(4-2)7年前——王立学院4年生②
「ぜんっぜん、わっかんなかったぁーーー!!」
裁判所の門を出た瞬間、ディアナは空を仰いで叫んだ。
同じタイミングで外に出てきていた周りの人たちが、驚いてこちらを見て微笑んだり眉をひそめたりしているけれど、気にしない!
最高の気分だった。
「まぁ、そんなもんだろ」
「やだー!分からないの悔しい!腹立つー!」
どことなくほっとした雰囲気でロニーは肩をすくめている。
だから、ディアナは気分最高でいるわけを、今は教えてなんかあげないことにした。
かわりに、自分の肩を、軽くロニーにぶつけて怒ってみせる。
「なによ、馬鹿にしてぇ」
「馬鹿になんかしてねぇよ。って痛ててて、本気で体当たりしてくんな!」
「まだ本気じゃないもん。よし、次、本気!」
「やめろやめろ、って……うおっと?!」
すこし後ろにさがる。さらにさがる。本気の助走をつけられる距離。ロニーの顔が引きつっている。
思いっきり両手を広げてロニーに抱きついた。
とっさに受け止めてくれた体にぎゅうぎゅう腕を巻きつけて、ディアナはぴょんぴょん飛び跳ねた。こみあげる笑いを抑えられない。
「ふふっ、ふふふふ!」
「おい、まて、本気でどうした?!壊れたか!?」
「ふふっ、ふふふふふふふ!!」
額をぐりぐりとその胸元に押し付ける。
「今は教えない!」
「は?ちょっと、おい、何をだよ?!」
——見つけた!
ディアナは、見つけてしまった。
——ロニーと一緒にいられるかもしれない方法!!
初めて傍聴した魔術裁判は、結論から言うと、完全に別世界だった。
まず、言葉が全然分からない。
専門の魔術用語がポンポンと飛び交い、証拠に提示された魔法陣に裁判場内がざわめいても、ディアナにはちっとも何にも分からない。
ポッカーーンと口を開けるばかりの頭上を、あっという間に時間ばかりが通り過ぎていった。
傍聴席の隣に座ったロニーは余裕の雰囲気で、腕組みしてじっと裁判の流れを注視している。
ただ、会場のスクリーンに提示された魔法陣を見た瞬間に、「ああ、なるほど」と小さくつぶやいた。
——「ああ、なるほど」
たったその一言が、ディアナの心に深く突き刺さる。
実感してしまう。
ロニーは、この世界に住んでいる。
ディアナには、一歩も踏み入れられない、遠い世界に。
学院に入りたての頃、初めてロニーに魔術を見せてもらった時には、本当に感動した。
まるで夢みたいだった。
今でも、ロニーの魔術は好きだ。
ロニーの家に泊まると、指を一つパチンと鳴らすだけで、どこからかご飯が出てきてテーブルに並ぶ。食器の片づけも、部屋の掃除も、フィンガースナップで魔術を発動させて、あっという間に終わってしまう。
毎日、夢みたいにかっこいい。
すっと、そう思ってきた。
——でも、夢じゃ、ダメなんだ。
ここは裁判所で、人が魔術を悪用した罪で裁かれていて、夢じゃない。
隣のロニーが、はるか遠いところにいるのも、夢じゃない。
全部、現実だ。
このままじゃ、ずっとそばにはいられない。
卒業したら、きっとロニーは魔術師の仕事をするんだろう。
でも……自分は?
学院に入りたての頃、夢があった。
——普通に王宮の事務官になって、それで、お給料をたっぷりもらって、いつか自分の家を買って、それから猫を飼って、好きなものを食べて、好きなところに行って、養老院で最期はぽっくり逝く。
ひとりで?
ロニーなしで?
もう3年以上、ずっと一緒にいて、最近は休日もずっとふたりでくだらないことを言い合いながら笑っていて。
いつの間にか、ロニーの隣がディアナの居場所になっている。
この場所を手放さないといけないのかと思うだけで、重く冷たい何かで、喉を塞がれる。
ディアナは必死で、前をにらんだ。
法廷内を、にらみつけた。
——ここに、この世界に私が入り込むには、どうしたらいい?
