2―47・Crimson&Flash
エリカの手はカーリアンの左肩へ。
カーリアンの手はエリカの腹部へ。
その状況はまさしくチェックメイトでしかなく、エリカを持ってしても現状を覆す方法など思い浮かばない。
腕一本と自らの命では秤にかけるまでもないだけではなく、肩に手をかけている腕を捕まれている以上離脱する事すらも出来ない。
自分はこの未熟な後輩に……そのムチャクチャながむしゃらさに敗れたのだ、そう認めざるを得なくて、エリカは肩に当てていた手をあっさりと離した。
「……あなたの勝ちよ。腕一本とウチの命一つでは対等とは言えないものね。この命の代価にあなたの腕を一本まるまるもらっていく、というのも悪くはないのだけれど、黒鉄であるあなたを相手にそこまで意地汚くなるつもりはないわ」
勝敗を分ける差を挙げるとすれば見切りの早さ、それに尽きる事をエリカは自覚して思わず唇を噛み締める。
スキルは自分が勝っていた。タクティクス(戦術)においては圧倒的に上回り、戦闘に必要なステータスにおいて言えば、『紅』という強大な発火能力以外には見るべきものがない相手だった。
「ウチの負け……か」
それでも負けた。
エリカが算出したステータスには表記されていない『諦めの悪さ』に負けた。そしてカーリアンに重ねた『自分の過去』に負けたのだ。
かつての自分だったなら……がむしゃらに生き足掻いていた『あの頃の自分』だったなら結果は変わっていた、などとは言わない。
その考えは現在の自分に勝った少女への侮辱に他ならないからだ。
でも、今の自分が無くしてしまった何かへと思いを馳せる事までは止められなかった。
――勝ちを確信してチェックメイトをかけたエリカ。
――そこでこの勝負を見切ってしまっていたエリカ。
――予想していた通りに自分の勝ちで終わる事を当たり前の事なのだと受け入れていた今のエリカ。
こんな自分を見れば、過去の自分は呆れ返るだろうか。
そして今は亡きあのお節介な少女はなんと言うだろうか。
『まだまだだね、エリちゃん』
そう言って彼女は無様に負けたエリカをケラケラと笑っただろうか。
それとも『あたしの教え子は強いっしょ?』と得意気に胸を張ってみせただろうか。
――こうやって過去を垣間見たりしているから負けたのだろうけど。
頭を軽く振ってそんな自分の考えに苦笑を洩らし、ただ心の中に不甲斐なさを刻んでから肩をすくめる。
カーリアンの魔弾達の数とその力は脅威だった。それは間違いない。
でも決して勝てない相手ではなかった。勝てなくてはおかしい勝負だった。
負けおしみでもなんでもない。もう一回同じ状況でやれば絶対に勝てる自信がエリカにはある。
何故なら、脅威的な能力を持つ『魔弾』ではあったが、それを完璧に扱いきれていないカーリアン自身はエリカにとって脅威でもなんでもなかったからだ。
エリカならば数を八つも出さなかった。二つ三つ完全に制御しきれるだけを使い、それを元に戦術を組んだだろう。それを無理矢理八つも出したのはカーリアンの未熟だと判断し、数を頼りにする弱さだと考えた。
だから一気に決めるべく手を打った。
たしかに限界ギリギリの八つを出したのは、カーリアンの未熟によるものだった事は間違いないだろう。
でも弱さではなかった。そこをエリカは見誤っていたのだ。
彼女は数を頼ったわけではなく、数を使いこなせるという自信があったのだ。それはあるいは過信だったのかもしれないが、攻める気持ちがあったからこその『八つ』だったのだと今のエリカは考える。
だからこそエリカが勝ちを見切った後もカーリアンは敗けを見切らなかった。敗けを絶対に認めなかった。
