そこまでやる!? 私、公爵令嬢ホロンは、王子様から求婚されたせいで、嫉妬に狂った親友に嵌められました。ーー毒で顔は爛れ、女性の大切なモノを奪われ、動物扱いされて監禁、果ては湖に身投げ!?天罰、お願い!
◆1
〈精霊の国〉として名高いエリア王国ーー。
その王国に、同じ年齢の仲良し娘がいました。
一人は、白髪の公爵令嬢ホロン・ブラン。
もう一人は、黒髪の公爵令嬢サラ・ダークといいました。
白と黒の娘は、全然性格が違うふたりでしたが、子供の頃から良く一緒に遊びました。
王国の二大公爵家の令嬢同士だったからです。
そして、この二人の娘がそろって、王子様の婚約候補になっていました。
白か黒か、どちらかの一族から娘を娶ることがエリア王家の習わしとなっていました。
エリア王国のアーク王子は、ホロンとサラの二人と幼少期から付き合いがある、最も親しい幼馴染でした。
そして娘の方は二人とも、アーク王子のことが大好きだったのです。
◇◇◇
ある日、王宮の中庭にてーー。
二人の公爵令嬢と一人の王子とが、テーブルについてお茶を飲み、歓談していました。
アーク王子は気さくに二人の令嬢に語りかけます。
「その動物は何だい? また新種かい」
黒の公爵令嬢サラの傍らに、羽の生えたふわふわの球体が浮かんでいました。
「ええ。この子も精霊科学の成果です。
名前はまだつけてないわ」
黒のサラ嬢は、まっすぐ見返して答えます。
そんな彼女から視線を変えて、王子はもう一人の令嬢に声をかけます。
「君の髪に飾られた花も美しいね」
白の公爵令嬢ホロンは、白い髪に真っ赤な花を飾り付けていました。
「はい。アネモルの花です。
精霊たちが息吹を吹きつけて、咲かせてくれたのです」
白のホロン嬢は恥じらいながら、うつむきます。
二人への挨拶を終え、アーク王子は改めてテーブルに手を置いて語りかけます。
「伝説の湖ーー〈迷える湖〉が、今、森の奥深くにあって、動いていないと聞く。
どうだろう? 僕たちだけで行ってみないか?」
エリア王国には〈迷える湖〉と名付けられた伝説の湖がありました。
精霊に導かれて、移動する湖だといいます。
信仰薄くなったときに姿を現わすとされる、その伝説の湖は、今現在、所在がしっかりと確認されていました。
現在はナーラの森の奥で、水を豊かにたたえているそうです。
白の公爵令嬢ホロンは、手を合わせて微笑みます。
「ええ、湖を見に行けたら、素晴らしい体験となるでしょうね」
精霊教の経典いわくーー。
〈迷える湖〉は、精霊が生み出されるところ、精霊が生き物に生命を吹きつけるところ、と言われていました。
一方、黒の公爵令嬢サラは、冷たい眼差しで、王子と女友達を見据えます。
「私たちは将来、この国を担う重鎮となるのですよ。
危険は避けましょう。
科学的に精査してから近づくのが良いと思います」
精霊科学の論文によればーー。
〈迷える湖〉は、魔獣が住むところ、厄災をもたらすもの、とされていました。
〈迷える湖〉は、王国が誇る宗教と科学とで、真逆ともいえる評価をされていたのです。
エリア王国は、精霊教と精霊科学の二本柱で成り立っていました。
精霊教は、精霊に祈りを捧げて対話し、導きを受けて、王国に繁栄をもたらすとされています。教団を率いるのは、白い髪のブラン公爵家の当主でした。
精霊科学は、精霊がもたらすエネルギーを動力源にして、人間に利益をもたらすといいます。研究機関を率いるのは、黒い髪のダーク公爵家の当主でした。
その結果、白と黒の公爵令嬢ーー当代の両家を代表する娘たちは、家柄がそうであるように、性格を大きく異にしていました。
精霊科学を信奉する黒髪の公爵令嬢サラ・ダークは、学業成績も優秀で、特に医学と生物学の造詣が深く、才女と讃えられていました。
人望もあって、学園では生徒会の副会長にも就任していました。
かたやもう一方、精霊教を信仰する白髪の公爵令嬢ホロン・ブランは、ぼんやりさん。
窓辺の席から外ばかり見て、時折、小声で何事かをささやいているような女性でした。
彼女に言わせれば、精霊がいろいろと語りかけてきて、困ってしまうのだそうです。
でも、精霊を感じるどころか、精霊とじかに対話ができるのは白い髪の一族だけなので、学園のみなからは〈不思議ちゃん〉と思われていました。
おかげで、黒のサラ嬢が、王子様のお相手になるものと、誰もが思っていました。
「王子様がお選びになるのは、黒の方だろうな。
生徒会長と副会長のコンビだ」
「王子様がサラ嬢を会長に推薦なさったのを、彼女が身を退き、王子様に会長職をお譲りになったとか」
「王妃様も黒髪の一族だ。
アーク王子にとっては、黒髪の女性の方が惹かれるだろう」
などと、外野はさまざまに噂します。
ですが、王子様の想いがどちらの娘に向いているかは、誰にもわかりませんでした。
黒の公爵令嬢サラが、綿菓子のような小動物を構いながら、断言します。
「精霊の声が聞こえるだなんて、私は信じないわ。
だって私には、そんなの、聞こえないもの。
白い髪の人たちが、そう言ってるだけ。
交流できるのは、こうして目に見える生物だけよ」
白の公爵令嬢ホロンは、頭に挿した花をいじりながら言います。
「あら。私はいつも精霊と語らってるわ。
もっとも、最近は少なくなってるけど」
黒の公爵令嬢サラは、テーブルをダンと叩きました。
「バカみたい。そんなの嘘に決まってる。
だいたい精霊教の教義って非科学的に過ぎるのよ。
『生命は、精霊が息吹をかけ、魂が生成されてから生まれる』
だなんて言ってるけど、誰も見たことない現象だわ。
私は何度も動物の生命の誕生に携わってきたけど、どう見ても、性交渉によって、卵子に精子が入り込んで生命が生まれるだけ。
目に見えない存在が介入する余地なんかなかったし、そもそも必要ないわ」
二人は学園を卒業し、現在、二十一歳。結婚適齢期を迎えていました。
幼い時は仲良しの二人でしたが、今ではギクシャクすることが多くなっていました。
アーク王子が、二人の女性の間に割って入ります。
「でも、精霊が働いたとしか思えない不思議な力があるのは事実だと思うんだ。
多くの証言もあるからね」
アーク王子は興奮しながら、拳を握り締めます。
「とにかくさ、あの伝説の〈迷える湖〉が、幸いにも、今現在、動きを止めているんだ。
湖を科学的に調査して、精霊が生み出されているかどうか明らかにするなら、今しかないって思わないか?」
王子の提案に、白の公爵令嬢ホロンは難色を示しました。
「そんな。人間の勝手にはできません。
精霊たちの意向も伺わないとーー」
その一方で、黒の公爵令嬢サラは身を乗り出します。
「だったら、さっそく調査に乗り出すよう、お父様に言っておくわ」
「そうだね。キミの父上は精霊科学省の長官だもの」
アーク王子は黒の公爵令嬢に応じてから、済まなそうに、白の公爵令嬢に言いました。
「ーーあ、ごめん。
お父上のご不幸があったばかりなのに。
嫌なことを思い出させちゃったかな」
「いいの。気にしないで」
白の公爵令嬢のお父上ブラン公爵は、最近、亡くなったばかり。
アーク王子は彼女の心を気遣ったのでした。
◆2
白の公爵令嬢ホロンのお父様ーー白い髪のブラン公爵は、わずか一ヶ月前に亡くなったばかりでした。
ブラン公爵は、精霊教の神殿長をなさっておられました。
娘のホロンが目を閉じれば、今でも鮮やかに瞼に思い浮かびます。
爽やかな薫りがするお香を焚いて、精霊に祈りを捧げるお父様のお姿が。
ですが、ここ数年で急に体調を崩し、ブラン公爵は亡くなってしまいました。
最期まで、娘の行く末を案じておられました。