くまなく目を走らせる。すがる気持ちで、裁判官、被告人、弁護士、一人ひとりの顔を見つめる。手元を見つめる。
そこで、とうとう見つけてしまった。
——速記。速記者がいる。
2段になっている法廷の正面。裁判官より一段低いところのテーブルに、絶え間なく手を走らせている事務官がいる。
法廷の一言ひとことを、よどみないペンが紙に記していく。
魔術はひとつも使っていない。自分の手で、速記している。
心の中に、風が吹く。
——あれだったら、私にも、できるかもしれない!
そこから先は、ディアナはその速記官の動きばかりを見つめていた。
あそこに座りたいのだったら、今は全然理解できない魔術用語を、一から全て覚えなければいけない。
でも、逆に言ったら、それさえできたら……あそこに座れるかもしれない!!
速記文字だって、最初はちんぷんかんだったのだ。
なのに、今ではすっかりディアナの体の一部になっている。
なら、これから死にものぐるいで努力したら。
魔術用語だって、きっと丸ごと呑み込める。必ず自分のものにできる。
魔力なしのディアナだって、この方法ならロニーの世界に居られるはずだ。
ディアナは、毎日いっぱいロニーに支えてもらっている。
ひとりだったら絶対に見られなかった景色を見せてもらっている。
自分だって、この人を支えられる人になりたい。
今ですらお父さんの仕事を手伝って疲労困憊になっているロニーの隣で、少しでも、どんな形でも、つながっていたい。
速記。
ディアナには速記がある。
ボージェス家の仕事の成果を、自分の速記で永遠に記録に残せる。
それって、すごくすごく、やりがいがあることじゃないだろうか。
——裁判速記官!最高じゃない?!
そんな思いばかりが湧いてでて、裁判が終わったころには、居ても立っても居られなくなっていた。
裁判速記の仕事について、どうやったらなれるのか、はやく調べたくてたまらない。
その勢いのままロニーに飛び付いて、ディアナは心に刻み込む。
——ここが、私の目標。絶対に喰らいつく。
「なんだよ、俺、黒板かよ」
ディアナの背中をやんわり抱きしめ返しながら、ロニーがぶつぶつ言っている。
突拍子もない言葉を聞いて、ディアナはくすくす笑ってしまった。
「なぁに、黒板って」
「ディアナ、入学式の日、黒板に突進しただろ。今度は俺が黒板代わりかよ」
「あー!そうかも?」
ロニーはすごい。ディアナは何も言っていないのに、なんとなくこちらの気分を把握してくれている。
「でも、黒板はこんなにあったかくないし、優しくないもんね!」
「……んだよ、それ」
「ねぇ、ロニー」
ふと、確かめてみたくなる。
するりと、心から言葉がこぼれた。
「私、ずーっとこんなふうにいたいんだけど、どう思う?」
「……どう思うって」
「これからも、学院を卒業してからも、こんなふうにずーっと一緒にいられたら幸せだなーって」
「……ちょ、お、ま、それもう、プ…ポ……」
変な音が聞こえてくる。思わず顔を上げて、まじまじとロニーの顔を覗きこむ。
「プポ?」
「…………くっそ!」
とたんに、腕でぎゅううと頭を抱き込まれてしまって、何も見えなくなった。
でも、それでも分かることもある。
「ロニー、照れてる?」
「……聞くな!」
「一緒にいちゃだめ?」
「いいに決まってんだろ!!」
言葉と同時に、体の空気という空気を搾りとられそうな勢いで、がっちがちに抱き固められた。完全に苦しくなりながら、ぐぇへへ、と変な声でも笑ってしまう。
——「いいに決まってんだろ!!」
その言葉さえあれば、ディアナはこれから何があったって、きっと一生頑張れる。