八本をかわされても動揺する事がなかったのは、その数に頼りきってはいなかったからだ。攻める気持ちが消えなかったからだ。
八本をかわされたなら『絶対にカーリアンは揺らぐはずだ』と決めつけていた時点で、エリカの敗北は決まっていたのだと思う。
――腕一本くれてやる。その代わりあんたには絶対に敗けてやらない。
まさか切り札の数をかわされて、すぐにそんな風に切り返してくるとは思ってもみなかった。
そんなカーリアンの気概に対して、エリカは勝利に対する見切りを持ってしまっていたのだから勝てるはずもない。
「思い出したわ。すっかり忘れてた。黒鉄って連中のキャッチフレーズは、彼の言葉を借りれば『誰よりも諦めの悪い人間の集まり』……だったわね」
「そうよ。あたし達は誰よりも諦めの悪い人間の集まりなの。他の誰もが今の時代を仕方がないんだと諦めても、あたし達は絶対にそんなの認めてなんかやらない。あたし達のやってる事が自分勝手なエゴだと言われても……お前達はもう負けたんだと言われても、諦めないし敗けてなんかやらないの。
それが黒鉄ってもんの心髄でしょ、先輩?」
「そうね。そうだったわ。あぁ、ウチはそんな事も忘れてたのね。だから勝てる勝負に負けて……こんなにも悔しいのね」
今までには何人もの黒鉄達に敗れた記憶がエリカにはあった。
宵闇たる師には手合わせの度に敗れたし、彼の相棒たる少女には最後の最後まで黒星を連ねたままだ。他にも『深緑』や『水鏡』にもやられた記憶はある。
それでも確実に勝てると判断出来た相手に負けた事は一度もなかった。訓練でも実戦でも、だ。
勝てる戦場を落とした事など味方に足を引っ張られた時か、あるいはちょっとした不運の積み重なり以外ではなかったのである。
それはエリカが持つ戦術眼による他者との能力比較が、かなりの精度を誇っていたが為だ。彼女はその眼こそが爆弾生成能力などよりも頼りになる武器だと考えていたほどなのだ。
勝てない相手と向かい合った時には、戦う前からあらかじめ敗北という結果が見えていた。その逆もまた然りだ。
ならば敗北の中で何を得るかこそが重要であり、勝てる相手にはいかに損害を受けず勝利するかが戦闘においての要点となる。
それをあらかじめ予見する眼。あるいはセンス。
これを一番の武器として生き残ってきたのだ。そしてそれ故に気付かない部分があった。
――だからウチは今の今まで気付けなかったのね。その眼は一番の武器でありながらも、戦場に立つ者としては衰えさせるものでもあった事に。
勝てる相手には完膚なきまでに勝ち、負ける相手には出来るだけ損失を受けないように負ける。いや負けそうな相手と無理をして戦う必要などどこにもない。逃げてしまえばいいのだ。
それが黒鉄を抜けたエリカにはいつしか当たり前になっていた。
宵闇は側におらず、黒鉄の仲間達もいない。回りに守るべき者がいなければ、無理をする必要などどこにもないのだからそれも仕方がないかもしれない。
しかし、そんなスタイルでは完璧に近い勝利を収める事は出来ても、『絶対的な敗北が見えた戦場を覆す事など出来るはずがない』。見切りの早さは欠点にしかなり得ない。
敗北を覆す者である男に憧れて、その背中をずっと追っていたつもりだったのに、いつしか自分は『勝利出来る戦場だけを確実に勝つ者』になっていたのである。
そんな事実こそがエリカに無意識の内に歯を噛み締めさせる。
負けという勝負の結果などよりも、そんな自覚の方がエリカに敗北感を与えていたのだ。
「さて、と。どうしよっか?あたしももう一回闘ってあんたに勝てる自信なんかないし」