すでに母は亡く、少数の親戚を除けば、ホロンは天涯孤独となってしまうからです。
それでも、ホロン公爵令嬢は臨終の父の手を取り、健気に訴えたものでした。
「私の心配は要りません。精霊たちがきっと導いてくださいます。
お父様はお心を安らかにして、先に天国に赴いて、私を待っていてください」と。
娘の提言に従い、父は柔らかな微笑みを浮かべたまま、亡くなりました。
二大貴族の一方の雄でありながら、父ブラン公爵の遺言に従い、葬儀は内輪だけでひっそりと執り行なわれました。
それでも当然、国王陛下と王妃様、そしてアーク王子は、葬式に参列いたしました。
そして、長年に渡る功績により、ブラン公爵家は当主を失った状態でありながらも、現状を維持されるよう、王家が特別に取りはからってくださいました。
お家を潰されることもなく、新たに当主を迎えることもなく、ブラン公爵家は家督が空位でありながら、ホロン嬢が公爵令嬢のまま生活できるよう保証してくださったのです。
それでもやはり、当主のブラン公爵を失った穴は大きいものでした。
ブラン公爵がお亡くなりになって以来、白の公爵邸では大きな変化がありました。
馴染みの執事や侍女が、次々といなくなってしまったのです。
今では幼い頃からホロンに仕える、専任の老侍女だけになってしまいました。
老侍女は言います。
「お嬢様おひとりとはいえ、とても手が足りません。
屋敷が大きいうえに、時折、王子様や黒のお嬢様がいらっしゃるのですよ。
ですから、黒の公爵様のご厚意に甘えようかと思いますが、いかがでしょう?」
黒のダーク公爵家から、執事と侍女を貸し出そうか、と提案されていたのです。
ホロン嬢はうなずくしかありませんでした。
数日後、黒の公爵家から、十人を超える執事や侍女が派遣されてきました。
彼らは、奇妙な犬や猫を引き連れていました。
熊のように大きい犬と、犬のように人間の命令に従う猫などです。
どちらも番犬、あるいは害虫駆除の猫として、重宝するそうです。
黒の一族によって発展した精霊科学の成果でした。
ですが、そうした自然に反した生物の登場により、環境の変化があったのでしょうか。
白の公爵邸における名物だった、精霊のささやきも耳にできなくなってきました。
とはいえ、黒の公爵家から派遣されてきた執事や侍女たちは有能でした。
スケジュール管理や馬車の手配、掃除や炊事洗濯もよくやってくれています。
美味しい食事も作ってくれます。
(だけど、なんだか身体がだるい。
どうしてなのかしら?)
白の公爵令嬢ホロンはひとり、ベッドの中で心細くなっていました。
それでも、白髪の一族らしく、一生懸命、精霊たちに祈りを捧げていました。
そんな日々が続いた、ある夏の日の朝ーー。
アーク王子から、王宮へ来るよう、ホロン嬢は誘われました。
王宮への送迎用の馬車が、ブラン公爵邸に横付けされます。
(朝から、どうしたのかしら?)
いつもより早く身支度をして、ホロン公爵令嬢は馬車に乗り込みました。
ホロン嬢が王宮に到着すると、すでにダーク公爵家の馬車も乗り付けられていました。
出迎えたアーク王子が、驚いて目を丸くします。
「僕がお呼びしたのはホロン嬢だけなのに。
どうしてサラ嬢までが来ているんだ?
お招きした覚えはないのだが」
馬車から降りた黒のサラ嬢は平然と受け応えます。
「あら、王子様。お構いなく。
『いつでも遊びに来て構わない』
と、おっしゃっていたではありませんこと?」
じつは、白の公爵邸に配した執事たちによって、「王家から迎えの馬車が寄越された」と報されていたのです。
ですから、黒の公爵令嬢サラは、急ぎ馬車で出立してきたのでした。
「……」
王子は何も言えず、バツが悪そうな顔をします。
ホロン公爵令嬢は、いつも通り微笑みを浮かべていました。
「何か手違いがあったようですけど、いつも通り、お茶をいただきません?」
王宮の中庭で、お茶を飲む三人ーー。
アーク王子は白のホロン嬢の方をチラチラ見ては、何かを言いたそうにしています。
それを察した黒の公爵令嬢サラが、ことさら明るい声をあげました。
「王子様!
お父様が、〈迷える湖〉の探査を行なう許可を、国王陛下からいただいたって!」
「それは良かったね」
王子は気のない返事をします。
黒のサラ嬢は、お構いなしに話を進めます。
「それでね、やっぱりあの湖は普通と違うって。
藻が繁茂する水域と、全然生えていない水域とがあるそうよ。
同じ湖なのに、双方の生態系がまるで違うらしくってーー」
王子はうるさそうに顔を顰めて、手を挙げました。
「ごめん。ちょっと黙ってて。
そういった話は国王陛下としてくれ。
僕はホロン嬢に言いたいことがあるんだ。
キミには悪いけど、席を外してくれ。
彼女と二人だけになりたいんだ」
「わかったわ……」
王子様が結婚相手に選んだのは、白い髪の娘ホロンだったのです。
アーク王子はホロン公爵令嬢の手を握って片膝を付き、求婚しました。
「ホロン。キミの花のような笑顔が、僕は大好きだ」
そして、大きな宝石を差し出しました。
七色に光り輝く宝石でした。
この国では婚姻の証として、男性が女性に宝石を贈ることになっていました。
何も装飾をつけていない、カットされただけの裸の宝石です。
これに装飾を施し、ネックレスや指輪などにして、結婚式で披露します。
男性も同じ種類の宝石を持ち、こちらもブレスレットなどにして挙式に臨みます。
それがエリア王国での習わしでした。
「永遠に二人は一緒だよ」
「嬉しいですわ。王子様」
アーク王子とホロン嬢は、顔を赤く染めながら、ぎこちない手振りで抱き合います。
以降、その日は、黒の公爵令嬢サラは姿を見せませんでした。
自分たちに気を遣って、先に自宅へ帰ってくれたのだ、と王子とホロン嬢は感謝していました。
翌日ーー。
黒の公爵令嬢サラが、突然、じかに白の公爵邸を訪れました。
「あら、サラ。いらっしゃい」
迎えに出たホロン嬢の目の前で、執事や侍女たちがサラに向かって跪く光景が広がっていました。
これでは、どちらが屋敷の主人かわかりません。
サラ嬢は得意げな表情で言いました。
「ホロン様、ごきげんよう。
ところで、この者たち、役に立ってるかしら」
「ええ。おかげさまで。
それにしても、サラ様の人望は凄いわね。
本当に、あなたの方がこの館のご主人様みたい」
「この者たちは、元々、私のお父様にお仕えしていたから。
でも、いくら大勢の家臣を従えたところで、意味はありませんわ。
たったひとりの良き伴侶を得る方が、女にとっては幸せですもの」
サラ公爵令嬢は、黒髪を片手で掻き分け、なびかせます。
そして、
「悔しいけど祝福するわ。
あなたが選ばれてよかった」
と笑顔で言ってくれました。
ホッと胸を撫で下ろすホロン嬢に向かって、さらに贈り物を差し出します。
「私からのプレゼントよ」
「何かしら」
「私が手作りした化粧品よ。
このクリームをつけると、お肌が輝くの。
結婚式の日まで、毎日つけてね。
あなたの素敵な花嫁姿を、楽しみにしているわ」
サラ嬢は真っ白な器に入ったクリームを手渡すと、ニッコリ微笑んで踵を返します。
颯爽とした、いかにも親友らしい振る舞いでした。
彼女を見送ったあと、ホロン嬢はさっそく鏡台に向かいました。
最近、乾燥肌になっているのを気にしていたのです。
しっとりとしたクリームが指に馴染みます。
たっぷりとクリームを頬に塗りました。
(サラ様に恨まれるかと思ったけど、杞憂だったようね。
お友達同士だもの。
よかったわ……)
頬を指でなぞったあと、王子様から頂いた七色に輝く宝石をしげしげと見詰めます。
