魔女の黒猫
翌日、マリエルは厨房に入ると朝食に刻んだ野菜と肉のスープを作った。途中で魔女のルナヴェールの分をと考えたが、いつも木の実を食べていると言ったので一人分にした。作り終えて待っていても魔女は現れない。魔女とはいえ屋敷の主人をおいて食べるのは気が引ける。
マリエルは魔女を呼びに食堂を出た。長い廊下に扉が並ぶ。昨日の晩に魔女が言ったように、念じて入れば目当ての部屋となるはずだ。マリエルは適当な部屋を選んで魔女の部屋と念じながらドアノブを回すが、鍵がかかっている。他の部屋に変えてもそうだ。諦めて食堂に帰ると魔女が座っている。
「あまり部屋を開けようとしないようにね。許された部屋だけに入ることが出来るようにしてあるだけなんだから。」
そう言いながらお茶を飲んでいる。マリエルは魔女に謝ると朝食を食べ始めた。魔女の前には昨日の木の実はない。何故だろうと様子を覗いながら食べていると、今日は食べなくてもいい日だと魔女は言った。そもそも、食べる必要はなく、食べる事を忘れないようにしているだけと言った。マリエルは栄養はどうやって摂っているのかと聞くと、その辺からと魔女は答えた。そして、ちゃんとルナヴェールと呼ぶようにと言った。
「今日は体を調べる。」
食事が終わったマリエルにルナヴェールが言った。マリエルはとうとう、この日がやってきたかと思った。教書のように悪魔は人を魔法の実験台にする。力なく返事をしたマリエルにルナヴェールは、野蛮な事はしないと言った。マリエルは教書に書いてある通りにその言葉を信じなかった。
ルナヴェールは部屋の一つを開けると、マリエルに入るように言った。うす暗く窓のない部屋に寝台だけがある。ルナヴェールはマリエルに寝台に横になるように言った。寝台に横になると体が吸い付くような感じがした。
「痛くはない。ちょっと熱くなるかもしれないが我慢だよ。」
マリエルは返事をしようとしたが声が出ない。おかしいと思い手を上げようとするが身動きが取れない。そうこうしているうちに、ルナヴェールはマリエルの体の上に手をかざして、頭から足まで動かし始めた。かざされた所は暖かい。マリエルは最初は怖かったが安心した。しかし、そのうち、気になるところなのか、かざされ続けると、段々と熱くなってくる。そのうち焼ける感覚が襲う。
思わす止めてと叫びそうになるが声が出ない。ルナヴェールは何か考えながら手をかざし続けている。すこしマリエルを見ると、焼けてはいないから大丈夫だと言った。そうして、ようやく解放されたマリエルは床に座り込んだ。ルナベールは病気もなく健康だと言ったが、マリエルはそういう問題ではないと思った。
拷問から解放されたマリエルは自由にしていいと言われ、部屋の外へ放り出された。自由と言われてもすることは無い。仕方がないので昨日の書斎に行くことにした。部屋に向かって念じながらドアノブを回すとそこは書斎だった。入ることが許されているのであろう。
おびただしい数の本が並ぶ。早速見て周ることにしたマリエルは奥のへ進み始めた。相変わらず背表紙の文字は分からないが、教わった魔法陣の文様に似ている。一冊、取り出して中をめくると、やはり文様が並んでいる。マリエルは魔法陣の文様は、本当は文字ではないかと思った。
机に行って本を一ページずつめくっていく。知らない文様もあるが、ほとんどが見たことのある文様だ。もしかすると書かれた事を読むことで魔法が発動するのではないだろうか。しかし、ルナヴェールなにも唱えることなく魔法と思しき力を使っている。
マリエルは本を閉じると天井を見上げた。解読してみようと思ったがどうしようもない。せめて読み方が分かれば、詠唱と魔法陣の文様と合わせて、何の目的で使われるのかが分かるが、知っている魔法陣も呪文も少ない。ルナベールは千年生きていると言っていた。それくらい無いと、ここの本を解読すのは不可能だろう。
そう考えていると、ここをからいつ出られるのか。一生、出る事が出来ないかもしれない。そんな思いが頭がいっぱいになった。泣きそうになって机に突っ伏すと、膝に何か柔らかな感触がした。驚いてみてみると、黒い猫が膝の上に座っている。つややかな毛並みで撫でると気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「お前はここの住人?名前はなに?」
マリエルは久しぶりに安らいだ気分になった。黒猫を撫でまわしながら、魔女に拷問され焼かれそうになったことや、カラスの濁ったスープを飲まされた話をして、楽しいひと時を過ごした。
マリエルはあの魔女に、この猫をくれないかと頼んでみようと思った。
黒猫に頬ずりをして撫でまわしているとルナベールが書斎に入ってきた。ルナヴェールはいつもの服と違い、大きく胸の部分がはだけた黒いドレスを着ていた。ドレスと言うか肌着にも見える。黒猫を見るとここに居たのかと言った。黒猫はマリエルの手から離れるとルナヴェールに走り寄り、大きな布になると巻き付いていつもの裾の長い服になった。
助けを求めて握った時の感触。後ろを付いて行っているときに見た二つの目。あの黒猫だったんだ。
マリエルが驚いていると、服から黒猫の頭が出てルナヴェールの耳元で何かをささやいている。ルナヴェールは頭を撫でてやると、猫の頭は服の中に消えていった。
「悪かったね。濁ったスープは口に合わなかったか。しかし、拷問した覚えはないね。」
「それに私は魔女ではなく、ルナヴェールだ。」
マリエルは一言、すいませんと言った。