2―40・Egis
「先生ってのは、本当に贅沢な仕事だよね」
散々新人達をしごきあげて、何人もの新人達を泣かせまくった後で彼女はそう言って笑っていた。
後輩達数人を教練と称して地べたに這いつくばらせた後で、そんな彼女を呆れたように見ていた彼に朗らかに笑っていた姿を、彼は今でもはっきりと思い出せる。
「あたしには家族なんかいないのに……家族ってどんなものなのかすらわかんないのに、あたしはみんなの先生になった。同時にお姉ちゃんにもなれたし、お母さんにもなれたんだよ?もちろん仲間にもね。これってすっごく贅沢な話だと思わすない?」
彼女は孤児だった。
生まれた時から一人っきりで、目立つ髪の色や瞳の色からあちこちをたらい回しにされて、まるで猫の子でも捨てるかのように施設に放り出された過去を聞いていた。
その性格がねじ曲がらなかったのが不思議なぐらいの辛酸を舐めてきたのだと、彼は彼女自身からではなく『親友』から聞いていた。
──あいつは多分、家族が欲しいんだよ。
そう言っていた親友の瞳は、どこまでも深い悲しみを秘めていた事を覚えている。
そんな彼女が、自分の教え子達を『仲間』と、『兄弟』と、そして『子供』と呼んだのだ。
その言葉にどれほど深い想いが込められていたのか、それは相棒だった彼にもいまだ分かっていない。
「先生なら生徒を心配して当たり前よ。お姉ちゃんなら弟や妹は守らなきゃでしょ。お母さんなら子供の為に命だって賭けられる。
そして仲間になら……後を託せるんだよ」
――こんな贅沢な話なんてそうそう思わない?
そう言った彼女は、その想いの丈をぶつけるかのように大勢の後輩達をしごきあげ、まっすぐに体当たりで導いてきたのだ。
その考えに殉じて、生徒達全員に真っ向からぶつかっていたのである。
東海随一の同族殺し『死にたがりの紅』、孤児でストリート育ちだった『音速』や『響音』の道を、理不尽な死で終わらせない為だけに。
ただ厳しく当たっただけではない。そんなやり方で心を閉ざした人間を導けるはずがない。
彼女達全員の保護者として、自分に出来る事全てをやってきた。ただそれだけの事を全身全霊でやってきたからこそ、彼女は恐れられながらも仲間達全てに慕われるようになったのだ。
黒鉄としての彼女を知る仲間の多くは誤解しがちだが、彼女はあの最後の瞬間、相棒である彼の背中を守る為に一人で大軍に立ちはだかったワケではない。
彼女は──錬血の呼び名を持った女性は、いまだ未熟な『子供達』の為だけに、その命を燃やし尽くしたのだとシャクナゲだけは知っている。
『あたしはね、あんたの背中なんか追ってやらない。
──何が何でも真横を歩いてやる』
そうずっと言っていた彼女は、最後の瞬間まで意地でも真横を歩き続けて……彼の後ろを付いて歩く事は結局一度としてしないままで、最後には手の届かない先へと行ってしまった。
後を託せる存在を――己の意志を継ぐ者達を残して。
そして沢山の言葉を彼に残して。
シャクナゲに返しきれない借りだけを山ほど作ったままで。
「お前の本当の力、『力の具現』だったか、それについてちょっと考えてみたんだけどな、やっぱり規格外な力だって事しかわかんなかったわ」
そう言った青年は──シャクナゲ以上に規格外で、常識を越えた力を持っていた男は、恐らくは単なる暇潰しとして呼んだのだろう、そんな事を唐突に語りだした。
自身の力について嫌悪感しか持っていないシャクナゲにとって、その話題は決して楽しいものではない。
思わず憮然とした表情になる彼に、その青年は小さく笑って、でも気にした様子を見せずに言葉を続ける。
「あらゆる力の具現化、変種達がそれぞれ持つ力を領域内に現してみせる世界。
正直な話な、直接目の当たりにしたわけじゃなく、話に聞いただけだからなんとも言えないんだけどよ……」
そう言って青年はしばし言葉を区切ると、言葉を吟味するかのように口内で転がしてから一つ小さく頷いてみせる。
「なんかそれっていいよな」
そしてその力を嫌っている彼の前で――その世界に多くを奪われた親友の前で、そんな事を言ってみせたのだ。
「あ、でも勘違いすんなよ?そんな力があったら『他の変種達なんか相手になんないぜ』とか、『無茶苦茶しまくるミヤビのヤツにも、ガツンと一発お仕置きしてやれるぜ』とか、そんな事を考えてるわけじゃないからな?」
その言い様が可笑しくて。真剣なものでありながら、どこかいつもの『彼らしさ』が見てとれて。
