もしかして…幽体離脱しちゃったってこと!?
視界が歪みゆっくりと風景が流れていく。
支えがなくなったティーカップは指先から滑り落ち「カシャン」と音を立てて割れてしまった。清楚な白と、優しいブルーの組み合わせがフェミニンで、美しい花柄が描かれているそれはわたしのお気に入りだった。
勿体ないと手を伸ばそうにも体はマリオネットの糸が切れてしまったかのように言うことを聞かない。動かない体が冷たい地面に転がる。
侍女は慌てて医者を呼びに行ってしまい、わたしを起こしてくれる者はいない。
眠気に近い倦怠感が少しずつ瞼を重くしていく。ああ、もう目を開けていられない。だんだんと遠のいていく意識の中で突然の浮遊感を感じた。
「エリザベス!頼むっ起きてくれ!! エリザベス!!」
誰かが必死にわたしの名前を呼んでいる。数か月前から戦線へ赴いた夫の声に似ているように感じた。
「 (でも、きっと勘違いよ だって彼は__) 」
わたしのことを嫌っているのだから。
エリザベスは14の歳に夫であるジークムント・トギフォス伯爵様と結婚しました。
5年前、アマンガルド王国は敵国であるマーレン帝国から侵略を受けていました。当時、周辺国を吸収し領土拡大を進めていたマーレン帝国は海を挟んだ隣国であるアマンガルド王国の貿易港に目を付け占領すべく戦争が始まりました。
海を渡ってやってくるマーレン軍に防戦一方だったアマンガルド王国軍でしたが、ある男の登場で戦況は一気に優勢へと変わりました。
それがジークムント・トギフォス様でした。彼は海辺一体を納めるトギフォス領領主で、幾度となく海戦を勝利してきた海戦の猛者でした。彼の航海術や戦術、戦闘力によりアマンガルド王国は帝国の脅威を退けることができたのです。
輝かしい戦功を立てた彼は王に褒美としてエリザベス・マイヤーを望みました。
今回戦争の発端となった貿易港はマイヤー家が管理しており、図らずも命を救われたマイヤー家はその願いを聞き入れることにしました。エリザベス本人もその願いを喜んで受け入れました。
そうして14歳にして29歳であったジークムント・トギフォス伯爵へ輿入れとなったのです。
命を救ってくれた恩人の妻になることの栄誉にエリザベスは心躍らせていました。
商会を営んでいたマイヤー家で育ったエリザベスは父に連れられ色んな土地へ赴き、そこで住む人と触れ合い商売の心得を学んできました。
たくさんの人種と会話をしてきたエリザベス、初めて会うジークムント・トギフォス伯爵様ともきっと良好な関係を築けると思っていました。
短く切り揃えられた銀髪に左右色の違う瞳。屈強な体躯はわたしの倍はあり、見下ろしてくる眼差しに一瞬恐怖を感じた。気を取り直しわたしは笑顔で挨拶するも彼の表情は一つも動くことはなく、名前を交し終えれば「疲れただろう。休むといい」とすぐに部屋から追い出されてしまった。
なんとも呆気ないファーストコンタクトとなってしまったのだった。
それでもわたしは伯爵様に会いに行き会話に励み、心を通わせようと頑張った。相手を知るには言葉を交わさなければ思いは伝わらないと学んでいたから。
しかし、伯爵様はわたしがどんなに話しかけても目を合わせようとせず「ああ」や「そうか」と言うだけ。話していても顔を手で隠し逸らされてしまうのという行動も少なくなかった。
そんなことが続き、わたしは伯爵様がなぜそんなことをするのか考えた。
彼はマイヤー家と関りを持つためにわたしと結婚した、という結論に至った。
マイヤー家は王国御用たちの商人です。独自の流通網と人脈でのし上がった我が家は「アマンガルド一の商会」と呼ばれる程。
侍女にわたしが嫁いだ年から「マイヤー商会の商品がよく並ぶようになった」と聞き、初めこそマイヤー家がトギフォス領の繁栄に貢献できる喜びがあったが、今では素直に喜べなくなってしまった。
15歳も年の離れた子供で、未熟児として生まれたわたしは小柄で貧弱、化粧をしても子供っぽさが抜けない童顔で女性の魅力なんて皆無。伯爵様と並んだってどうやっても釣り合わない。わたしと結婚した理由も家がマイヤー家だったからに過ぎないのだろう。
好きでもないから話していても素っ気なくて、目も合わせないんだ。
夫となった人から嫌われてしまっている。親元から離された少女にはとても悲しいく心細いことでした。
すっかり自信を失ったわたしは極力伯爵様の邪魔にならないよう静かに過ごした。お部屋に赴くのもやめ、会話も短く簡潔に相手の時間を奪わないよう心掛けた。
結婚して5年、冷めた夫婦生活はエリザベスが殺されたことで幕を閉じるのだった。
「……って思ってたんだけどなぁ~」
わたしは自分を上から見下ろしながらこれからどうしようか考えた。
ベッドの上には顔面蒼白で寝ている自分を観察する。自身に触れようとするも指はすり抜け、体が透けているように見える。
胸が上下に動き呼吸を取り込んでいるから死んではいない、体は床に臥せているも精神が自分の肉体から抜けだしているような状況。
これはもしや……
「幽体離脱しちゃったってこと!?」