2─33・Fall in Angel
この題名はかなり早くに決まってました。
多分二部書き始めよりも早くに。
というか一部中盤ぐらいにはこの話の根幹は書けていたはずです。
それを編集しただけの話だったりします。
この話だけじゃなく、この辺りのスズカターンは全部そう。
おかげで楽が出来てたりします。
「僕は狂人って呼ばれてる。あるいは凶人とね。さて、後輩ちゃん。君は『狂ってる人』の定義ってなんだと思う?」
「……つっ」
無傷ながらも突っ伏し、小さく呻くスズカに対して、右肩から先をズタボロにされたまま立っているシヴァが、楽しげな口調を崩さないままでそう声をかける。
その右肩は、傷ついたというだけでは不足があり、斬り飛ばされたというには血の赤が足りていない。『欠けた』という表現が一番近いだろう。
血を一滴も流さず、ただ欠けただけ。肩から先は傷もなければ、傷を負う為の肉体すらもない。僅かに見える骨の白と血の赤だけが、肉体が欠損した証だった。
僅か三十分にも満たない、戦闘というよりもいっそ『喧嘩』と言った方が見合う、たった二人きりが向かい合っただけの戦闘で、辺りの景観はまるっきり変わっていた。
元白銀と元朱色。
拒絶と肉体支配。
銀鈴とマスターシヴァ。
そして元皇の少女と現在進行形で皇としてある少年。
この二人のぶつかり合いにより、捨て置かれたまま風化への道を辿っていた家屋達は文字通り完全に風化させられ、舗装されていた道も直接大地が覗いていた場所も、今では等しく赤土が覗く荒野へと変貌させられた。
一帯に幾つも穿たれたクレーターは、地下に眠ったままだった様々な配管ごと大地を抉っており、とてもたった二人の人間が……変種が戦っただけの傷跡には見えない。
「僕はね、こう思うんだ。『人が本来抑制している衝動を躊躇いなく解放する人間』。つまりずっと自分に素直な人間が、しがらみやらちっぽけな理性やらを理由に、自分自身をがんじからめにしている人間から見たら、『狂ってる』ように見えるだけなんだって」
「……其は──」
「僕の言いたい事が分かるかな?そうさ、僕達皇は全て狂ってるんだよ。狂う定めにあるんだ。そういう運命なんだよ。
今もあの関東(地獄)にいる無色も濃紺も端から見れば狂ってる。あんな場所にいたいなんて狂ってるとしか言いようがない。
海外からわざわざその地獄に流れてきた山吹もそうさ。
そして自分のエゴで仲間を捨てた灰色と、全てを捨ててそれを追った君もね。全員が全員、充分に……そして徹底的に狂ってる」
スッと手を掲げるスズカをなんら警戒する事なく、シヴァはその歩みを止めはしない。
「もうやめなよ。あんまり抵抗されちゃ、グチャグチャのドロドロにしたくなっちゃうだろ?せめてその綺麗な顔には傷をつけないままで、ひーくんにプレゼントしてあげたいのにさ」
ただスズカとは対照的に、ズタズタにされながらも、シヴァは可笑しそうに笑い続ける。心底愉快そうに哄笑を上げ続ける。
──どうせ無駄なのに。
──足掻きに過ぎないのに。
──またこの肉体(世界)を『殺しきる』ところまではいけないのに、と。
スズカのか細い腕から放たれる銀色の力の奔流にも、軽く無事な左腕を掲げてみせるだけでその力に身を任せ……今度は左肩から先を吹き飛ばされてもシヴァは気にもかけない。
ただ不自然に欠けた肩をすくめ
「ほら、殺しきれなかった」
そう嘆息を漏らすだけだった。
その口元に狂笑を刻み、『ゆっくりと再生していく両腕』を大きく広げながら。
両腕が欠けた以外は、不自然過ぎるほどに無傷なままの体を、まるで見せつけるかのように。
