(1-3)10年前——王立学院1年生②
「ずいぶんたくさん食べるんだね……?」
「魔力を使うと腹が減る」
簡潔な答えに、ディアナは目の前の小柄な男の子がやっぱり魔術師だったことを知る。
学院のカフェテラスは、広々としていた。歴史と伝統のある建物にふさわしく、重厚感のある木の壁には格調高い透かし彫りが施されている。
どうやって掃除をするんだろう。ホコリがたまりそうなのに、ちり一つ付いていない。
そんな現実的なことを頭の片隅で考えながら、ディアナは空いていたテーブル席に座っている。混雑のピーク時間は過ぎているらしい。
向かいに座った男の子の前には、ランチセットが3人前。大皿にポークソテーが山のように盛られていて、今にもこぼれ落ちそうだ。
とまどいながら、ディアナはうなずいた。
「そういえば、魔術師は普通の人よりたくさん食べないといけないって聞いたことがある」
「別にたくさん食べなくてもいいけど、食べないと痩せる。俺みたいに」
どうでも良さそうな口調で答えながら、あっという間にポークソテーが消えていく。食べるのが速すぎる。
見ているだけでも面白すぎて、ディアナのフォークは止まってしまう。
男の子はもりもり食べ進めながら、怪訝そうに眉をひそめた。
「何してんだよ。あんたも食えよ。冷めるだろ」
「パイの早食い競争に出てほしい」
心の中で思っていたことが、うっかり口からぽろりと漏れて出た。
我ながら脈略がなさすぎてびっくりだ。でもまぁ、いいか。とっくにさっき、変なところを見られてしまったのだ。さらに変な子だと思われたところで、ディアナは痛くもかゆくもない。
案の定、男の子は不思議な生き物を見るような目つきで、まじまじとこちらを見つめた。
「パイ?なんで」
「うちの地元のお祭りの目玉なの。早食いで優勝したらミートパイ1年分」
「へぇ。1年食べ続けられるくらい美味いって?」
「どうかな。食べたことない。兄と弟は食べてたけど、特にほめてもいなかったような?」
「なんであんたは食ってないの」
「なんでだろう。うち、貧しいからかな」
ディアナは3人きょうだいの真ん中だ。実家のハース家は、いちおう古くからある伯爵家。 100年前には栄華を誇っていたらしい。でもこの国は、いまや貴族など名ばかりだ。政治や経済の中心には、爵位を持っていない人もたくさん活躍している。
そんななかで、ハース一族は時代にすっかり取り残されていた。
貴族のプライドを捨てられず、慣れない商売にも失敗し、崖を転がり落ちるように没落してしまったのだ。
それでもいまだに父は過去の栄光にすがったままだ。
兄と弟が家を盛り返してくれると信じ、政略婚も見込めなさそうな貧相な娘になど目もくれない。母はとっくに全てを諦めていて、何にも言ってくれない。
「いちど食べてみたかったんだ、ミートパイ。王都でいちばん美味しいお店、見つけたい!」
うきうきしながら笑うと、男の子は大きく眉をしかめた。
フォークの先を思いっきり向けられる。
「とにかく今はそれ食っとけ。あんた痩せすぎだ」
人のこと言える?!自分だって似たようなものじゃない?と内心ディアナは思いつつ、パンをちぎってとりあえず口の中に入れた。
「ふわふわだ……!」
衝撃に震えた。手の中のロールパンを眺める。
口の中に華やかなバターの香りと甘みが広がって、こんな美味しいパンを食べたことがない。
思わず満面の笑顔になってしまう。次々パンをちぎっては、うっとりと口に運んだ。
「うわぁ、幸せ……!ほっぺが落ちる……これ本当にパンなの……?」
「今までどんなパンを食べてたんだ」
あきれたようにつぶやいて、男の子は自分の皿のパンを、ディアナの皿に置いた。
「あ、ありがとう……? でも、あなたの分が……?」
足りるのだろうか。すでに彼の食器は空っぽだ。
「魔術科。ロニー・ボージェス」
突然ぶっきらぼうにそれだけ言うと、男の子はおもむろにトレーとカバンを持って立ち上がる。後ろを振り返らずに、さっさと返却台に食器を置いて、するりとカフェテリアを出ていった。
あっけにとられながら金茶色のボサボサ頭を見送って、残されたパンにぱくりと齧り付く。
なんだか、自分の分のパンよりも、甘くて優しい味がした。
王立学院は、さまざまな専攻に分かれて生徒を受け入れている。
ロニーは魔術科だと言った。ディアナは普通科だ。
2年生からは専攻ごとにクラスが分かれるけれど、1年のうちは専攻に関係なく、ランダムに5つのクラスに振り分けられる。
専門の勉強に入る前に、幅広く友情を深めることが目的らしい。
相変わらずクラスになじめないディアナには、あんまり関係ないけれど。
難関の王立学院に合格できるのは、恵まれた環境で勉強に取り組んできた良家の子が多い。お金持ち特有ののどかさを持つ人たち同士で、仲良しグループがすっかり出来上がっている。
そんなクラスの隙間で、ディアナはやっぱり薄い空気のようだった。
それでも実家と違ってお腹いっぱい食べられる学院生活は、まるで天国だ。いばりくさった兄も弟もいない。彼らばかりをかわいがって食べさせる父もいない。
ディアナは、授業に必要な会話はクラスの誰とでも気軽に交わした。
けれど、それ以外の時には、いてもいなくても気にされない。
どこに行くにも、何をするにも、自由で気楽だった。
毎日、空いている席に適当に滑り込んで、まわりの人とさらりとあいさつを交わして、あとは授業に集中すればいい。
といっても空いている席は、たいてい決まって教室のいちばん後ろ。ロニーの隣だった。
彼はディアナ以上に空気みたいだ。
いつでも机に突っ伏して寝ている。誰も彼を気にしない。
それどころか、先生までもロニーに目を止めない。まるきり見えていないみたいに。彼の周りの生徒は容赦なく指名して答えさせるし、居眠りなんてしようものならきつく注意するのに。
何ならあの入学式の日以来、ロニーが起きているのを見たことがない。
——もしかしたら、この人、幻なんじゃなかろうか。
とうとうディアナがそんなことを思い始めたある日。
ちょっとした騒動が起こった。