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2─36・Mama……






 全く縁もゆかりもない地で出会ったその少女は、まさしく彼女の生き写しだった。

 かつての自分自身のすががその少女にぴったりと重なったのだ。

 その少女との出会いがどれほど自分に衝撃を与えたか。それは彼女自身以外には、恐らくあと一人にしか分かってなどもらえないだろう。

 自分の事を一番に考えてくれる二人っきりの同僚……家族同然の二人にも、今では心を許せる友人となった紅の少女にも、その衝撃の大きさは絶対にわかりっこないと思う。

 それどころか『どこが似ているのか』と首を傾げるかもしれない。


 そう、姿形自体は全く似ていない。

 彼女は灰色がかった銀髪だったのに対して、少女はくすんだ金色の髪だったし、瞳の色も彼女が抜けるような紺碧の瞳であるのに対して、少女は全ての色を飲み込むような漆黒の色だ。

 それでも、そんな違いなど全く気にならないほどによく似ていた。

 間違いなく目の前の少女は、かつて兄に拾われるまでの彼女自身だと思ったのだ。


 空腹のあまりか弱々しく唸る口元は、それでもはっきりとした敵意が見えるもので、自分に近付いてくる彼女に怯えている事が分かる。

 涙を浮かべて、歯をカチカチと鳴らして、猫科の動物の攻撃態勢を思わせる前傾姿勢で警戒するその姿は、どこまでも獣じみて見えたのに──それでもその姿は、傷つく事に怯えただけの幼い子供のものだ。


 そして何よりはっきりと自分に似ていると思ったのは、少女の頭にある『証』だった。

 彼女と同じように──今では銀鈴と呼ばれ、多くの『大切』を持ったスズカと同じように、兄に大切なものをたくさんもらった彼女と同じように、頭に異物がある少女。


 スズカは左右対象に二対。

 少女は額のすぐ上に一つだけ。

 それでもその程度の違いなど全く小さなものでしかない。

 頭にかぶせてあった布がスズカの力で弾かれたあと、必死といってもいい表情で『それ』を隠そうとする姿だけでも、彼女には十分だった。

 十分過ぎるほどに胸が痛んだ。


 それだけでスズカには、少女の今までが……歩んできた暗い道のりが見えてしまったのだ。





 ──その少女との出会いには、ほんの少し時間を遡る。





「止まって」


 いきなりそうかけられたスズカの声に、シュテンは運転していた年代物のジープにブレーキをきかせた。軋んだ甲高いブレーキ音が響き、僅かにつんのめるかのように車体が滑る。


 場所は山都から外れてすでに光都に近い場所でありながら、他地方との抗争の爪痕なのか荒れ果てた建物が目立つ地域だった。

 人の姿は全くなく、ゴーストタウンという呼び名が相応しい寂れた元住宅街だ。

 シヴァと争った場所──東海地方との境界からは離れていたが、その荒んだ景観だけは全く変わらない。


「ん〜?何ぃ?なんかあったぁ?」


 スズカにもたれかかり半分眠ったように瞳を瞑っていたヌエは、そんなジープの動きに合わせてシートからズレ落ちながら小さなあくびを漏らしつつ、キョロキョロと辺りを見渡してみせる。

 その仕草はどこまでも呑気なもので、気楽な様子にしか見えない。

 しかし、別に彼女はいつものように運転をシュテンに任せてサボっていたワケではない。

 今もその力でもって、後方にいる狂人の動向を『子供達』に探らせているのだ。

 それだけではなく、この辺りの状況を念のために偵察をさせていたりする。

 今の三人の中で、最も働いているのは彼女だと言っても過言ではない。


 またも運転を一人任されたシュテンは、いつものように彼女に対して不満を漏らしてみせたが、それは別に本当に不満たらたらだったからなどではない。そんなやり取りが『いつもの二人らしさ』だったからに過ぎない。


 スズカの側にいる二人らしさ。


 ギャーギャー喚きあって、結局最後にはいつもシュテンがヌエにやりこめられて、これまた毎度かわせた事のないローキックを食らって、それをスズカがあわあわと慌てながらあたふたしている。

