圧力
マリエルはアーガソンに駆け寄ると、まだ咳き込んでいる彼の上体を起こしてやった。首を見ると皮膚が青黒くなっていた。マリエルは習った治癒の魔法をかけてやったが皮膚の色は戻らず、まだ咳き込んでいる。もしかして、首の骨が折れているんじゃないだろうか。マリエル達は治癒の魔法と言いながら、体の仕組みを知らない。手をかざして魔力を送ると自然に治る。怪我をした動物、折れた草花、時には自分の手に付けた傷をひたすらに治す訓練しただけだった。
「お前の目に男の中身を見せてやる。」
黒猫が荷物の中から小声で話しかけていた。すると首の中が見えてきた。まるでムカデのような骨が見える。マリエルは初めて見る人の中身をみて気絶しそうになった。人の中身を見るのは禁忌とされている。神が与えた体を興味本位で覗いて行けないそうだ。しかし、治さなければという一心でよく見ると、何か赤く見る場所がある。集中して見ると自分の首に激痛が走った。もしかするとアーガソンの中に入ったのかもしれない。急いで赤い部分に治癒の魔力を注ぎ込むと、マリエルの痛みは消えていった。アーガソンも楽になってきている様子だ。
「ありがとう。助かった。」
「しかし、すごいな。教会で喜捨しないとやってくれない魔法の治療をしてもらえて感激だよ。」
マリエルは背後に立っている魔族のお嬢様が怒らなければ、治療する羽目にならなかったと思ったが言うのを止めた。アーガソンは首を押さえながらも、馬車で送ると言って二人を乗せた。馬車でカエロがいる職人の集まる通りの手前で卸してもらった。
「本当に無理を言って申し訳なかった。明日の返事だったな。」
「無理して雇われる必要はない。お嬢様が何か言ったかもしれないが父親がいないと何も出来ないから安心してくれ。」
アーガソンは別れを言って馬車で去っていった。マリエル達は少し早いがカエロの店に行くことにした。行きすがら、ヴェルシダがマリエルの治癒のついて聞いてきた。
「前に宿屋でゴロツキを治癒したように何でも治せるのか?病気はどうなんだ?」
マリエルには目に見える傷を治癒する訓練しか受けたことは無い。それも小さな傷だ。それに、今日のような治療をしていては身が持たない。
「誰かさんのおかげで分かったけど。小さな傷なら大丈夫そう。だけど、大きな傷は無理かもしれない。病気はやったことが無いから分からない。」
ヴェルシダは珍しく、すんなりとマリエルに悪かったと謝った。分かってくれたのは良かったが、こんなこと事が続くならイヴァから貰った札を目の前で破ろうかと思った。
まだ、日が高いがカエロの店に着いた。しかし、扉には「準備中」の看板が掛けられている。何事かと窓から覗いてみるがカエロの姿はなかった。試しにノックして見ると、カエロが出てきて二人を中に連れ込んだ。
カエロは奥の部屋に二人を案内すると、またお茶を出してくれた。ヴェルシダはカップを見るだけで固まっている。
「実に申し訳ない話なんだが、リンネカグラは引き取ってくれそうにない。」
「薬草の仕入れも値上がりしてしまって、八方塞がりだ。」
カエロの話によると、リンネカグラの販路は出入りの卸が押さえている店では取扱いできなくなったそうだ。仕入れも市場で破格値で買い取る者が現れて、調達できなくなっているそうだ。二人は自治派と聖王国派の争いが原因なのかもしれないと思った。それをカエロに言うと驚いた顔になった。
「聞いてしまったか。何が交易都市だ。恥ずかしいばかりじゃ。」
「薬草だけじゃない。小麦と卵、油は食料安定の為に守られているが、肉や野菜、酒、たばこに薬草なんかは値を釣り上げてられている。嗜好品のリンネカグラもそうじゃ。」
「聖王国派の商会が物を握っている。小売りも仕入れ先を変えざるを得ない。」
「わしの店も変えるか悩んでいるが、この状況だと変えると後々、上げて来るのではと悩んでおるんじゃ。」
マリエル達は政争が市民を苦しめていいるのを不思議に思った。そもそも、聖王国の王がこんなことを許す訳が無い。マリエルは王に直訴出来ないかとカエロに言った。しかし、カエロは無駄だと言った。
「最近は国王エドリアンを信奉する者は少なくなったよ。昔は慈悲深く、神王や賢人の王などといわれておったが。歳のせいか、民衆の前に出る事もなくなった。」
「代わりに口うるさいのが出てきてな。大司教のカイルムだ。若くして数々の奇跡を起こして、最年少で大司教になったんじゃ。その頃から締め付けが厳しくなったのう。」
「魔女狩りに魔族狩り。貴族への寄付の増額。払えなければ異端者認定だ。おかしい話じゃろ。寄付金の増額とは。」
カエロはあざけるように笑った。そして、市中で聖王国、特に教会の批判はしないようにと忠告した。冷めたお茶を眺めていたヴェルシダが口を開いた。大司教のカイルムが魔族狩りをする理由はどうしてだと。カエロは怪訝な顔をして言った。
「奴らが大地に毒をまき散らして土地を痩せさせているからじゃろ。」
「だから、最近の穀物は育ちが悪い。だから、聖王国には魔族の王を討ってもら分ければならん。」
「そのためにも自治会議が一刻も早くまとまって欲しいものじゃ。」
マリエルはヴェルシダがカエロの店にある薬の瓶を手あたり次第、割ってしまうのではないかと戦々恐々としたが、また冷めたお茶に目を落としただけだった。マリエルはヴェルシダに申し訳ないと思った。魔族の領地にも同じ事が起きている。カエロにそんなことを言っても無駄だろう。一般の人間でも、この程度の認識なのだ。
マリエル達はカエロの店を出る事にした。カエロは卸を何件か当たってみる。そして、必ず金を払うと言って、改めて二人に謝った。
二人は足取り重く、泉のある広場に歩き始めた。二人に会話はない。路銀の当てが外れた。お金があれえば遠くに行って、面倒な話しの無さそうな街に行って荷馬車を買って帰りたい。息苦しいと思ったルナヴェールの屋敷が懐かしい。
前を行くヴェルシダが急に立ち止まった。マリエルの方を振り返ると言った。
「セフィルを引き入れてグレン商会から報酬をぶんどる。そして、おさらばだ。」
いつものヴェルシダが邪悪な笑みだ。何か悪いことを思いついたときの笑み。マリエルはそれでもヴェルシダが元気でよかったと思った。