ホロン公爵令嬢は、しみじみと幸せを噛み締めていました。
◆3
時は少しさかのぼります。
アーク王子が白のホロン嬢に宝石を贈るのを、黒のサラ嬢は物陰から見ていました。
サラ嬢は親指を強く噛んでいました。
(悔しい……)
即座に馬車に乗り込み、黒の公爵邸に帰還し、お父様に報告しました。
サラ嬢がアーク王子と結婚するのを、誰よりも待ち望んでいたのは、お父様のダーク公爵だったからです。
ですが、娘の予想に反し、お父様はさして落胆しませんでした。
「そうか。駄目だったのか。残念だ」
父のダーク公爵は、娘がフラれることを予想していたのです。
娘のサラの気が強いところを、王子が嫌ったのだろうと思っていました。
今も、娘はソファーに腰掛けて腕を組み、憮然としています。
「王子様がホロンを選んだのは、可哀想にお思いになったからだわ!」
ホロン公爵令嬢は幼少のときに母を亡くし、最近は、父も亡くしています。
今や、白髪一族の本拠地であるブラン公爵邸には、彼女ひとりしかいません。
「ですから、お優しい王子様は、彼女をもらってあげようとしてるのよ。
そうに決まってる。
同情でーー憐憫の情で、結婚しようって。
ふざけた話だわ」
父は苦笑いを浮かべます。
「サラ。お父さんが執事や侍女を白の公爵邸に派遣したのも、同情したからと思うか?」
黒の公爵令嬢は首を横に振ります。
「お父様のことですもの。
深いお考えあってのことだと思います」
黒の公爵家の現当主ダークは策士でした。
外国からの新技術導入を目論んで、妻も息子も研究者として海外に派遣しています。
その結果、長い間、黒の公爵家では、家族全員が揃ったことはありません。
幼少の頃から、娘のサラは寂しい思いをしていました。
でも、彼女自身はそれでもいい、と思っていました。
ワタシにはお父様がいるもの、と。
現に、父のダーク公爵は娘の才気を高く買っていました。
「ほんとに、あの王子も見る目がないな。
おまえほど頭が回る娘はいない。
おまえに恥をかかせたり、傷つけたりする者がいたら、お父さんが放っておかないよ。
必ず報いをくれてやる」
「王子様は悪くないわ。
あの女ーーホロンがいけないのよ」
「おや、あのアーク王子はちょっと頼りないって、前々から言ってたじゃないか?」
「ふん。オトコがどんなヤツだろうと、ホロンみたいな、ポーッとしたのに獲られたと思うと、私は悔しくて仕方ないのよ!」
サラ嬢は爪を噛みます。
思い通りにならなかったときの、彼女の癖です。
サラ嬢は極度の負けず嫌いで、それが彼女の学力や能力を向上させる一方で、負けた時には感情を激発させる原因にもなっていました。
「ブラン公爵家の小娘か。まあ、美しいからな……」
ダーク公爵は腕を組みます。
(アーク王子の選択もわかる。
自分の娘じゃなかったら、俺もサラのようなキツい娘を応援してはいないだろう。
とかく頭が切れる女はやりづらい。
ポーッとした女の方が、どうとでも丸め込めるからな……)
外見上、ポーッとしてるからといって、女を侮ると痛い目に遭うーーそう痛感することになるのは、もっと経ってからのこと。
このときのダーク公爵は、策略が上手く行きつつあったので上機嫌だったのです。
黒のダーク公爵には、娘のサラにすら明かしていない秘密がありました。
ホロン嬢の父親ーー白のブラン公爵が亡くなったのは、じつは彼が毒殺を仕掛けたからだったのです。
もとより精霊教を担う白髪勢力とは、犬猿の仲でした。
ですから、娘が王子を取り合うことがなくとも、ダーク公爵はブラン家の勢力を削ぐ心算でした。
精霊教の宗教儀式では、様々な香りの煙を焚きます。
そうした煙を出す木材や線香を搬入する業者に手を回して、毒を染み込ませたのです。
その煙を吸ったら、段々と毒が効いてきます。
遅効性の毒なうえに、検出しがたい成分をしていました。
そもそも、そういった毒物感知などの鑑識を一手に引き受けているのがダーク家でしたから、誰にもバレる懸念はなかったのです。
一週間に一度、薄くなった煙を吸うだけの一般信徒には、たいした害はありません。
ですが常に香を焚き、身近で煙を吸い続ける神殿長ブラン公爵にとっては有害でした。
ダーク公爵はほくそ笑みます。
(まあ、今のホロン嬢だったら、王子と結ばれても問題ない。
父親のブラン公爵は始末できたのだからな)
もう、白の公爵邸には大人の公爵夫妻がおらず、世間知らずのお嬢様が独りいるだけ。
腹心の執事や侍女を潜り込ませることにも成功しています。
機会さえあれば、ホロン嬢をいつでも殺すことができる状態だったのです。
現に、侍女に命じて、すでに遅効性の毒を飲食物に混入し始めていました。
ところが、そんな折、ホロン嬢がアーク王子から、いきなり求婚されたのです。
ダーク公爵は顎に手を当て、訝りました。
(まさか、俺がブランを殺したことが、王家にバレておるのではあるまいな?)
ダークは、宗教勢力を削ぐつもりでしたが、王家と事を構えるつもりはありません。
王家を刺激するつもりは、まったくなかったのです。
実際、ダークは、ホロンが王子と結婚しても、さして問題はない、と思っていました。
今の白の公爵令嬢ホロンは天涯孤独です。
王子と結婚して王妃となっても、外戚として白髪一族が力を持つことはありません。
それに、ホロン嬢が王室に嫁げば、白髪一族の本拠地ブラン公爵邸は空になります。
いずれ白髪の縁戚を主人に据えるとしても、たいして力を持つことはないでしょう。
つまり、ホロン嬢が王妃となったが最後、事実上、白の公爵ブラン家は滅びるのです。
となれば、黒の公爵ダーク家のーー精霊科学の天下です。
それからは精霊科学だけで、王国を盛り立てていけば良い。
精霊教のせいで停滞するエリア王国も、ようやく近代化を迎えることができるーー。
そのようにダーク公爵は考えていたのです。
でもーー。
(そりゃあ、実の娘が王妃になった方が、何かと都合が良いのだがな……)
ダーク公爵は顎を撫でつけながら、改めて思案します。
今の王妃は同じ黒髪の一族ですが、彼女との仲は上手くいっていません。
親戚同士なのですが、ダークが公爵家当主になるにあたって反目したままでした。
でも、もし娘のサラが王妃となれば、すぐに王家を味方につけられるようになります。
さらに、白の公爵邸の実権は、すでにダークが執事たちを派遣して、掌握しています。
ならば、あとは娘のサラを王妃として、ホロン嬢に「事故死」でもしていただければ、容易に黒の公爵家による王国支配が完成するのではーー!?
ダーク公爵は笑みを浮かべて、娘の黒髪を撫でました。
「お父さんは、いつでもサラの味方だよ。
どうしたい?」
「王妃になるのよ。絶対、私は!」
「そのための手立ては?」
「それだったら、考えてあるわ。お父様。
毒が入ったクリームをいただけないかしら。
できれば皮膚が爛れて、顔が醜く溶けるようなーー」
「おまえも、恐ろしいことを考えるな」
「お父様の娘ですもの」
「はっははは。
よし。可愛い娘のためだ。
すぐに手渡してやろう。
すでに皮膚が爛れる毒薬がある。
これをクリームと混ぜ合わせるだけだ。
クリームで希釈されるぶん、効き目が弱くなって、効果が現われるのは翌日になろう」
「ありがとう。
大好き、お父様!」
サラは少女のように、満面の笑顔で、父親に抱きつきます。
でも、内心では新たなダメ押しとなる謀略に思いを馳せていました。
(顔が爛れるだけでは、甘いわね。
もっとキツい手立てをーーああ、良いことを思いついたわ。
ふふふ。サイコーじゃない?)