 そんな『らしさ』を求めたからこそ、文句を付けてみせただけだった。

 もちろん後部座席に陣取ったヌエが運転席に座るシュテンに対してローキックを放てるワケもないから、今回は後頭部に思いっきりケリを食らったのだが、別に蹴られたくて文句を付けたワケではない。


「声が聞こえる」


「声?」


「待ってて。すぐに戻る」


 いまだボーっとしているヌエに、スズカは答えながらもあちこちを見やり、そしてある方向を見据えると返事も聞かずにジープから飛び降りた。

 もはや理性を追い詰め、壊した白銀世界の果てに手を伸ばしていた頃の余韻は全くなく、頭に被った可愛らしいニットもいつも通りだ。

 無感情で無表情なその顔立ちにすら、いつものスズカらしさを感じる。


「あっ、待って、待ってぇ!お嬢ぉ〜、私も行くからぁ!

 ……童貞はちゃんと車見てろよ、『メリー』の部品一つでも盗られたら、あんたの体のパーツをばら売りするからな」


「お嬢の前でまで童貞押しするな、そしてうちに支給されてるもの全部に可愛い名前をつけんな、さらに車のパーツ一つで俺の体のパーツをばら売りとかどんな不等価交換だっ!」


 律儀に全てのツッコミ要素に返事を返すシュテンを、ヌエは得物を担ぎながらヘラッと笑い、残される彼に見せつけるように彼女はスズカに腕を絡めてみせる。

 もちろんただシュテンに見せつける為だけに、彼女はスズカに付いていったワケではない。それもないとは言わないが、それだけではないのだ。


 スズカ自身は全く自覚がないが、彼女は非常に目立つルックスをしているのだ。

 ヌエが身内贔屓なく見ても、スズカに匹敵するほどの美少女など今の黒鉄には一人もいない。贔屓目ありで見たなら、今まで一人もいなかったと断言してしまうだろう。

 だからこそ、そんな自分の容姿に無頓着なスズカを、こんな治安があまり良くなさそうな場所で一人には出来ない。

 なにしろスズカは非常に頭がよく、異様なほどに聡い少女だが、それ以上に世間知らずな面がある。自分の容姿が男という人種の目にどのように見えるのか、その結果どんな欲望を向けられるのかをほとんど分かっていない。

 それは兄代わりであった男が、一人で色々と知識を教えこんできた弊害であり、その兄に依存しすぎているスズカの性格によるものだろう。

 何かあっても一人で切り抜けられるだけの力はあると確信していても──スズカを傷つけられるような人間などそうはいないと知っていても、その辺りがヌエにとって不安にならないとは言えない。


 また、ヌエが車を見ているように言ったのにももちろん理由がある。別にシュテンに嫌がらせをしたいだけではない。

 いかに廃墟であれ──そう見える場所であれ、ちゃんと動く車、しかも服やら食料やらを積み込んだものを、ほんの数分であれ目を離すワケにはいかないのだ。

 そんな真似をすれば、車は骨組みだけを残してバラバラにされてしまうだろうし、積み荷も一切合切持っていかれてしまうだろう。

 パーツ一つであれ、車を持っている組織──関西統括軍やら境界を接する東海軍に持っていけば、それなりの値段で買ってくれるし、衣料品やら食料やらはそのまま自分で使っても市で売り払っても構わない。


 盗む事が悪いのではなく、盗まざるを得ない時代が悪いのであり、盗まれる方が間抜けなのだ。それをヌエはよく知っている。

 今も人の姿は見えないが、その気配だけはそこかしこにある。隙を見せればどこからともなく食うに困った人々が雲霞のごとく群れてくるに違いない。

 スズカは全くの素手で、見るからにか弱そうではあるが、シュテンは見るからにゴツい体付きであるし、ヌエは明らかに使い方を間違えている『得物』を抱えているから、警戒して様子を見ているだけなのだろう。

 そういった理由から、変に悶着を起こさない為に、見るからにゴツく見るからに変種であるシュテンを留守番にしたのだ。

 そしてそのシュテンに上から目線で留守番を言いつけ、様子を見ている連中に『自分の方が格上なんだ』とアピールしてみせ、さらに肩に物騒な得物を担いだ見るからに危なそうなヌエがスズカに付いていったのである。


