楽しいひと時
セフィルは街の水場に差さしかかると「ちょっと待って」と言って、上着を脱いで上半身裸になった。井戸から水をくみ上げると頭からかぶり汗と埃を流した。褐色の肌に水滴が踊る。
ヴェルシダは思わす顔を手で覆った。女の前で男がいきなり脱いで肌を顕にしたのだ。マリエルも驚いているだろうと見ると平然としている。それどころか井戸に近づくと井戸水で手足を洗った。セフィルの姿を見ても何とも思っていないようだ。ヴェルシダがセフィルを見まいと躍起になていると、マリエルが冷たくて気持ちいがいいからと誘ってくる。
「うるさい馬鹿!早く服を着て私の視界から出て行け!」
マリエルは何の事か分からなかったが、セフィルはにやにやしながら服を着た。ヴェルシダが目を覆った手の指の隙間から井戸を見ながら、慎重に近づくと手早く手を洗った。恐る恐る振り返ると、すでに上着を着たセフィルが澄ました顔で立っている。マリエルが不思議そうにヴェルシダを見ている。ベルシダは何事もなかったように、歩き出すセフィルに付いて行った。
着いたのはセフィルがいた食堂だった。セフィルが言うには安い食堂の割には旨いそうだ。相変わらず閑散としている。席に座るとセフィルが注文してくると言って、何が良いかマリエル達に聞いてきた。マリエルは魚が欲しいという。ヴェルシダは慎重だ。とりあえず、薄塩の肉とジャガイモをそれぞれ少し注文することにした。下手に野菜を頼むと何が出てくるか分かったものではない。
セフィルは自分の注文に酒も加えた。今日の稼ぎは良かったそうだ。酒だけ先に持って来た。エールだ。セフィルはエールを一気に飲み干した。労働の後の一杯は格別なのだ。
機嫌のいいセフィルは奢ると言い、二人に酒を勧めた。ヴェルシダは葡萄酒しか飲んだことが無いのと、奢られるのが嫌いなので断ったが、意外なことにマリエルはエールを飲むという。
森では酒は造らないが、麓の村で作った物を物々交換で貰う。祭りや祝い事のときに飲む。マリエルは森の事を話しながら、セフィルが持って来たエールを少しづつ飲んでいる。彼女にとっては街中に居ること自体がお祭りらしい。
料理が運ばれてくると、セフィルがマリエル達の仕事について聞いた。マリエルは薬草取りだと言うとセフィルは割に合わないだろうと言った。本当は明日、大金が入る予定なのだが。
「ヴェルシダは戦い慣れしているんだろう。商館が出している護衛なんかの仕事の方が良いんじゃないかな。」
「マリエルは魔法が使えるなら最高だよ。」
セフィルの言葉にヴェルシダは思わず立ち上がった。何でマリエルが魔法を使えるのを知っているんだ。ヴェルシダが睨みつけるとセフィルは余計な事を言ったと詫びた。そして、魔法が使えると思ったのは指輪を見たからだと言った。彼は旅する中で魔道具がどんなものか知っている。一度、魔法使いと仕事をした時に色々学んだらしい。
セフィルは一緒に仕事をしないかと誘ってきた。
「僕は剣を扱う。両手剣で自分で言うのはなんだけど、良いとこいっている。でも、若くて経験がないから雇ってもらえないんだ。」
「せいぜい、熊とかの害獣狩りだけなんだ。これじゃ、いつまでたっても剣士としての仕事は貰えない。」
「経験を積まないといけないんだ。僕が前に出る。マリエルが魔法で援護してヴェルシダがマリエルを守るのでどうかな?」
「この三人なら雇ってくれるよ。」
ヴェルシダが話を聞いて考えた。セフィルの言う事は分かる。半人前の剣士より、この三人組でなら仕事を選べる立場になる。しかし、護衛なんて経験がない。それにセフィルの力量が分からない。セフィルが一緒なら旅で難儀する事は減る。大事はルナヴェールが払ってくれるだろう。一番はマリエルだ。ルナヴェールが言っていた魂と肉体の事もある。マリエルは、この話をどう思うのか。
ヴェルシダはマリエルに声を掛けようとしたが、話を聞いていないのか酒をちびちび飲んで機嫌がいい。
こいつは駄目だ。少なくても今日は。
ヴェルシダは機嫌のいいマリエルを横目に、返事は明日以降だと言って自分の分の食事をとり始めた。マリエルは森での生活をセフィルに話した。セフィルは驚いたり笑ったりしている。セフィルも旅の話をする。騙されて牢獄に入れられた話。賭け事で身ぐるみ剝がされた話。二人は楽しそうだが、ヴェルシダは、セフィルをロクでもない人間の典型だと思った。
三人は食事を終えると食堂を出た。ヴェルシダは機嫌のいいマリエルを、先に宿へ向かわせるとセフィルの腕を掴み引き寄せると言った。
「人が寝静まった頃が良い。お前ならいい場所を言っているだろう。」
セフィルは、初めて真剣な顔をして言った。
「なら、泉のあった広場から北へ。解体中の旧聖堂がある。」
ヴェルシダは機嫌のいいマリエルの背中を押しながら宿へ向かった。
宿に戻るとマリエルはベッドに寝転ぶと、そのまま眠ってしまった。ヴェルシダはマリエルのローブを脱がせて畳んでやると、靴を脱がせベッドの脇にそろえておいてやった。結局、酒は半分も飲んでいない。寝顔は幸せそうだ。酒に弱いが今日はセフィルと話せて楽しかったのだろう。いや。人間と話せて楽しかったと言うべきか。
あいつの本心はなんだ。マリエルを利用しようとするなら粉々にしてやらねば。
ヴェルシダは両指に鉄の輪を通して握り締めた。鍛えられた特別な鉄で作ってある。これで拳は鉄の塊になる。剣も使うがこれが一番しっくりくる。相手の懐に飛び込めば必勝。離れていても防御は最高だ。何度相手の剣をへし折った事か。
もう一刻もすれば宿を出ようと思っていると黒猫がいない。ルナヴェールは影の中か。ヴェルシダはセフィルと手を組む事を相談しようとしたが、手合わせした後でも良いと思った。最終的にはルナヴェールが決める。
窓から月の灯りが差し込む。今夜は満月だ。ベルシダは立ち上がると両拳を胸の前で撃ち合せると、ローブを纏って宿を出た。ヴェルシダはフートを目深に被ると、人気のない道をゆっくりと歩いて闇夜に消えた。