この父にして、この娘ありーー。
王子様に選ばれなかった公爵令嬢の怨みは、想像以上に深かったのでした。
◆4
翌朝ーー。
白の公爵令嬢ホロンは、鏡台を前に座って、悲鳴をあげました。
「いやああああ!」
皮膚が真っ赤に爛れていたのです。
皮が剥けて、風に当たるだけで、ヒリヒリ痛みます。
さらにはブツブツとした水疱が頬に浮き上がり、醜い顔になっていました。
ビックリして、今朝もつけようとしていたクリームを器ごと投げ捨てます。
でも、遅かったようです。
じわじわと爛れが広がっていき、顔全体が火傷を負ったように、皮膚が真っ赤に腫れ上がっていきました。
(どうして!?)
ホロン嬢は慌てて水で顔を洗おうとして、盥に手をやりました。
ところがーー。
「きゃあ!」
盥の中には、ドロドロとした緑色の、謎の液体が入っていたのです。
「何、これ? お水はないの!?」
ホロン嬢は声をかけましたが、新しい侍女は知らん顔しています。
執事を呼びつけても、何もしてくれません。
ホロン嬢が必死で人を呼びつける声がこだまするのと比例して、人の気配がしなくなっていきました。
やがて、馴染みの老侍女が、血相を変えて走り込んできました。
「みな、どこかへ行ってしまいました!
ああ、お嬢様!
そのお顔は……!?」
「見ないで。
お水を。お水をちょうだい。
焼けるように痛いの」
ホロン嬢の顔が焼け爛れたと同時に、黒の公爵家から派遣されてきた執事と侍女たちが、いっせいに居なくなってしまったのです。
翌朝になっても、事態は一向に好転しません。
ホロン嬢の顔は、さらに醜くなっていきました。
紫色に皮膚が捲れ上がった状態になっていたのです。
そんな折、王子がデートに誘ってきました。
「今後のこともあるから、会って相談しましょう」
というのです。
王宮から迎えの馬車が寄越されてきました。
ですが、ホロン嬢はお断りました。
老侍女を使ってのお断りで、王子からの使者にすら会おうとしませんでした。
使者から報告を受け、王子は動揺しました。
「何かあったのでしょうか?
僕が力になります」
と言ってきましたが、ホロン嬢は答えられません。
何をどう説明したら良いか、見当がつきませんでした。
彼女が思い悩む間にも、顔はどんどん醜くなっていく一方でした。
白の公爵邸では、世話を焼いてくれる人もいなくなっています。
ホロン嬢は、文字通り、王子様に合わせる顔がないと思い詰めてしまいました。
そして、今の自分は、王家のご好意によって、特別に公爵邸で住まわせてもらっていることに思い至り、アーク王子からの求婚に応えられなくなった以上は、王家に恩をお返しできないから、今すぐ白の公爵邸から出ていくしかない、と思ってしまったのです。
『探さないでください』
とだけ書き置きを残し、誰にも行き先を告げず、ホロン嬢はひとりで姿を消しました。
王子からもらった宝石だけを握り締めて、フラフラと門外に出ていったのです。
でもどちらへ向かったら良いのか、わかりません。
彼女は馬車にも乗らずに外出することなど、ほとんどしたことがないのです。
まして侍女や侍従もなしに、ひとりぼっちで行動することなど、初めてのことでした。
トボトボと歩いて、白の公爵邸から離れた林道に差し掛かったときーー。
ホロン嬢がぼんやりしていると、いきなり馬車が間近に接近してきました。
(王子様が寄越して下さったのかしら?)
と思いましたが、違いました。
見知らぬ男の手によって、ホロン嬢は馬車へと引っ張り上げられたのです。
そして、薬品で湿らされた布を口に当てられました。
白の公爵令嬢ホロンは、拉致されたのでした。
ホロン嬢が目を覚ましたのは半日後、すでに夕暮れ時のことでした。
気づけば、一糸纏わぬ姿ーー裸に剥かれていました。
さらに、両手両足は革ベルトで締め上げられ、金属の台に固定されています。
彼女を覗き込むようにして、黒の公爵令嬢サラが立っていました。
「おほほほ。
ようやく目が覚めたようね。
あなたを拐ったのは、あなたの家に派遣されてたお父様の執事よ。
あなたの行動パターンなんか、容易に見通せるんですって。
で、ここから先は、私の出番。したいようにさせてもらうわ。
あ、そうそう。
宝石、私がもらっといたから。
まあどうせ、醜くなったあなたには、ふさわしくないわ」
七色に輝く宝石を摘んで、ホロン嬢に見せつけるようにして、サラ嬢は嘲笑います。
「もう、わかったでしょ?
あんたにあげたクリームには、毒が入ってたってわけ。
これからは醜い姿を晒して生きていくのよ。
ワタシだったら自ら生命を断つわね。
オンナとして、これほど恥ずかしいことはないわ。
あっははは!」
肩を揺らせて笑うサラの周りには、見慣れぬ動物たちがうろついていました。
以前に見た、綿菓子のような動物だけではありません。
犬と猫を掛け合わせたような生き物や、羽が生えて宙に浮かぶ蛇、そして、頭が二つある兎ーー。
気色悪い生き物に囲まれた状態で、黒の公爵令嬢サラは、大きく両手を広げました。
「ようこそ、ワタシの研究小屋へ!
私、ここでたくさんの動物を飼ったり、品種改良してるのよ。
あなたも動物たちと一緒に、ここに住めば?
もう一生、陽の当たる場所に出なければ、醜いお化け顔を人前で晒さなくて済むもの。
やがては行方不明になって、そうなれば、王子もあなたのこと、諦めるでしょうよ。
この子たち、普通の動物と違って失敗作が多くって少しイビツだけど、あなたの顔もすでに爛れてるし、お友達になれるでしょ?」
ホロン嬢は台に縛り付けられた状態で、涙ながらに訴えました。
「無駄なことはやめなよ、サラ!
これ以上、私を貶めたって、あなたがアーク王子に好かれることはないわ。
幻滅されるだけよ。
どうしちゃったのよ?
私たち、友達でしょ?」
サラは真顔になって、ホロン嬢の頬を、バチンと平手打ちします。
「友達だっていうんなら、私から王子を取るんじゃないわよ!」
「……」
サラは満足したように、大きく息を吸い込みます。
そして、両眼に妖しい光を宿して、舌舐めずりしました。
「ああ、大事なこと、忘れてた。
新たな雌の愛玩動物を飼うなら、オイタされないようにしないとね」
サラは鋭利な刃物を手にしました。
「心配しないで。
動物相手では何度かやったことあるの。
今度は、あなたでやってみるわ。
避妊手術。
なに、簡単なことよ。
子宮を摘出させてもらうだけ。
そうすれば王子もあなたを王妃とすることは不可能になるでしょう?
次代の跡取りが産めないんじゃ、国母になりようがないものね。
あ、それとも精霊教によれば、子宮なんかなくても、問題ないんだっけ?
『生命は、精霊が息吹をかけ、魂が生成されてから生まれる』
っていうんだから。
せいぜい、その教義を証明できるよう努力することね。
あはははは!」
親友のサラが狂ったように笑います。
その顔を呆然として眺めながら、ホロン嬢は、麻酔薬を嗅がされ、意識を失いました。
◆5
どれくらい時間が経ったのでしょう。
目が覚めたら、ホロン嬢は全裸のまま、煉瓦の床の上で丸まっていました。
金属の手術台からは解き放たれたようですが、半身を起こすと、目の前に鉄格子がありました。
檻の中に放り込まれていたのです。
半身を起こす際、ホロン嬢は、大きな傷が、下腹部にあるのに気がつきました。
縦に太い線が股間近くにまで走っています。
そっと傷口に手を当てると、いまだにジンジンと痺れます。
手術からそれほど経っていないようで、身体から熱が発せられていました。
「うっ、うう……」
自然と両目から涙が溢れ出ます。
強制的に子供を産めなくされた女性が、全裸で檻の中に閉じ込められているのです。
これ以上ない、酷い境遇でした。
ホロン嬢が涙に暮れていると、側面にある壁の向こうから、ザザッと音がしました。
鉄格子の近くに溝が掘ってあり、そこに様々な種類の雑穀が流れ込んできたのです。
動物用の餌でした。
自動で餌が搬入されるようになっていたのです。
やがて、周囲からガサゴソと物音がして、影が動きます。
溝に流れ出てきた餌を目掛けて、何体もの動物が押し寄せてきたのでした。
犬と猫、蛇と鳥、熊と狼を掛け合わせた奇形生物たちが、ガツガツと餌を喰らいます。
ホロン嬢は立ち尽くし、呆然としました。
(私も四つん這いになって、これを食べろと……?)