 ちなみにヌエの本音を言わせてもらうならば、さっさと帰ってゆっくりしたいところだったりする。

 移動による疲労も、力を行使した倦怠感もあるのだから、出来るだけ早く帰りたいと思うのも当たり前だ。

 ただ、基本的にスズカの行動や方針に対して、ヌエもシュテンもめったな事では口を出したりしない。

 『声が聞こえる』……そして暗に『その声が気にかかる』と言うスズカに、二人が『疲れたからさっさと帰りたい』という理由で帰還を促す真似などするはずもない。

 二人は揃ってスズカには甘いのだ。昔の関係──皇とその側近という立場だった事も、それを加速させているのだ。


「お嬢ぉ、声ってなぁに?なんか言ってるのぉ?」


「泣いてる声が聞こえる」


「泣いてる?」


「そう」


 全くもって簡潔過ぎる言葉は、どこまでもスズカらしかった。

 これでも兄代わりの少年や、仲のいいパイロキネシストの少女、あるいは同僚であり兄姉代わりでもある二人の影響を受けて多少は話すようになった方だったりする。

 昔、ヌエがまだ『夜狩』でなかった頃に初めて会った時など、兄である少年の服をしっかり掴んで、その背後に隠れて出てこなかったぐらいなのだ。


「泣いてる子供の声」


「子供の声って──」


 ──そりゃあ泣いてる子供ぐらい今のご時世ならそこら中にいるでしょうけどぉ。


 そう続けようとして、その言葉はスズカの次の言葉に永遠に遮られた。


「その声には同族の匂いがする。その子供の声からは別の世界の気配を感じる」


「えっ?」


「なぜこんな感覚を覚えるのかはわからない。こんな感覚は私も久しぶり」


「マジ、ですか?」


「至極マジ」


 スズカがそう『感じる』というならば、その言葉に嘘はないのだろう。そうヌエは判断する。

 なぜならばスズカが絶対に他人に嘘をついたりはしない事をヌエは知っているからだ。

 ヌエやシュテン、そして黒鉄の仲間達にだけではなく、見知らぬ他人にさえスズカが誰かに嘘をついたところなど彼女は見た事がない。

 そういったものを駆使した駆け引きなどは、異常に頭の回るスズカが唯一苦手とするところだ。

 その反面なのか、他人の嘘に対して異常ほど鼻が効くという面もあったが。


「近い。ヌエは下がってて」


「そんなワケにはいかないってぇ」


 地面に置いた得物──チェーンソーといういう凶器に足を掛け、エンジンをかけようとしたヌエをスズカはジッと見据える。

 その視線にへらへらとした笑みを返しながら、『よっ』と小さな掛け声をかけてエンジンを回そうとして──


「子供達はこれ以上使わない方がいい。そして子供達を使わないなら下がってるべき」


「ぶ〜。それならお嬢だってこれ以上『拒絶』は使わない方がぁ──」


「下がってて」


「……いいんじゃないかなぁって思うんだけどぉ」


「下がってて欲しい」


「分かった、分かったからぁ!もう、そんな潤んだ目でジッと見ないでよぉ〜

 あたしが何か悪い事してるみたいじゃないですかぁ」


 結局はその戦闘準備を諦めた。いや、諦めざるを得なかった、というべきか。

 まっすぐにヌエを見据えるスズカの瞳が、次第に潤みだした時点で逆らえるわけがなかったのだ。

 自分を心配して、心の底から気遣っているスズカに、自分の意志を通しきる自信などヌエにはない。


 ──もう!この兄妹は本当に自分の事は棚に上げて人の心配ばっかするんだからぁ!



 よっぽどそう言ってやりたかったが、その台詞は逆に喜ばれてしまうだけだと分かっているから言わなかった。

 これ以上変なところであの兄に似られては、スズカには真っ当に育って欲しいと願うヌエからすれば困ってしまうからだ。

 正直な話、これ以上あの兄貴分をリスペクトされるのは避けたいというのが本音なのだ。


「こんな事ならシュテンのヤツに付いてこさせたのにぃ」


「シュテンは見た目が怖い……と感じるかもしれない。だからヌエ。ヌエはすごく綺麗だから」


「……いや、お嬢には負けるけどね、ってやっぱり自覚はないんだよねぇ」


「……?」


「なんでもないよぉ」


 ──全く、あの兄貴ときたら、なんでこんなに無頓着な子に育てたんだか。やっぱり男はダメねぇ。


 そんな事を内心では考えながらも、ヌエは小さな溜め息を漏らすに留めた。

 もっともこのヌエの考えは、かなり自分の事は棚にあげた部分がある。

 第一に、ヌエも服装は凝っていてもあまり他人の目を気にする質ではない。平然と一人で治安の悪い地域を散策するぐらいは平気でする。

 もちろん不埒な輩には、彼女を守る飛翔兵達による制裁がある事を知っての事だ。

 第二にその『兄代わり』の少年よりも、今となっては同姓であるヌエの方が影響を強く与えられる位置にいる。

 今のスズカの性格や考え方を形成するのは、かなりの割合で同姓のヌエや友人であるカーリアン、かつていた『錬血』という黒鉄の影響が大きいのだ。

 カーリアンや『錬血』もまた、服飾には凝っていても自分の容姿に対して無頓着であり、そういった部分ではヌエによく似ているのである。

 根本では兄の影響が一番であろうが、スズカに対して自分の影響がどれほどのものなのかを綺麗に置き去りにして、顔なじみの男に文句を言っているのだ。


「気をつけて。この辺りに純正型がいるなんて聞いた覚えがないけど……そんな子供がいるなんて、私は知らなかったけど、だからこそ気をつけて」


「いやぁ、お嬢に気を使われたらぁ〜、ガードとしては立場がないんだけどぉ」


「……?」


「あぁ、はいはい。気をつけますからぁ、お嬢も油断しちゃダメよぉ?」


「分かった」


 はぁ〜、と大きな溜め息を一つ漏らし、ヌエはそっと懐に忍ばせた小瓶を確認する。

 彼女の本当の武器たるものが詰められた金属製の小瓶を。


「──ミヤっ!」


 そんな僅かな確認行動により反応がスズカよりわずかに遅れた。

 歩いていた裏通りの壊れ尽くした木箱の影から、サッと飛び出し軽く……しかし鋭く振るわれ小さな腕に首を掻かれそうになった。

 その影の体躯は小さい。そして細い。

 しかし、その動きは野生の獣じみた速さで一瞬気を逸らしたヌエへと迫る。

 その現状に小さな舌打ちを漏らす間もなく、軽く体を捻って急所である首を逸らそうとして──軽くその体を押される。

 隣にいたスズカに足蹴にされたのだ。

 しかしそれは、気を逸らしていなかったスズカでさえも……僅かに疲れていたとはいえ、銀鈴のスズカをもってしても、大事な仲間を足蹴にしなければならないほどの速さだったという事だ。


「……お嬢っ!」


 ヌエの代わりに態勢を崩したスズカが、小さな影が続いて振るった腕にその体を掻かれそうになり、思わずヌエは焦りの声を上げる。


「くぅっ!」


 しかし、その小さな影はスズカに結局触れる事なく僅かな声を上げて弾き飛ばされた。

 スズカの防御意志が、白銀世界の使者たる銀鈴が、その影によるスズカへの接触を拒絶したのだ。


「私は大丈夫」


「まぁ、そうだよねぇ」


 ──お嬢を傷つけられるヤツなんて、まずいないもんね。関東(あっち)じゃあるまいし。

 思わず情けない声を上げたヌエは小さな嘆息を吐き出して、スズカに弾かれた『小さな影』を見やった。

 綺麗に受け身を取ろうとして、それに失敗したのか地面を滑るように転がった純正型の少女を。

 その弾かれた拍子に、頭からズレ落ちた布切れに手を伸ばし、必死な様子で頭にそれを載せ直したまだ十歳に満たないであろう少女を。







「あなたはこの辺りの子?」


 スズカは出来るだけ優しい声音を使ってそう声をかけた。

 一瞬、反射で発現した銀鈴を即座にかき消して、『世界』そのものを力ずくで抑えこむ。

 そして自分をあっさりと弾き飛ばし、その上で近寄ってくるスズカに、脅えたように身構えている少女に、これ以上の警戒感を与えないようにその身を僅かに屈ませた。

 小さな子供に警戒心を起こさせないには、目線を合わせる事が効果的だと昔に聞いた事があったからだ。

 そう、関東にいた頃に、兄のすぐ側にいた少女から──保母さんという、子供の面倒を見る仕事をしたかったという少女から聞いていた知識を、なんとか掘り起こしてゆっくりと近づいていく。


