倉庫の男
マリエルはヴェルシダが矢を受けたことに違和感を感じた。自分自身に矢を受けた感覚はない。ただ、矢が飛んでくる音は近くで聞こえた。起き上がった時に自分が倒れ込んでいた場所に矢が落ちていたのを見た。いま考えると、矢が体をすり抜けたのではないかと考えた。ルナヴェールは魔法を操る事は自分の頭の中で思い描くことだと言っていた。あの時、矢が当たらないようにと必死に願った。だから、このローブは「当たらない」を現実にしたのではないか。
マリエルはヴェルシダに、確かめたいことがあると言うと、ベンチを立って泉の縁に腰かけると、水が板の様に硬くなるように念じた。ヴェルシダはその様子を見ている。そして、そっと手のひらを水面に当てると、まるでガラスの板に手をついたように手のひらは水に沈まない。
「もしかして、水面を硬くしているのか?」
ヴェルシダは試しにマリエルの手の隣に手を置いたが、水の中に沈んでしまう。
「もっと広く硬くするように念じてみたらどうだ。」
マリエルは目をつむると、「もっと広く」と念じた。水面に映った自分の姿の全体が硬くなって、ヴェルシダの手でがそれに触れる。「触ってみて」とマリエルが言うと、ヴェルシダが水面に手を当てた。
「すごい!ガラスに手を当てているみたいだ!」
そう言った瞬間、ヴェルシダのれは沈んで危なく体ごと泉に落ちそうになった。どうやら、集中力が切れるとだめらしい。完璧に集中して具体的に念じる事。そう言えば、ルナヴェールは鬼人を握りつぶしていた。恐ろしいくらいの集中力だ。不意にヴェルシダが先程の襲撃の場に居合わせた人間で覚えている者はいないか聞いてきた。もし、覚えていれば、そいつがどこにいるか「見つける」ことを念じられないかと。
「魔族の娘。感が良いな。」
「人目のないところに行け。教えてやろう。」
荷物から黒猫が顔を出さずに言った。マリエル達は路地裏に入った。昼間だから少ないが人通りがある。何処かないかと探していると、突き当りに乱雑に置かれた大きな木箱が見えてきた。ゆっくりと近づくと男たちの声が飛び交っている。木箱の隙間から覗くと、屈強な男たちが行き交っている。麻袋をを担ぎ荷馬車に放り込む。木箱を台車に乗せて運び出す。そこに倉庫が立ち並ぶ。ここは捨てられた木箱から見えない。人も居ないのでここでルナヴェールを呼ぶことにした。
「お前に私が見たものをくれてやる。」
黒猫が荷物から飛び出るとマリエルに言った。その瞬間、マリエルに怒涛の様にルナヴェールの見た風景が流れ込んできた。視点は向かいの建物の窓に向き、一気に飛び込むと窓の中に入り込む。中には七人の男が黒い布で顔を隠してボウガンを持っている。視点は周りを見渡すと一人の男に集中した。窓で構える男達の背後に立つ男。窓の外を凝視している。
男の目線は窓の外に向いている。護衛のついた馬車に乗り込もうとしている一人の女性。男の呼吸が伝わる。鼓動が、血の巡りが、体温が、心臓の鼓動がマリエルの頭の中に流れ込んでゆく。
「吞まれるな。自分自身を感じろ。」
ルナヴェールの言葉で、マリエルは流れ込んでくる感覚の渦に中で、自分と言う存在を消えない様にした。手を力いっぱいに握り締めて、その感覚を頼りに自分が感覚の渦に流されないようにした。
「上出来だ。短剣を地面に突き立てろ。」
「人は飛んではいられない。感じた男の全てを大地が教えてくれる。」
マリエルは短剣を抜くと地面に突き立てた。すべてが暗闇に包まれた。はじめは雑多な人の感覚が見えたが。次第に減ってゆき、最後に感じた男のみになった。
「近くに居る。」
マリエルが言った。ヴェルシダは周りを見渡した。誰もいない。もしかしてと木箱の隙間から覗き込む。
「少し遠ざかっている。走っていない。」
「そんな人間は沢山いるぞ。もっと情報無ないのか。」
マリエルは短剣からの音を聞いている。
「風に服がなびいている。髪も。背が高い。底が硬い靴を履いている。心臓の音が早い。」
ヴェルシダが目を凝らすと、一人の男が目に入った。上半身裸で作業する荷役たちの中でマントを羽織っている。髪も長くブーツを履いている。辺りを気にしている。その男は倉庫に入っていった。看板には「マルス商会」と書いてある。
マリエルは座り込んでしまった。ヴェルシダが肩を掴むと「疲れた」とだけ言った。
「意外だな。近くに居るとは思わなかった。」
「練習は終わりだ。迎えが来るぞ。騒ぎは起こすな。」
黒猫が荷物に潜り込むと足音が聞こえてきた。一人ではない。ヴェルシダはマリエルの庇うように前に立つと身構えた。男がゆっくりと手を上げて近づいて来る。みた顔だ。あの時の護衛の一人。
「害を加えるつもりは無い。雇い主が会いたがている。一緒についてきてくれるか?」
マリエルは疲れ切って走れそうにない。構えを解いたヴェルシダは言った。
「怪しい真似をしたらお前の顎を砕いてやる。一生、お粥しか食えないようにな。」
男はヴェルシダの目みて、背筋に冷たいものが走った感覚を覚えた。




