(3-8)8年前——王立学院3年生⑧
「わぁ、見事になんにもないね」
陽気なダニエルの声が、壁に当たってわずかに反響する。
応接室だったスペースには、本当に何もなくなっていた。
ソファーも机も、衝立ても、そしてもちろん水槽も。
そしてダニエルの髪と目は、すっかり金茶色と夜空色に変わっていた。
これが本来の彼の色合いなのだろう。
どこからどう見たって、完全にロニーの父親だ。
服装も、いつの間にか変わっていた。
王宮魔術師のローブを着込み、落ち着いた笑みを浮かべている。
足元に揃って転がっている男たちを見て、ダニエルは満足そうにうなずいた。
「ハイレベルな魔術師が4人も揃ってると、仕事が一瞬で片付いて楽だなぁ」
「ほんとだな。ロニーもフィーもよくやった」
キビキビした口調で同意したのは、ハーフォード・カワード第4魔術師団長だ。さっきまでダニエルの秘書が立っていた場所に、腕組みしながら当たり前のように立っている。
こちらもすっかり王宮魔術師の格好だった。
「……別に、たいしたことはしてない」
「俺はさっさと帰りてぇ」
モゾモゾと仕方なさそうに答えるフィリアスとロニーも、いつもの髪と目の色に戻っている。
ディアナは4人を順繰りに見て、目をぱちぱちと何度も瞬いた。
床を見る。
転がっている男が3人。いずれもさっきまで商会の人だと思っていた男たちだ。
どこから出てきたのか、すでに縄でぐるぐる巻きにされている。
それだけでも、十分不思議なのに、さらにこれ以上なく不思議なのが——
「ロニー、その、お水の球体……なに?」
ロニーとディアナの目の前に、ふわふわと浮かぶ丸いボール状の水のようなものが6つ。
中には2匹ずつ、金魚たちが泳いでいる。
どう見ても、さっき買い取ろうとしていた超高級金魚たちだった。
「水槽自体に移動魔術がかけられてたからな。手っ取り早く、水と金魚だけ手元に残した」
「移動魔術……?」
「そう、ディアちゃん、説明せずに巻き込んでごめんね」
ロニーの父がこの上なくあっけらかんと謝ってくれる。
絶対悪いと思っていないのが伝わってくるのに、それでも全然嫌な気持ちにならない。なんとも不思議な明るさをもつ人だ。
「この部屋に置いてあるもの全部に、すぐに持ち逃げできるように瞬間移動の魔術がかけられててさ。術が発動しそうになったから、4人で手分けして必要なものだけ残したんだ。僕は、犯人たちが隠し持ってた移動魔導具の発動阻止。そっちのハーフォード君は犯人の捕縛。フィリアス君は床に描かれていた攻撃魔法陣の無効化。うちのロニーは金魚の確保。まぁ、詳しい打ち合わせはしてなかったんだけどね。おたがいの得意分野を考えたら、自然とこういう分担になるよねぇ。いやぁ、有能な若い子たちと一緒だと楽でいい。ずっと4人で組んで仕事しようか」
そんなことをしゃべりながら、縄から逃れようと床で身悶えしている男たちをほったらかしにして、ディアナの前にやってくる。
握手の右手が差し出される。大きな手だった。
「あらためまして、僕はロニーの父親、ダニエル・ボージェス。第4王宮魔術師団の団長です。ディアちゃんに会えて、本当に嬉しい。だってほら、ロニーはちっとも自分から話してくれないからさ。ずっと会いたかったんだよー!」
「父さん、あんまりペラペラ要らないことを話さないでください。ってか、握手長いな!早く離れろ!」
無理やりロニーに押しやられて、ダニエルは、「おお!」とニコニコしながら喜ぶ。
「ロニー、お前、ずいぶん力が強くなったんだな!今度、腕相撲でもするか!」
「いやですよ!あんた、絶対ズルするから」
「ズルなんかしてないだろー。ちょっとお前の脇腹を風魔法でくすぐるだけだ」
「それをズルって言うんだよ!!」
ディアナはますます目をぱちくりさせた。それから心の底からほっとしてしまう。
ロニーは一人であんな大きなお屋敷に住んでいる。
これまで家族の話をほとんど聞いたことがなかったから、もしかしたら、ディアナみたいに実家と溝があるのかもしれないと思っていた。
でも、よかった。お父さんとはすごく仲良しそうだ。
「あの、ダニエルさん?」
「さっきはパパって呼んでくれてたのに!いきなり寂しいな!ダニー父さまって呼んでくれていいんだよ?」
「あ、あの、だ、ダニーさん……?」
「ダニー父さま」
「……だ、だ、ダニートウサマ……」
「なんだいディアちゃん」
なんだか昔、これと同じような問答をして、同じようにロニーに押し切られた記憶があるな……。
ディアナは懐かしくなりながら、どうしても聞かずにはいられない。
「これって、もしかして、捜査の一環か何かですか……?」
「そうそう!こいつたち、違法生物の取引でボロ儲けしてる集団でさ。ずっと追ってたんだ。何度かアジトに踏み込んだんだけど、直前で逃げられてねぇ。ようやく捕縛できてスッキリした」
「俺たちを捕縛したところで、なにもわかるはずがない」
