魔族の王
領主が地図と紹介状を持って来た。先んじて知らせておくから、王城のテラスから入るように言った。城下町や正門に現れると混乱が起きるのを避けたいそうだ。ルナヴェールは分かったと言うと、またマリエルを抱きしめると突風と共に魔都に向かった。途中で山の頂上に降りると、確かに魔都があるか地図と地形を見ながら遠くを見た。ルナヴェールは見えた言ったが、マリエルには青い空と森の緑の絨毯しか見えなかった。
山頂でマリエルは契約書の話をした。相手はルナヴェールを石にするつもりだと。
「契約にある私に領地などないし森は誰のものでもない。それに、瘴気は濃くしておいたから、立ち入った者は戻ってこないだろう。」
「署名はしたが無効どころかただの紙だ。」
マリエルはルナヴェールが恐ろしく感じた。空文言で魔都への地図と紹介状を手に入れ、あの魔族があの森に入ることが分かっていて、瘴気が濃くなっているのを黙っていた。なんで、こんなにも酷いことをするのだろうか。マリエルは魔族が人間と近しいと思い始めていただけに、ルナヴェールの行いに怒りすら覚えた。
「私が酷いかい?鬼人を連れて押入ろうとしたのはどっちかね。それに、あの領主は始めから私達を生かしておくつもりは無いんだよ。」
マリエルはどういう事かと聞くと、ルナヴェールは今に分かると言って、突風に乗って王城のテラスへ飛んだ。王城のテラスに着くと城と城下町が一望できた。各場所で敵の進攻を食い止め分断して攻撃するために、迷宮のような道が城や城下町に張り巡らされている。城壁は高く街を途切れることなく囲っている。
聖王国の城から見る景色も同じなのだろうかと口を開けてみていると、マリエルは首根っこを掴まれながらテラスから広間に入った。そこは広間と言うよりも牢獄の様だった。美しい鏡のような窓の裏は鉄格子で床と壁はうす暗い色の石のタイルで敷き詰められていた。風が通らないのか空気がよどんでいる。そして、テラス以外の出入り口も階段もない。
「面は取っちゃだめだよ。外すとカビで肺が腐る」
マリエルは思わず面の上から口を手でふさいだ。そのまま中央へ進むと入ってい来た大きな窓はひとりでに閉じ、薄暗い中に人影らしきものが幾つも浮かび上がってくる。それはルナヴェールとマリエルを囲むように現れた。ルナヴェールの立つ場所を中心に文様が浮かび始め、魔法陣を形作り始めている。
マリエルは罠だと分かった時には体から力が抜ける感じがした。そして、外套が重く感じる。息が苦しい。マリエルは、聖王国で学んだ魔法を封じる仕掛けだと思った。隠した文様に魔力を注入すると魔法を吸い取る仕掛けが動き出す。今はおそらく外套と面の力が吸われているのだと思った。
早くどうにかしないと、ここの空気を吸ってしまう。ルナヴェールは息が浅くなってうずくまるマリエルを一瞥すると、少し息を吸い込んで目を閉じた。すると床の文様が石ごと割れ始めた。彼女が小さく細く息をはき始めると、石のタイルが悉く割れ、四方に飛び散った。
マリエルは呼吸が戻った事で、仕掛けから解放されたのが分かった。
人影はわずかに差す光の中に現れた。五、六人程だろうか。顔に文様はないが額に何か赤い石埋め込んでいる。中に何か居るの如く濁った赤の中の影が動き回っている。彼らはマリエル達を囲むと詠唱を始めた。マリエルはルナヴェールから習った火に関する言葉を耳にした。
炎で丸焼きにされる。
マリエルは急いで外套に包まってフードを目深に被った。魔族達が放った炎は床を走り渦を巻いたがが、瞬く間に薄くなり小さくなった。見ると炎はルナヴェールの手のひらで小さく揺らめいている。そして、消えてしまった。魔族達はまた詠唱を始めた。今度はマリエルが知らない言葉だ。詠唱は長く、それぞれの前に歪みが生じたかと思うと、床から何かが這い出してきた。それは四本の腕を持つ人型の化け物だった。
鋭い牙と赤い目、二体の鬼人を無理やり一体にまとめたような大きな体をしている。マリエルは面からみると、なにか黒い炎のようなもの纏っているのが見えた。魔族たちはそれぞれが呼び出した化け物に、何事か命じているが化け物は動かない。魔族たちが困惑する中、ルナヴェールが人差し指を回すと、化け物達が一斉に魔族たちに襲いかかった。
魔族たちの悲鳴が聞こえる。マリエルは目を硬くつむって耳を塞いだ、それでも悲鳴が聞こえる。次は化け物同士で食い合っている様だ。マリエルは震えてそれが早く終わるようにひたすら神に祈った。どれくらいの時間が経ったか分からない。長かったのか短かったのか。
「しまった。誰かに王のところまで道案内をさせるべきだったね。」
「どうするかね。面倒だけど壁を壊して進むか。」
ルナヴェールが悩んでいると、正面の壁が崩れ落ち階段が現れた。ルナヴェールはマリエルに階段が出来たと言った。マリエルは立ち上がり薄目を開けるとすぐに目をつむった。察したのかルナヴェールは手を引いてやるから、足元に気をつけろと言って、マリエルの手を掴んだ。手を引かれてヨタヨタと歩く途中で何回か柔らかい物を踏んだ。その度にマリエルは小さく悲鳴をあげた。
マリエルは、当面、肉料理は食べたくないと思った。