シャクナゲはその好きではない話題に対して――嫌悪し、忌避しているものの話に対して、どこか気が楽になった事を覚えている。
「なんて言うかな、つまりお前の世界はさ、一人っきりじゃ力を発揮しない世界って事だろ?強い力を持つ『誰かがいてこそ』強くなれる、そんな世界なんだろ?」
なんでもないように……単に思いつくままに語られるその言葉に、シャクナゲは思わず呆然としてしまった。
それは決して的外れな事を聞かされたからでも、好意的すぎる解釈に呆れたからでもない。
シャクナゲ自身はそんな風に考えた事がなかったから、『ただ力を記録するだけのもの』としか見てなかったから、胸を突かれた気がしたのだ。
「膨大な数を持つ端末?広大な領域?そりゃ確かに凄いもんだ。他に誰も持ってないもんだよ。
でもそんなもんで純正型には――皇を名乗る連中にゃ勝てねぇ。それはお前の方ががよく知っているんじゃないのか?」
皇の力は――その異常は、確かに彼こそがよく知っていた。彼自身が誰よりも理解していた。
確かに、広大と膨大だけでも『彼ら』を相手にそれなりの勝負は出来るだろう。相手の世界の果てよりさらに遠距離から、ひたすら攻撃を繰り返していれば、時間稼ぎくらいならやってやれなくはない。
ただそれだけで勝てるかと問われれば、即座に否と言わざるを得ない事も事実だ。
同じく皇と呼ばれた存在に、手を抜いて勝てるはずなどない。それほどまでに彼の世界が全てを超越していたのなら、『シャクナゲ』という徒花は生まれなかっただろう。
「お前の世界の力がさ、誰かがいてこそ……誰かの力を受けてこそ、その力を増す『記憶の世界』なんだって考えたらさ、それで他の皇達と渡り合えるのってなんかいいよな」
――俺達の力は本来誰にも理解出来ない、世界の中心以外は誰も立ち入れない孤独なもんだしな。
それでも青年はそう言って。
不完全な超越を持つ彼を心底から羨ましそうに見つめて。
「俺にもいつか見せてくれよ」
気持ちよく笑ってみせたのだ。
叶いそうにない願いだと分かっているはずなのに――そんな『時間』など残されていない事は、『欠陥預言書』のせいで寝たきりになって久しい彼こそが一番分かっていたはずなのに。
「は、どこまでも身勝手な世界だ」
吐き捨てるかのように、でもどこか苦笑いを含んだ声でそう漏らすと、彼はゆっくりと目の前を見据えた。
「俺自身はいい加減飽き飽きしてるってのに、どうやらこの世界はまだ生き足りないらしい。
しかもそこに居座る奴らもお節介ばっかりときたよ。勘弁してくれ」
四方八方から迫る力の大軍を相手に回して、精一杯抗っている自身の灰色を。
支配領域を削られながらもなお猛々しく立ち向かう己が内面世界を。
普通の純正型が持つ世界は、他の世界からの干渉を嫌うものだ。しかし、この灰色世界はその領域の広大さから他の世界を包み込む形でも発動する。他の世界が支配する領域を除いて、その周囲一帯に展開するのだ。
その点だけを見ても、他の世界への干渉力はそう強くない方だと言えるだろう。もしその干渉力が強ければ、灰色世界で飲み込んだ他の世界とは自動的に戦闘を――支配領域の喰らい合いを開始する羽目になるのだから。
そんな干渉力の弱い――言ってしまえば領域面積が広いだけで、世界自体の堅固さはそう強くない灰色世界において、他の世界に対する侵攻はもっぱら『端末』の役割であり、防衛も端末がこなすのが当たり前だ。
それら端末が現した力が……世界に刻まれた力の具現化したものが、シャクナゲが呆然としていた間も自動的にその身を守っていた。
今までもずっとそうしてきたように。
理の力を濃縮させた力を振るって。
彼が望むかどうかはお構い無しに。
その中で、ひたすら猛威を振るう剣の嵐と、紅の稲妻。
歪な剣が力を拡散させ、弱めたそれを紅が焼き尽くす。討ち洩らした力は、弾ける音の塊と乱れまう不可視の刃が相手取る。
さらにはもうずっと昔――故郷に置き去りにした過去に眠る様々な記憶の欠片が、今なお飛び立つ姿を見て。
彼にはもはや笑う事しか出来なかった。
「ほんとさ、お前らは俺に甘過ぎだ。どうせ『発破かけてやらなきゃなんも出来ない』とでも思ってんだろ?」
なんというか、その力達が自分に……過去に捕らわれていた愚かな自分に、その在り方を見せつけているように見えて。
聞こえてきた声と、脳裏に浮かんだ記憶の先にいる人物らが、発破をかけているように感じられて。
「ったくさ、お節介焼きばっかだよな」
――俺みたいなヤツに構ったばっかりに嫌な思いもしただろうにさ。
