(4-5)7年前——王立学院4年生⑤
ロニーがその時、ファラン・テナントに会ったのは、偶然だった。
いや、偶然だと思っていたけれど、もしかしたら、親が根回ししていたのかもしれない。
「俺、生まれつき、何も考えなくても魔術が使えたからさ」
ロニーは、隣で真剣に耳を傾けているディアナを流し見た。
この話を誰かにしたことはない。
でも、ディアナには、聞いてほしいと思う。
「逆に普通の呪文とか、魔法陣とか、使い方がわからなかった。無理やり教えようとする兄貴も怖くて、何もかも怖くなって、とうとう一言もしゃべらなくなった。しゃべらなかったら、呪文を教えられずに済むから。しゃべらなくても、魔術なんて使えたから。5歳の時だ。ちょうどその時、ファラン・テナントがうちに来た。親父の持ってる魔導具を修理するために」
皆が畏怖する特級魔術師、ファラン・テナント。
独創的な魔導具を生み出す、神出鬼没の放浪の天才。
その日、ロニーは庭の片隅で、寝転がっていた。
親が作っている薬草畑の裏側で、背の高い草が生えているから自分の姿はすっかり隠せる。
春の日で、陽射しが心地よく、うとうとと半分眠りの世界をたゆたっていた時。
「坊主、見事に姿消しの術を使ってるじゃねぇか」
小柄な男が、うっそりと微笑みながら顔をのぞきこんでいた。
丸顔に、灰褐色の乱れ髪。その青緑の目は、何かを見通すように、正体不明の不思議な光をたたえている。
年齢さえもよくわからない。顔は若い気もする。声は少し枯れていて、老成しているようでもある。
ただ、ものすごい力がその体の中に渦巻いているのだけは感じられて、ロニーは飛び起きた。
全身に、鳥肌が立っている。
「おっと、驚かせちまったか。悪りぃな」
サバサバと謝ると同時に、ロニーを圧倒する魔力の圧がふいに消えた。
まるで普通の人のような顔をして、その魔術師は立っている。体から、魔力の気配が全くしない。
——どうやって?!
「どうやって、って顔だな」
ニヤリ、とほくそ笑む顔に、正確に考えていることを読まれている。
「ああ、警戒しなくていい。俺はファラン・テナント。お前の親父さんに用があって来ただけだ」
言いながら、ファランはロニーの向かいに、どっかりとあぐらをかいて座り込む。
「完全に魔力を抑え込むのはお前さんにはまだ出来ねぇだろうが……ヒントは、そうだな、こんな感じだ。やれるか?」
ファランは手のひらを差し出すと、そこに青白い魔力をコロンと丸い粒にして出してみせる。
それくらいなら、簡単だ。
ロニーは同じように粒を作った。
「よし。じゃあ、次は、よく感じとけよ」
ファランの手のひらが、ロニーの手を支えた。
ふんわりと、その手の熱が移ってきたと思ったら、ロニーの作った魔力の粒が、フルフルフル、と小さく揺れた。
あっという間に、そこから芽が出て、するする茎が伸びていく。
小さなつぼみができて、ふわり、と青い花が咲いた。
「もうちょっと、大きく咲かせてみるか」
ファランの手が、花に翳される。ひとまわり、花が大きくなった。
——今の、どうやって?!
ロニーは、思わず身を乗り出して、その花に顔を近づける。
さっき、自分の体から、自然と魔力が外に出ていく感覚があった。
怖くはない。むしろ、心地よい。
自分の魔力から勝手に咲いた花は、ひどく美しく、愛おしく見えた。
「もうちょっと、見てな」
ロニーの体から、ますます細く、魔力が吸い出される。
青い花弁は萎れ、中からぷっくり種ができてくる。やがて茎は枯れてサラサラと崩れる。
ころん、と、一つの種だけが残った。
最初にロニーが作った魔力の粒だった。
ロニーはしばし、ぼうぜんとした。
我に返って、ファランの顔を食い入るように見る。
——もう一度!今のをもう一度見たい!
