魔女の館
お腹がすいた。
あれから何も食べていない。泣き疲れて眠ってしまった後に目を覚ますと魔女は居なくなっていた。喉も乾いた。仕方ないのでマリエルは水のありそうな厨房を探すことにした。肌着だけだったのでクローゼットを開けると白いガウンを見つけた。魔女の身長と合わせているのか、裾が長すぎて歩きづらい。そう言えば、助けを求めて魔女のガウンを握った時、何か生暖かい動物の皮を握ったような感覚があったのを思い出した。幸いにもこのガウンにはそれが無い。
部屋を出ると長い廊下が左右に伸びている。厨房に行きたいがどこにあるか分からない。とりあえずは右に進むことにした。廊下の窓からは陰鬱な空と塀しか見えない。いくつかの部屋を通り過ぎると突き当り、扉があった。開けてみると食堂の様だ。綺麗にされてはいるが、使っているわけではなさそうだ。
マリエルは気になった。あの魔女が一人で住むには広すぎる。しかし、使用人らしき者を一人も見ていない。伝承のように掃除道具に魔力で操っているのだろうか。マリエルが出来るは、せいぜいドアノブを触れずに回すくらいの事だ。だけどあの瞳の色。この館中の家具に魔力を与える事は造作もないように思える。
奥に進むと厨房があった。近づくとあの魔女がいる。背が高いので遠くからでもよく見える。マリエルは身を潜めて観察した。魔女は何かを煮込んでいる。生臭い何かを。そして、何度も首をかしげている。
「出ておいで」
魔女が振り向かずに言った。潜んでいたマリエルは驚いて立ち上がった。魔女は皿を取ると肉のスープと言って、鍋の中の何かを注ぎ込んだ。勧められるがままに食堂のテーブルの席につかされると、スープを出された。
血なまぐさい。何かの小動物の様だが血抜きがされていない。皮を剥ぐのに失敗しているらしく、わずかに毛が浮いている。魔女も席に着く。彼女の皿には数粒の木の実があるだけだ。銀のポットから気泡の入っていない綺麗なガラスのコップに注がれる水は綺麗でさわやかな香りがした。
マリエルはスープを口に注ぐと案の定、飲めたものではない。慌てて水を飲んだが、この水は爽やかで口の中の血と獣の匂いを洗い流してくれた。
その様子を見ていた魔女は残念そうな顔をしている。マリエルはそれを見て二口目を口に運ぼうとしたが、魔女に止められた。代わりに自分の木の実を差し出した。これはこれで苦かったが食べられなくもなかった。
魔女にスープについて聞くと、カラスの肉だと言った。瘴気の森では地の動物は瘴気に巻かれた食べる事が難しい。空を飛ぶものは安全に食べられると言う。そして、水は裏の井戸水と銀のポット以外のものは飲むなと言った。
マリエルは愕然とした。いつまで続くか分からない所有物としての生活が、この肉のスープと苦い木の実だけで過ごさなくてはいけないかと思うと、また打ちひしがれた。しかし、出来るだけの事をしようと魔女に言った。
「料理は私がやります。厨房に入っていいですか?」
魔女は分かったと言った。マリエルは血抜きをして、カラスの羽をむしると長い時間、灰汁を取りながら煮込んだ。魔女に塩など無いかと聞くと、そんなものはないと言った。
「私には味覚が無い。必要ないから切ってあるの。食べ物もあれだけで一か月はもつし。」
それを聞いたマリエル不思議に思った。「切ってある」とは何を意味しているのか。意図的に味を感じなくしていると解釈できる。そもそも、どうやって栄養を摂っているのだろういるのだろうか。やはり魔女のことだ。人間から精気を吸い取っているに違いない。
魔女はマリエルの考えが分かるのか口を開こうとしたとき、外で大きな音が聞こえた。木が押し倒される音だ。魔女は溜め息をつきながら外へ向かった。マリエルも魔女の後について行った。
正面門が開くとマリエルの前に鬼人を引き連れた男が立っている。貴族のような恰好をしている。しかし顔には文様が浮かんでいる。そして、うっすらだが金色の目をしている。
マリエルは魔族だと思った。教書に書いてある通り、瘴気の森にいて化け物を使役する。人間を無差別に襲う。そう。マリエルの仲間たちがされたように。目の前の魔族は森の北の領主の使いだと言う。
「最近、人間の侵入が多い。貴女が人間の娘を連れ去るのを見た者がる。尋問をしたいのだが引き渡してもらおう。」
そうして魔族の男は魔女の後ろにいるマリエルを指さした。魔女はマリエルに後ろに隠れるように言うと、魔族の男にに言った。
「領主とは何者だ。私はここに随分と前から住んでいるが会ったことは無い。こういうときには手土産の一つでも持ってくるものだよ。」
そう言いうと帰れと言って、右手をかざした。そして、手を握り締めると後ろにいた鬼人の一人が握り潰されるように、辺りに血をまき散らしながら粉々になった。同じように左手をかざすと、一匹の鬼人が握りつぶされた。残った鬼人は怒り狂い魔女に襲いかかった。
鬼人たちは魔女までもう一歩の所で雷の壁が現れ、それに触れた瞬間に跡形もなくはじけ飛んだ。それをみた領主の使いは恐怖で動けなくなっていた。魔女はそんな魔族を見ながら何かを考えている。そして、マリエルを一瞥すると魔族に言った。
「新鮮な肉と野菜。あとは幾つかの調味料を持ってこい。」
「そうすれば、今日の事は不問にしてやる。」
魔族は頷くと森の中へ走り去った。