「私はスズカ。比良野鈴華って言うの」


 普段の無表情がデフォルトである顔立ちに、なんとか笑みを浮かべてみせ、声にも驚かせないように極端な起伏をつけないようにして。


「名前を教えてくれないかな?」


「……」


「怖がらなくても大丈夫。私はあなたと一緒。ほら」


 そして、人前では決して──その存在を消し去る相手か、その存在を絶対に信用すると決めた相手にしか決して見せた事のない『証』をさらしてみせる。


「ほら、私もあなたと同じ。だから私はあなたを苛めたりなんかしない。ヌエも……後ろのお姉ちゃんも苛めたりなんかしないよ?」


 スッと懐に手を入れたヌエに、『そうだよね?』とばかりに視線を走らせる。

 そんなスズカの瞳に、一瞬だけ『警戒はした方がいいですってぇ』とヌエは抗ってみせるも、それもあくまで一瞬だけだった。

 一瞬以上は抵抗出来なかったのだ。

 だからヌエは降参するかのように懐から手を出し、軽く肩をすくめてみせる。


「ほら、大丈夫」


 そう言ってスズカはいまだ警戒態勢を解かない少女に手を差し出そうとして。

 その手のひらを振るわれた少女の指先で切り裂かれた。

 本当に軽く、僅かに触れた程度の接触で赤い線が刻まれたのだ。

 それにヌエが一歩前に出ようとして、向けられたスズカの視線にまたも降参する。


 ──わずかだけど世界が見えた。やっぱり純正型。理は……恐らく坂上と似たタイプ。


 それほど深い傷ではない。しかし、接触した感触はほとんどなかった割には深い傷だ。

 それらから冷静に状況を見て。

 今何をすべきかを考えて。


「こら、そんな風に力を使っちゃダメ」


 スズカは少女を叱った。


「いや、それはあたし達が言っちゃダメなんじゃ──」


 後ろで小さく呟くヌエの言葉には返事を返さない。ただチロッと見やって沈黙を促すだけだ。

 その視線にブンブンと大きく何度も頷くヌエの表情には、僅かに恐怖が見てとれる。

 スズカが本気で怒った際の怖さは、ヌエだからこそよく知っている。ぶんむくれたスズカは全く手が付けられない事を今までの経験で学んでいるのだ。

 そんなヌエから視線を外し、スズカは下がる事なく少女の前に再度手を伸ばした。


「誰かを傷つけるならその理由をしっかりと持ちなさい」


 ──誰かを傷つけるなら、自分が納得出来る理由がある時だけにしとくんだ。


 兄に昔言われた台詞をそのまま少女に伝える。


「こんな風に誰かを傷つけるのはね、悲しい事なんだよ?」


 ──誰かを傷つけるっていうのは悲しい事なんだよ。


 それもかつての自分に言われた言葉だ。


「私はあなたを傷つけたりなんかしない。だってそれはとても悲しい事だから」


 手のひらから溢れる痛みと血。

 向けられた攻撃意志に膨れ上がっていく白銀世界の防衛本能。

 それらを抑えこみながら、慣れない笑みを浮かべてみせる。苦痛にも似た『衝動』を表には出さないように笑みで隠す。

 また攻撃されるかもしれないという恐怖はなかった。そんなものを感じるはずがなかった。

 なにしろ、かつての自分はこんなものじゃなかったのだから。

 自分はこんな程度の警戒心ではなかった。

 兄の手をグズグズになるほど傷まみれにして、めちゃくちゃに体中を痛めつけて、その上で自分勝手に泣いて八つ当たりしていたのだ。


 ──こんな程度、我慢出来ないはずがない。


 そう言い聞かせた。


 ──私は彼の妹なのだから。


 それは彼女の誇りだ。


 ──何度でも手を差し伸べて、根気よく。子供は大人よりも物分かりがいい。かつての私を相手にした悠兄ぃより、ずっと楽なはずだ。


 一度で無理だったなら二度。

 二度でも無理なら三度。

 それでも無理だったのなら何度でも。


「あなたの名前を聞かせて。私にあなたの声で教えてほしいの」


「……」


 警戒心が僅かに緩むのを感じた。その漆黒の瞳に揺らめきが見えた。