檻の中には、臭いにおいが充満していました。
振り向いて見れば、部屋の隅に糞尿が山盛りになっていました。
ろくに掃除もされていないようでした。
(ここまで怨まれていたなんて……)
食欲が失せて、ホロン嬢はペタンとお尻をつけてしゃがみ込みました。
すると、お腹を満たした犬や猫の奇形生物が、白の公爵令嬢を取り囲みます。
ホロン嬢は左右を見回して、生唾を飲み込みました。
(このまま噛み殺される?)
そう思ってたら、もっとも大きい、熊と何かを掛け合わせた巨獣が、吼えました。
オオオオン!
すると、動物たちがいっせいに向きを変えて、壁に向かって体当たりを始めたのです。
ドシン!
ズズン!
煉瓦の壁に向かって、何度も何度も、巨体で体当たりを繰り返します。
すると、やがて白い煙を上げて、煉瓦の壁が崩れ落ちました。
期せずして、動物たちの力で、研究小屋の檻の壁を破壊することに成功したのです。
鉄格子を折ったり切ったりすることなく、脱出できたのでした。
実感のないままに、奇形生物たちに導かれるようにして、ホロン嬢は研究小屋から外に出ました。
すると、外は月明りの綺麗な夜ーー。
雨が止んだばかりのようでした。
ホロン嬢は足下の水溜りに写る自分の顔を目にしました。
やはり、皮が爛れた、水膨れの顔が写っています。
醜いーー。
でも、動物たちは気にせず、身を寄せてくれます。
ホロン嬢が悲しんでいるのを察して、綿菓子のような動物がフワフワと浮かびながら、彼女の爛れた頬を舐めてくれました。
頭が二つある兎も、毛皮ごと押し付けてきて、スキンシップをしてくれます。
動物は容姿で差別しないーー。
「ありがとう。優しいのね」
研究小屋の周りには、人間は誰もいません。
いつの間にか、動物たちはお座りの状態で、ホロン嬢を取り囲んでいました。
「あなたたちも嫌よね、こんなところ。
ごめんね。人間が勝手ばかりして。
私、これから死に場所を探しに行くんだけど、一緒に行く?」
ホロン嬢の言葉に、動物たちはいっせいに尻尾を振りました。
こうして、十二頭の奇形生物と一緒に、ホロン嬢は歩き始めたのです。
白い羽の生えた鹿が先頭に進み、研究小屋のあった裏街道から、森へと向かいます。
当て所ないーーしかも、死に場所を求めての旅です。
それでも、ホロン嬢と異形の生き物たちは、陽気な足取りで、月明りの下を行進し始めたのでした。
◆6
月夜の晩に、ホロン嬢が動物たちと森へと彷徨い出た翌日ーー。
求婚した相手が突然、失踪したと知り、アーク王子は半狂乱になっていました。
ホロン嬢の書き置きが、彼女に仕える老侍女から、届けられていました。
『探さないでください』
とだけ、記されていました。
「彼女の字だ!」
アーク王子はワナワナと肩を震わせました。
わざとらしく心配そうな顔をして、黒の公爵令嬢サラも王宮に急行していました。
そして、王子を慰めようとします。
「私、彼女の邸宅に伺ったの。
その際、見たのよ。
どうしてかわからないけど、彼女は見るも無惨な顔になっていたわ。
そんな醜い顔を、王子様に見せたくなかったのよ」
「僕は彼女の心根を愛してるんだ。
顔がどうなろうとーー」
「あの家は呪われてるのよ。
不幸が立て続けですもの」
「呪いーーだと!?
科学省長官の娘が言う台詞ではないぞ」
「とにかく、ホロン様は王子様に顔を見せたくないからって身を退いたの。
代わりに私をアーク様の許嫁にってーー」
そう語った瞬間ーー。
黒の公爵令嬢サラの顔に、思わず笑みが浮かんでしまいました。
それをアーク王子は見逃しませんでした。
バッとサラの手を跳ね除けます。
「キミが何かしたんだろう?」
サラはギクッとします。
王子は吐き捨てるように言いました。
「最近、キミが彼女を見る視線には悪意があった。
それぐらい気づくさ。
それを承知で、彼女はーーホロン嬢はキミを立てていた。
キミとは大違いだ」
王子から思いも寄らぬ話を耳にして、サラはカッとなりました。
(あの女にーーホロンのやつに、この私が憐れまれてたっていうの!?)
思わぬ事実を知って、よけいに悔しくなったのです。
でも、もはやサラは勝利を確信していました。
「ふん。アーク様も彼女を見たらわかるわ。
アレを相手に愛することなんてできない。
汚い、醜い顔になったのよ!」
さらに、サラとしては、
「それに、もうホロンは子供も産めないし!」
と言い募りたかったのですが、それは思い止まりました。
自分がホロンの子宮を奪ったことまでは、知られたくなかったのです。
王子は、親友を貶めるサラの姿に幻滅して、言い淀みます。
「友達だろう?
そうまで言うなよ。
心が綺麗だったらーー」
「そんなの嘘よ。
だったら、見せてあげる。
あの醜い顔を!
私、彼女の居場所、知ってるんだから!」
サラ公爵令嬢は意気揚々と声をあげます。
ですが、これは大きな賭けでした。
ホロン嬢を裸に剥いて閉じ込めた檻に、王子を連れていこうというのです。
それは、サラがホロン嬢を虐待し、檻の中に監禁したと白状するようなものです。
でも、サラには自信がありました。
あの、爛れたあばた顔を見たら、王子ですら目を背ける、と。
結局、馬車に同乗し、王子を自分の研究小屋へと連れて行くよう決心したのでした。
ところが、目的地では、思いもしなかった状況になっていました。
研究小屋が破壊されていたのです。
しかも、すべての実験動物がいなくなっていました。
煉瓦の壁ごと破壊され、ホロン嬢がいなくなったばかりか、今までの研究成果である生物たちに軒並み逃亡されていたのです。
(信じられない……)
サラは青褪めました。
日中の陽射しを受けながら、彼女は膝をつきます。
「でも、いまさら、生きていけるはずがないわ。
ワタシだったら、生きていない!」
彼女の叫び声を打ち消すように、背後に立つアーク王子は断言しました。
「僕は諦めない!」
王子は自ら、昨日までの雨でぬかるんだ地面に膝をつけ、残った足跡を見ます。
結果、彼女のモノらしき足跡だけではなく、無数の四つ足の足跡が確認できました。
「やはり精霊に導かれたのでは?
精霊はあらゆる生命に働きかけることができる、という。
動物までがホロン嬢についていったと見られるのが、その証拠だ」
明るい声をあげる王子に対して、サラ嬢は吐き捨てました。
「王子様までが精霊、精霊っておっしゃるのですか!?」
王子はムッとして反論します。
「キミはそういうが、わがエリア王国の成り立ちである精霊教の教えは嘘だというのか?」
「ええ、そうよ」
当たり前よとばかりにうなずくサラに、アーク王子は真面目な眼差しをぶつけました。
「僕は違う。
幼い頃は精霊の姿をしょっちゅう見たし、精霊の声もよく聞いたんだ。
朝日の輝くところや、木陰の奥なんかで、戯れる精霊の姿をたくさん見たよ。
今では、そんなことはないけどね」
「意外だわ。あなたは精霊科学を気に入ってると思ってたのに」
一緒に会長と副会長として生徒会を切り盛りしていたとき、合理的な判断を下すアーク王子に、精霊を云々する様子はまるで見られなかったのです。
王子は溜息をつきました。
「キミは僕の母上に似ている。同じ黒髪だからだろうか。
キミとは一緒に仕事ができる仲だと思う。
でも、彼女はーーホロン嬢は違う。
キミや僕の母上とは違うんだ。
僕の心に、直接、触れてくれるんだ。
僕が悲しいときには、そっと微笑んでくれるし、僕が意気込んでるときには、落ち着くように宥めてくれる。
わが国は精霊によって守られてるというけど、僕にとっての精霊のような女性なんだ」
王子は、真剣な面持ちで語ります。
そんな彼に向かって、サラ嬢は涙目になって訴えました。
「そんなの、みんな思い込みなだけじゃない!