「落ち込む事はないよ、後輩ちゃんはすっごく強い。強い純正型さ。多分坂上と戦っても、長尾や新羅とぶつかってもいい勝負をするだろうね。ウチのファーストになら勝てちゃうかもよ?セカンドなんか相手にもならないだろうさ。
……でも『それだけ』だね」
そして小さな嘆息を漏らし。
天を仰ぎながら、大袈裟に嘆くように──多分にからかいを含んだ妙に演技がかった仕草で、額に再生しきった右手をやってみせる。
「その上、僕の世界とはとっても相性が悪いね。僕って単なる衝撃や打撃、斬撃にはすこぶる強いからさ、いかに強力な斥力を操れても、単なる物理攻撃の範疇でしかダメージを食らわないなら、そんなのは簡単に治っちゃうんだよ。
『僕の身体(世界)』はそういう類の理を持つものだからね」
そして……見る間に再生した右腕に、三度『血の刃』を伸ばす。
スズカの『銀鱗』に押し負け、二発目の『妖刀』に肩から先ごと消し飛ばされ、それでも蘇った『惨劇の剣(アーネンエルベの剣)』を。
「僕も中部の新羅とは相性が悪いんだけど、それも僕と後輩ちゃんほどじゃない。
まっ、それ以前にいくら力が強くっても、『皇の狂気』も自覚出来ないほどにひーくんから甘やかされてきた君じゃ、結局は最後の最後で長尾や新羅には勝てないんだろうけどね」
そして惨劇の血刃を振りかぶると、凄まじい勢いでスズカへと肉薄する。
その人形のように整った口元を、乾いた狂笑に歪めながら。
「……お喋りはもういいかな。そろそろ切り刻んであげるよっ、後輩ちゃん!!」
振りかぶった余波だけで大地に亀裂を走らせながら。
その口元には歪んだ嗤いを浮かべ、頬に刻まれたファイヤーパターンのタトゥーへと舌を這わせながら。
強大な理を宿した力使い過ぎ、無傷ながらもへたり込むスズカを切り刻む為に。
「其は銀鱗、其は銀龍、其は銀鈴!」
しかしスズカはへたり込んだその姿勢のままで両腕を突き出した。
あっという間に迫る狂人を見据える紺碧の瞳には、退く意志も、かえりみる心も、恐れる感情も見られない。
たった3つの言葉──スズカが最高の楯を現すために使うワード、『銀龍』『銀鱗』、そして世界を現す『銀鈴』という言葉だけで拒絶の銀楯を展開し、続けて次の力ある言葉を口にする。
そして拒絶の楯に阻まれ、動きを止めたシヴァを見すえながら、その頭を覆っていたニット帽(宝物)を片手で剥ぎ取った。
彼女の大事な大事な日常の象徴を脱ぎ捨て、血と死と拒絶の象徴である証を晒したのだ。
「……白銀の彼方より来たりて」
──大丈夫、大丈夫。
私はまだ大丈夫だよ、スズカ。
妹としての彼女にとっては絶対の存在である兄に、心の中では助けを求めそうになりながら……泣いていれば側に来てくれた存在に縋りそうになりながらも、自分自身に軽く『大丈夫』だと言い聞かせてから、スズカは深く白銀の世界へと指を伸ばす。
その先へと歩を進める。
「我が身の深淵に帰るモノ」
自分を一人から掬い上げてくれた存在。たった一人きりの家族を思って深淵に手をかざす。
弱音を吐きそうな自分を、兄の為にここにいるという事実だけで無理矢理抑え込み、弱い心を抑え込んでいく。
深淵から広がる世界に犯されていく自分を奮い立たせながら、拒絶の理を統べる世界の皇に身をやつす。
「砕ける欠片は白銀で、こぼれる雫は黒銀色」
孤独だったあの頃より、さらに一人ぼっちの場所に自分を追いやっていく。
誰も届かない、誰も存在し得ない、彼女だけの銀色の地平へとその身をさらす。
「ゆらりゆらりと回り巡りて、なお万色は銀色に彩られる。
其は……」
──あぁ、こんなに無茶をしたらやっぱり怒るかな。
──だったらいいな……めちゃくちゃ怒ってくれたらいいな。私を心配して、いっぱい怒ってくれたら嬉しいな。
彼女はそんな事を考えながらも、躊躇いなく自らの狂気のスイッチを押す。凶気へと世界の理を向ける。
拒絶の世界を狂わせる。理にひびを入れ、銀鈴に断末魔の悲鳴のごとき鳴き声をあげさせる。
自分を怒ってくれる人の為だけに、自らの意志でもって作為的に拒絶の世界を壊していく。
シヴァは言った。
スズカには『皇の狂気』がない。知らないだろう、と。
だからそんなに綺麗な世界なんだろう、壊したくなるぐらい真っ直ぐなんだろう、そして脆いのだろう、と。
しかしそれは『違う』のだ。
彼の言葉が間違っているという事を、他ならぬ彼女自身が一番よく知っている。
自分は汚くて、ねじ曲がっていて、他の皇達にも負けないだけの狂気を孕んだ歪な存在である事を知っているのだ。
彼女は狂気を知っている。力を使う事に対する衝動も知っている。自らの世界が他の皇達の現せない『狂い方』をする事も知っている。
そしてそれがどんなに怖い事かを知っていて、それでも彼女はその道を自らの意志だけで歩んでみせる。
そんな自分が……狂う世界に蹂躙される恐怖を知りながらも、それでも躊躇いなく世界を狂わせられる自分が、真っ当な人間であるはずがない事を理解している。
そう、自分こそが狂人と呼ばれるに足る存在なのだと知っているのだ。
自分が壊れる感覚を……その恐怖を知っていながら、それでも躊躇いなくそんな真似が出来る人間は、どこかが『壊れた人間』でしか有り得ないのだから。
彼女は汚いモノや怖いモノを知らないのではなく、それを誰よりも制御しきれているだけなのだ。
自らの意志だけで狂気を解放出来てしまうほどに。
自分の意志だけで、自分の白銀世界を狂わせてしまえるほどに。
──『白銀』は、誰よりも皇としての素養がある、そう言霊の皇に呼ばれていた。
彼女こそが、本来は東北の始祖だったのだろう、そう断言されたほどだ。
広大なる灰色や堕ちた無色、そして狂気の朱色などよりもずっと、白銀こそが始祖らしいとまで言わしめた。
灰色と呼ばれ、兄代わりとなってくれた少年の為なら、あっさりと『世界の境界』を越えてしまうその様は、強大なる言霊の皇を持ってしても歪だと警戒させた。
我らの中で一番歪なのは、新参の白銀だと恐れられていたのだ。
「──其は白銀色の翼を持つ聖天使。
──其は黒銀色の力を宿す闇天使。
──其は理を越えた先に在りし、万色繚乱の……」
その彼女が。白銀が。一番若く、朱色の代わりであった新参者の元新皇が。
あっさりと覚悟を決めて。
はっきりと狂う決意を秘めて。自らを鬼と化す結末を認めて。
魂の深き底から叫ぶように、精神の全てを持って弾劾するかのように、存在そのもので宣告し、断罪するかのように叫ぶ。
そんなスズカの様子に、本格的な戦闘を開始して以来、初めてシヴァの表情が喜悦以外のモノに歪められた。
風に流れたのか、拒絶の理に流されたのか、ニット帽の下に収められていた銀糸を思わせる細い髪が靡いていた。その額よりやや上部に、左右対照の位置から伸びた銀色の小さな突起は、整った顔立ちを持つスズカを歪に象ってはいる。
しかし、そんな『証』の歪さを持ってしても、弱さを抑え込んで真っ直ぐに見据えてくる、その意志の強そうな──でもどこか歪んだ光を放つ紺碧の瞳の前では、些かも美しさを損なわせる要素にはなり得ない。
むしろ弱さを抑え、覚悟を秘める姿は、単純に美しいだけの存在とは隔絶した輝きがあった。人の境界を踏み越えた何かを垣間見せた。
そんな彼女に、シヴァですら──殺す事にしか生命の価値を見出せない狂人ですらも、思わず視線も思考も奪われて……気付くのが遅れてしまったのだ。
晒された角を思わせる頭部にある銀色の突起。
それが外気に触れた時からより強まっていく『拒絶の理』と、指先程度のその小さな突起がