魂をつなぎとめる為に
ヴェルシダは宿に着くと部屋の前で立ち止まった。マリエルはまだ泣いているだろうか。起きていたら何と言おうか。また謝るか。もしかしたら居ないかもしれない。色々な状況が頭をよぎる。落ち着くために深呼吸をして部屋の扉をノックする。
「どうぞ。」
マリエルの声だ。起きている。涙声ではない。ヴェルシダが扉とそっと開けるとマリエルがベッドに座っている。マリエルは目を赤くしているが、笑顔でヴェルシダを迎えてくれた。
「さっきはごめんなさい。とてもびっくりして。でも、もう大丈夫。」
ヴェルシダは「そうか。」と言うと、買って来た料理をテーブルに置いた。マリエルは魚料理と聞いて喜んだ。セフィルの言う通り、久しぶりにだから嬉しいと言って手に取った。ヴェルシダは喜んで魚料理を食べているマリエルを見ながらセフィルの言葉を思い返した。「森の部族は森での生活で満足してる」。マリエルは無理をしているのではないだろうか。魔女の屋敷にいるときには楽しそうに見えた。しかし、本当は聖王国に連れてこられて偶然、魔女に助けられただけだ。好きで屋敷にいるわけではない。
ぼんやりと考えるヴェルシダに、マリエルは体調が悪いのかと聞いてきたが、肉の質が悪いと言って誤魔化した。食べ終えると二人は明日の事について話をした。ヴェルシダは役所や商館が仕事を斡旋しているから、そこを周って仕事探しをしようと言った。ついでに良くない仕事もあるそうだから気を付けないといけない。それを銅貨の男が言っていたと付け加えた。
マリエルの表情が一瞬変わったのをヴェルシダは見逃さなかった。人間の年齢など見た目で判断できないが、恐らく二人の年は近い。ヴェルシダは男の名前がセフィルと言い、明日は彼も仕事探しに出かけると言った。マリエルは感心なさげに「ふーん」と言っただけだった。
ヴェルシダに恋愛感情はない。親が決めた相手と一緒になるだけだ。自分より強いのが前提だが。マリエルの機嫌が良くなるのなら、あの男を側に置いてやってもいい。怪しい素振りをするなら叩くだけだ。そう考えていると一つ気付いた。そもそも、マリエルを連れまわす必要はない。あの魔女を私の影に入れて歩き回ればいいだけだ。マリエルは故郷へ帰ればいい。ヴェルシダは話が終わると、早いが明日に備えて寝ようと事にした。
マリエルは床に就くと、すぐに寝てしまった。疲れていたようだ。ヴェルシダは、そっと起き出すとテーブルに居座る黒猫の首根っこを掴んで部屋から出た。宿から出ると誰もいない路地裏に入り込んで黒猫に言った。
「マリエルの事だ。故郷へ帰してやってくれ。お前はの影に入り込めばいいだろう。そうすれば、今日みたいにマリエルが怯える事はないし、私なら一人でも逃げることが出来る。」
黒猫は話を聞き終わると、首根っこを掴んだ手を払いのけて地面に着地した。
「行っておくが、私はこの子に目と耳を借りているだけだ。この子にはこの子の本当の姿がある。」
黒猫がそう言うと、肉と骨が軋む不気味な音をたてながら体が大きくなってゆく。牙はむき出しになり眼光が鋭くなる。手足の爪が地面を鷲掴みにする。そして、ベルシダの身の丈ほどもある黒い獣になった。そして、狭い路地で窮屈そうにしながら低よくうなっている。
「雑に扱われて怒っている。お前が嫌いだそうだ。」
黒い獣はヴェルシダに牙をむいて、頭をゆっくりと噛むように大口を開けて威嚇した。ヴェルシダは意に介しないかのように牙を掴んで、「分かったから小さくなれ。人に見られる。」と言った。黒い獣はさっきよりも低く長くうなると、牙から手を振りほどき、また猫の姿になった。
黒猫は溜め息をついて話始めた。
「マリエルだが一度死んでいる。」
「鬼人の放った矢に毒が塗られていた。相手を人ではないものに変化させる毒だ。聞いたことがあるだろう。」
「あの毒は魂を侵す。だからマリエルの魂を取り出して毒を抜いた。」
ヴェルシダはルナヴェールの言っている事が分からなかった。毒の事は知っている。侵されれば死ぬか歩く死人になるかしかない。だから禁制品になっている。歩く死人になれば敵も味方も見境なく襲う。しかし、魂が侵されるなど聞いたことが無い。そして、魂を抜き出して毒を抜くと言う事もだ。
「マリエルには毒に対する耐性があった。私はそれに興味がわいて連れてきた。」
「しかし、マリエルの体から毒は自然に抜けた。まるで生き物の傷が治るように。その後も体は腐ることは無かった。」
「試しに魂を体に返してみた。そうしたら魂が体と溶け込んで死ぬ前のマリエルに戻った。」
ルナヴェールは、魂を抜いた後に体に戻ることは無いと言った。あの毒もそれを応用したものだ。本来の魂を侵食して別な生き物にする。本来の魂ではなくなるから体は腐り落ちると。
「マリエルは魔法の素養があったから聖王国に連れてこられたらしい。それがどれ程のものかは知らない。だが分かった事がある。」
「この星の命の流れを、わずかだが受け取っている。もしかすると、取り出した魂をそれが体に定着させているのかもしれない。」
ヴェルシダは黙って聞いていたが、それならばマリエルを故郷に返さない理由はない。使用人が必要なら家から送るとルナヴェールに言ったが、ルナヴェールは研究試料として必要だと言った。ヴェルシダは怒りが込み上げてきた。優しく素直なマリエル。友達と言ってくれた。それをルナヴェールは単に研究用の動物と見ていたのかと。
「やはり魔女の考えそうなことだ!」
ヴェルシダは黒猫を蹴り上げようとしたが、ひらりと躱された。音もなく着地した黒猫は話し続ける。
「落ち着け。魔族の女。」
「マリエルと盗賊を襲った時の事を覚えているか。あのとき、マリエルに大きな力が流れ込んだ。」
「短剣を触媒にしたとはいえ、お前よりも大きな魔力が生じた。一瞬だけだったが、あれ以上の力が流れ込んで魔力を行使すれば体がどうなるか分からない。」
「そして、今までに僅かだが力の流れが増えて来ている。しかし、止めたら魂が体から離れるかもしれない。」
「原因解明せずに放っておけば、いずれは力の流入に体が耐えきれなくなる。」
黒猫は、だからマリエルの影の中に入って力を制御していると言った。そして、遺跡の調査が関係あるかもしれない。それは、マリエルは遺跡調査団の駐留していた場所で魔力の素養を見出されたからだと言った。
ヴェルシダは別の方法はないのかと言った。遺跡の謎解きをしながらマリエルの魔力を抑えて歩き回るのは危険だ。黒猫はヴェルシダの問いに答えた。二つの方法があると。
「一つは魂を移し替える入れ物を作る。そこにマリエルの魂を入れる。しかし、魂が定着するか分からない。」
「もう一つは屋敷の中で眠らせる。あそこは生命の流れを安定させているからな。ただ、目覚めさせることに成功した事例はない。」
ヴェルシダは暫く考え込んだ後、明日から仕事探しをしながら遺跡探しをすると言って宿に戻った。