床に転がったまま、さっきまで上品な商会の販売員を装っていた男が、憎々しげに吐き捨てる。
「そうだよねぇ、君、自白防止の魔術がかけられてるもんね。でもねぇ、それくらい解除できなきゃ第4魔術師団の名が廃る。それに、ひとり、ふたり、さんにん」
ダニエルは、人差し指を振りながら、男たちを数えてみせる。
「君たちの仲間の一人、足りないよね? 小切手をもらってすぐに、ここから移動魔術を使って姿を消した奴がいる。今頃、あの小切手を持って、他の仲間たちに合流してるはずだ」
「……わざと先に逃した、と……?」
「ご名答」
床から響く怒りに震えた声を、あっさりとダニエルは肯定した。
「あの小切手、追跡しやすくマーキングしてあるからね。今頃、僕のチームの分析官たちが追跡している。ハーフォード君の部下の武闘派たちも借りてるから、まぁ、逃げられないと思うよ」
「しかも、派手に暴れていいぞって、指示出しといたからな」
ハーフォードは笑って、パチンと指を鳴らした。
床に転がっていた3人が空中に浮き上がる。
そのまま表情を引き締め、銀の短髪頭をきっちり傾けて、あらたまった綺麗なお辞儀をしてみせた。
「それではボージェス団長、お疲れさまでした。捕まえた彼らと第1魔術師団のメンバーを連れて、先に王宮に戻ります。そっちの合成金魚の成分分析はフィリアスの得意分野なんで、いったんお預かりしてもいいですか?」
「もちろん。こちらの後片付けは任せて」
ダニエルの言葉を聞いて、フィリアスがのっそりと動く。
黙って両手のひらを、ロニーに差し出した。
すっかりいつもの銀色もじゃもじゃ髪に覆われた顔からは、まったく表情がうかがえない。
ロニーは仕方なさそうに首を軽く振ってから、バチーンとフィリアスの手を自分の手で引っ叩いた。
「ほらよ」
「ん」
「絶対殺すなよ」
「わかった」
そのやり取りで、金魚が泳ぐ不思議な水球は、フィリアスにその主導権が渡ったらしい。
「では、引き続きよろしくお願いします。ほら、フィー、行くぞ」
ハーフォードの歯切れの良い挨拶とともに、兄弟の姿は一瞬でかき消えた。
「相変わらずダイナミックな移動魔術だな」
ダニエルは笑い、ロニーはただ大きなため息をつく。
本当になにも無くなってしまった部屋に、それは大きく響いた。
「さて、と。お前たち、明日の夕方に帰るんだろ?じゃあ、今晩は一緒にディナーを食べよう。僕の奥さんをディアちゃんに紹介したいしね」
「……うわぁ」
ロニーは軽くうつむいて、肺から湿った何かをじんわり絞り出す。
もしかして、お母さんと仲が悪いのかな……?
心配になったディアナの顔色を正確に読んで、ロニーは力無く首を横に振る。
「いや、そういうんじゃないから安心しろ。けど、まぁ、うわぁ……ああ、もう、まぁ……いいか!ディア、何が食いたい?!」
「え、あ、お肉?」
急に勢いよくなったロニーに叫ばれて、押されるようにうっかり素直に答えてしまう。
「わかった、肉な!父さん、美味いステーキが食いたいです。ディアが今まで食ったことないようなスッゲェ美味いやつ!」
「肉な。まかせろ。というか、もうビストロの個室を予約してある。ディアちゃん、ビーフ大好きだろ」
「……さすが第4魔術師団長サマ。情報収集に抜かりなさすぎて気色悪い」
「団長さま、じゃなくて『ダニー父さま♡』って呼んでくれていいんだよ?」
「誰が呼ぶかよ!」
ディアナはくすくす笑ってしまう。
「ロニー、ダニー父さまと仲良しね?」
「んなわけないだろ!」「うん、そうなんだ♡」
ほら、返ってくる言葉のタイミングまでぴったりだ!
ディアナはにぎやかに言い合い続ける親子に左右を挟まれて、なんだかすっかりはしゃいでしまう。
よくわからない事態が目の前を通り過ぎていったけれど、終わってみたら最高に楽しい気分だけが残った。
だからそのまま夕方、3人並んでビストロに向かう道のりで、ふと思ってしまったのだ。
——ちょっとだったら。ほんのちょっとだったら。この二人になら、あと少しぐらい、甘えてみても……いいのかな。
高揚感のまま、ロニーの右腕と、ダニー父さまの左腕に、自分の腕を絡めてぎゅっと引き寄せてみる。
突然のことに驚いたのか、ぎゃあぎゃあ言い合っていた親子の口がぴたりと止まる。
「ぐぅ」とふたりそろって喉から不思議な音がした。
「ほら、やっぱり息ぴったり!仲良しね」
つかんだ両腕があたたかい。言っているうちにますます楽しくおかしくなってくる。ゆるんだ心のすきまから、ほころんだ笑いがこみあげる。
ディアナは二人の腕にぶら下がるみたいにして、とうとう大きな大きな声で、笑ってしまった。
たぶん、これまでの人生で、一番大きな声が出た。
そんなに無邪気に笑うディアナを、ロニーが目を丸くして見ていることには気付かずに。
ダニエルが優しい眼差しで見つめていることにも気付かずに。
ただ、いつまでもクスクスと、尾を引いて笑い続けた。




