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速記のディアナと金魚の魔術師  作者: コイシ直
第3章 友だち、ってなんだっけ。

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(3-4)8年前——王立学院3年生④


 ディアナの速記者デビューの一日は、あっという間に過ぎていった。


 午前中に1本、午後に1本。

 研究発表会に入り、内容をつぶさに速記する。

 そのあとは速記した文字を通常の文字へと書き起こし、誰でも読める形にする。いわゆる「反訳原稿」というものだ。


 初めて現場に入る研修生には、規模の小さい研究発表が割り振られる。

 ディアナが今回派遣されたのは、 45分で行われる発表と質疑応答。

 幸いなことに2本いずれも、穏やかに淡々と進む発表だった。

 これまでの学説を補完する新資料が見つかったことを報告する内容だ。発表者の口調もはっきりしていて聞き取りやすい。

 緊張がどうしても抜けないディアナでも、落ち着いて書き取ることができてありがたい。


 質疑応答の時間に、ディアナでも名前を知っている有名な研究者の男性が立ち上がり、

「不勉強で大変申し訳ないのですが、ひとつ教えていただけますでしょうか」

 とにこやかに切り出した時には、さすがに鉛筆を持つ手が震えたけれど。

 

 よくあることなのだと、本職の速記官からは事前に教えてもらっていた。

 「自分は門外漢だから大したことは質問できませんよ、安心してお答えくださいね」という顔をして立っているその学者は、確かに別の時代の歴史を専門に研究している王立アカデミーの教授だ。

 けれど。

 先輩の速記官の女性は言っていた。


「学者ってね、深く広くいつまでも考え続ける生き物なの。だから一流の学者ほど、自分の研究に結びつきそうなあらゆることに興味を広げて、学会の場でもいろいろな発表に顔を出している。そういう人の『自分、よく分からないので教えてください』って言葉ほど恐ろしいものはないわよ」


 そのときの先輩の言葉を脳裏に一瞬よぎらせながら、ディアナは鉛筆を走らせ続ける。

 彼女の言ったとおり、そのとき質問に立った教授は、満面の笑顔でおそろしく鋭い問いを投げかけ、発表者の顔を汗だくにさせていた。

 一部始終を書き留めながら、ディアナは思う。


 大人の世界って怖い。

 怖いけど……一流って、凄い!


「私も一流になりたいなぁ。でも、今はまだまだ程遠いね……」


 その日の夕食。

 宿泊施設の食堂で出されたシチューを飲み込んでから、ディアナはぼんやりとつぶやいた。

 今日はいろんな一流の人を見た。

 自分の隣で速記の鉛筆を走らせる先輩もそうだし、研究発表する人も、質問する人も、みんな国のトップレベルの人たちばっかりだった。

 ディアナなんて、まったくその足元にも及ばない立派な人たちばかり。


 でも、今日、こんな大変な現場でも、ディアナは空気じゃなかった。

 午前中の研究発表が終わった直後、おつかれさま、とねぎらって声をかけてくれる人が何人もいた。

 反訳原稿を提出したら褒めてもらえて、本当に誇らしかった。

 

 ——ここでも、私は空気じゃない。ちゃんと働く人間として、生きていられる。


 じんわりと心の熱が全身に広がっていくようで、午後はますます鉛筆を握る手に力が入る。

 もっと、ちゃんと速記したい。

 もっと、この人たちの言っていることを、知りたい。書き留めたい。

 そうしたら、もっと自分がしっかりと、深く人間でいられるような気がする。

 ここで生きていたい。もっと、もっと。 

 

 その反動だろうか。

 学会の一日目が無事に終わって、ロニーの顔を見たとたん、急にほっとして、どっと疲れてしまった。

 目の奥がシパシパと痛いし、変なふうに力が入っていたのか肩が凝り固まって重苦しい。

 張り詰めた気持ちに風穴が空いて、そこから言うつもりのなかった本音がポロポロ漏れてでる。


「何の一流だよ」


 隣でそういうロニーの顔は、たったの一日でげっそり見事にやつれていた。

 

