全てを戻す
今のマリエルには出来るかもしれない。
ルナヴェールは思った。慈愛。それがマリエルそのものだ。風を操り炎で焼き払う。これは誰にでも出来る事だ。しかし、今は全ての負の感情のを食らって増大する魔人を大きな生命の流れに還すこと。時が来たら自身がこの地に生命の流れへの道を作るつもりだったのだが。
危険かもしれない。マリエルの意識も溶け込むかもしれない。しかし、彼女が抱える問題の解決の糸口が見えるかもしれない。彼女に流れ込む生命の流れを制御できるか。
「いいだろう。ただし、強く結びついているサラの魂も引き込まれるかもしれない。」
「それは、お前もだ。魔族の娘も人間の男も同じだ。」
「あの魔人しか見るな。生命の流れを感じたら押し流せ。それだけだ。」
マリエルは強く頷いた。ルナヴェールはマリエルの肩に手を添え、短剣を体の前に突き出すように言った。マリエルは目を閉じると、ルナヴェールから伝わる力を感じた。それは、はじめは暖かさだったが、次第に体を巡る力に感じた。流れは短剣の先から外に出ている。
「目を開けろ。お前がどんな見え方をしているか分からない。」
「だが、流れているものは見えているだろう。」
マリエルが目を開けると、大地を覆うように光の川がうねっているのが見えた。それは、草木の小さな輝きとヴェルシダ達の姿をも型取っている。そして、魔人に吸い込まれてゆく濁った黒い流れ。光の川は、濁った黒い流れを避けて、魔人を中心に中州を作っている。
「短剣を振れ。お前はこの場の流れを司る主だ。」
「お前が思い描く流れを示せ。」
「さあ。行け。」
マリエルの肩からルナヴェールの手が離れると、体の中の流れが急に大きくなった。足元がふらついて意識が溶けそうになる。
自我を保て。
ルナヴェールの声が聞こえる。マリエルは手に握る短剣を意識した。柄を握り締めると短剣を振った。すると、まるで川辺で水を切ったように生命の流れが弾け水滴がマリエルの頭に降りかかった。マリエルは川辺を歩く感覚で、一歩一歩、歩み始めた。
魔人がこちらに気付いたが何もしてこない。黒い流れはそのままだ。マリエルは短剣を魔人を斬るように振ると、黒い流れが裂けたが、また元に戻った。魔人はこちらを見て、せせら笑っているように感じる。
許せない。
マリエルは、感情のままに剣を振るうが結果は同じだった。何もできないのだろうか。そう思ってマリエルは一歩下がった。すると、流れも後ろ向きになって、本流から支流へと流れるかのようになった。マリエルが進むと、その方向に流れが変わる。変わった流れに、少しだけ黒い濁りが乗って流れて行った。
私自身が流れを作る。短剣で流れを斬る。
マリエルは魔人に駆け出すと、背後から生命の流れが押し寄せて来る。その流れに気付いた魔人が、黒い流れを集め始めた。
させはしない。
マリエルは剣を振りかざし、溜まりゆく黒い流れを切り開いた。そして、魔人を生命の流れが押し流す。
ヴェルシダが魔人を目の前にしていると、急に周囲の魔力の高まりを感じた。見るとマリエルの周りに魔力が集まっている、木片は跳ね除けられ草が風に揺らめくように立ちあがる。マリエルが短剣を振ると魔人の一部が霧のようになって消えてゆく。
同時に、一瞬、眩い光が放たれた。それは、ヴェルシダの体をすり抜けていった。ヴェルシダが使う魔力より何倍も濃密な感覚だった。マリエルが短剣を振る度に魔人の動きは止まり、霧のように晴れて行く。
もう、魔人が消滅しかけた時、サラに異変が起きた。魔人に歩み寄ろうとしている。折れた足を引きずりながら。ヴェルシダが止めようとするが止められない。マリエルは立ち止まったかと思うと、その場に倒れそうになった。セフィルがかろうじて受け止める。ヴェルシダは魔人が、ロワイスだった頃の意識を使ってサラを操ろうとしていると思った。
