闇の中の男
セフィルが水路に降り立つと、入り口からの弱い光を頼りにランプを灯した。点検用の通路の下を勢いよく水が流れている。落ちれば助かるかどうか怪しい。
壁には等間隔で松明をかける台座が並んでいる。点検の時には、ここに松明をかけて作業する。
暗闇にランプをかざしても、何も見当たらない。耳を澄ましても水の流れ以外は聞き取れない。上で待っているヴェルシダに合図すると、彼女は入り口を閉めて降りてきた。先ずは、マントの男が城壁の外と行き来しているか確認するために、水の流れと逆に進んだ。
「そもそも、どうやって水を引き入れているんだ。」
ヴェルシダの問いにセフィルは考えもせずに答えた。
「泉から流れ出る川に支流を作る。そして、水門を作ってそこから水を引き入れる。」
「水の増量は水門の開け閉めで行うんだ。水門に役人と衛兵が常駐している。大雨の時に水門を閉めないと、町中に水が溢れるからね。」
「ならば、そこを押さえれば街を干からびさせることも、水で攻める事も出来るのか?」
「出来なくもない。けれど、水門は幾つもある城壁の中にも水門の小さいものがある。」
「それで制御するのさ。街の泉は緊急用の水だ。他にも水路に段差をつけて、水を止められても直ぐに水は枯れないようにしてあるんだ。」
ヴェルシダは一々納得した。最後に、何で知っているのかと聞くと、少し間を置いて、本で読んだと言った。ヴェルシダは納得しながら、その本を読んでみたいものだと言った。
奥に行くほど幅は広くなり、傾斜がきつくなっていきた。壁や天井を丹念に照らして異常が無いか見たが、何も発見できなかった。確かに、あからさまに穴が開いていればすぐに見つかってしまう。
最後に大きな仕切り版の近くに着いた。あれが降りてきて水路を塞ぐ。その手前に鉄の扉がある。上に管理小屋があるのだろう。
「この水路を使っているとは限らない。」
「あまり、のんびりしていられない。僕たちが出入りできる場所を、何か所か確保しておこう。」
二人は引き返した。途中でヴェルシダが言った。
「あの水門の管理者が外の者と通じていれば、出入りは自由じゃないのか。」
セフィルは、確かにそうだとしながらも、街の生命線を預かる役目の人間が、裏切ったり買収されるとは思えないと言った。しかし、セフィルは、それも考えておかなくてはならないと思った。
降りてきた水路の入り口を過ぎて、さらに奥に進むと壁に記号と数字が書いてある。そして梯子と見上げると出入り口がる。
「壁の記号が地区。番号が出入り口の場所だ。本当は、地上の地図に記号と番号が書いてあれば、迷うことは無いんだけどね。」
セフィルは工事中の出入り口に近すぎると言って通り過ぎた。少し離れてヴェルシダが進む。その後もセフィルは幾つかの出入り口を通り過ぎ、分岐があれば、立ち止まって考えて進んでいった。そうして、一つ目の出入り口に着いた。
「多分、この辺がグレン商会のお嬢様の屋敷の近くだ。開けて見よう。」
セフィルは梯子を上ると、蓋の留め金を外した。ゆっくりと開けて外を窺うと、見たような建物が並ぶ。ヴェルシダも交代してみたが、確かにそのようだ。セフィルは、自分たちの拠点、城壁に近い目立たない路地。広いと通りに続く道。マルス商会の近くの出入り口を空けておくと言った。
かなり歩く。広場の近くの出入り口を開けて、マルス商会へ向かっていた時、ヴェルシダは何かの気配を感じた。立ち止まるとセフィルも何かを感じたのか止まった。ヴェルシダはランプを消した。
「もう、目の前だ。お前もランプを消せ。」
その瞬間、ヴェルシダはセフィルを押し倒した、何かが頭の上を飛び越えた。セフィルのランプが床に落ち、油がと火が広がった。セフィルの服に火が燃え移った。彼は火を消すため水溜めに飛び込んだ。ヴェルシダは光の言葉を唱えて手のひらに力らを込めると、それを正面に向けて一気に解き放った。眩い閃光が放たれる。一瞬、男の姿が浮かび上がる。
ヴェルシダは目を押さえて怯んでいる男に駆け寄った。男はナイフを抜くと、戻った視力でヴェルシダを捕らえて喉笛をかき切ろうとした。ヴェルシダは頭を低くして男の懐に飛び込み、わき腹に拳を叩きつけた。
硬い!
続けて、左右のわき腹に拳を叩き込むが、ベルシダの手に痛みが走る。その感触は盾や鎧ではない。筋肉の塊だ。体制を立て直した男は、腕でわき腹を襲うヴェルシダの拳を叩き落とすと、隙を突いてヴェルシダの頭にナイフを突き立てようと振るった。
寸でのところで躱したヴェルシダは、男と距離をとった。男は距離を詰めてこない。暗闇の中で対峙する。
見えているな。だが魔力を感じない。星の光もないのにどうして分かる。
ヴェルシダは魔法を使って相手を見ている。おぼろげだが月明りに照らされているように見えている。男は目潰しをした後に正確に頭を狙ってきた。違う何かでこちらを見ている。ヴェルシダは試しにゆっくりと立ち位置を変えた。男の顔がこちらを追う。
ヴェルシダは口に手を添えると指と指との間に息を吐き出した。強く高い音が水路の中に響き渡る。男の動きが一瞬止まった。ヴェルシダは飛び出し、体を回転させながら男のみぞおちに蹴りを入れようとしたが両手で阻まれた。まるで、石の壁に蹴りを入れたような衝撃だ。
音だけじゃないのか。
ヴェルシダは足を掴まれてた。動けない。足を折られる。
男は掴んだ足を押しのけると、ヴェルシダは体勢を崩して倒れ込んだ。男は踵を返して走り去った。近づく足音が聞こえる。セフィルがようやく来たようだ。
セフィルは背中をうって咳き込むヴェルシダの体を起こしてやった。
「先に言ってくれないかな。まだ目がチカチカするよ。」
「うるさい!役立たずめ!足を持っていかれるところだったんだぞ!」
ヴェルシダは一人で立てると言って、セフィルを押しのけた。そして、男の立ち去った方を見つめた。セフィルは、ヴェルシダの様子がおかしいのに気付いた。怪我をしたのかと聞くと、ヴェルシダは言った。
「獣人だ。」
セフィルは、ヴェルシダの言葉に息を呑んだ。




