(4-1)7年前——王立学院4年生①
「裁判?」
「そう、魔術裁判。基本的に関係者以外には公開されていないのだけれど。今回はディアちゃんも関係者みたいなものだから。どうかしら、傍聴してみる?」
そうジェニーさんに言われた時、ディアナはキッチンで手を小麦粉まみれにして、その中にバターを練り込んでいるところだった。
ジェニーさんとお揃いのエプロンをつけて、今はスコーンを作っている。
ちょうど1年ほど前。ロニーのご両親と出会った学会からしばらく経って、お家に招待してもらった。
ロニーも学院に進学する前までは住んでいたという。
魔術師団長になると国から家がもらえるらしく、びっくりするような大豪邸だった。
王都の中心部の高級住宅街の中でも、ひときわ白く輝く3階建てだ。
「すごい!高級クリームケーキみたいなお家!美味しそう!」
「食うなよ。魔術中毒になるぞ」
ひと目見た瞬間に歓声を上げたディアナの後ろで、しかめっつらのロニーは言う。
学院に入学して以来、帰っていなかったというロニーは、ひさびさの実家にもちっとも嬉しそうじゃなかった。
それを見た瞬間、ディアナはしゅんと萎れてしまう。
ジェニーさんから誘われた瞬間に大喜びで行くと答えてしまったけれど。まずはロニーの気持ちを考えればよかった。
自分の足りなさ加減が嫌になる。
我が身のことばっかりに必死になって、周りにちゃんと目を広げられていない。自分の狭さに、この頃しょっちゅう気づいてしまう。
せめて、ロニーが嫌がっていることに、気づかない人にはなりたくない。
「……おうちに帰ってくるの、嫌だった……?」
「別に。めんどくさいだけ。気にすんな」
ぽん、とディアナの頭に手を置く。
そういえば、いつの間にか、ロニーはディアナより頭半分、背が高くなった。
安心させるように、昔より大きくなった手が髪をさらりと撫でて、すぐに離れる。
すっかり心が軽くなってしまって、ディアナは笑った。
「絶対3階にだけは上がるなよ」
「なんで?」
「クソ親父の仕事場になってる。ろくでもない魔導具やら何やらで危ないから」
その言葉に緊張しながらお邪魔した家の中は、けれど、とても居心地の良い空間が広がっていた。
ジェニーさんの笑顔みたいに落ち着いた優しい色合いの家具や小物が、ある程度、雑然と配置されている。
散らかっているというほどではないけれど、欲しいものがほしいところに置いてある心地よさがあった。
居間の棚に飾られていたティーカップから気に入ったものを選ばせてもらって、好きなクッションを選んで膝の上に抱えて、のんびりいただくお茶とお菓子は本当に美味しくて。
気づいたら2週間に一度くらいは、遊びに行くようになっていた。
ダニー父さまと、ジェニー母さまと、ロニーとディアナ。
4人でお茶をする。
ロニーのお兄さんは、今は魔術師団の寮で生活しているとのことで、ディアナはまだ会えたことがない。
いつ兄と鉢合わせるかと警戒していた様子のロニーも、次第に気が抜けたように肩の力が抜けていった。
そのうち、だんだん外に連れて行ってもらう機会も増えた。
観劇、コンサート、美味しいレストランでのディナー。
そのたびに、かわいい服を新調してもらうことも多くなって、今やボージェス家の客室のクローゼットの一つは、ディアナの服でいっぱいだ。
あちこちで買ってもらった雑貨も飾ってあるその部屋は、いつの間にか「ディアちゃんの部屋」と呼ばれるようになっている。
たくさん惜しげもなく買い与えてくれるのが申し訳なくて、ジェニーさんに謝ったことがある。
これ以上、何かを買ってもらっても、ディアナにはきっと返しきれない。
「ディアちゃんの負担になってしまってごめんなさいね」
ジェニーさんは眉を下げて謝った。
「でも、うちの子、こうでもしないと私たちに会いにきてくれないでしょ? ディアちゃんの服を買うのと一緒のタイミングだったら、ロニーも服を受け取ってくれるしね。うちの旦那さんなんか、本当はあの子を構いたくて仕方ないのに構うと本気で嫌われちゃうから、泣く泣くずっとタイミングを窺ってたのよ。だからディアちゃんが間に入ってくれて、本当に感謝してるの。利用しちゃってごめんなさいね。でも、服なんて何枚買っても足りないくらい、ディアちゃんのことが大好きよ」
そう言ってやんわり抱きしめてくれた。
