(3-1)8年前——王立学院3年生①
「……どうしてあなたがここにいるんです?」
自分の部屋に一歩足を踏み入れたとたん、ロニーはうんざりと肩を落とした。
2年生も終わり、3年に進級する直前の夏休み。
ディアナをバイト先に送り届け、ひとりで帰ってきたとたんにこれだ。
留守の間に勝手に入り込んだ中年男は、金茶色の髪に、紺色の眼。
誰が見てもロニーと同じ色だというだろう。
男はのんびりとソファで寛ぎながら、目の前のティーカップを持ち上げて見せる。
「自分の息子の家なんだから、いつ会いに来たっていいだろう?」
「用はなんです?」
「冷たいなぁ。お前が今年の夏休みも帰ってこないから、様子を見にきたんじゃないか。おお、それ!お前のかわいい小鳥のパイだな?美味しいよな、あのペストリーショップ」
はは、と、ロニーの口から乾いた笑いが漏れる。
確かにこの夏、実家にはまったく顔を出していない。
というより、入学以来、一度も帰っていない。
でもこの父親が、息子に会いたいだなんて、そんな感動的な用件で来たはずがないのだ。
絶対に、裏がある。だってこの人は、第4魔術師団長、要はスパイの巣窟の親玉なのだ。たぶん、仕事がらみで何かある。
現に、ディアナのことを完璧に把握しているらしい。きっとディアナのバイトのことも、この夏ずっとロニーの家に滞在していることも知っている。会わせたこともないのに。
腕に抱えていた袋を、ローテーブルに置く。
さっき、ディアナが包んでくれたパイだ。
毎日ディアナを送り迎えするロニーはすっかり店の人たちから歓迎されていて、開店前の焼きたてパイを特別に売ってくれる。
今日は8個。昼食に食べるつもりだったが、仕方がない。
「食べたら?」
「いいのか?悪いな!」
ちっとも悪いと思っていない顔で、いそいそと父親は袋に顔を突っ込んだ。
「おお、ミートパイがあるな。というか、ミートパイだけだな」
「いずれ早食い選手権で優勝しようと思って」
「それでお前のお姫様のハートを射止められるなら安いもんだって?」
父親の訳知りニヤニヤ顔が、ここまで腹立たしいものだなんて、思い出したくもないのに久しぶりに思い出してしまった。
だから嫌なのだ。本当にめんどくさい。
両親に敬語を使い始めたのも、これが理由だ。ちょっとでも距離を取りたい。ささやかな反抗でしかないが。
遠慮なくパイを頬張りながら、父が言う。
「ちなみに母さんは、あの店のアップルパイが大好きだぞ」
「へぇ」
「母さんは、あの店の常連だぞ。というより毎日通っているな」
「……は?」
「『ディアナちゃん!』『ジェニーさん!』って呼び合う仲だそうだ」
「…………は?」
「来週末は一緒にショッピングに行く約束をしたって言ってたぞ」
「………………おい。まさか」
「お前の母親だってことは言ってないそうだ」
「……………………………」
「母さんの最近の口ぐせは、『ロニーの小鳥さんは、いつお嫁さんに来てくれるのかしら♡』だ」
「ほんと勘弁してくれ!」
ロニーは、父親を睨みつけてからさっさと背を向け、金魚に餌をやりはじめる。
「お前、大きくなったなぁ。ずいぶん変わった」
しみじみと、父は言う。背中に視線を感じる。
「どうせ俺のことだって監視してすべて把握してるんでしょう? わざわざ直接会いに来なくても」
「いやぁ、やっぱり直接会ったほうが、はるかに得られるものが多い。お前はこっちの家に移ってきて正解だったな。あっちだとろくに食事も取らなかっただろう」
「メシを食わなかったんじゃなくて、食いたくなかったんです! 兄さんが、こっそりしょっちゅう痺れ薬を盛ってくるから!!」
思わずロニーは振り返って叫んだ。
父親は、こてん、とかわいく無邪気に首を傾げてみせる。——誰がかわいい父親なんか見たいかよ!このクソ親父が!無邪気の対極で生きてるくせに!!
