(3-9)8年前——王立学院3年生⑨
「ねぇ、似合う?」
「……」
「ねぇねぇ、似合う??」
「…………」
ふんわりとした淡いミントグリーンのレースワンピースに、大きな白のつば広帽子。
「ねぇねぇ、ロニー?」
ノースリーブの肩がまぶしすぎる。
「おーい?」
白い華奢な編み上げサンダル。足首に巻かれたリボンが可憐すぎる。
「あれ、もしかして……」
しゅん、と、ディアナがしぼんだ。
「……似合ってない……?」
「似合ってないわけがないだろ」
ロニーは反射的に答えた。答えてから、いきなりしゃがみ込んで、自分の靴ひもを結び直す。
絶対、顔が赤くなっている。
似合ってないわけがない。ないのだ。そりゃもう。
だから、自分がこんなことになってるんじゃないか!
たっぷり時間をかけて丁寧にしっかりと靴ひもを結んでから、ようやく立ち上がる。
そんなロニーの動揺に気付かずに、ディアナはニコニコと追い討ちをかける。
「ロニーも似合ってるよ!ジェニーさんのお見立てはさすがだね!」
「いや、俺のはどう見ても衣装に着られてんだろ」
「そんなことないよー。ロニーかっこいい!」
だめだ、とロニーは思う。
この会話はだめだ。顔から火を吹く。
くるり、と身を返す。
「ほら、行くぞ」
「うん!」
隣に並んだディアナは、本当に嬉しそうに、無邪気に、あどけなく笑っている。
昨晩から、ずっとそうだ。
晩餐に訪れたレストランの個室で、ロニーの母を初めて紹介されたディアナは、一瞬固まってから、「やっぱりー!」と叫んだ。
「ジェニーさんの笑顔、ロニーに似てるなってなんとなく思ってたの!やっぱりー!!」
そこからのロニーの両親は、終始ディアナにでろでろだった。それこそ、顔が笑み崩れて戻らないんじゃないかと思うくらい。
ちゃっかり「ダニー父さま、ジェニー母さま」と呼んでもらう約束を取り付け、「ディアちゃん」と愛称で呼びまくり。今日いきなり巻き込まれた謎の金魚事件に果敢に対応したその機転と度胸を絶賛し、ディアナの頭を何度も撫でて、彼女の好きなことや物をあれやこれやと聞き出して。
最後は何度もハグをし、頬にキスをし、ディアナからもお返しのキスをもらっていた。
——俺、まだ気軽にハグすらできないのに!なんだよ、頬にキスって!くっそ!うらやましすぎるだろ!
機嫌が地の底にまで落ち込んだ息子の顔を眺めて、母はおかしそうにウインクをしてよこす。
「ディアちゃん、明日夕方に帰るまで自由時間なんでしょ? ロニーと街歩きするの??」
「はい、そのつもりです!」
「まぁ、それは良かった」
なんだよ、その含み笑いの目、とロニーは内心でぼやく。
まるで「頑張ったのね!」と労われているようで腹立たしい。
——俺だって、そのくらいの約束はとっくに取り付けてるよ!
ただ、リゾートワンピースを着てきてくれるのか、口に出して確認できていないだけで。
「ディアちゃん、お宿に帰ったら、お部屋に荷物が届いているから確認してね」
「荷物?」
「前に一緒にお買い物に行ったでしょ? あの時、あなたがかわいいって見惚れてたワンピース」
「え、あの綺麗なレースの……?! でもあれ、結構なお値段だった気が……」
「今日、うちの主人の仕事をお手伝いしてくれたお礼にね。ぜひ明日、着てやってちょうだいな。ああ、ロニー、あなたの部屋にも届いてるから」
「はい?何がです?」
「お洋服。綺麗なディアちゃんの隣を制服で歩くなんて、残念この上ないじゃない?」
「……」
返す言葉が一言もない。
堅苦しい服装なんて心底好きじゃないけれど、ここまでお膳立てしてもらって、着ないという選択肢はさすがにない。
部屋に帰って、箱をあける。
爽やかなペールグレーにペールブルーのストライプが品よく入った薄手のジャケット。
インナーの白いシャツには、淡いミントグリーンの控えめなカフスボタン。
下はぐっと引き締まった黒のパンツ。
数年前のチビで痩せこけていた貧相な自分だったら、到底着こなせないような服装だ。
今の息子なら抵抗なく着てくれそうなギリギリのおしゃれ路線を攻めていて、両親のニンマリ顔が目に浮かぶ。
ロニーは盛大に髪を掻きむしってから、箱の中の服たちを丁寧に丁寧に、クローゼットに吊るした。
正直、自分の服装はどうでもいい。
隣を歩くディアナに恥ずかしい思いをさせない服装だったら、なんでもいい。
なのに、ディアナは、その日の朝。
ロニーを見るなり、
「きゃぁ!ロニー!かっこいい!すごい!かっこいい!」
飛び上がって喜んだ。
その、普通の女の子みたいに一片の翳りもない無垢な笑顔を見たとたん、ロニーは思考停止に陥った。
そのまま、自分のカフスボタンとお揃いカラーの可憐なワンピースが目に入ってきて、完全に真っ白になった。
今もなんとか取り繕って街を歩いているけれど、隣がまぶしくてまぶしくて、できれば目をつぶって歩きたい。目をつぶったまま歩きたいけれど、ディアナをずっと見ていたい。
自分でももう、自分がよくわからない。
なんだこれ!