「何の一流を目指したらいいんだろう。速記……?でもまだ始めたばっかりだし」

「誰でも最初は駆け出しの新人だろ」


 ロニーは何だかジェニーさんみたいなことを言いながら、眉間を指で揉んでいる。


「ロニーは魔術の一流になりたい?」

「なりたくない」


 力なく答えて、げんなりとロニーは首を振る。

 それから、いやいや目の前を見た。

 フィリアス・テナントが、山盛りのチキンステーキをひたすら平らげている。

 それを見ながら、ロニーはやけになったように自分も次々と肉を口に放り込み始める。その合間に、完全にヤケクソのぼやきが湧いて出た。


「魔術なんてうんざりだ。……いやもう、これが明日も続くなんて無理だろ。無理すぎる」


 ぴくり、とフィリアスが反応する。かちゃり、とナイフとフォークを置く。

 まるで早口の呪文のように、一気にまくしたてた。


「明日見るべきは、ホロビモロッチ理論の不確定要素を埋める仮説の発表。でも間違っている。欠けた要素に初級風魔術のヒラベリ術を無理やり当てるんじゃなくて、むしろ土魔術の初級と上級の……」

「だからもう十分だって何度も言ってんだろ!! あの理論の隙間に土魔術をガッと突っ込みたい気持ちはわかるけど! だからって、毎回毎回質疑応答でいきなり話し出して相手を論破するのはやめてくれ!!俺らはスタッフなの!単なる資料配り係なの!大教授をいちいち論破してちゃダメなの!明日はフィリアス一人で行ってこいよ…………いや、無理だな………こいつを野放しにするなんて完全に無謀すぎる……」

 

 ロニーは頭を()きむしりかけて、何とかぐっと(こら)えた。

 両手を後頭部に置いたままうめく。


「これ以上やったらダメだ。ハゲる。ハゲたらおそらくこいつの魔術でなんとかできるんだろうが、意地でもなんとかしたくない……」

「ろ、ロニー?」

「んだよ」

「お疲れさま」


 とっさにディアナは手を伸ばして、金茶色のボサボサになった髪の毛を撫でつけた。

 その手のひらに思わずといった様子でぐりぐりと頭を押しつけて、ロニーは気持ちよさそうにぐったりと目を閉じる。


「ふふ。猫みたい」

「猫になりてぇわ。とっとと家に帰って寝たい」

「猫になったら、金魚ちゃんたちを食べたくならない?」

「食べる部分、ほとんどねぇだろ。見てるだけで十分だ。ってか、金魚。そうだ。金魚。忘れてた。それどころじゃなかった。最悪だ……」

「俺は覚えてる」

「だろうな!あんたはそのために来たんだろ!学会荒らしをするためじゃない。フィリアス・テナント、忘れるなよ。明日見るべきは学会発表じゃない」

「……わかった」


 静かにもそりと答えると、あとは完全にいつもの無言に戻って、フィリアスは食べ続ける。

 はぁ、とため息をつくと、ロニーは眉間にシワを寄せたまま、最後の肉の一切れを口の中に放り込んだ。


「ロニー、あの、明日も一日シフトが入ってる? 私、午後から自由時間なんだけど」


 ディアナはためらいながら聞いてみる。

 初めての学会なのだから、後半の半日くらいは自由に見て回っておいで、と時間をもらっている。

 大忙しで疲労困憊のロニーに、一緒に回ってほしい、とは言いづらい。けれど、できれば一緒に回りたい。

 そんなディアナの逡巡(しゅんじゅん)を正確に読み取って、ロニーはふぅと肩から力を抜いた。眉間のシワがほどける。

 いつもの落ち着いた、無造作な口調で言う。


「俺も午後から自由時間。一緒に見るか、金魚の展示」

「金魚の? そんな発表あったっけ?」

「正確には生物学の淡水生物の展示発表。合わせて明日の午後には生体の販売もある。金魚も売られるらしい」

「わぁ、行きたい!」


 一瞬で疲れが吹っ飛んで、ディアナは目を輝かせた。


「どんな子がいるのかな。ロマーノと仲良くなれる子、いないかな」


 ロマーノは新入りの金魚のうちの1匹だ。

 黄金色の綺麗な鱗と長い尾びれを持っていて、すいっと彗星みたいに泳ぐ。

 けれど、たいていいつでも水槽の底にへばりついていて、他の金魚と決して群れない。

 ポツンと過ごす姿が昔の自分と重なってしまって、ディアナはロマーノが気になって仕方ない。

 餌をあげるたびに、他の子より少し多めに呼びかけてしまう。

 そんなディアナのことを、ロニーはよく知っている。


「いるといいな。じっくり探すか」


 穏やかな、やさしい口調でロニーは返すと、ついでのようにさりげなく付け加えた。


「俺とフィリアスはちょっと私服で行くけど、別に気にしないでくれ。色々めんどくさいことがあってな」

 




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