第3話 妃たち
翌669年、十市皇女は男子を出産した。葛野王である。
大海人皇子にとっては初孫であったが、外孫のため兄天智天皇に遠慮し、代わりに妃鸕野讃良皇女が息子草壁皇子を連れて祝いに訪れた。
初孫でもないのに天智はこの上ない喜びようで、孫葛野を抱いたまま離さない。そんな父の様子を鸕野讃良は冷めた目つきで眺めていた。
——父上でもそのようなお顔をなさることがあるのね。
臣下の前では胸襟を開かず畏怖を見せつける父も、身内に対しては正直だ。同母姉大田皇女が大伯皇女と大津皇子を出産したときは自ら赤子に会いに来た。しかし、自分が草壁を産んだときには祝いの品を届けさせただけ。今日、こうして祝いに訪問しても、草壁には目もくれない。孫に対する態度によって子供たちへの愛情度を測れるのはある意味わかりやすくて助かるのだが。
「鸕野讃良」
父が珍しく名を呼んだ。鸕野讃良が緊張気味に背を正す。その緊張が伝わったのか、草壁が母親の領巾をぎゅっと掴んだ。
「はい」
「草壁ばかりでなく大津も連れてまいれ。たまには顔が見たい。そなたは母親代わりなのだから気遣ってやらねばな」
鸕野讃良は憮然と父を見つめた。
——なに、それ?
自分なりに、早世した姉大田に代わって彼女の遺児大伯と大津を気にかけてきたつもりだ。だが、それをさも当たり前のように押し付けられるのは心外である。
父は言い終えるとすぐに葛野に視線を戻し、あやしはじめた。周りに侍る采女たちも天智の好好爺ぶりに微笑んでいる。彼は大人しい草壁よりも才気煥発な大津を愛している――それに気づかぬ鸕野讃良ではない。
しかしそれよりも、このとき鸕野讃良は実に冷静に場の関係図を俯瞰していた。
父天皇に溺愛される異母弟大友皇子、その御子を産んだというのに暗澹たる表情の十市皇女、無垢な寝顔で祖父の腕に守られている葛野王。
鸕野讃良は両側の口角を上げ、一人息子草壁の小さな手を握りしめた。父天智天皇を取り囲む三者三様と、近江朝の未来を、ただ冷然とした微笑で見ていたのだった。
同年10月、内臣藤原鎌足が病没する。藤原という氏は中臣鎌足の死の直前、その功績を称え天智天皇が賜ったものだ。24年前に時の権力者蘇我入鹿を暗殺して以来、天智の右腕となり常に彼の政治構想を裏で支え、その圧倒的な存在感を見せつけた鎌足が死んだのである。
「まるで、舵取りを失った船のようですわね」
舵を取る者のいない船は迷走するばかりだ。鸕野讃良皇女はそう揶揄したかったらしい。
「口を慎め」
大海人皇子は妃鸕野讃良を睨みつけた。いくら今上天皇の第二皇女とはいえ、寵臣を亡くし落胆している父への皮肉にしては少々度が過ぎる。
「あなたはお人が好すぎます。鎌足という制御が失くなれば、父天皇を止めるものはもうなにもないのですよ」
たしかに、天智の眼前に大海人が長槍を突き立てたときも、鎌足が止めに入らなかったら天智は大海人を殺していたかもしれない。
「父天皇は、いずれ大友皇子を皇太子に定めるやもしれませぬ。それでもあなたは黙っていられるのですか?」
忌々しき妃の言葉に、大海人は露骨に嫌悪感を表した。
「天皇はそなたの御父君だ。信じよ」
「だからあなたはお人が好すぎるというのです。あなたは本当に父天皇を信じておられるのですか?」
「大友は采女の産んだ皇子だ。皇族の母を持たぬ皇子が御位に就けようはずがあるか」
大海人の父は舒明天皇、母は斉明天皇。両親とも天皇という血筋の上では比べるまでもない。皇嗣は大海人に決まっている。にもかかわらず鸕野讃良は、大友即位の可能性を懸念していた。何故——。
「あの父天皇のことです。如何なる手段も厭わないでしょう。可愛い大友のためならば」
何故そこまで冷静に父のことを分析することができるのだろう。父に溺愛される異母弟に対する嫉妬だろうか。それとも、大海人の愛妻額田王と引き換えに大海人の元へ嫁がされ、皇女としての矜持を傷つけられたがゆえなのか。それよりもさらに遡り、父が祖父を殺したせいで母が狂死したことへの遺恨か。
それらに加え、いや、それ以上に鸕野讃良が天智の遺伝子を他の子供たちよりも色濃く受け継いでいるがゆえ、彼女には父の思惑が手に取るようにわかるのかもしれない。
「もしそなたが兄天皇であったなら、いかがいたす?」
大海人は鸕野讃良の黒瞳をじっと見つめた。抑揚のない口調で鸕野讃良が静かに答える。
「もし私が父天皇ならば、法令を変えます」
ぞく……。大海人の背中に悪寒が走った。感情を剥き出してきぃきぃ騒ぎ立てる、などという下品な表現方法は一切ない。無駄なく一言でばっさり切り捨てる鸕野讃良の物言いに、十数年来連れ添っている大海人でさえ、ときに恐怖を覚えることがある。そして、この恐怖感を、他でも彼は知っていた。生まれたときから常に強いられ続けていた緊張感。この“感じ”の起因、それは誰あろう実兄天智だ。