そのケンネスという街は、国内でも有数の観光地だった。
良質な水が温泉として湧き出ることで有名で、街のあちこちに温泉の噴水と、それから飲泉用の蛇口がある。
観光客は、露店でお気に入りのカップを買ってから、温泉水を飲み歩く。
ディアナとロニーもそぞろ歩いて、いくつかの店を見て回った。
ふいにディアナの目が輝く。
「あの猫ちゃんの陶器のカップ、かわいい!取っ手が尻尾になってる!」
「ああ、デザインが凝ってるな」
「眠ってる茶トラちゃんと、伸びをしてる黒猫ちゃん、どっちにしよう……」
「どっちも買ったらいいんじゃねぇの。今日は俺が片方使うから」
「ほんと?!じゃあ、買っちゃう」
ディアナはロニーが財布を出す前に、ささっと風のように素早く支払いを済ませてしまう。
眠っている茶トラのカップをロニーに差し出して、ちょっとはにかみながら笑った。
「はい、ロニーにプレゼント!いつもほんとにありがとう」
「……俺に?」
「だって、こういう時っていつもロニーが払ってくれちゃうんだもん。私だってロニーに何か買いたかったの!」
「……」
「この茶トラちゃん、なんかロニーに似てない?」
「……俺、猫かよ」
「だってほら、やっぱり似てるよ!授業中、すやすや寝てる時とか!」
「んだよそれ。…………大事にする」
「うん!」
2匹の猫のカップで、あちこちの温泉を飲み歩いた。
「ロニー、こっちの温泉の味、ちょっとシュワシュワするんだね?!」
「そうだな」
「あ、こっちはちょっとだけ甘い味がする!」
「そうだな」
ディアナから初めてプレゼントされたマグカップで飲む温泉は、正直もう、最初は味も何もわからなかった。
この街では、ゴーフルというお菓子も名物だという。
甘い小麦粉の生地を薄く大きくパリッと焼いて、そこにいろんな味のクリームを挟み込んだものだ。
それを片手に齧りながら、いろんな蛇口の飲泉をちびちび飲み比べる。
だんだん温泉水の味の違いもわかるようになってきたものの、本当にしっかり味わえているのか、自分でも自信がない。
「ねぇ、ロニー、あの人たち、なんで後ろ向きで泉にコインを投げてるの?」
とりわけ立派な噴水の前に、ひときわ人が集まっている。
みんな笑顔で噴水に背を向けて、ポイポイと肩越しにコインを放り投げている。
ディアナの声に立ち止まった地元の女性が、気さくに教えてくれた。
「ああ、あれはね。何か一つ願い事を頭に浮かべながら、後ろ向きにコインを投げるのさ。それで泉の中央にちゃんと入れられたら、泉の女神様が祝福して、願いを叶えてくれるんだ。ほら、あの噴水の真ん中に女神様の像が立ってるだろ?」
笑顔で女性にお礼を言ったディアナが、キラキラした目でロニーを見る。
「ねぇ、やってみる?」
「えぇ?」
そういうめんどくさい迷信の類は、やるだけ無駄だとロニーは思う。
思うのに、気がついたらディアナと並んで、後ろ向きにコインを投げていた。
「届いたかな」
「どうだろうな」
ふたり一緒に投げてしまったから、自分たちのコインがどこに落ちたのか、まったくわからない。
泉の底で無数にきらめくコインを眺めながら、ディアナが元気よく宣言した。
「真ん中に届いたってことにしとこ!」
「そうだな」
「で、ロニーはなにを願ったの?」
「特に何も」
「えー、せっかくお金を投げたのにもったいない」
ディアナは信じられないというようにまじまじと泉の水面を眺める。
「そういう自分は何を願ったんだよ」
「王都で一流の人間になれますように!」
「そりゃまた漠然としてんなぁ」
「だって、一流って、どうやってなれるのかまだよく分かんないし。でも、この2日間でいろんな一流の人を見て、すっごくいいな、そうなりたいなって思ったの。だから、なる!できる!卒業まで、あと3年切っちゃったし、頑張らないと!」
そう言って、ディアナは嬉しそうに、軽やかに、とても綺麗に笑った。
迷いなく飛び立った、小鳥の軽やかな羽音がふいに脳裏によぎる。
ロニーは、息を止めた。
自分の人生の目標は、王都を離れて田舎でのんびり下級魔術師に擬態して暮らすこと。
それだけだったはずなのだ。
でも今は、泉にそれを願う気になれなかった。
ディアナに、それを告げる気にもなれない。
言ってしまったら、彼女が遠くに行ってしまう気がする。
まるであの日の小鳥みたいに。
いやだ、と子どもの自分がどこかで喚く。
そんなの、いやだ。だったら、今度こそ。
何言ってんだよ、と、大人のふりした自分が目を逸らす。
くだらない感傷に、ディアナを巻き込むな。それくらいなら、だったら、
——だったら、俺に、どうしろと。
一瞬だけ、目をつぶる。
とっさにディアナの手を、ひっさらう。
強く握る。
ズカズカと、泉に背を向けて早足で歩き出す。
「ちょ、ちょっといきなりどうしたの?」
「腹へった。なんか食う」
「じゃあさ、広場に戻って屋台で食べよ!とうもろこしを焼いたやつ、丸かじりしてみたい!」
「どっちが早く食い終わるか競争するか」
「やだよ!ゆっくり味わおうよー」
いつもみたいにくだらないことを言いながら、ずんずん街を歩いていく。
ディアナの顔を見られないまま、手だけを強く、握り続ける。
そうだ、手を握るなんて、ささいなことだ。
これから飯を食べるのと同じくらい、ささいなこと。
飯を食べるのと同じくらいに、無くせないこと。
絶対に。
——この手を離してたまるかよ。
第3章、お読みいただきありがとうございました!
ロニーパパが想定していたより派手におしゃべりし続けてくれて、思っていたより長い章になりました……(汗)
次章投稿まで、1週間程度お時間いただきます。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!




