約束したもの
マリエルは申し訳ないと謝りながら三人の傷の手当てをしていた。手をかざして、見よう見真似で治癒の魔法をかけた。酷かった鼻の傷は血が止まり腫れが引いてゆく。傷も大分塞がった。あとは薬草を練った湿布を張り付けて終わりだ。みんなは魔法で治っていく傷を興味深く見ていた。王都から離れると魔法を使える僧侶など居ない。大昔は教会が点在して僧侶が巡回していたそうだ。大病や大怪我は喜捨することで癒してもらっていたそうだ。
ライシンは治癒の魔法をかけてもらったことが嬉しかったのか、みんなに傷が塞がっていく感覚を語っていた。どうやら、ヴェルシダの事は忘れている様だ。当の本人は店の隅で椅子に黙って腰かけている。これ以上、勝手な行動をしないように膝に黒猫が座っている。
「それで、あんたたちは何の用なんだ。」
まだ興奮気味のライシンをしり目に、飛び出してきた娘がマリエルに言った。言ったと言うより突っかかってきた。マリエルは、また謝罪しながら落ち着いて話をしたいとなだめた。少なくとも包丁は納めて欲しい。
全員が落ち着いて話が始まった。ライシンは良くない連中のたまり場になっている事を街の自警団に注意を受けていた。酔っていたし、その連中が落としていく金は、宿の経営にとって馬鹿にならない。そこで苛立っていたところにヴェルシダが登場して、自警団もろとも打ちのめされた。ライシンの従弟の妹だそうだ。つまりはセルギルの妹だ。名前はユーリと言う。
自警団はマリエルの事を羨望の眼差して見つめながら、残念ながら巡回の時間だと言って、帰っていった。外で神の奇跡を見たと叫んでいるのが聞こえた。どうやら街の人から悪い目で見られずに済みそうだ。マリエルはセルギルの事を話し始めた。傭兵で暮らしている事、やむを得ず脱走兵になった事、途中で盗賊狩りをしたこと。そして、認識票を託された事。
話を聞いて反応したのは妹のユーリ方だった。兄のセルギルは傭兵で帰ることが少ない。最近、巡回の官憲から御触れが出たそうだ。脱走兵が出たので、それらしき者を見つけたら通報するようにと。ユーリは帰ってこない兄が死んでいるものと思っていたが、この事を聞いて、生きているかもしれない。そう思いながら日々を過ごしていた。マリエルが認識票を手渡すと泣き出してしまった。
マリエルはセルギルの妹が安心して泣いているのを見て、遠い故郷の育ての親の事を思い出していた。きっと心配しているだろう。生きている事だけでも伝えたい。
マリエルはルナヴェールの持ち物になる事で命をつないだ。勝手に帰る訳にはいかない。せめて飢え死にだけはしたくない。泣いているユーリに、セルギルが持ち帰れと言った物があると伝えた。ユーリは少し考えると、ライシンに「あれ」の事ではないかと言った。ライシンは奥から封筒を持って来た。白紙の身分証明書が数枚入っている。ライシンは名前を捨てるつもりだと言った。認識票を渡したのは、自分はこの世にいないと言う事を伝えたかったのかもしれない。
ユーリは泣き崩れてしまった。マリエルは立ち尽くして何もできなかった。せっかく、兄が生きていると分かったのに、もう会えない。会いに来れば巡視の御触れが出ている。もしかしたら通報され、妹まで巻き込まれかねない。だからと言って悲しすぎる。
ライシンは泣いているユーリをなだめると、自室に戻らせた。マリエル達に礼を言うと一晩、泊って行ってくれと二階の鍵を渡した。農閑期で予約も客もいない。せめてゆっくりして言ってくれと。心ばかりの食事も出す。勿論、金は取らないと言った。マリエルは振り向いて黒猫を見たが何も反応しない。時間もある。問題ないだろうと、鍵を受け取り礼を言った。
マリエルとヴェルシダは部屋に入った。二人部屋だ。久しぶりの野営で体が固まっていたマリエルには、柔らかいベッドは有難かった。そして、何が出るかは分からないが、他人が作ってくれた食事が食べる事が出来る。ローブを脱いでベットに横たわって、何が出てくるのだろうかと楽しみになった。
「お前はお人好しだな。宿屋の主人が善人に見えるのか?」
「ユーリはともかく、ライシンは身分証明書を簡単に渡すか?」
「みんな仲間のさ。認識票は見ているぞってこと。ライシンもセルギルもお互いに通報できない。」
「お前がライシンで、身分証明書を渡したくないと思ったらどうする?」
ヴェルシダの勝ち誇ったような言い方にイライラさせれるが、その通りかもしれない。白紙の身分証明書なんてどこにでもあるものではない。ユーリは兄の事で頭がいっぱいだったからライシンに身分証明書の事を言ってしまった。知らないとは言えずに持ってこざるを得なかった。マリエルは、そう考えるとこの宿に止まらせることは足止めではないか。
しかし、通報して困るのはライシン達だ。ヴェルシダが魔族であることを通報される。マリエルは早く宿を出ようと言ったがヴェルシダは、官憲に通報しても時間がかかると言った。
「今夜あたり来るだろうな。ライシンの仲間たちが。」
「そして、私は逃げない。迎え撃ってやる。」
ヴェルシダは元気一杯だ。マリエルは黒猫を見ると、「だろうな。」と言った。甘ちゃんなのは、マリエルだけらしい。ヴェルシダを馬鹿にしていた自分が恥ずかしい。黒猫は気にするなと言って、好都合だと言った。セルギルの本当の姿を掴むことが出来ると。
マリエルは、それが必要なのか気になったが扉をノックする者がいる。ユーリだ。食事が出来たので食堂に来るようにと言われた。ヴェルシダは毒でも入っているんじゃないかと言うと、マリエルは今から逃げ出そうと言った。黒猫は大丈夫とマリエルに言った。
「危険なら指輪が教えてくれる。折角のお誘いだ。食べるのがいい。」
ヴェルシダが指輪は便利だと言うと黒猫は指輪は、はめている者の危険にしか反応しないと言って、ヴェルシダ自身の危険には反応しないと言った。
ヴェルシダは黒猫に話が違う。もう一つくれとかみついたが、指輪を断ったのはヴェルシダで一つしかない。危険かどうかはマリエルに聞けと言うと、散歩と言って窓から出て行ってしまった。ヴェルシダはマリエルに毒見係だなと言った。
マリエルは指輪が反応しても何も言わないと言った。