「いいぜ、もう一度な」
ファランは同じことを、その後、2回、繰り返してくれた。
そして、言ったのだ。
「もういいだろ。後は自分でやってみな」
それを聞いた瞬間、ロニーは夢中で自分の手のひらの魔力粒を見つめていた。
感覚を思い出し、何度も繰り返して挑戦する。
5回目で、芽が吹いた。
7回目で、つぼみがついた。
10回目で、小さな花が咲いた。
そこまで行けば感覚をつかめて、後はもう、簡単だった。
するすると、イメージ通りに魔力を動かして、花を咲かせ、種を採る。
「はは、勘所がいいな。坊主もうちの弟子くらいにはなれるだろうぜ」
ぽん、と大きな手が頭に乗せられる。
ぐりぐりと撫でられる。
「そいつは魔力を放出して自在に操るための訓練にもなる。花だけじゃない。いろんなものを作れるから、動物とか、道具とか、適当にやってみな。そのうち、呪文や魔法陣も、自在に使えるようになる」
びくり、とロニーの体は震える。
呪文も、魔法陣も怖いものだ。
無理やり魔力を流し込むようにされて、苦しくて、痛い。近づきたくない。
「無理して使う必要はねぇよ。使わなくたって生きていけるだろ、坊主も、俺もな。同族だ」
ハハッとなんでもないことのように、ファランは笑った。
今までそんなことを言う人に、会ったことがない。
目を見開いて震えるロニーの両頬を、ファランの大きな手がぎゅうっと包む。
青緑色の瞳が、心の中までのぞき込む。
「使えるもんだけ、使えばいいんだよ。好きなように生きればいい。そのうち何が必要かなんて、自然と自分でわかってくるもんだ」
そのときは、何を言われているのか、よくわからなかった。
ただ、強烈に、その言葉は頭の中に刻み込まれた。
「呪文や魔法陣はな、フォークやナイフみたいなもんだ。使いこなせれば便利だろ。でも、使えるまでには一応コツをつかむまでの訓練が必要だ。それが嫌なら一生手づかみで食ってりゃいい。結構、それでも美味いもんだぜ。飯が熱い時にはしんどいがな」
——手づかみは嫌だな、とロニーはとっさに思う。
シチューを食べるときに大変そうだ。
「それが嫌だったら、ちょっとだけ我慢して訓練してみな。坊主だったら、あっという間に慣れるぜ。大丈夫だ、このファラン・テナントが保証してやる」
ようやっとファランの手が、ロニーの頬から離れる。
ファランは立ち上がると、座り込んだままのロニーの両脇に手を挟み込んで、ひょいっと立たせてくれた。
服のあちこちについた草を手で払い落としてくれながら言う。
「坊主には力がある。この先、迷ったり逃げたりしたくなることもあるだろうよ。だが忘れちゃいけねぇ」
ロニーはその先の言葉を、何度も思い出す。
そして、一生、誰にも言うつもりがない。
「坊主に何が必要かは、自分自身が一番よくわかってる。それが特級魔術師ってもんだからな」
それを聞いた瞬間に、ロニーは口走っていた。
この人のそばにいれば、自分をわかってもらえる。この人は誰より強い。絶対に安全だ。
だから、
「ぼくを、弟子にしてください」
数カ月ぶりに出た言葉は、喉がうまく動かず、かすれていて、ひどく聞きづらいものだった。
それでも、ファランは、しっかりと聞き取ってくれて、両手でわしゃわしゃとロニーの頭を撫でた。
「お前のそばで、お前を心配してくれている人たちのことを、絶対に忘れんな。それでも弟子になりたかったら、5年後にもう一度、話を聞いてやるよ」
ロニーはうなずいた。
5年後。5年後だったら、この人の弟子にしてもらえる。
そこから先は、嘘みたいに、呪文も魔法陣も、苦痛ではなくなった。
魔力の自然な流し方を、ファランに教えてもらえたからだ。
弟子になるまでに、なるべくいろんな魔術を使えるようになっておきたい。
あの大きな手で、「坊主、よくやってるじゃねぇか」って、頭をぐりぐり撫でてもらいたい。
だが、それは叶わなかった。
約束の日がくる前に、ファランは死んだ。
今でも時々、考える。
もしあの時、無理やり頼み込んでファランの弟子にしてもらっていたら、自分の世界は変わっていただろうか。
ハーフォードを兄と呼んで、フィリアスを弟扱いするような、そんな日々があったのだろうか。
そうしていたら、もっと純粋に楽しく、自分の魔力を使えていただろうか。
すべては無駄な空想だ。
今、ロニーの周りにあるのは、政治の影響で右往左往される諜報活動や、そこらへんに山ほどいるネズミを違法魔術で高級金魚にして金持ちどもに売りつける腐った欲望や、そんなものばかりだ。
あの日、ファランとロニーの手の中で咲いた綺麗な青い花みたいな世界は、どこにもない。
めんどくさい。逃げ出したい。全部放り出してしまいたい。
そんな自分なのに、どうしてもめんどくさいと思えないものが、ひとつだけある。
ディアナだ。
自分に特級魔術師の素質があるらしいことは伏せて、今の自分の気持ちも隠して、ファラン・テナントとの思い出と、弟子たちへの憧れだけをディアナに伝えた。
すべてを聞き終わった後、ディアナは下唇を噛み締めて、ロニーの手を、力任せにぎゅうぎゅう握る。
鍛錬場の人々をにらみつけるようにして、涙声で、小さく言った。
「ここにいるからね」
「なんでディアが泣きそうになってんの」
笑ってしまう。心があたたかい。
「だって、しょうがないじゃん」
「しょうがないのか」
自分からも、ディアナの華奢な手を握り返す。
「じゃぁ、しょうがないな」
「うん、しょうがないの」
へへ、と涙まじりに、ディアナも笑う。
もう十分だ、とロニーは思う。
これだけで、自分は、先に進める。
「ディア、俺、この後、兄貴と話をしてみるわ」