そう言った言葉通りに、目の前の少女は自らの負けを予見していたはずだ。エリカのスキルとタクティクスは彼女を翻弄し、追い詰めていたのだから。
それでも諦めずに立ち向かってきて……その結果としてエリカが見た勝敗を覆してみせた。今回はその結果を掴み取れた。
でもそれは二人が初見であったからだ。エリカが忘れたものをカーリアンが持っていたからだ。
次の機会があれば結果は変わっているだろう。それをカーリアンも自覚していたのだ。
「そうね。次の機会があればウチが勝つでしょうね」
もちろんエリカも次があれば負けるつもりはさらさらない。次は最初から同格の相手と見て、こちらも身体の一部を切り売りする覚悟で勝ちに行くつもりだ。
――少しばかりかつての自分を見ているようで気恥ずかしいのだけれど、ね。
エリカもかつては何度蹴り転がされても、自分より強い黒鉄達に挑み続けていた。最悪の戦場でも生き足掻いてみせたのだ。
その結果として、訓練で結局一度も勝てなかった相手は宵闇と錬血だけという成果を得た。弱者として磨いた戦場を見る眼と、それを生かす為に少しずつ積み上げてきた経験。そして誰よりも不屈な精神。
コード持ちの中で誰よりも弱かった自分が、いつしか『彼』に追い付けるのではないか、と思えるようになったのはその心髄ゆえだろう。
もちろん、今のカーリアンはそんな過去を思い出させたからこそ敗北が堪えた部分もあるが。
「だよね。あんたが黒鉄の心意気とか諦めの悪さとかを思い出しちゃったら、今のあたしじゃまだ勝てる気がしないし」
「……今の、ね。いつかはウチに完全に勝てるつもりなんだ?」
そんなエリカの意地の悪い質問にもカーリアンはあっけらかんとした表情を浮かべ、小首を傾げる仕草までつけて答えた。
「だってさ、あんたを超えなきゃミヤビには追い付けないんでしょ?」
『戦闘能力』という面だけを見れば、かの銀鈴にも迫るほどの特殊能力を持っていた錬血を超えるつもりなのだから、あんたもついでに超えていくとあっさり言ってのけたのだ。
そんな言葉を聞いて呆気に取られ、しばらくフリーズした頭を無理矢理起動させてから、エリカは堪えきれない笑いに喉を震わせる。
――なるほどね。ウチは通過点なワケか。言ってくれるわ。
ううん、この子はミヤ(ゴール)しか見ていないのかしら。きっとこの子ならウチと違ってゴールまで脇目も振らずがむしゃらに走り続けるんでしょうね。
そう出来なかった自分を思って。
ゴールを間近にみていたのに、そこに追い付く事を諦めて、宵闇という一部に成り代わる事だけで妥協した自身を思って――エリカは笑った。
自嘲でも嘲笑でもなく、朗らかに笑ってみせたのだ。
「ねぇ、カーリアン。今あなたが握っているウチの命、しばらく預けてはもらえないかしら?」
そして面白い。そうも思った。
自分とは全く違う性質を持った、強者となりうるだけの資格を……そんな能力を生まれながらに持つ少女。
変種が持つ能力としてはありふれている発火能力と酷似していながらも、全く次元の違う『紅という固有の異端』を持った少女。
そしてそれが持つ特異性、単なる発火能力では持ち得ない自在性を上手く用いて、『魔弾タスラム』という使い方まで導きだした現黒鉄。
もしそんな彼女を、この自分が……『生まれは弱者ながらも、かの宵闇を目指すという一点だけでコードを持つにまで至ったこの閃光』が鍛え上げたならば、一体どれほどの力を持つに至るのだろう。
ひょっとすればかの錬血を超えるだけではなく、生まれながらに最強種たる事を約束された銀鈴すらも超えられるのではないか?