 それでも敵意は残る。今まで傷つき過ぎた事から、あっさりと他人に歩み寄る勇気がわかないのだろう。

 そんな考えですらもスズカには手に取るようにわかる。

 かつてのスズカは──兄に出会ったあの日までは、そんな弱さと傷にまみれていたのだから。


「私はあなたと同じだから、私はあなたの味方になれる。あなたの側にいてあげられる」


「……」


 きっとこの少女も今までに辛い事がたくさんあったのだろう。

 それこそ辛い事のない日など、滅多になかっただろう。

 この少女の年頃にはすでにスズカも一人ぼっちだった。だからこそ分かる。

 寒い夜に震えた。

 暗い闇に脅えた。

 他人の気配に牙を剥いた。

 それでも一人の寂しさには耐えきれず、何度か街に降りて人の営みを遠くから眺めていた。

 近づけば傷つけられる事が分かっていても、その暖かさに惹かれていたのだ。


「大丈夫。私があなたのママになってあげる。ママっていうのはね、絶対に裏切らない人の事を言うんだよ」


 それはかつての仲間で、姉とも慕った黒鉄の言葉だ。

 多くの仲間達を導き、守りきった女性の信念を表す言葉だ。

 母親ではなく『ママ』。血の繋がりではなく、想いの繋がり。

 スズカに色々と教えてくれたその女性の言葉の中で、その言葉は特に彼女に強い憧れを残していた。


「……わたしは化け物だよ?」


「そう。そんな事を言われたの?」


 ようやく開いた口からもれたのは、いまだに警戒心の残ったそんな言葉だった。


「頭に角があるなんて、そんなのは化け物なんだってみんなが言う」


 それは今までに何度もスズカの心を抉った言葉だ。

 それでも彼女は小さく笑ってみせる。

 胸に痛みを覚えながらも、なんとか笑ってみせる。


「なら私も化け物でもいいよ。

 これで私達は同じだね?」


「……同じ?」


「そう、同じ。角みたいなのがある私も化け物だって言われた事がある。悪魔だって言われた事もあるよ?でもね、私もあなたも同じ人間なの」


「……人間?」


「うん。私は人間。あなたも人間。化け物だって言われた事があるだけの人間。ほら、一緒だ」


 その言葉と共に、警戒心からか突き出されたままの少女の手のひらに触れる。

 攻撃は──もう来なかった。


「暖かいね。小さな手だね。

 今まで頑張ったんだね」


「……あったかい」


 クシャっと──少女が泣き顔に表情を崩すのが見えた。

 その時の気持ちはスズカにはよく分かった。

 なぜなら彼女も、兄に『暖かい』と手を握られた時に泣いてしまったから。

 そんな当たり前の言葉が嬉しくてたまらなかったのだから。


「名前を教えてくれる?私はあなたの名前を呼びたいから」


「……さら」


「さら。いい名前だね」


 そう言って、スズカは強張ったまま泣いている少女を抱きよせた。

 出来るだけ痛くないように。

 でも出来るだけ少女の全てを覆ってしまえるようにしっかりと。


「私が今日からさらのママになってあげる。さぁ、一緒に帰ろう。私達のおうちに」


 そう柔らかく告げながら。











「えっとぉ……ママってマジですかぁ?」


「マジ」


 泣き疲れ、緊張に疲れたのか眠ってしまった少女を抱えあげたスズカを見ながら、ヌエは途方にくれたような大きな溜め息を漏らした。

 すでに血に濡れたスズカの手のひらの治療は終えている。言動からすれば意外かもしれないが、ヌエには多少手当ての心得があったりするのだ。

 抗争にまみれ、悲惨な環境だった故郷で、自然と身についたスキルだ。


「ママって、ママになるんですかぁ?」


「私、ママ」


「……そうですかぁ」


 念を押すかのようなヌエの言葉にも、スズカの答えには迷いがなかった。


 『さら』と名乗った少女は、自らがつけた傷をものすごく申し訳なさそうに……そしてビクビクしながら見やっていたが、治療の間もスズカはずっと笑っていたからか、今では安心したかのように眠ってしまった。