「そろそろ限界か。サラを支えておけ。」
「辺り一面を押し流す。」
振り向くとルナヴェールが立っていた。彼女は両腕を広げると静かに目を閉じた。
「混じり合え。そして、全てを命の流れに託し身を任せよ。」
ルナヴェールが、そう呟くと彼女を中心に魔力の、生命の渦が生まれて突風の様にエルバータ中を駆け巡る。生命亡きものは通り抜け、生命ある者を通り抜ける時、一瞬だけ光に包まれた。それは人、木々、草、虫の一匹に至るまで全て。
鐘楼に居た守り人は、光の環が都市を駆け抜けるのを見た。守り人は神の降臨と膝をついて祈った。
辺りは静まり返ってる。辺りにはガラスや木片が散らばっている。魔人は消え去りそこには黒ずんだ遺体が倒れている。骨と皮にしか見えない。恐らくはロワイス。黒い澱みにはまり、命の流れから外れたものの末路。
サラは正気を取り戻し、支えようとするヴェルシダに大丈夫と言った。すでに折れ曲がった足はあるべき方向に直っている。「混ざり者」でもこれだけの治癒力がある。
セフィルは上着を脱いでマリエルを包むと、ゆっくりと夜露に濡れた芝生に横たえた。静かに寝ている様だ。優しさの中にしっかりとした芯の強さを感じる。セフィルは自然に宿る特別な存在を神として信仰している。草木の芽吹きを司る女神は、きっとこんな顔なのかもしれないと思った。
ルナヴェールは遠くの一点を見ている。サラが足を引きずって歩み寄る。
「見られてますか。」
サラが言うと、ルナヴェールは「そうだな」とつぶやき、サラに向き直っていった。
「彼らとは話し合いが必要だ。向こう次第ではこちらを消しにかかってくるだろう。」
「あの子たちを安全なところまで連れて行けるか。」
「大丈夫です。地下水路をたどって隠れ家に連れて行きます。」
「私の隠れ家です。私が飼いならした人間の従者がいます。」
「私の事はお任せします。」
サラはそう言うと、ヴェルシダに隠れ家に移動すると言った。ヴェルシダは動かないでいるルナヴェールを見て、何事か察してか大人しくついて行く。セフィルもマリエルを背中に背負うと歩き始めた。
ルナヴェールはサラ達がいなくなったのを確認すると、手を体の前にかざした。手のひらに揺らめく小さな炎が集まり始める。はじめは赤かった炎が青くなり始める。そして、それは指の隙間を通って地面に流れ落ち、死体へ潜り込んだ。死体は青い炎に包まれると一瞬で炭になった。
手のひらからしたたり落ちる炎の一つ一つが、家の中の人狼の死体。犠牲になった家々の死体に這ってゆく。それは、まるで暗い水面の夜光虫の群れの様だった。
ルナヴェールの掌から最後の炎の一滴が落ちると、白い僧服を纏った者が現れた。白い布を顔面に垂らし、長い錫杖を携えている。
「貴様らの目的など知らん。だが、庭を荒らしたのは謝罪する。」
僧服の者は頭を下げると白い布を取った。まだ、幼さが残る少女だ。
「こちらこそ。俗世の要らぬ争い事をお目にして、ご機嫌を損ねたのではありませんか。」
「お連れ様はお疲れの御様子。お休みになられましたら、最後の獣を狩っておきましょう。」
「これより、軍がこの地に参ります。人心は安定しますでしょう。」
そして、また頭を下げると布を降ろした。
「遺跡を掘り返しているな。流れを変える気か。」
僧服の少女は答えない。そして、闇の中に消えていった。
風が吹き死体だった灰が舞う。それは、辺り一帯から舞い上がり、天に上ることなく空に澱み、月を雲のように隠した。