「法令を曲げてまで大友を即位させようというのか」
「はい」
「馬鹿な……」
馬でも鹿でもない。結果は鸕野讃良の予想通りだった。
671年1月5日、近江令が施行され、大友皇子は太政大臣に任ぜられた。臣下の長左大臣の上に位置する史上初の冠位が設けられたのである。たったこれだけのために法令は塗り替えられたのだ。それだけではない。この太政大臣という冠位がどれだけ重要な意味を持つのかを大海人が理解したのは、翌日のことである。
6日、大友を以て冠位授与及び近江令は施行され、同じく大赦も行なわれた。つまりこれらは、太政大臣大友皇子の宣命とされたのだ。
――やられた。
大海人は唇をぎぅぅと噛みしめた。本来ならば皇太弟である自分がやるべき仕事だった。それを大友に取って代わられたということは即ち、彼が実質皇嗣扱いを受けているといっても過言ではない。
気づくと大海人は孤立していた。完全に政から外されたのだ。今更ながら妃鸕野讃良の言葉を痛感する。
大海人とは対照的に、太政大臣に登りつめた大友の周りでは祝辞の声があちらこちらから聞かれた。だが大友が一番祝ってほしかった相手からは何の言葉も届けられない。
「皇女、皇女はおるか」
大友は十市皇女の部屋へとやってきた。部屋の前では侍女吹芡刀自が侍している。
「申し訳ございませぬ。皇女さまはただいまお加減が優れぬご様子。今宵はなにとぞお赦しを」
吹芡は頭を床に擦りつけんばかりにひれ伏した。しかし、それで大友が容赦するはずもない。
「主人のめでたき日に挨拶もなしとはなんとする。顔ぐらい見せてもよかろう。のけ」
大友はそう言い棄てると、無神経にもずかずかと部屋の中に踏み込んだ。
「お待ちくださいませ、皇子さま!」
吹芡の制止も振り切り、大友は几帳を荒々しく払いのけた。
「随分、乱暴なことをなさるのですね」
几帳の内には、明らかに嫌悪を示す十市がいた。
「そなたがろくに挨拶にも出てこぬからだ」
「加減が優れぬと申しておりましょう」
十市はおっとりと、しかし強い口調で答える。一瞬大友は怯み、静かに上座に腰を下ろした。
「そなたはいつも加減が優れぬと言っては、なにかと私を避けようとしている。なぜだ? 私が悪いのなら直しもしよう。だが、何も言ってくれずに避けてばかりでは直しようがないではないか」
大友はなだめるように語りかけた。夫のやさしさが心苦しいほど伝わってくる。わかっているのだ。彼が悪いわけではない。わかってはいたが、自分でも夫に対する嫌悪感だけはどうしようもなかった。
黙ってうつむく妻に、大友はさらに語る。
「私は此度、太政大臣に任ぜられた。これがどういうことかわかるか」
「……」
「私はそなたの父君である大皇弟と肩を並べたのだ。つまり、私は玉座に就ける。天皇になれるのだ」
十市の身体が微かに揺れた。だが感想は発せられない。大友が苛ついた口調で続ける。
「私が天皇になれば、そなたは皇后になれるのだぞ」
大友は鼻を膨らませ言い切った。いつも彼は必要以上に皇位への執着を見せる。地方豪族の娘から生まれたという劣等感がそうさせるのだ。十市もそれを知っていた。知っていたからこそ、夫の執着が時に煩わしく感じてしまう。
「喜ばぬのか」
「なにをでございますか」
夫の問いかけに、十市は表情なく答えた。女人の最高位に君臨するなど望んではいない。氷のような無表情に、大友の苛立ちは頂点に達した。
「なぜだ。なぜそなたは笑わぬ」
妻は黙るばかりだ。夫の憤懣が限界を超えた。どうやら箍が外れたようである。
「そなたが私の妃になって2年だ。もう2年が過ぎようというのに、そなたは一度だとて笑ったことはない」
「そのようなことは……」
十市は大友と眼を合わせずに言った。大友の不満は抑えられないほどに溢れ出す。
「いいや、ない。輿入れの日も、葛野が生まれたときも、此度私が太政大臣に任ぜられたことでさえ、そなたは慶びの笑顔を見せはしなかった」
大友の言う通りだ。否定する気もなかった。輿入れの日を境に、十市には人並みの感情などどこかへいってしまったのかもしれない。
「なぜ黙っておる。笑顔だけではない。怒りも悲しみも、なぜ私にぶつけてこぬ。私たちはまこと夫婦なのか?」
大友が声を荒げ十市を問い詰めたそのとき、吾子の泣き声が館中に響き渡った。
「葛野……」
まことの夫婦かと問われれば、答えはただひとつ。このふたりを繋いでいるのは、一粒種葛野王の存在のみであった。
「王さまが母君をお探しにございます」
吹芡が葛野を抱いてやってきた。十市は無言で葛野を受け取る。夫への情などはじめからない。ただあどけない顔で母親を求める葛野を見るときだけ、きりきりと胸が痛むのだった。
次回は第4話「吉野へ」です。