 関西という純正型の少ない地で、ようやく同じ純正型──しかも自分と同じように『頭に証のある』大人に出会えて、それだけで親近感を覚えた少女の気持ちは分からないでもない。

 またスズカの心情も全く察せないほど鈍いワケでもない。


 ……ただ『ママ』は問題だろう、そう思うのも間違いなかったりする。


「大丈夫。悠兄ぃなら文句は言わない」


「それは言わないでしょうけどぉ」


 しかしいくらあの兄代わりでも、引きつったような笑みを浮かべてみせるだろう。

 それはそれで見物かな、とは思ったりもするが、ヌエとしては笑ってばかりもいられない。


「ヌエの事はお姉ちゃんって呼ばせる」


「そんな心配もしてませんけどぉ」


 もし『おばちゃん』なんて呼んだりしたら、折檻では済まさない自信がヌエにはある。

 しかし今問題なのは、銀鈴のスズカがいきなり『ママ』になんてなっているという事だ。

 それは一体どれほどの騒ぎになる事か。考えるだけでも頭が痛くなる。

 せめて『お姉ちゃん』じゃダメなのかとよっぽどそう言ってやりたくなる。


「……ダメ、なの?」


「……いや、あの──」


「ヌエは絶対に反対なの?」


「せめてお姉ちゃんじゃ──」


「絶対絶対反対なの?」


 言ってやりたくなって、実際に言ったとしても、最後まで反対しきれるかはどうかはまた別問題だったりするが。


「……はぁ、分かりました。分かりましたよぉ。全く、なんで一日でいきなり子持ちになってんですかぁ」


「大丈夫。みんなには迷惑をかけない」


「いや、あたしはいいんですけどねぇ。黒鉄最強の銀鈴に、『子供』って弱点が出来るのを問題視するヤツはいるでしょうけどぉ」


 ──それとその状況を歓迎する輩もいるかも。


 そこまでは言わなかったが、ヌエが言うまでもなくスズカにもそれぐらいは分かっていただろう。スズカの聡さはヌエもよく承知している。

 守るものを増やすという事は、結局は弱点を増やすという事に通じる。それは寂しい考え方なのだろうが、今の御時世ならば仕方のない考え方で当たり前の考えだ。


「大丈夫。私がもっと強くなればいい。私の名前で悠兄ぃやこの子、ヌエやシュテンに手を出す人間がいなくなるほどに、私が強くなればいいだけの話」


「……」


「白銀は死んだけど……白銀の道はもう途絶えたんだけど、その名前を超える事は出来る。今の私が超えてみせる」


「はぁ、それに付いていくあたしも結構大変そうなんですけどぉ」


 ──まぁ、あの『兄貴分』に付いていくのも大変さで言えば変わらないかな。レンも大変だ。


 そう内心でかつての同僚と比べる事で自分を慰め、スズカの背中で眠る少女を見やる。

 キュッとスズカの服の裾を握りしめる小さな手。薄汚れ、ボロボロの服を纏った少女を。

 そんな自分にしがみつく少女を柔らかい表情で見やり、スズカはほうっと小さな息をついた。

 そしてどこか遠くを見やるような眼差しを帰るべき方向に向ける。


「ヌエ……やっぱり悠兄ぃってすごいね」


「はっ?何がです?」


「私は証があったから……同じような体の証があったからこの子も信用してくれたけど、悠兄ぃはそんなものがなくても──証なんか必要としないままでも、私を救ってくれた」


「あぁ、まぁ、それはスゴいって言うか──」


 ──スゴいバカと言うか。


 もちろん後半は口には出さない。スズカにとってその兄貴分との出会いはとても貴いものとなっている。その出来事を美化し過ぎて、もはや神聖視していると言っても過言じゃない。

