金を元手に、違う事業をしていけばいい。まぁ、ハース家にその才覚があるかどうかは知らないけど」
ないだろうな、とディアナは思う。思うけれど、それはあの人たちがなんとかすべきことだ。ディアナに貸せる手はない。
「ディアナもその10年の間に生活基盤をしっかり固めて、実家に横槍を入れられないようにすればいい」
「わかった。そうする。本当にありがとう」
ディアナは深々と頭を下げる。その瞬間に、全身から力が抜けた。未来に光が差し込んで、ぼうっと頭が働かない。
「おい、ロニー、お前まで10年かける気じゃないだろうな。ぼやぼやしてたら、本当にディアちゃん養女にしちゃうぞ〜?」
「うるっさいな。黙って見守っててください。俺には俺のペースがあるの!」
「覚えておけ。そんなことを言っていたから、父さん20年かかったからな」
「ああ!もう!本当に!ひとまずお口を閉じませんかね!」
何やらいつもどおりの親子げんかが一通り終わったところで、ディアナはボージェス家の一室に連れて行かれた。
入った瞬間、ぼうぜんとする。
部屋にずらりと並べられたトルソー。
持ち込んだラックにかけられた山ほどの服。ベールのついたトークハット。レースの手袋。すべて真っ黒だ。
そして、ギラギラと目を光らせて、手ぐすねひいた服飾ショップの店員たち。
「ディアちゃん、じゃぁ、次は明日の服を選びましょ」
軽やかな声でジェニーが誘いかける。
「あ、あの、これって……」
「馴染みのショップに来てもらっちゃった。ディアちゃんに一番似合う、すっごく高級で、すっごく品の良い、誰にも決して見下されない戦闘服を買いましょう。あ、ちなみに、うちの一家4人で新調するついでだから、気にしないでね」
「一家4人って?!」
「人数は多い方が相手を圧倒できて、確実な勝利につながるわ。ほらロニー、苦虫を噛み潰したような顔をしないの」
「だって、母さん、なんで、にいさ」
「もちろん明日は私も行くからね!かわいい義妹さんの一大事を見過ごせる私ではないからね!」
ロニーの後ろからひょっこりと、アーサーの顔がのぞいた。興奮で、目がキラキラと輝いている。
「5人一緒に移動魔術で行こうね!わぁ、楽しみだなぁ」
「楽しみだなぁじゃねぇんだよ!不幸事なんだよ!」
青筋を立てて叫ぶロニーを聞き流し、アーサーは興味しんしんで服を物色し始める。
「ひょぇぇぇぇ」
またもやぼうぜんとしたディアナの口から、小さく音が漏れる。なんだろう、この予測不能な展開は。
明日がどういうことになるのか、もはや全然想像がつかない。
ただ、ひとつだけ分かるのは——もはや帰省が怖くもなんともないということだ。