そうぼやきながらも、彼は小さな嘲笑を浮かべていた。
いつも『望む望まざる』に関わらず、自分を守る世界に辟易としてきたというのに。
ただ無慈悲に自分だけを守る世界を呪ってきたというのに。
今だけは何故かその姿に大事な仲間達の姿を見た気がしたのだ。
「分かってる。分かってるよ、俺なら『新皇・灰色』に勝てるさ。グライやワードでも確実には勝てない最悪の新皇に――スズカでも勝ちきれない悪夢に、俺だけは確実に勝てる」
そう言って、圧倒的な数で迫る力の群れに対して、一歩も退く事なく抗う自分の世界に、彼は皮肉げな笑みを浮かべてみせた。
その笑みは、ここのところずっと忘れていた『自分らしさ』を、なんとか思い出すかのようなきこちなさを伴って、どこか造り物めいて見える。
まるで目の前にいる誰かに見せつけるかのように、ことさら時間をかけて彼は笑みを浮かべたのだ。
「Set-start up boot one's of──」
そしてその笑みを浮かべたまま、もはや目前まで迫っていた異なる灰色の力を見やり、押されに押されていながらもなんとか押し返そうとしている自身の灰色を感じながら、シャクナゲはそっとその右手を空にかざした。
今も灰色の異界の空で、煌々と輝く月を掴むかのように。
そしてその仕草と共に自身が刻んだ力ある言葉を口にする。
「──『the Egis』!」
迫りくる異端の灰色を目前にして、彼が自分の奥深くから拾い上げた言葉はそれだった。
それは少年のように終末を望む言葉ではなく、殺意を込めた言葉でもない。ただ自身を……自分の周りだけを守る為に刻んだ、今までに一度も使った事のない言葉だ。
そう、ただ自らを殺し尽くそうと迫る力を前に、自身が設けたワードの中では『最高の防御』を現す言葉で――刻んだまま一度として使う機会のなかった言葉で、最高の迎撃を現す命を下したのだ。
勝手に守られてしまう事を自嘲し、結局はその自嘲の念通りに、一度として使われる事のなかったそのワードが現すもの。
それは、数で補うしかない、数の力で壁を造る事しか出来ない彼が、いつか自分の身を――そして身近な誰かを守る為に力を使えたらと願い、それが叶わない事を分かっていても、つい大事に取っておいた唯一守りを現す言葉だ。
そのワードは簡単に言えば、広大過ぎる世界の中で彼の周囲のみに力を集めるだけのものだ。
果てのない世界の中で、自分自身の周りに集中的に力を留めるだけのものでしかない。
しかし、それだけの事でも一定以上の力を持たない相手なら──端的に言えば別の世界を構築する純正型を敵としなければ、『絶対防御』とも言える力を発揮する。
あらゆる力を霧散させる理を持つ無限に近い数の鎖と、その数だけ現せる異能の力。その全てを近辺に集めておけば、後はただ放っておいても集めた力達が勝手に活動する。
集められた力の全てが『自動的に世界の核に対して』脅威となるものから優先的に迎撃、消滅させていくのだ。彼がワードによって定めた事は、精々ただ狭い領域に力を集める事だけでしかない。
しかし、集中させただけにその守りに穴やムラがないのだ。
終末端子による自動殲滅では、どうしても出来てしまう『一定領域辺りに具現化する力の質の違い』がないのである。また集めてしまうだけに、迎撃面積も限定できる。
言うなればただ核の周囲のみに力を集結させて、ただいつも通りに勝手に守られるだけであるが、その迎撃の苛烈さはいつもの比ではない。
『核』の意志を汲み取った力は、より激しく轟音を上げて回り始め、一定領域内から先には一歩たりとも近付けまいと力を奮う。
その自動迎撃の様相が、さながらイージス艦の持つイージス戦闘システムを思わせる。
それ故にこのワードは『Egis』。
イージスの盾……つまりかつての仲間が冠した『女神の盾(アイギスの盾)』ではなく、人類の叡智が生んだシステムから取った名前だった。
それゆえに、その解放のワードも、単純に『セット』ではなく、『起動させる』としたのだ。
元は圧倒的な領域を誇った灰色世界の内、残されたのはわずか核の周囲の十メートル四方のみ。
しかし、そこ以外の全てが異端の灰色に喰われ、殺し尽くされ、貪り尽くされても。
それがシャクナゲの敗北を示すわけではない。
起動し、廻り始めた『Egis』は、その劣勢をものともせずに、狭まった領域内でなお狂おしく歯車を稼働させる。
その防御力自体は、他世界の理の侵入すら拒む白銀の盾には遠く及ばない。むしろ普通の『拒絶』と変わらない程度の防御力しか持ち得ない。
