第5話 壬申の乱
11月23日、内裏西殿に重臣たちが集められた。そこに侍っているのは左大臣蘇我赤兄、右大臣中臣金、蘇我果安、巨勢比等、紀大人。彼らに囲まれるようにして織物の仏像の前にいたのは太政大臣大友皇子だ。
それぞれが順に香爐を手に取り、誓いの言葉を述べてゆく。けして天皇の詔に背くようなことはしない、と。
この誓いが破られることはないと、このとき大友皇子は信じて疑わなかっただろう。
大海人皇子が吉野離宮に隠遁した二月後の12月3日。年明けを待たずして天智天皇はその孤高の生涯に幕を閉じた。
だが、弟の大海人も、娘の鸕野讃良皇女も、11日の殯には出席しなかった。
そのわずか半年後のことだ。檻の中で大人しく眠っていた猛虎が突如として牙を剥く。
672年6月24日、吉野で鳴りを潜めていた大海人は、妃鸕野讃良以下従者らを連れ東国へと向かった。この逃避行とも紛う彼らの行動が、大友皇子をはじめとする近江朝の臣下らを慄然とさせた。
人々は皆噂し合った。「虎に翼をつけて放ってしまったな」と。
「吹芡、吹芡刀自や」
近江大津宮に残っていた大海人の長女十市皇女は、侍女吹芡刀自を召した。
「はい、皇女さま」
十市のただならぬ気配に、吹芡は小走りで彼女の元へ駆けつけた。
「父上が吉野を離れられたと」
十市はなにやら焦っている様子だ。吹芡はすぐさま察知した。
「高市さまのことでございますね」
十市は胸に手を置き不安げにこくりと頷いた。大海人が吉野へ隠遁した時点で、近江に残された彼の子供たちは朝廷にとって人質同然となった。今回大海人が吉野を脱出して東国へ向かったということは、挙兵を意味している。朝廷に刃向かう胸内を意表すれば、人質の身にも危険が迫ることは火を見るより明らかだ。十市が何よりも懸念していたのはそのことだった。
「高市に早くこの近江から脱するよう伝えておくれ」
「皇女さま、ご案じ召されますな。すでに高市さまは、大津さまと共にこの近江を離れております」
「おお……」
安堵のためか十市は両手で顔を覆い、その場に膝から崩れた。
——十市さまは今でも高市さまのことを……
吹芡は十市の傍に跪き、彼女の背をやさしく撫でた。十市の細い肩が小刻みに震えている。十市の幼少の頃から仕えている吹芡にとって、十市の痛みは我がことのように痛むのだ。ましてや十市の気持ちなどは量らずとも雪崩れ込んでくる。彼女は異母弟高市皇子をずっと想いつづけていた。幼い頃より、そして輿入れしてからも、淡くともその炎が消えることはなかった。初恋に終止符は打たれてはいなかったのだ。
そのとき、夫大友皇子が現れた。
「話がある」
眉間に皺を寄せ、厳しい表情で大友が御簾内に入ってくる。十市は無言のまま頭を下げ、夫を迎えた。
「妙な噂を聞いた」
下を向いたまま夫の話を聞く。
「そなたが大海人どのへ密書を送ったというものだ」
十市は敷板をじっと見つめた。身に覚えはない。根も葉もない噂だ。怒りをぐっと呑み込み、口を開く。
「私をお疑いなのですね」
「疑ってはおらぬ。私はそなたを信じておる」
信じているというのか、この自分を。妻とはいえ、敵方の娘である。何ゆえ……。十市は視線をやや斜め右へずらした。大友が自分を信じる根拠が理解できない。その答えはすぐに夫のほうから告げられた。
「そなたを愛しているからだ」
大友はきっぱりと答えた。十市も端的に答える。
「嘘です」
「嘘ではない。私はそなたを愛している」
夫の答えはさらに理解しかねるものだった。十市は膝に置いた白い手で裳を握り締めた。
「嘘です」
十市の心は頑なに閉ざされている。その扉をこじ開けんがために、大友は十市を愛しているなどと嘘をついたのだろうか。
「なぜ、嘘だと思うのだ」
大友は十市から目を逸らさずに訊いた。
「それは……」
十市はやはり視線を下げたまま答えた。
「私があなたさまを愛していないからです」
「……!」
大友の受けた衝撃が激しく伝わってくる。自分は言ってはいけない言葉を口にしてしまった。たとえ輿入れのときから心に溜めていた思いだとしても、けして言葉に出してはいけなかったのだ。
大友はゆらりと立ち上がった。
「私は甘かったな」
大海人が吉野を脱出した直後、太政大臣大友皇子を中心とした廟堂では軍議が行なわれていた。その場で臣下のひとりが、「追っ手を差し向け、大海人皇子を討ちましょう」と進言したそうだ。しかし、大友はこれを潔しとせず、棄却したという。
「そなたのお陰で、今はっきりと目が覚めた。これでもう迷うことはない」
もう一度、大友は部屋を出る前に十市を顧みた。それでも十市は顔を上げなかった。
「とうとう最後まで私を見ようとはしてくれなかったな」
——最後……?