「痺れ薬、俺のにもジェニーのにも入ってたぞ?」
「あんたたちは耐性があるからいいだろ!」
「お前だって、魔力感知ですぐに毒無効化してたじゃないか」
「それでも味が変わるだろ!なんか舌にざらっと残るんだよ!不快なやつが!」
「お前は感性が鋭いなぁ。えらいえらい」
「えらいえらいじゃねーよ!毎度毎度『アーサーこれ痺れ薬を入れたかー?こっそり誰にも見つからずに入れられて凄いぞー!でもジャガイモのポタージュにこの薬を入れると湯気にほんの少し臭みが混じるんだ。事前に見つけられちゃう可能性が高いから、今日の出来は30点!それじゃぁ、いただきまーす!』っっっってなんだよそれ!」
「今日のアーサーは50点だったぞ」
「ほとんど成長してねーじゃねーか!!!」
言いながら、ひどく虚しい気分に襲われる。
特殊な家庭環境のせいで、ロニーの毒探知能力は異様に高い。たいていの毒入りフードは、一目見ただけで気づく。おかげさまでどこに行っても毒物に関しては切り抜けられるだろうが、でも、そんなこと、ちっともさっぱり望んでいない!
それを望んでいるのは、兄のアーサーだ。しかし、
「アーサー、まだ第4に入る希望を捨ててないんですか」
「いやぁ、あの子は第1魔術師団向きだよ。第4じゃない」
「それ、本人には?」
「もちろん言ってるさ」
ここまでばっさり断じられると、あのマイペースで自己肯定感が異様に高い兄でも、結構きついものがあるだろうな、とは思う。
アーサーは、目立ってちやほやされるのが大好きだ。
世界の中心に自分がいるし、自分の容姿や能力が優れているという自覚もある。
誉められると天を舞って、そこからなかなか降りてこない。
魔術師団で活躍する両親のことも大好きで、父の後を継ぎたいとずっと思って、アピールと鍛錬に余念がない。
でも、だ。
むしろ、だからこそ、自分を隠せないアーサーは第4魔術師団には向いていない。
「ロニー、お前は第4向きだなぁ」
そう嬉しそうに父親に言われたのが、5歳の頃だ。
習うわけでもなく、いつの間にか、気配を殺せる魔術を使えるようになっていたから。
それを当時11歳の兄に聞かれてしまったのだ。
その日から、兄はロニーを追いかけまわすようになった。
立派な魔術師になれるように稽古をしてやるよ!と勇ましく言いながら、弟に呪文や魔法陣を教え込もうとし、廊下をすれ違うたびに戯れるように攻撃魔法を仕掛けてくる。
たぶん、大きなやっかみと、それから多少は本当に、弟を心配する兄心もあったのかもしれない。
でも、ロニーは逃げた。とにかく、逃げて逃げて、逃げた。
呪文も魔法陣も、自分にとっては息が詰まって、痛くて、とても苦しいものだったから。
生まれながらに、何を考えるでもなく、ロニーは魔術を使えた。
呼吸をするのと同じように、まばたきするのと同じように、何の理屈も考えず、魔力で火をおこし、水をまくことができる。
でも、それは、「普通」じゃないことらしい。
「普通」を教え込もうとする笑顔の兄が怖くて、必死で逃げずにはいられなかった。
7歳の頃、ファラン・テナントという名の特級魔術師と会話をするまで、その恐怖は続いた。
だから、ロニーにとって、テナントという名前は、特別だ。
自分を救ってくれた人の名前を、忘れられるわけがない。
ファランの弟子の、ハーフォード・カワードとフィリアス・テナントが——血が繋がっていなくても完全に兄弟になっている彼らが、本当は、心の底からうらやましい。
「そういえば、第1のハーフォード君が、お前のことをとても褒めていた。結界術がとても見事だったと」
「いつの話です、それ。もう半年以上も前の話だ」
「そこで、だが」
ほらきた、とロニーは思う。どうせきっと仕事の話だ。
「お前、9月の最後の三連休、ケンネスに行ってこい」
「温泉リゾート地に?どうして?」
「第1と第4の合同調査でな。構成要員に、職業研修の学生が欲しい」
「潜入調査をしろと?」
父親は、にっこり黙って肩をすくめる。
「養ってもらっている身なので喜んで行きますが、一応聞きます。これ、俺に何かメリットあります?」
「現場で働いているハーフォード君が見られるぞ」
それは見たい!
とっさに上がったテンションを、表情に出ないように押し殺す。
隙のないハーフォード・カワードの判断力と立ち居振る舞いには憧れがある。
「お前の好きな金魚もたくさん見られるぞ」
「何だその業務」
「それから、業務時間外にディアナちゃんとバカンスできる」
「……は?」
「来週、母さんがディアナちゃんと出かけた時に誘うって言ってた。楽しみに待つがいい」
「何をだよ!」
「ディアナちゃんのリゾートワンピース姿?」
「……くっ」
「かわいいだろうなぁ」
「………」
うんともすんとも言わなくなって立ち尽くす息子を見て、父は勝ち誇った笑みで立ち上がる。
「僕はねぇ、あーんなかわいい子に『パパ』って呼ばれるのが夢だなぁ」
「きっも!帰れ!」
「ちなみに、父さんは母さんを口説き落とすのに20年かかった」
「……?!」
「息子よ、頑張れ」
「……帰れっっ!!今すぐっっ!!」
「帰るよ。パイごちそうさま。また来月、ケンネスでな」
ぽん、っと軽くロニーの肩を叩いて、父はドアから出ていった。
「来るときもドアから来いよ」
ため息が漏れる。
来たときには、どうせ移動魔術でいきなり部屋に飛んできたとか、そういうろくでもない魔力の無駄遣いをしたんだろう。
父は1級魔術師だ。おそらくアーサーと同じくらいの魔力量。無尽蔵に力を持っているわけではない。
わざわざそんな大事な力を使ってまで、こっちに来なくてもいいのに。
呼びつけたらいい。ロニーが移動魔術でいくだけだ。
自分の魔力量は、家を往復したところで別に痛くもかゆくも——
そこまでで、ロニーは考えることをやめた。
あらためて、金魚に餌をやり始める。
水面の餌をパクパクと夢中で追いかけるこの生き物を見ていると、穏やかな気持ちになれる。
ただ見ているだけでもよかったのに、この1年でディアナが勝手に5匹に名前をつけてしまって、何だか余計に愛着がわいてしまった。
いちばん流線型の泳ぎの速い金魚がすいっと近づいてきて、水面に口を突き出しておねだりをする。
「何だ、まだ食べたいのか、魚雷ちゃん」
『この子は魚雷ちゃんね!』といきなりいかつい命名をした時の、ディアナの得意そうな顔を思い出す。
ロニーは「魚雷って、何でだよ」とあらためて笑いながらつぶやいて、魚雷ちゃんの口元に餌の粒をぱらぱらと落としてやる。
そこで、目を疑った。
「5匹、増えてる」
水面で口をチュパチュパと開け、慣れた様子で餌を食べているのはいつもの5匹だ。
それ以外に——水槽のはしっこ、底の方から様子をうかがうように身を寄せ合っている金魚が5匹。
「あんのクソ親父!」
慌てて5匹を掬い上げようと網を持ち上げる。
金魚はデリケートな生き物だ。
新しい水槽に入れるには水温に体を慣らしてやらないといけないし、もし新入りが何か病気や寄生虫を持っていたらあっという間に古参に感染る。
今さら遅いかもしれないが、新入りたちを隔離して、それから——
そこでロニーは、ぴたりと動きを止めた。
まじまじと、水槽の底にへばりつく5匹を見つめる。
「これ……普通の金魚じゃねぇな?」
魔力の気配がする。
「何の魔術だ、これ」
今では一通りの呪文や魔法陣は使えるし、理解もしている。
だが、複雑に組み合わせて作られたオリジナル魔術の解析は苦手だ。頑張ればできるが、頑張りたくない。
ロニーにとって、魔術はいまだに論理じゃないからだ。自分では、譜面を読めなくても直感的に歌える歌手みたいなものだと思っている。
「こういう複雑な魔術の解析が得意そうなやつと言ったら……」
頭の中に、灰色の髪の毛でほとんど顔が隠れた同級生が浮かんだ。
去年の学院祭での魔術壁は、複雑で、独創性にあふれていて、本当に見事だった。
——あいつに声をかけてみるか。
だが、今は、パイを食べよう。
温かいうちがいちばん美味しい。
夕方にディアナを迎えに行った時に、この金魚たちのことを何と説明しようか。
名前をつけたいと言われたら、なんと答えよう。
つけたところで、急にいなくなったりしたら、絶対悲しむもんな——それは困る。
久々の父親との面会で心がささくれ立っていたことも忘れ、そんなことで頭をふわふわ悩ませながら、ロニーはパイに齧り付いた。