そう思ってしまったのだ。
そう、エリカが見るところによるとカーリアンの紅という力は、間違いなく水鏡や錬血と同じ普通の変種が持つ能力とは何かが違う特殊な能力だ。
そして水鏡が新皇のガードだった事を考えると、彼女よりもより戦闘向きな能力を持つカーリアンならば、最低でもそのクラスの戦闘能力ぐらいは持てるだろう。
普通の変種からすれば雲上の力を持つ皇。その側近と言えど並みの変種から見れば十分以上に化け物揃いである。そこに手を伸ばす資格を彼女は持っている事になる。
さらに言えば、錬血と冠された彼女の師匠は、水鏡によれば並みのガードなどよりもよっぽど強いと評されていた。ならば自分の力だけでその錬血を超えると豪語しているこの原石を……やがては独力でもその領域まで登り詰めるであろう彼女を、戦闘技能者として宵闇から学んだ自分が研磨したのならば、一体どれほどの戦闘能力(輝き)を持つ事にいたるだろう。
またこの少女の見るべき点は紅だけではない。カーリアンは、エリカがついには持てなかった天性の直感まで持っているのである。
戦闘技能者としてその直感、言ってしまえば『先読みの力』が一体どれほどのギフト(天性の才能)であるかは言うまでもない。
エリカが知る黒鉄達の中でも、初見の相手の切り札――エリカの場合、両手で触る事による爆弾生成能力――を『嫌な予感』で見切れるほどに鋭い直感を持っていたのは、かの『深緑のクロネコ』かあるいは無垢であるゆえに相手の裏を読む事に長けた『銀鈴のスズカ』ぐらいしかいない。
錬血や、宵闇でさえもそこまで桁外れな……言ってしまえば予感の域を超えた予知じみたカンは持っていないのである。
それらを考慮し、実際に今現在彼女に敗北を喫してしまったエリカとしては、ここで命を散らすなどもっての他だ。
「もちろんただでなんて厚かましい事は言わないわ。シャクに手を出す真似もしない。宵闇の名前はいずれ貰うつもりだけれど、しばらくは様子を見てもいいと思っているの。
そうね、あなたが強くなって、もう一度ウチと戦っても勝てるぐらいになるまでは待ってもいいのよ?」
自分が追い付けなかった二人、これからも追い付けないであろう錬血と宵闇、そして普通の変種では絶対に勝てない事を定められた『皇』という人種に、自分が手を加え、磨き上げた少女が手を付けるなんて、きっと何よりも痛快な事だろうと考えてしまったのだから。
「そうね、単にあなたにリベンジする機会が欲しいだけだと、そう取ってもらって構わないわ。でも今のままリベンジさせてもらうのは、勝者であるあなたにはなんの得もないでしょう?
だからね、あなたが強くなる手伝いをさせて欲しいと思っているの」
何より自分が宵闇に学んだという過去に意味を持たせる方法としても、きっとこれ以上のやり方はない、そうも考えたのである。
自分があちこちを流れている間に見た『皇という名前の化け物共』。魔人と呼んでも差し障りはないどころか、魔神とさえも呼べるほどの怪物達と彼が向き合った時の為に、それらを討てるだけの剣を宵闇から全てを学んだ自分が用意出来たのなら、彼から自分が得たものは最大限に生かされたのだと確信出来るだろう。
そして彼から得たものを次の者に渡すという過程こそが、自分は彼の後継になれた証にはならないだろうか。
宵闇から閃光へ、そして閃光からその次へと渡されるバトン。つまりは後継へと流れていく過程を施す事だ。
宵闇から学んだものを誰かに譲っていけたのなら、彼から直接学んだ自分だけが彼の後継であり、自分から学んだ誰かは宵闇から引き継がれた自分の後継となる。
そうなれば、自分こそが宵闇の後継だと名乗ってもはばかりなどないだろう。
「ウチはかの錬血の強さを知っている。どのぐらいの差があったのかも自覚しているわ。それを踏まえるなら決して悪い条件だとは思わないのだけれど。
なにせ、ウチを完全に越えたのなら錬血の背中は見えている証明になるのだから。
それともあなたは、一生彼女に追い付けたかどうか分からないという葛藤を抱えて生きていきたいのかしら?」
「うっ、それは……」
「先の見えないまま、たった一人でひたすらに自らを鍛えあげる、そんなストイックな生涯もカッコいいとは思うけれど、実際にそんな一生を費やしたいと思う?それならそれで頑張ってくれてもいいと思うけれどね」
