脱走兵
「殴られたいなら逃げてもいいんだぜ。」
マリエルが関所跡に着くとヴェルシダは倒れて呻く武装した者達に勝ち誇っていた。どうやら、まだ満足していなくて、むしろ逃げて欲しいような様子だ。比較的、軽傷な者達は壁際に座って手を上げている。マリエルが酷い怪我をしている者に手当を始めた。ヴェルシダは放っておけと言いながら人質のところに行って縄を切ろうとした。
「あんたは良い人そうだから言うが、あの男から離れておいた方がいい。」
手を上げている男が、手当てをしていた男に言った。眼光は鋭いが濁ってはいない。むしろ、騎士のように透き通ている。マリエルはその男の言葉の意味が分からなかったが、ヴェルシダの怒声が聞こえて気付かされた。囚われていた男はヴェルシダが縄を切った瞬間、隠し持っていた小さなナイフで首の血管を切ろうとした。寸でのところでかわしたヴェルシダだが姿勢を崩して倒れ込んでしまった。
男は飛び出すとマリエルを捕まえようと飛び掛かったが、声をかけた男が体当たりして態勢を崩すと走り去った。マリエルが男に礼を言おうとした瞬間、ヴェルシダが男に襲い掛かってきた。
「あの男とグルだったな!」
ヴェルシダは不意を突かれた怒りとマリエルを守ろうとする気持ちで頭が回っていない。マリエルは男とヴェルシダの間に立った。そして、この男が助けてくれたと言った。ヴェルシダはマリエルの瞳をみていると、興奮が収まってくるのが分かった。
何でなんだ。マリエルの目を見ていると心が落ち着く。
我に返ったヴェルシダは、マリエルになだめられたことを隠したかった。なぜかそう思ったヴェルシダは、分からなかった。話をはぐらかそうと男にあの囚われていた男とについて話を聞くことにした。
男は傭兵でセルギルと名乗った。聖王国とナギルナ連合の国境で調査隊の護衛をしていたが、調査隊が勝手に領地に侵入。当然、監視していたナギルナの兵と小競り合いになったが、聖王国の正規兵が応援に来ると戦いは激化。そうしているうちに何故か一方的に聖王国側が引き始め、取り残されそうになった傭兵達の一部が、勝手に戦線を離脱した。それが自分たちだそうだ。
帰れば敵前逃亡で縛り首が待っている。当てもなく彷徨っていたら、盗賊団を見つけて戦闘になり、戦利品と捕虜を取ったがヴェルシダ達の襲撃で逃走した。それが今夜の出来事だと語った。
マリエルと気まずくなってしまった。脱走兵とはいえ盗賊を撃退した人たちに矛を向け、そして、盗賊を逃がしてしまった。ヴェルシダを見ると意に介していないようだ。それどころか脱走兵として通報されたくなければ金を寄こせと言い出した。もう、どちらが盗賊なのか分からなくなってしまった。
しかし、逃げた盗賊はどうするのだろうか。仲間を引き連れて戻ってくるのではないだろうか。戻らないにせよ、近くの村々を襲うのではないだろうか。マリエルはセルギルに自分たちの事を詫びると、盗賊を追いたいと言った。セルギルは笑って言った。
「盗賊どもは殆ど追いやったよ。あの世にね。襲われた村に捕虜を突き出して礼の一つでも貰おうかと思っていたのさ。」
「ただ、衛兵や官憲に通報がいけば俺たちの存在がばれる。しかし、村と友好関係にあれば食料の調達や護衛の仕事ももらえるかもしれない。」
「それで意見が分かれていたが、魔族と魔法使いに襲われたおかげで分裂の火種が消し飛んだよ。」
バレている。短いとはいえ牙がむき出しだ。古参の傭兵など牙が無くても分かっていただろう。セルビルや傭兵達は笑っているが、通報されれば不味いのはこちらも同じだ。しかし、ここで分かれても、どちらにも得することは無い。自分たちの食料の話は切実だ。マリエルはどうにかならにかと悩んだ。そして提案をした。
「私たちは近くの村に行き、あなた方が盗賊に襲われてみんな死んだと証言します。」
「報酬として、盗賊から奪ったお金をください。荷馬車と一週間分の食料を買える金額です。」
マリエルは盗賊が持っていた盗品と傭兵の武器の一部をもらえれば証拠になると言った。傭兵の一人が悪くないと言った。しかし、大半は信用ならないと言う意見で占められた。特に魔族は信用ならないと。そう言われたヴェルシダも人間は信用ならないと言い返し空気を悪くした。
議論の中、セルビルはマリエルを見ていた。なぜ魔族と一緒なのかは分からない。しかし、仲間の手当てもしてくれ、興奮した魔族と自分との間に入った。見た目から森の部族だろう。連中はお人好しで有名だ。信用してもいい。魔法が使えるのは聖王国に連れてこられて放り出されたくちだ。聖王国に肩入れするわけもない。なにより、この機に動かなければ放浪生活が続くだけだ。
「その話に乗ってもいい。ただし、方法はこちらで決めさせてもらう」
セルビルはそう言うと、ここから二日歩いた先にある村に従弟がいる。そいつに動いてもらう。そう言って首から下げた傭兵の認識票をマリエルに渡した。手のひらに収まる程度の大きさの銅板には、名前と雇い主の名。そして部隊名が刻んである。傭兵が雇い主から貰う物だ。傭兵は報酬と引き換えに認識票を返す。勿論、認識票が返ってこなければ報酬は払う必要がなくなる。
マリエルはセルビルの従弟から、認識票と引き換えに「約束したもの」を受け取って帰ってくる。それを、五日以内に持ち替えれば金を渡すと言った。マリエルは「約束したもの」は何かと聞くと、それが従弟とあった証拠になると言った。
セルビル達は官憲や衛兵、知り合いがいる街や村に近づく危険は犯せない。マリエル達を使えば問題ない。逃げても認識票を取られるだけだ。それに、彼女らは通報できない。魔族と聖王国のから放り出された魔法使いだ。誰も取り合わないどころか自分たちの身が危うい。
マリエルは彼の言いたいことが分かった。どちらにも悪くない話した。問題はヴェルシダだ。置いて行きたいが道中の身の安全を考えると不安が残る。答えは出ているはずだが声が出ない。悩んでいると、どこに潜んでいたのか黒猫が走り寄ってきてローブの中に入り込んだ。柔らかく暖かい。マリエルが黒猫を撫でいると黒猫が人の言葉で言った。
「あの男と話が聞きたい。言う事を聞いてやれ。手伝ってやろう。」
マリエルはセルビルに引き受けると言った。セルビルは顔色が悪いが大丈夫かと言ったが、マリエルは大丈夫と答えた。まさか、猫がしゃべって動揺しているとは言えない。
黒猫はあくびをすると、とりあえずこっちに戻れと言った。