すべて人間の価値は、目に見える成果で決まるはず。
そんな、目に見えないものを信じること自体、おかしいのよ!」
アーク王子も負けていません。
両拳を握り締めて、問いかけます。
「キミにだって、心があるだろう!?
感情があるだろう?」と。
王子の懸命な訴えも、サラ嬢の耳には届きませんでした。
「そんなの、みんな顔の表情で見えるじゃない?
見えない次元のものには価値なんかないわ。
精霊ーー目に見えない意志を持つ存在ーーそんなものがいるんなら、守ってみなさいよ。あの精霊と語らうってうそぶく女を。
もう手遅れだと思うけど!」
「良いだろう。
だったら、キミも一緒に探せ。
そして、僕が彼女を選んだ理由を、キミにじかに見せつけてやる」
「ええ、どうぞ。
どうせ失望するのは、王子。あなたよ!」
二人の意見が折り合える様子は、まったくありませんでした。
◆7
アーク王子と、黒の公爵令嬢サラが、言い争っている日の前夜ーー。
白い鹿に誘導され、ホロン嬢と実験動物一行は、深い森に入っていました。
一緒になって、死に場所を探していたのです。
やがて、森の奥で、ホロン嬢は美しい湖を発見しました。
たびたび話題にあがっていた、あの神秘の〈迷える湖〉です。
実際に、来たのは初めてでした。
湖畔には、誰もいません。
一面に靄がかかり、神秘的な雰囲気を漂わせていました。
湖に映る自分の顔を見て、ホロン嬢は再び絶望しました。
黒の公爵令嬢サラが放った言葉が、脳裡に甦ります。
『これからみなに、その醜い姿を晒して生きていくのよ。
ワタシだったら自ら生命を断つわね。
オンナとして、これほど恥ずかしいことはないわ』
ホロン嬢は覚悟を決めました。
(やっぱり、生き恥を晒したくはないわ……)
生まれたままの姿で、湖に身を捧げようと決心したのです。
父のブラン公爵が、今際の際に、娘に向かって言っていました。
じつは、父に対して、精霊がしきりに語りかけ、勧めてきたというのです。
『この世を捨てなさい。人間の欲望が汚なすぎる』と。
でも、父は無視しました。
この国をーー母との思い出があるこの家を、愛していたからです。
その結果だからでしょうか。
父は亡くなってしまいました。
でも、だからこそ、ホロン嬢は父の死を、世間の人々が言うような〈非業の死〉とは考えませんでした。
父は精霊に導かれて、精霊の国に招かれていったのだと思っていました。
(今、まさに私にも、お呼びがかかったのね……)
ぼんやりさんのホロン嬢でも、今までは、エリア王国を支える公爵令嬢らしく、国の将来を憂える心はありました。
ところが今、この湖水に足を浸して、ようやく精霊の想いを感じることができました。
ぶっちゃけ、精霊は、国のことを何とも思っていない、ということがわかったのです。
精霊たちにしてみれば、国の将来がどうなろうと、知ったことではない。
まして、ブラン公爵家がどうなるかなど、どうでも良い。
ただ、この世に生まれた生命が、力の限り生きていくことを欲しているのだと。
ですが、ホロン嬢は、愛する王子がこの国をこよなく愛しているのを知っているーー。
(私だけ一足先に、あの世に行って参ります。
一緒にいられなくて、ごめんなさい……)
ホロン嬢は裸になって、改めて入水自殺を試みました。
彼女に従い、十二頭、すべての奇形生物たちも湖水に身体を投げ込んでいきます。
異形の者同士、みんなで入水自殺を試みたのでした。
思いの外、湖の水は冷たくありませんでした。
透き通るような綺麗な水にもぐって、深い深い湖の底まで沈んでいきます。
湖の底には、コンコンと湧き出でる清水の流れがありました。
そうした清水の流れとともに、たくさんの藻がウネウネとうねっています。
その大量の藻が、ホロン嬢の身体にまとわりついていきました。
そのとき、彼女は感じました。
懐かしい気配を。
たくさんの精霊に囲まれたときの、あの聖なる雰囲気をーー。
(ああ、精霊さんたちーー私に願いを問うの?
だったら、お願いします。
私と私の父、そして愛する精霊様を蔑ろにしてきた者どもに、天罰を!
正当な報いを!
私は精霊様の御力を堅く信じております。
御力の偉大さを、今こそ、人間どもにお示しください。
代わりに、私どもの生命を捧げます!)
強い祈りとともに、ホロン嬢は瞑目しました。
そして、そのまま湖底へと沈んでいきました。
◆8
ところが、しばらくして、ホロン嬢は目を覚ましました。
てっきり、湖底の深い闇に沈んでいったと思っていたのに、いつの間にか、湖畔に身を横たえていたのです。
(生きてる!? どうして……)
身体を起こすと、全身に藻がまとわりついていました。
どうやら、湖の藻が、ホロン嬢を地上に押し上げたようです。
まさに精霊による奇蹟でした。
(どうして死なせてくれなかったの?)
ホロン嬢は涙を流します。
そこへ、ペロペロと舌で舐めてくる動物がいました。
周りを見たら、動物たちが勢揃いして、お座りしていたのです。
「あなたたちも、生き延びてーー」
そこまで話した段階で、気がつきました。
動物たちの様子が違っていることに。
犬と猫の掛け合わせだった動物は、二匹の犬と猫に。
首が二つの兎は、二羽の兎に。
羽が付いた蛇は、鳥と蛇に。
羽が付いた白い鹿は、普通の鹿と白鳩に。
ーーそれぞれ分離して、独立して生きていたのです。
以前は十二頭の奇形生物だったのですが、今では三十頭近くの動物になっていました。
みな、全身に精霊の力をまとっています。
気づけば、ホロン嬢の身体にも、精霊の力が宿っていました。
しかも、おそるおそる、湖面に自分の顔を写してみたら、すっかり変貌していました。
爛れた皮膚が元通りになっています。
いや、本来の肌以上に、美しくなっていました。
「ああ、精霊様。私に生きろと仰せなのですね!」
動物たちの輪の中心で、白の公爵令嬢ホロンは、精霊に祈りを捧げました。
やがて、森の方から、騒がしい物音がし始めました。
森の奥にまで、強引に馬車が乗り込んできたのです。
そして、草の根を掻き分けるようにして、一人の男性が駆け寄せてきました。
アーク王子でした。
ホロン嬢なら精霊に導かれて行動する、だったら湖に向かうに違いない、と彼は確信していたのでした。
「見つけた!」
より美しくなったホロン嬢を、王子様が背後から抱き締めます。
「やはり、貴女は美しい!」
と、歓喜の声をあげながらーー。
いきなり王子が飛び込んできて、ホロン嬢はビックリしました。
裸のまま、男性に抱き締められたのは、人生で初めての経験です。
しかも、周りを動物たちに取り囲まれながら。
さすがに気恥ずかしい。
とりあえず、王子には、自分が無事に回復した、いや以前より美貌も体調もいくらかマシになったことを、ホロン嬢は伝えたく思いました。
「王子……見てください。私のお腹。
傷がすっかり無くなって……」
王子は真っ赤になって、上着を渡します。
「これを羽織ってください」
「ああ、そうでした……」
いまや身体を覆っていた藻もほどけていました。
全裸であることを思い出して、ホロン嬢は顔を赤らめます。
王子も恥ずかしさをごまかそうとして、彼女に寄り添いながら、指さして糾弾します。
「アイツがーーサラが嘘をついていたんだ。キミが醜くなったって」
馬車の傍らで、黒の公爵令嬢サラが、悔しそうに唇を歪めていました。
でも、同時に、信じられない光景を前にして、両目を大きく見開いていました。
そんな彼女の顔を、白の公爵令嬢ホロンが見据えます。
「ええ、それは事実よ。
でも、精霊たちが私を美しくしてくださったのよ。
藻が絡みついて、岸に押し上げてくれたの」
二人の公爵令嬢の視線が激しくぶつかり合います。
女二人の間に飛び込んだアーク王子は、当然、サラに背を向けたまま、ホロン嬢に上着をかけ、抱き寄せました。
「よかった、よかった。
さあ、帰ろう。
これからは王宮が君の家だ」
アーク王子とホロン嬢は二人して馬車に乗り込みます。
そして、そのまま王宮へと帰還していきました。
黒の公爵令嬢サラ・ダークは、馬車に同乗するのを、王子に拒否られました。
そしてポツンと、湖の畔で居残っていました。
(こんなはずじゃ……)
死体だろうと生きていようと、構わなかった。
ホロンが見つかって、そのあまりの醜さに、王子が顔を背けるのを見たかった。
楽しみにしていた。
それなのにーー。
サラは激しく指を噛みます。
(どうして?