ジェニーさんからはとってもいい匂いがして、ディアナは気づいたらその体にしがみついていた。
こんなふうになりたいな、と思う。
こんなふうに人を思いやれる、優しい人になりたい。
せめてものお礼にと思って、キッチンを借りてクッキーを焼いた。
ディアナのアルバイト先のペストリーショップの厨房で教えてもらった、とっておきのクルミのクッキー。
ボージェス家の人たちは、「美味しい!」と目を丸くしながら喜んで食べてくれた。
クッキー自体は実家でもよく焼いていたけれど、美味しいと言ってもらえたのは初めてだ。
「次は一緒に作りましょうよ!」
ジェニーさんから誘われて、もう何度も一緒に料理やお菓子を作っている。
スコーンを作るのは、今日で2回目だ。ジェニーさんから作り方を教えてもらった。
「うちの実家のやり方なんだけど。美味しくなりますように!って願いながら」
ディナースプーンで小麦粉をザクザクすくってボウルに入れ、冷たいバターの塊をポロポロと練り込む。
「料理なんて、案外このくらい大胆でもいいのよ。楽しいでしょ?」
料理がこんなに楽しいだなんて、思ったこともなかった。
笑顔で手を小麦粉まみれにするディアナに、ジェニーさんは料理を教えてくれるのと同じくらいの気楽さで言ったのだ。
「ディアちゃん、裁判に興味あるかしら?」
「母さん、ディアナを変なことに巻き込まないでください!」
慌てたように、ロニーがキッチンに飛び込んでくる。
料理するとき、彼はたいてい居間に追いやられる。
「私、娘と料理するのが夢だったの。あなたは大人しくお父さんの相手でもしていて」
というジェニーさんの一声に、不満そうに眉を寄せて一度は去って行くものの、たいてい10分に1回くらいはキッチンを覗きにくる。
その時も、ちょうど母親の話している内容が、耳に入ってきたらしい。
顔色を変えている息子に、母は涼しい顔で言う。
「変なことでもないでしょう。あなたたちが関わった事件なんだから、ちゃんと最後まで結末を知る権利があるはずよ」
「でも、ディアは」
「ロニー、あなたはいつも通り、見に行かないんでしょう? でも、ディアちゃんが知りたいんだったら、それを止めちゃいけないわ」
ジェニーさんに厳しい調子で言われて、ロニーは押し黙った。
二人からいっせいに視線を向けられて、ディアナは戸惑う。
「私に関係のある裁判って……去年の学会の時の、あの違法金魚についての裁判ですか?」
「そう。あの時の。どうかしら?」
魔術が深く関わっている事件は、新聞で報道される時には、犯行の詳細自体は臥せられることがほとんどだ。
裁判も、特別な許可がないと見学できない。
今回は、それが許される——?
ディアナは思わずロニーを見た。
こんなこと、二度とないかもしれない。できれば、行ってみたい。
でも、ロニーの顔が険しい。
「私が行かないほうがいい理由が、ある?」
「……」
ロニーはディアナの顔をじっと見返した。
それから、押し殺した声で、淡々と言った。
「人間のろくでもない面を、いっぱい見ることになる。ディアナが、わざわざ嫌な思いをしにいく必要はない」
「でも、ロニーは……そんなお仕事を手伝っているんでしょう?」
あの学会の後から、たまにロニーが学院を休むようになった。
ディアナとジェニーさんが料理をしている間に、ダニー父さまと怖いくらい真剣な顔で何かを話し合っていることもある。
時々、目の下に盛大な隈をこしらえて、授業をサボって校舎裏のベンチで熟睡している。
廊下の片隅でフィリアス・テナントと、難しい魔術用語を使って話し込んでいることがある。
ロニーはディアナに一言も、何も、言ってくれない。
けれど、この1年で、どんどん顔つきが鋭くなった。
すっかり大人みたいな顔をして、考え込むことも多くなった。
置いて行かれるような気がして、少し、怖い。
「ロニーが見ているものを、私も、ちゃんと知りたい」
負けじとロニーの目を見返す。
ここで引いちゃいけない予感があった。
——ここに、置いていかないで。
ディアナひとり安全な場所であったかい毛布に包まれているみたいなここ最近の毎日は、居心地が良くて安心できて、でも、ひとりだ。
そんなの、嫌だ。
ロニーと、いたい。
しばらくして、ふい、と、ロニーが目を逸らした。
「……わかった。俺も一緒に行く」