 それを汚すような野暮はしない。

 ただまぁ、後で話で聞いた限りではもうちょっとやりようがあっただろう、と思っていたりもするが。


「同じ風にやってみてようやく分かった。攻撃意志を向ける世界を抑える事がどれだけキツいか。痛みを我慢して笑う事がどれだけ辛いか」


 ──やっぱり悠兄ぃはすごい。

 そう言って。

 彼女は小さな笑みを浮かべたままさらに続けた。


「でも私も一人救えた。まだたった一人だけれど、手を差し伸べる事が出来た」


「お嬢……」


「まだ一歩。私が貰ったものから比べればまだ一歩分にも満たない。でもこの一歩から始めて、私はこの子にも『大切』をいっぱいあげたい」


 これ以上あの兄貴分をリスペクトされるのは困るけれど……そう考えながらも、珍しく饒舌に語るスズカにヌエにも穏やかな笑みがもれた。


 ──そっか。この感覚が姉や母親だけの特権なんだとしたら、そんなに悪くないかもね。


 そんな考えに、かつて黒鉄の後輩を鍛え上げていた一人の女性の姿が思い浮かんだ。

 手がかかるだけで役に立つのか立たないのかも分からない新米達を鍛えて、生きるすべを叩き込んでいたその女性は、最後の最後で教え子達を守って死んでしまった。

 それを『バカな真似を』と蔑み、『あんた一人なら逃げられたでしょうが』と悲しんではいたが、その女性の気持ちがヌエにも少しだけ分かった気がしたのだ。


 昔に比べれば大分独り立ちし始めたスズカ。

 大切な戦友から託された妹分が、先を見据えられるようになった事に一抹の寂しさと、今まで感じた事のない喜びのようなものを感じて。


 それでもそんな自分を素直に認めたくなくて。

 自分にこの道を──『身勝手極まりない救い』をくれた男に感謝なんかしてやるものか、とばかりに心の中で中指をおっ立てる。

 今も多分、自分の為ではなく誰かの為に棘の道を歩いているであろう、この国最大の大罪者にして、この先の流れ次第ではひょっとしたら救世者にもなるかもしれないスかした男に。


 ──あんたが大事にしてきたスズカが今日からママになるんだってさ。

 精々泡を食って困りまくりやがれ、クソ野郎。


 そんな事を考えながら。




 とりあえずその兄貴分の前に、律儀に車で留守番をしていたシュテンが、飛び上がるほどにびっくりしてみせるだろうが、それはヌエにとってどうでもいい事だった。

 なぜなら、『夜狩』として『牙桜』に黄金のローキックを放つ事で、いつものごとく納得させれば済むだけの話なのだから。



 そして、黒鉄第七班の三人は廃都へと帰還する。

 誰にもその働きを知られる事はなく。

 いつものごとく『黒鉄』という組織の影に徹した三人きりの精鋭集団らしく。

 ただそこに一人の小さな影を加えながら。


ママです。

マザーにしようか悩みましたけど、やっぱりママです。

スズカ編はこれにて完。

かなりあちこちに伏線残りまくってますし、シャク編への振りも露骨にありますけどこれでも頑張ったんです。

まず間違いなくノクターンで最長です。

書きたい事を詰め込んで書いてはいますけど、いまだちょっと心残りもあったりします。

文章力がもうちょっとあればもっと早く、なおかつ書きたい事を全て書けたんでしょうが、これでもかなりいっぱいいっぱいです。


あらかじめ決まっていたのは、『シヴァの顔出し』『ヌエとシュテンの顔出し』『関西の状況を書く』『それからシヴァ戦後の状況を書く』『子供を出す』ぐらいでした。

これらは一応全部やれましたし、かつての自分に似た子供に手を差し出す時の感慨も出せたのは良かったです。

次にスズカが出る時には、『ママさんスズカ』にクラスチェンジしています。


次回はスイレン。

ヌエもスイレンに軽く話を振ってたからってワケじゃないけどスイレン。

シャクはその次でカーリアン、さらにシャクとナナシでラストな予定ですが、まだ変更な可能性はあります。

まぁ確実なのは、『やっぱり一部と変わらない長さになったな』って事です。

これでも削った部分はあるんですけどね。


では、また来週もちゃんと更新出来る事を願って。

今のところ全くスイレンについては書いてないから、かなり本気で願って。

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