魔人
サラが吹き飛んだ隣の部屋にヴェルシダが走って入ると、すでに立ち上がって服に刺さった木片を掃っていた。サラがベルシダに隠れるようにと言った。ヴェルシダは、何の気配も感じなかったし、何も見なかった。サラも同じだろうと思った。
部屋を出るとセフィルが剣を構えて、慎重に辺りを窺っている。ルナヴェールは相変わらずマリエルの後ろに立っている。
敵は一体、どこなんだ。
サラが吹き飛ばされた部屋から出てくると、何かが外にいると言って出口に向かおうとしたが、ルナヴェールに止められた。
「その前に、こいつをどうにかしなければならないだろう。」
そう言うと、床に倒れた頭のない人狼がゆっくりと起き上がろうとしている。サラは振り返ると、またあの獣の表情になった。セフィルもヴェルシダも、その姿を見ながら構えている。いつでも動き始めてから切り刻めるように。ルナヴェールは、その頭のない人狼の姿をみて固まっているマリエルの耳元でささやいた。
「どう見えている。人によって見え方が違うのさ。」
「黒い霧が他の人狼から出てきて、動き始めている人狼に流れ込んでいます。」
ルナヴェールは、それが魔人の好物の「人の負の感情」だと言った。人間への恨み。長であるサラが人間寄りになった理不尽さ。そのサラに怒り、襲いかかったが足元にも及ばなかった恐怖と後悔。魔人には美味だという。
マリエルはルナヴェールに、浄化できないかと言ったが無理だと言われた。
「お前の仲間が残虐な方法で殺された。故郷を焼かれた。」
「そんな事実があった時、お前は憎しみと怒りを忘れて許せるか。まして、知らない誰かに。」
「それが全ての生命体の本質だ。目の前にいるのは憎しみと怒りそのものだ。」
「人同士で感情が分かり合えないのと同じだ。甘いことは考えるな。」
マリエルは短剣を握りしめたまま、返す言葉はなかった。ならば、どうすればいいのか。前にルナヴェールが言ったように、そのまま生命の流れに戻せばいいのか。それでは、いつかはまた憎しみと怒りが澱みに溜まってしまう。
聖王都では、神の許しが得られれば、全ての魂が天界に召されて浄化されると習った。それは、嘘なのだろうか。
セフィルとベルシダは起き上がった人狼を前にして構えていたが、サラを決着の為に外に出さなければならない。
セフィルは体勢が整う前に斬り込んだ。腕を肩から切り落とすと、振り向きざまに後ろから膝から足を斬りはらった。
やはり凄い。斬ろうとしたところを斬ってくれる。骨を斬ったが小枝を斬ったような感覚だ。ヴェルシダはセフィルみて、隙が出来た人狼の心臓に拳を何発も入れた。手ごたえがあった。いかに混ざり者の人狼でも心臓は砕けた筈。
首のない人狼は倒れたが、すぐに立とうとしている。セフィルが片足を落としたせいで、上手く立ち上がれない。もはや、無力化したと言っていもいいのに、ヴェルシダとセフィルは動けずにいた。一体、どこまで切り刻めばいいのか。
「恐怖しているな。おまえらのその感情も食われているぞ。」
ルナヴェールがそう言うと、手をかざし何事かつぶやいた。部屋中に光をはらんだ風が満ち、いきなり部屋から放たれた。サラはいち早く外の躍り出たが、ヴェルシダとセフィルは外に放り出された。
ルナヴェールめ。近所迷惑を考えろ。
ヴェルシダがセフィルを引き起こすと、妙な感じに襲われた。それはセフィルも同じようだった。周りの家々に灯りが灯っていない。これだけの騒ぎを起こしておいて、だれも表に出ていない。ヴェルシダとセフィルは構えを崩さないようにした。
「姉さん。あんまりだよ。仲間を殺すなんてさ。」
月明りに照らされ、ぼんやりと人影が見える。近づいて来る。通りに散らばった木片を踏む音が聞こえる。サラは構えることなく、その人影に立ちはだかる。
「あんた。魂を売ったのか。」
