謎の男
その日の夜、マリエルは夢をみた。なにか暖かい水の流れの中に身を預けている。感情はわかない。自分の意識が溶けてゆく感覚。長い間、ゆっくりと流れてゆくと、突然、流れが早くなった。それでも流れに身をあずけていると、何かにぶつかった。それは流れをかき乱している。そして、それはマリエルに「お前は誰だ。」と言った。それはマリエルは急に怖くなった。
夢から覚めると、汗をかいていた。なにか体が重い。ふとみると黒猫が体の上に座ってこちらを見ている。外はまだ暗い。
マリエルは、この夢は黒猫が体の上に乗っているせいだろと思った。黒猫を追い払うと、また寝ようと目をつぶった。しかし、寝付くことが出来ない。「お前は誰だ」。その言葉が脳裏から離れない。魔法を使うときの暖かな流れの中でぶつかったもの。ルナヴェールは悪魔は概念と言った。魔物はそれが形になったもの。あれは魔物だったのだろうか。そう考えているうちに、何とか浅い眠りについた。
夜が明けると、二人は荷物を纏めると、朝食に昨日の残り物のパンを食べた。安いわりに一晩おいても硬くない。食べ終わると一階に降りいったが宿屋の主人は見当たらない。仕方ないのでカウンターに鍵を置いて宿を出た。ヴェルシダは宿を振り返ると、宿に泊まって疲れたのは初めてだと不機嫌そうに言った。
二人は旧聖堂に向かった。着くとセフィルが素振りをしていた。長い両手剣を軽々と振っている。懐に入らせないように早く。頑強な鎧ごと切り裂くように力強く。接近戦になっても堪えられるように足さばきで受け流す。マリエルは剣士を見たことが無い。ヴェルシダから教えてもらった剣技は覚えている。だが、森で使っていたのはナイフと弓矢、それに罠だった。
セフィルは強くなりたいと言っていた。森では狩が出来ればいい。マリエルは違いがよく分からなかった。だが、少なくとも今回の件で役立つのはセフィルの剣だろうと思った。
「おはよう。昨日はゆっくりと休めたかな?」
知っているくせに。
セフィルの意地悪な質問には答えずに、ヴェルシダは昨日のルナヴェールの言っていたことをセフィルに伝えた。そして、降りるなら今の内だと言った。
セフィルは考え込んでいる。ヴェルシダはセフィルの反応に引っかかるものを覚えた。普通なら悪魔と聞いて震えあがるだろう。しかし、セフィルにはそんな様子はない。もしかすると、魔法や悪魔などの知識を持っているのかもしれない。
セフィルは悪魔の事は置いておいて、その「人間ではない者」がマルス商会と、どんな立場にあるかを見極めたいと言った。だから、何かしらの条件を付けて途中で契約を解除できるようにした方がいい。そうしないと、命が危険にさらされても逃げる事が出来ないと言った。その事にマリエルとヴェルシダは同意した。
次に報酬だ。セフィルは買いたい武器とナギルナへ行くのに困らない程度の金があれば良いと言った。マリエル達は荷馬車程度しか思い浮かばなかったが、セフィルと同じにした。前金で三分の一。残りは依頼が終わった後だ。
条件がまとまったので、三人はグレン商会の娘の屋敷に向かった。屋敷に立っている門番に用件を伝えると、しばらく待つように言われた。門番は詰所の椅子に座るとマリエル達に依頼を受けるのは止めた方が良いと言った。
「依頼を受けたのは二組。あんたらで三組目だ。分かるかい?他の二組は失敗したか逃げたのさ。」
マリエルとヴェルシダは顔を見合わせた。セフィルは笑顔を絶やさずいる。
中から、またあの疲れた使用人が出てきて、部屋に案内すると言って三人は彼の後ろを付いて行った。マリエルが門番の方を振り返ると、持ち場に戻ってあくびをしている。マリエルは不安に思った。はじめの二組は、本当にどうなったのだろうか。
三人は部屋に通されると、使用人から暫く待つように言われた。マリエルが使用人に先に依頼を受けた二組の事を聞くと、使用人は「知らないし、知りたくもない。」と言って出て行った。セフィルは「ヤバいことになったね。」とつぶやいて虚空を見ている。
三人はそれから無言になあった。そして、グレン商会の問題児のエリスとアーガソンが入ってきた。
エリスは機嫌がよさそうだ。
「予想通りに来たわね。剣士が一人増えたのは許してあげる。早速、マルス商会に行って首謀者を連れてきて。」
無茶を言う。隣に立っているアーガソンも苦笑いをしている。セフィルが依頼内容と受ける場合の条件について話を始めた。
「君を襲った賊の関係者は調べて証拠を君に伝える。それ以上はしない。後はそちらに任せる。」
「資金の流れもそうだ。法に触れるなら、君たちで官憲に届け出てくれ。」
「これだけ揃えば、大きな商会でも影響力が小さくなるだろう。」
そして、セフィルは契約解除の条件に付いて話し出した。
「背後に官憲も手出しが出来ない存在を認めたら、すぐに契約解除だ。違約金は払わない。前金は返さない。」
「そして、君の知っていることを話してくれ。嘘があれば同じように契約解除だ。」
「特に人間じゃなさそうな者が介在しているなら教えてくれ。契約後に話すのは無しだ。いま聞きたい。聞いた内容は必ず守る。」
セフィルは娘の目を見つめながら言った。いつものように悪態をついて、「出て行けと」叫ぶと思いきや、窓の外に目をやると使用人を呼びつけてお茶の準備をするように命じた。アーガソンは顎の無精ひげを撫でながら、やれやれと言ったような顔をしている。三人は何か悪い予感がした。
お茶が運ばれてくると、エリスはアーガソンに全てを話すように言った。
「マルス商会の後ろには、聖王国がいるだろうが間に立っている者が分からない。だから証拠探しが必要だ。」
「エリス嬢を襲ったのは聖王都側の人間じゃない。マルス商会側にも襲われた商会があるって話だ。この混乱に乗じて何か利益を得ようとしている者だと考えている。」
「その男の事なんだが、どうやら何か特別な力を使うらしい。それが魔法なのか分からない。だから、魔法を使えるあんた達に声をかけたんだ。」
アーガソンは他の二組は、それぞれ資金の流れと男の情報を得ると逃げ出したと言った。マリエルは死人がいない事に安堵した。
ここまで話すと、アーガソンは今度はマリエル達の番だと言った。
「ここまで突っ込んだ条件を突き付けているには、何か情報を持っているな。それも話してくれないか。お互いに対等に話を進めないか?」
ヴェルシダはマリエルを見た。マリエルは頷いたがセフィルは我関せずというような表情で沈黙している。
「資金の事は分からないが、男には心当たりがある。襲撃があったあの日、魔法で矢を放った人間の後を追った。」
「その男は、マルス商会の看板のかかった倉庫に入っていったのを見た。髪が長いマントの男だ。」
アーガソンは男の人相の情報までは拾えてないと言った。話を聞いていたエリスは、業を煮やしたのか立ち上がって仕事を受けるのかと聞いてきた。ヴェルシダもセフィルもマリエルを見ている。マリエルはエリスの目を真直ぐに見て言った。
「グレン商会が勝てば、治安機関と言うのは街に来なくなるんですか?」
「それに、薬草の値段が高くなったりしませんか?」
エリスはマリエルの質問に、曖昧だが「そうなると思う。」と答えた。マリエルは二人に視線を送ると、どちらとも頷いた。
三人は依頼を受ける事にした。