部屋を出て回廊を去ってゆく大友を十市は追った。「最後」とはどういうことなのか。その言葉に激しく動揺する自分に驚いていた。驚きもしたが、それ以上に、その言葉の意味を問いたださなくてはならないのではないか、そう無意識に感じていたことも事実だ。なぜだろう。とてつもなく胸騒ぎがする。
回廊に出たところで、はっと立ち止まった。十市の瞳は一点を見つめている。それは、嫁いでから初めて見る夫の背中だった。彼の背中は弘く気高い。だがこれから戦いに挑みゆくにしては、どこか寂寞としたものに絡み取られ、もがき苦しんでいるようにも見える。
大友を呼び戻さなくては。そうだ、大友を呼べばいいのだ。彼の名を叫べば。それだけで夫を寂寞から救い出すことができる。
今日まで拒み続けてきた夫を、なぜいまさら救おうという気になったのか自分でもわからない。魁岸奇偉をも呑み込んでしまいそうな寂寞が、十市の心を激しく揺さぶるのか。
ただひとつ確信しているのは、今それをしなければ一生後悔するということ。なのに、そこまで確信しているにもかかわらず叫ぼうにも声が出ない。自分はまだ夫を拒んでいるのか。そう、最後かもしれない、大友にまみえるのはこれが最後かもしれないのだ。戦とはそういうもの。それをわかっていながらこの期に及んでも十市は夫を救うことができないでいた。
寂寞の背に向かい伸ばした白い手が虚しく空を切る。大友は二度と振り返ることなく廟堂へと姿を消した。
一方、吉野を脱出した大海人皇子は、その日のうちに莬田(宇陀)の安騎に到着した。同行したのは妃鸕野讃良と草壁・忍壁両皇子以下二十余名の舎人、十余名の女孺のみであった。
甘羅村を過ぎると、猟師の首領を仲間に引き入れることに成功。美濃国の豪族も味方に加わった。甲賀を越えたところでは高市皇子と無事合流する。以降、伊賀、鈴鹿と次々に豪族らを従えた大海人軍は順調に兵力を増強していったのだ。
さらに26日朝には朝明郡にて大津皇子とも合流を果たし、大海人を喜ばせた。不破の関を塞ぎ、近江への援軍を絶つと、ここで高市に軍の指揮を執らせた。
対する近江朝廷軍はといえば、怒涛の快進撃を繰り広げていた大海人軍とは対照的に西国の協力すら取り付けることができず、次々に寝返る者が続出し混乱をきたしている。
両者の攻防は一進一退を繰り返しながらも、徐々に大海人軍が各地での戦いにて勝利を重ね、優勢の様相を呈していた。大伴吹負の奇計による活躍や、ほかにも大伴安麻呂や大三輪高市麻呂などの働きによって大海人軍は有利に戦況を運んでいる。遂に本拠地の古京飛鳥を制した彼らはいよいよ決戦に臨むこととなった。
吉野を脱出してからほぼひと月後の7月22日、大海人軍は近江の最後の砦、瀬田大橋にまで迫った。これを落とせば、近江大津京が陥落したも同然。事実上の決戦となることは必至だ。国中をも巻き込んだ、まさに天下分け目の最終戦である。
このとき大海人軍の総指揮を執ったのは、弱冠19歳の高市皇子であった。若き猛将の迫撃の前に朝廷軍の死に物狂いの攻防も虚しく散った。近江朝の滅亡は呆気なかった。
大友皇子の完敗である。重臣たちにも見捨てられ逃げ場を失った大友は、翌日、山前で自ら頸をくくった。享年25歳。最後まで従ったのは物部麻呂と1、2名の舎人だけであったという。
8月25日。戦犯として断罪された者が発表された。極刑は右大臣中臣金ひとり。左大臣蘇我赤兄・大納言巨勢比等及びその子孫、中臣金の子、蘇我果安の子は皆流罪。これ以外の者はすべて赦された。
「おいたわしや、大友さま……」
悲報に遭い嗚咽していたのは、十市皇女ではなく額田王であった。大友皇子の頭は、大海人皇子の前に差し出されたとのことだった。
十市は放心していた。えもいわれぬ後悔の念が波濤のごとく押し寄せてくる。自分にはやさしさのかけらもなかった。こうなることがわかっていたなら、少しは夫に尽くしたものを。
いや、そうではない。こうならずとも大友には心を込めて尽くすべきだったのだ。あれほど自分をやさしく気遣ってくれた夫である。それに比べて自分はなんと残酷な女なのだ。まともに視線すら合わせようとはしなかった。眼中精耀の容貌はどんなふうだったのか。顧眄煒燁の居ずまいはいかほどだったのか。あれほど近くにいたのに、人々が称揚する彼の姿を直視しようとはしなかったのだ。
今、それらを知る術を自分は持たない。こんな結末を迎えて、ようやくそのことに気づくとは……。
「大友さま……」
十市は初めて夫の名を口にした。初めてその名を口にしたとき、夫はすでにこの世の人ではなかった。
それから帳台に籠もり、一晩中泣いた。誰のためでもなく、ただひたすら泣き続けた。
次回は第6話「飛鳥ふたたび」です。
【一口メモ】
●蘇我果安は終戦前に自害していました。流罪になったのは彼の子たちです。
※『日本書紀』の記述による。
●当時の東国は、美濃国、信濃国、遠江国の東側から現在の関東地方(蝦夷の支配域)辺りまでを指すようです。天武天皇(大海人皇子)の御世以降は東海道諸国を指すようになりました。