目の前の少女は間違いなく逸材だ。錬血が道は示しているであろうから、能力制御の下地程度はある。そこから閃光たる自分が鍛えあげれば、カーリアンが目指す錬血の名前にも、エリカが望む宵闇の名前にも恥じない実力となるだろう。
そこまで考えたエリカの言葉には遠慮はなかった。容赦なくカーリアンが潜在的な不安としているであろう箇所を突っつく。
錬血がいなくなってからもその背中を追い続けてきた間に、『いつになったら追いつけるのだろう?』と考えないはずがない。
いかに楽天的でも、『一生追い付けないんじゃないか』と、今は亡き目標に対して不安にならないはずがないのだ。
少なくともエリカには――同じく追いかける者である彼女には、その考えが手に取るように分かるからこそ、そこへと切り込んでいく。
「それにね、ウチはどん底からここまで強くなったという自負があるわ。誰よりも自分を鍛えあげる事に関して貪欲だった自信がある。だから言っておくけれど、我流はやめておきなさい。変種の能力トレーニングにおいて言えば、自分一人でやる事にはデメリットしかないわよ」
さらにそうやってカーリアンを揺らしておいてから、危機感を煽る言葉を続ける。カーリアンが気にかけるよう心掛けたエリカの話術に、元から駆け引きに弱い彼女が引っ掛からないはずもない。
固唾を飲むようにエリカの次の言葉を待っている時点で、もはやカーリアンが話の網に絡み取られていると言えるだろう。
何より、いつまで今のやり方で制御訓練をすればいいのか、一人でやってきたやり方が今の自分にも合っているのか……そんな疑問もカーリアンの中には少なからずあったりしたのだから当然だ。
「今までの既存の体術などは、それはそれで洗練されたものよ。そこから学ぶものはあるし、それだけを基盤に学ぶなら一人でも出来なくはない。
でもね、それらはあくまでも既存種向けのものでしかないの。既存種の一般的な身体能力がベースになったものでしかない。
それにそれぞれ固有の能力を持つ変種の力には決まったトレーニング方法なんかないわ。それを独自の判断だけでやると個人では超えられない壁にぶつかるか……やがて『力に狂う』かしかない」
「あたしは――あたしは狂わない!一度そうなった事があるから、もう二度と――」
死にたがりの紅。
そう呼ばれた過去を払拭するのに、カーリアンがどれだけ苦労したか。そしてその苦労とて十全には報われていない現実に、どれほど歯噛みしたか。
最近になってようやく今のカーリアンを認めてくれる仲間達が出来てきたのだ。それを一挙に失う真似などするはずがない。
そんな思いがカーリアンに声を荒げさせる。
しかしそんな彼女にもエリカは全く調子を変えないまま言葉を続けた。
「もう二度と、ね。その決意は立派だけれど、ウチは何人も力に狂った変種を見てきたわ。かつて仲間だった人間を手にかけた事もある。その中にはウチやあなたよりもよほど思慮深い人間もいたのよ。
変種はね、一人で力に向き合っちゃいけないの。これはミヤとシャクの持論なのだけれど、それはきっと正しい事よ」
「……ミヤビとシャクの?」
「多分、多分だけれど、あの二人自身の経験による持論でしょうね。よくは知らないのだけれど、シャクは関東で。ミヤもウチが入る前に何かあったのは間違いないと思う。確証はないけれどね」
――それでもあなたは『自分だけは大丈夫』だと言い切れる?あの二人でさえ危惧した事に、自分だけは無関係だと断言出来る?
その言葉にカーリアンが肯定を返せるはずがなかった。
彼女には狂った過去がある。力に酔いしれ、敵を狩り殺し、煉獄を顕現させた事実がある。
あのいつも能天気なほどに明るく、裏表の全く感じられなかったミヤビや、思慮深くて臆病とも取れるほどに無駄な争いを嫌うシャクナゲが危惧した事に、自分だけは無関係だと言い切れるはずもない。
「……ウチならばあなたを強く出来る。ううん、ミヤがいない今、ウチにしか出来ないと思うわ。あなたが自分を過信し、力に酔いそうになれば叩きのめしてあげられるしね」
ついさっき負けたばかりで、とは思ったが、エリカの言葉には嘘などない。もう一度やればカーリアンを叩きのめせる自信がある。かつての閃光のエリカに戻れたならば、今のカーリアンにはまだ負けない確信があったのだ。
だから悪びれも臆する事もなくそう言ってのける。