どこにいったのよ、あの醜い顔は!?
なんで、前より綺麗になってるのよ!
お父様の嘘つき。
あるんだ……神の奇蹟ーー)
サラは湖畔で茫然自失となって佇んでいました。
そこへ、いきなり大勢の大人たちが、何台もの幌馬車隊を組んで乗り込んできました。
王子とホロンが乗った馬車と入れ替わるようにして、〈迷いの湖〉にやって来たのです。
彼らの幌馬車には、サラにとってお馴染みの、黒い薔薇に蛇が絡み付く紋章ーーダーク公爵家の紋章が描かれていました。
伝説の湖を調査するため、黒髪一族が指揮する科学省の職員が到着したのでした。
彼らは湖を調査するための機材として、幾つもの機械を持ち運んできています。
でも、大半の機械は、対魔獣用の戦闘兵器や防衛装置でした。
これから湖畔でテントを張って野営するといいます。
彼らは自分たち上司自慢の令嬢をよく見知っていました。
大声で挨拶して、次々に頭を下げます。
サラ嬢は、侍従を相手にするかのように、気安く職員たちに声をかけました。
「こんなにたくさんの兵器や防御装置なんて要らないわ。
湖に危険なんかないのよ。
だって、ホロンのやつが入水しといて、無事に助かってるんだもの。
精霊なんて存在しないと思ってたのに、いるみたいよ。
さすがに、この目で確認しちゃったものね。
あの女の大変化を。
あれほど醜くなってたのに。
以前よりも、美しくなってーー」
それを聞いて、職員たちは笑いました。
「どうなさったんで?
サラ様はお父上同様、精霊非存在派だったのでは?」
「醜かった顔が、湖に洗われて綺麗にーーですか。
さすがは乙女ですな」
「うんうん。
女性にはロマンチックなほうが似合いますね」
職員の男どもは、才媛と評判高いサラ様が、存外、女の子っぽい空想をしていると、何やら安堵しているようでした。
サラには、それが気に入りません。
「でも、事実よ。あれほど醜かったホロンがーー」
白の公爵令嬢ホロンの名前を出した途端、職員たちは和気藹々とした雰囲気になって饒舌に語り始めます。
「醜い? 白の公爵令嬢様が??」
「あのお嬢様は、前から美しかったでしょう?」
「心が綺麗だから、顔や姿にも現われているんだ」
職員たちが彼女の人格を讃え続けます。
みな、ホロンから優しくしてもらった経験があったようでした。
本気で白髪の一族と、精霊教を嫌っているのは、私と父上のみなのだ。
ーーそう理解して、黒の公爵令嬢サラは唇を咬みました。
「違うの。ホロンは本当に醜くなったの!
それだけじゃないわ。
私がお腹を割いて子宮を摘出してやったのに、すっかり戻って、傷まで消えてーー」
サラは仁王立ちになって、拳を握り締めて力説します。
ですが、無駄でした。
職員たちはみな、シラッとしています。
何言ってんだ、このお嬢さんは? という顔でした。
(誰も信じてくれない。
だったら、私自身の身体で証明してやる!)
サラはクルリと身を翻し、夕暮れを映す湖面を眺めながら宣言しました。
「お父様に伝えて。期待して待っててって。
私は狙った獲物は絶対、逃さない。
必ず願いを実現させてみせる!
アンタたち、湖の中をしっかり攫ってみなさい。
いずれ、ビックリするものが見つかるから!」
そうして、サラが父の部下たちに向かって宣言してから、五時間後ーー。
彼ら職員が気を利かせて設営してくれたテントから、サラは抜け出していました。
みな、寝静まっていて、彼女が服を着たまま、湖の中へと入っていくのに気づく者は誰もいませんでした。
サラは思い切って、湖の中に深くもぐります。
そうしたら、ワラワラと藻が絡みついてきました。
(アイツの言ってた通りだわ……)
ああ、これでワタシも美しくなれる!
そうしたら、王子様の心もワタシの方にーー。
サラは両手両足を開いて、湖水の流れに沿う藻の動きに、全身を委ねました。
(美しくなった私を見せつけて、ホロンのやつをビックリさせてやるんだから!)
◆9
白の公爵令嬢ホロンが、湖の底から復活して、一ヶ月後ーー。
エリア王国では、アーク王子とホロン嬢の結婚式を間近に控えていました。
王都全域に渡って、お祭り気分になっていました。
ですが、その頃になってもまだ、黒の公爵令嬢サラ・ダークは見つかりませんでした。
サラ嬢は、王子ばかりか、父親にも連絡ひとつ寄越さず、行方不明になっていました。
「僕らに合わせる顔がなかったんだろうね」
サラ嬢に人並みの繊細さがあると誤解している王子様は、勝手に解釈します。
一方、ホロン嬢は首をかしげます。
「そうかしら?」
彼女はサラの厚顔無恥な性格を、身に沁みて良く知っています。
王子様は、王宮の謁見の間に、ホロン嬢と手を取り合って向かっている最中、廊下を進みながら大声で言いました。
「だって、親がまるで心配した様子をしてないんだぜ。
ほら、今日も科学省長官が、王宮においでだ。
〈迷いの湖〉についての研究発表だってさ。
キミも来るかい?」
その日は、謁見の間において、黒のダーク公爵による、臨時の精霊科学発表会が開催されることになっていました。
王様と王妃様が臨席しての発表とあって、ダーク公爵は鼻高々になっていました。
謁見の間では、王様と王妃様から、声をかけられます。
「娘さんの姿を見かけないが」
「大変、優秀と伺っております」
科学省長官ダークは、得意げに胸を張りました。
「娘については心配いりません。
もう一ヶ月ほど前になりますか。
娘のサラが職員どもを焚き付けたんですよ。
『アンタたち、湖の中をしっかり攫ってみなさい。
いずれ、ビックリするものが見つかるから!』
などと申しまして。
実際、凄いモノが見つかりました。
その意味では、今回の発表は、娘の功績と言っても良いぐらいで。
あははは」
発表会の前に、立食パーティーが開かれていたのです。
国王夫妻からのお声がかりに答えたあと、ダーク公爵はあれこれと部下に指示を出してから、研究発表前の緊張をほぐします。
そして、ワインを一杯ひっかけながら、ダーク公爵は娘に思いを馳せました。
アーク王子に寄り添う、ホロン嬢の美貌に見惚れながら。
(サラのやつ、散々悪態をついておったが、あの毒入りクリームをホロン嬢に渡さなかったようだな。
まあ、さすがにあれほど仲が良かった友達同士だ。
毒入りクリームにしても、もとより脅しに使う程度と思っていた。
ブラン公爵家の小娘は依然、美しいままで、王子とベタベタだ。
負けず嫌いのサラのことだ。
別のオトコを探しに行ったか?)