それでも極めて攻撃性の高い防壁であり、ただ防ぐだけの力たる『白銀』とは一線を画している。
さらにイージスの起動を命ずる言葉が、押されに押されていたシャクナゲの従者達に力を与えていた。
さながら今か今かと反撃の機会を待っていた騎士達に、主である王から絶対の信頼を持って命令が下されたかのごとく、今まで押されまくっていた力を押し返してみせる。
空舞う刃が、紺碧の雷が、破裂する振動弾が、燃やし尽くす紅色の閃光が。
領域を侵そうと暴走する災厄の灰色に真っ向から力を向ける。
「はっ、俺は何をやってんだかな」
そんな力達の中心にいる彼は、ただそこにあって。
そこにあるだけで。
暴走し、破壊を撒き散らす終末端子の直中にあって、皮肉げな笑みを浮かべたまま額に張り付いた髪を鬱陶しそうに払ってみせた。
「自分の弱点なら吐き気を覚えるほどに自覚してるんだ。過去の自分を殺したい衝動に駆られるほど記憶に刻まれてんだよ」
そう一人ごちながら、ゆっくりとした動作で辺りを見渡すシャクナゲに、異端の灰色はさらに力を向けるもEgisの迎撃網は越えられない。密集した力の壁は突き崩せない。
例え防御力自体は低くとも、無差別に領域全てを破壊する力に対して、『核の周囲だけ』を徹底して守る事なら出来る。広大な灰色の全てを塗り潰そうと広がり続ける異端の灰色から、わずが数メートル四方を守るだけなら出来ないはずがないのだ。
いかにこの数年立ち止まったままだった彼でも――新皇から堕ちた存在であっても、二人は全く同じ『具現』の世界を持つ者なのだから。
「なによりお前には言いたい事が山ほどあるはすなのにさ。殺意にかられて、悪夢に負けて、何も言わないままわざわざ勝てない真っ向勝負なんてするなんて……」
――バカらしい。
吐き捨てるようにそう言って、彼はその表情を歪めた。悲しげにではなく、怒りからでもない。
ただ憂鬱そうに歪めて、自身の世界を暴走させた少年を見やる。
自分がいかな方法を取ろうとも……そして目の前の少年はいかに追い込まれたとしても、彼は決して一点に力を集めて誰かを殺そうとしない事をシャクナゲは知っている。
たった一人に殺意を向けて、ただ一人を殺す為だけに、自分の意思で『第二の世界』を廻さない事を――廻せない事を知っている。
無差別殲滅ではなく、自分の意思のみで世界で個人を殺せない事を覚えている。
――あの時でさえ、『りぃ』と向かい合った時でさえ、俺は『自分』の意志で世界を回せなかった。自動殲滅に頼って、それであいつに向かい合おうとしたんだ。
それがどれほど滑稽な事か分かっていても、彼には出来なかったのだ。ただ暴走させた力で、最悪に立ち向かおうとしたのだ。
正面から自分だけに向き合ってきた、本当の意味で唯一の新皇たる彼女に対してさえ、自分は個人で世界を使おうとしなかった。ただ意図的に世界を暴走させただけでしかない。
それは信念があったからではない。断じてそんなわけではない。
単純に少年が『弱かった』からだ。自分の意思で世界を廻し、誰かに殺意を向けてしまえば、『もはや誰にも言い訳が出来なくなる事が怖かったから』だ。
一度でもそんな真似をすれば、『自分はこんなものなど欲しくなかった』ともう言えなくなる気がした。
そして『自分が殺したわけじゃなく、世界がやったんだ』と言えなくなる気がしたのだ。
殺してしまった相手が夢に出ても、言い訳一つ出来なくなる事が怖くて仕方なかった。夜眠る前に、『自分が悪いんじゃない』『自分は努力している』と、そう自分に言い聞かせる言葉がなくなることを恐れた。
その弱さは、彼自身が一番知っている。
新皇・灰色は誰よりも『弱い』事を彼だけは知っているのだ。
Egisは単純にワードです。
言葉で力の在り方を定めただけのもので、第三ではないです。
とりあえず迎撃密度を上げる為に設定したものと理解してください。
一応この辺りのシャクナゲの心情は、一部とやや繋がりがありますが、どうでしょう?
というかですね、これ書くのもいっぱいいっぱいたったりします。
憎むべきはスマホです。今週の自分は結構頑張って書いてたはずなのですが、内容よりも打ち込む時間がヤバいです。
充電なくなるの早いし、携帯充電器は必須。これなきゃ小説なんて書けません。
と、またまたスマホに愚痴りましたが、そろそろこのネタも厳しいですかね?
全くもって事実ばから
なんですが。
シャクナゲターンは後二週な予定。
次回もぜひどうぞ。