「それにシャクやスイレンは他人に何かを教える事に向いた性格ではないし、スズカは生まれついてからずっと最強種なのだから、力の向上なんて考えた事もないはずよ。きっと銀鈴には訓練の意味すらも理解出来ないでしょうね。
そこまで考えたなら、あなたにとっても決して悪い条件ではないと思うのだけれど」
「あんたになんのメリットがあるのよ?シャクの宵闇が欲しいんでしょう?」
その問いには答えたつもりでいた。それだけじゃなく、『自らの命が助かる事』だけでもメリットとしては十分なはずだ。しかもその言葉は、こちらの提案を受け入れる前提での言葉に近いとは気付かないのだろうか。
そんな思いが苦笑を浮かばせそうになるが、それをなんとか噛み殺してエリカは改めて建て前を述べる。
「ウチのメリットは強くなったあなたにリベンジする事。あなたが強くなるまでに、ウチも忘れている事を思いだしてもう一度鍛え直すわ。そしてその末にシャクから宵闇の名前を戴く事にしたの。錬血の後継未満に負けたままじゃあカッコが付かないものね?」
――この子の場合、能力云々なんかより、駆け引きから教えた方が良さそうね。こんなに素直で分かりやすくちゃ、せっかくの力を殺してしまう事にもなりかねない。
そう早くも心の中でメモを付け、いまだに頭を抱えんばかりに何らかの葛藤しているらしいカーリアンに、エリカはトドメをさす事にした。
「それにあなた、忘れているみたいだけれど、元からウチを殺す気なんてなかったんじゃないの?戦う前にそんな事を言ってたでしょう?ならばこの提案は悩むまでもなく、メリットしかないと思うのだけれど」
最初にカーリアンは『エリカを殺すつもりなんかない』と言っていたのだ。
その時は何を甘い事を……とエリカは思ったものの、カーリアンにとっては至極本気の言葉であった事は確信出来る。
もちろん実際エリカと闘った後になって、その考えを覆すつもりになった可能性もある。普通であればエリカとてそう考えるだろう。
だがカーリアンに関して言えば『単にその発言自体を忘れている』だけだという変な自信があった。
つまり王手をかけながらも自分も腕一本差し出した形に興奮し、混乱して、当初の発言を忘れ決着の付け方をどうするかいまさらになって迷っているだけなんじゃないか、そう考えたのだ。
そしてその考えは正しかったのだろう。
空いていた片手で頭を抱えていたカーリアンは、はたと気付いたかのように顔を上げるとポカンとした表情でエリカを見つめる。
――あぁ、なるほど。
その表情を見て、今度はエリカの方が頭を抱えたくなる。
――この子は先天性のスキルは申し分ないけれど、学ぶ事で得る後天性のスキルはからっきしなのね。自分だけで訓練してきたみたいだから、戦闘自体の経験も全く不足しているみたいだし。
確かにカーリアンは原石だろう。その考えは変わらない。
錬血や水鏡、あるいはそれ以上の輝きを放ちうるだけの可能性すら持っているはずだ。下手な師につかず、錬血の教えだけをただやってきたのなら変なクセもないであろうし、その意味で言えば純度も申し分がない。
ただ原石は原石でも、発掘されたばかりのそれだ。カットや研磨はおろか、全くなんの加工もされていない単なる鉱石に近い。
つまり、生まれつきでなければ得られないギフトと呼ばれる才能や、潜在的な質で言えば間違いなく最高に近いものを持っているのに、後から学ぶ事で得られるスキルは軒並みザルなのである。
――それでも『死にたがりの紅』とまで呼ばれ、あのマスターシヴァに消えない傷を与えたというのだから、空恐ろしい事だけれど。
まさしくエリカとは正反対であるが、彼女とてカーリアンほどに極端ではない。
エリカですら目眩を起こしそうになるのだから、極端さで言えば比ではないだろう。
「ま、まぁそうね!う、うん、確かにそう言った!あんたはもともとシャクの前に引っ立ててくつもりだったんだから、その後であいつが許してくれたのなら訓練に付き合ってもらうのも悪くないかもしれないわね!」
――忘れてたんじゃないからね?ほんとよ?
なんて上目遣いで言う事自体が、すでに盛大に墓穴を掘っている証だとなぜ気付かないのだろうか。
エリカからすれば逆に不思議で、感心してしまうぐらいだ。
さらに手をエリカの腹からあっさりと離して、恥ずかしいのかそっぽを向く辺りも信じられない。もしエリカが嘘をついていて、ここで彼女を殺そうとしたらどうするのだろう?
ミヤビとて時折信じられないような大ポカをかましてはいたが、基本的にはしっかりしており、なおかつ大ポカをしでかても自ら補えるだけのスペックがあった。
そうやって比べてみて、似ているようで全く似ていない師弟だと考えてから『この子が成長すればああなるのか』と納得しそうになり、思わず溜め息が漏れた。
先は長いんだろうな……なんて事を考えて、改めて色々な問題児を一手に引き受けていた錬血の優秀さに感じるものがあったのだ。
「決まりね。ならばとりあえず久々の廃都に帰りましょうか。ウチはウチで懐かしい顔に挨拶をしなければならないし、あなたはあなたでやるべき事があるでしょう?」
「やるべき事って?」
「……カーリアン、あなたははるばる光都までなんの為に行ったのかしら?例え待ち合わせの相手が来なかったとしても、任された仕事はその結果を報告するまでは終わらないのよ?」
「あっ、そっか」
――はぁ、頭が痛くなりそうだわ。
ふむふむと素直に頷くカーリアンに、思わずこめかみを押さえながらエリカは先に歩いていく。
今はまだ夜に入ったばかりの時間帯とはいえ、『用事』が済んだのなら早々に帰還すべく歩き始めるべきだろう。用事さえなければ闇に包まれた夜にこそ行軍すべきで、足下が見えにくいからといって休憩するなどもっての他だ。
そんな考えを下して歩き始めたエリカに、取り残されそうになったカーリアンは大慌てでその後を付いていく。
「あ、こら、待ちなさいっ。あんたが仕切るんじゃないっての!あんたはシャクに引き合わせるまであたしの管理下にいてもらうんだからっ」
「ならあなたには帰り道が分かるの?先頭に立って歩いても、いつの間にか北陸やら東海やらまで行ってしまわない自信があると?だからウチには黙って自分に付いて来い、とそう言いたいのね?」
「うっ、それは……多分」
「多分じゃダメ。という事でウチが先導しても問題なんてないわよね?」
「むぅ〜っ!」
「黙って付いて来なさい、カーリアン。帰りがてらあなたに足りない部分――というより決定的に欠けている部分についてたっぷり語ってあげるから」
『あたしが勝ったのに』なんて事をぶつぶつと洩らしながらも、一人取り残されるのはごめんなのか、はたまた『決定的に欠けている部分』とやらに興味があるのか、カーリアンはやや早足でエリカに並びかけた。
――偽物ゆえに自らを徹底的に鍛え上げ、その結果として閃光とまで称されるほどとなった女性と、本物でありながらも師を失ってからは鍛えあげるすべをただ一人手探りで模索し続けてきた少女。
「まずあなたは方向音痴と、その分かりやすすぎる表情を隠すすべを得なさい。というかねカーリアン、あなたその『紅』とか『直感』とか生まれつきの才能以外の面はてんでダメね」
「ムカッ!てんでダメに負けたくせにっ!」
「帰ったら今度はコテンパンにしてあげるから安心しなさい。それにあなたは人を疑う事を知らなすぎる。そんなんじゃいつか絶対変な男に騙されるかして痛い目を見るわよ?」
「……それはちょっと反論出来ないかも。あいつってば変なヤツだし」
この正反対でありながら、よく似た二人の出会いがやがて揺れ動くこの時代に大きな波紋を起こす……かもしれない。
ん~~、ん?
う~ん。なんか納得がいつまで経ってもいかない。
やっぱり一人称の方が向いてるかな。書きやすかった気がします。
三人称ってむずかし……。
なんか一人称にすれば『一人称ってむずかしいね』とか言いそうですが、それはそれ。
クリムゾン&フラッシュ
もしくは
クリムゾンガール&ダークフラッシュ
さらには
カーリアン&エリカ
もういっちょ
レッド&ライト
などなど題名に悩み、まぁいいよね、これで……と決まったのが表題です。
この後は、すでに存在をM78星雲辺りに置いてけぼりにして、いつの間にやら影薄少女となったカクリと、ネームレスの『四番』アザミによる『廃都にて(仮題)』と、エリカがこんこんとカーリアンにダメ出しをする『帰路(これまた仮題)』を挟み、アオイの話とシャクナゲラストで終わりな予定です。
とりあえずカクリの話を書いてはいますが、久々すぎてカクリの書き方が……不安過ぎる。