サラが、そう言うと同時に人影に飛び掛かった。鋭い爪を胸に突き立てたが、腕を両手で掴まれ動けなくなった、掴まれた腕から骨が軋む音がする。ヴェルシダが飛び出し、人影の頭に拳を叩きつける。頭蓋骨が砕ける音がする。しかし、人影は力を緩める気配はない。
「セフィル!」
ヴェルシダが飛びのくのと同時に、セフィルが人影の両腕を剣で切り落とした。サラは切り落とされた腕を払いのけると人影の頭を鷲掴みにして喉笛に噛みついた。
叫び声が上がるが、すぐに喉笛は噛み砕かれ引きちぎられた。辺りに鮮血が飛び散る。人影は両手を失い、頭をグラグラさせながらも立っている。サラは人影の頭に回し蹴りを入れた。しかし、その蹴りは片手で防がれた。両手はセフィルが切断したのに。
「ロワイス!」
サラが叫ぶが返事はない。人影は人の形はしているが影でしかない。最後にサラに向けられた言葉を発した以外に、人の振る舞いをしていない。失われた喉笛と両手が既に戻っている。もう、ロワイスではない何かだ。それは、一言、かすれた声で言った「憎い」と。
ヴェルシダが出ようとしたが、「下がっって!」とセフィルが前に出た。長剣の剣先を人影に向けると、頭、首、胸と急所を素早く突き、距離を保ちながら両足と両手の腱を切り刻んだ。ほとんど動かない相手とは言え、正確な技にヴェルシダは見入ってしまった。
「駄目だ!まるで手ごたえがない!」
セフィルが叫ぶと、サラが頭を目掛けて蹴りを入れようと片足をあげた瞬間、通りまで吹き飛ばされてた。ヴェルシダが駆け寄ると、足があらぬ方向へ折れ曲がっている。
見えなかった。なにか特別な力なのか。
サラは痛覚がないかのように人影を見据えて立ち上がろうとしている。人影はゆっくりとサラに近づいている。セフィルが立ちはだかって剣で切り刻むが、何事もなかったように歩みを止めない。ヴェルシダはサラを引き留めようとす腕を握ったが、サラはそのまま片足で立ち上がった。ヴェルシダの力をものともせずに。
その光景をマリエルは下がったところから見ていた。魔法の短剣はだらりと握られ、瞳には精気は無い。マリエルには絶望しか見えていなかった。周りの家々から黒い霧が立ち上がっている。それは、突然、何のいわれもなく襲われ殺された人たちの「恐怖」と「不条理」。ロワイス達が力を増すために供物にしたのだろう。
ロワイスだったものは、家の中の人狼たちの負の感情と、それらを吸い込んでいる。もう、肉体はない。その代わり、影だったはずのものが、はっきりとした人の形をしている。マリエルには、四つ目で、大きな口を開いた悪魔に見えている。口は常に大きく開けられ、黒い霧を絶えず吸い込んでいる。それは、サラやベルシダ、セフィルからもだ。
分からない。こんなことをしてまで悪魔を呼び出して、何が解決するの?
まわりの家の人は、関係があるの?
マリエルは座り込んでしまった。頬に涙が伝う。すでに、ロワイスの感情はなく悪魔は魔人としてこの世に出現し、足がかりだったロワイスの肉体も魂も意識もなくなっていた。ただ、魔人が居るだけになっている。
「これが、魂の契約のなれの果てさ。悪魔を育てて魔人にするもよし。すでにいる魔人と契約するもよし。皆が、その力を使ってやろうとする。」
「しかし、連中は外に出たがっていいるだけさ。生命の流れの中で小さくなっているよりも、雑多なこの世で、やりたいことをやる。」
「ただ、それだけの存在さ。契約なんて名ばかりだ。すぐに魂を食らって自由になる。」
「あれは自由になって、さぞかし楽しいだろうね。」
ルナヴェールは、ため息をつきながら言った。マリエルは魔法の短剣を握り締めると涙を拭った。立ち上がってルナヴェールに言った。
「もういい。あれを消し去りたい。どうすればいいの?」
マリエルの目から、情と哀れみ、優しさが消えていた。