湖の畔で、娘に出逢った部下の伝言では、
『お父様に伝えて。期待して待っててって。
私は狙った獲物は絶対、逃さない。
必ず願いを実現させてみせる!』
と啖呵を切ったそうだ。
翌朝にはテントから脱け出して、いなくなったそうだが、どこへ行ったのやら。
やはり外国か?
国内じゃ、王子以上の人材は見込めないからな。
実質、傷心旅行になるだろう。
でも、軍資金は?
抜け目ないアイツのこと、へそくりでも持ってたのかもーー。
親バカの父親は苦笑します。
(ま、しっかりしたサラのことだ。
父親の心配など無用だろう。
失恋も悪くない。
成長の糧となるだろう。
相手が見つからなくとも、部下から優秀なヤツを、この父が見繕ってやる。
身分上より身分下から傅かれる方が、サラには似合ってる)
やがて人間と等身大の展覧物が、布で覆い被されたまま、謁見の間に運び込まれます。
立食パーティー参加者たちから、感嘆の声があがりました。
どんな発表がなされるのだろうか、今回は伝説の〈迷える湖〉についての新発見だというから楽しみだーーなどと、来賓たちは噂し始めます。
場の空気が暖まってきたところで、ダーク公爵は、王子と寄り添うホロン嬢に近づいて声をかけました。
噂では、彼女は湖に入水した挙句、なんとか這い上がってきたと聞いている。
「ホロン嬢。お久しぶりです。
訊けば、〈迷える湖〉に、おもぐりなさったとか。
よくご無事でしたなぁ。
相当、落ち所が良かったんですな。
というのも、湖の半分は危険な水域でして。
しかも、その危険水域が、グルグルと湖の中で移動しておるんですよ。
不思議でしょう?
何らかの規則性が感じられますが、現在、調査中なんです」
もちろん、聖なる魔力が満ちた場所もあって、その水域では様々な宝玉が見つかっています。
ところが、もう半分は、汚泥に満たされた水域で、地上の生物が無防備で入ると、まず生命を落とす危険な場所でした。
とはいえ、こちらは水中生物にとっては、外敵から守られた天国のような水域です。
魚介類が豊富で、湖底で棲息する生物が多数、発見されていました。
「今回、発表する生物こそ、その危険な汚泥水域で生きるモノの代表例ーーというか、最も特殊で目立った個体です」
王子にお辞儀してから、謁見の間に集まった人々に向かって胸を張り、ダーク公爵は両手を広げました。
「ご覧ください!
これこそ、伝説の〈迷える湖〉から採取された新発見の生物です!」
展覧物に掛かっていた幕が下ろされました。
その瞬間ーー。
おおっ!
居並ぶ誰もが、息を呑みました。
見たことのない、化け物が姿を現わしたからです。
公開された展覧物は、半人半魚のような、謎の生き物でした。
X字形に組まれた柱に、両手両足を広げた状態で縛り付けられています。
鰭と尾が発達していて、人間の手足のようでした。
全身をビッシリと鱗が覆っています。
ざわざわ……。
ざわめく人々を前に、ダーク公爵は化け物の身体をバンバン叩きながら演説します。
「下半身を調べましたが、性別は雌のようですな。
人類とは別系統に進化した、水中生物と思われます。
湖から引き揚げた際には、私もビックリしました。
突如、私に襲いかかってきましてね。
この臭い身体で抱きついてきて、口をパクパク動かして、何か喋ろうとしていました。
が、その隙に麻酔銃を撃って眠らせたんですよ。
今は猛獣に使う麻痺の薬を投与して、動けなくしております。
生け獲りというやつですな。
暴れる心配はありません。
私自身が鋭利なナイフを手にして、何度も身体に突き刺して実験済みです。
人間のように涙らしきものを目から流しますが、それだけで。
意識や感覚はあっても動けないのです。
さあ、みなさまも近くに寄って、ご覧になってください。
触れても構いませんよ。
鱗があるんで、少々のことでは傷つきませんから」
好奇心に満ちた目で、大勢の紳士淑女が新生物に近寄って、手で触れていきます。
そして、さまざまに語り始めました。
「湖の底から引き揚げたというのに、地上でも生きていけるんですなぁ」
「本当に人間の顔みたいだわ。
顔ーーと考えたら、醜い顔ね。
唇が異様に白くて、歯が剥き出し」
「目がギョロついて、左右の均整が取れていない。
顎や頬には髭みたいな触覚があるし」
「でも、この表情ーー何かを訴えて、泣いてるみたい」
「そりゃ、悲しいだろうさ。
湖から引っ張り出されて、こんなふうに晒されるんだから」
「雌だというからーー女性だと考えると、相当恥ずかしい格好ですなぁ。
大きく足を広げて……」
「まあ、いやらしい」
ホロン嬢も近づき、新生物の鰭に当たる部分に手をやります。
ヒレが丸まっていて、中に何か小さな固形物があるようでした。
そのとき、ふと耳許で誰かがささやいたように感じたので、指を突っ込んで、その固形物を引っ張り出します。
謎の新生物が、まるで手で握り締めるようにして持っていたモノーー。
それは彼女が王子からもらった、七色に輝く宝石でした。
(これを持ってるということは、やはりーー)
ホロン嬢は、目の前で晒しモノになっている新生物を、マジマジと見詰めます。
心なしか、彼女の視線から、化け物は顔を背けたようでした。
ホロン嬢は目をそっと閉じ、かつての親友の笑顔に想いを馳せました。
(すべての生き物の生命は、精霊が息吹をかけ、魂をお造りになって出来上がるもの。
だから精霊様は、人間の魂だって好きに造り変えて、別の生き物に生まれ変わらせることがお出来になられるのだわ……)
ホロンは涙をハンカチで拭うと、手にした宝石を包んで懐に仕舞います。
彼女の振る舞いを目に留めた王子が声をかけました。
「どうしたの?」
ホロン嬢は王子の胸元に寄り添いながら、笑顔をみせました。
「王子様からいただいた宝石が見つかりました。
思いもしなかったところからーー」
「それは良かった。
失せ物を見つけるときは、いつもそんなもんさ。
でもね、大事なのは、そんなモノじゃない。
キミの笑顔さ」
謎の水中生物の目の前で、二人は熱い抱擁を交わし、キスをしました。
王子にとっては、親である国王陛下夫妻がおられるろころで、です。
エリア王国では、公衆の面前で抱き合うことは、本来、はしたなこととされています。
それでも、アーク王子とホロン嬢は絵に描いたような美男美女で、誰が見ても気分を害する者はなく、目の保養になっていました。
抱き合う二人に近づき、科学省長官ダーク公爵が胸を張ります。
「これで〈迷える湖〉に棲息するのは、このような醜い水中生物であって、精霊ではないことがハッキリしましたでしょう?」
王子から身体を離し、ホロン嬢は居住まいを正して応えました。
「ええ。こういう生き物もいるんですね。
でも、湖の中には、もう半分、綺麗な水域があるんでしょう?
そこには、目には見えなくとも、心を持った精霊たちがたくさん住んでおられると、私は堅く信じておりますわ」
ホロン嬢は王子の隣で、ニッコリ微笑みました。
サラから聞いていたのと違い、随分、堂々とした佇まいをしている、とダーク公爵は目を丸くしていました。
そして、この新生物の発表会の三ヶ月後ーー。
黒のダーク公爵は自害しました。
執事や侍女たちの告発により、白のブラン公爵を毒殺したことが判明したからです。
告発者たちは何人もいましたが、一様に、寝ても覚めても、耳許で、目に見えない何かからささやかれ続けたといいます。罪を明らかにせよ、と。
告発された黒の公爵は、当初は、「証拠を出してみろ!」とシラを切っていました。
ところが、外国に派遣した妻と息子が事故で亡くなったと聞き、最後は絶望して、自ら生命を絶ちました。
発表会でお披露目した新生物に抱きついた状態で、身体ごと焼き滅ぼすという派手な方法で自害したのです。
焼身自殺を遂げる前、なぜか、新生物に綺麗なドレスと宝飾品をまとわせていたので、まるで一緒に心中したかのようだったそうです。
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なお、すでに幾つかのホラー短編作品を投稿しております。
『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』
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『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』
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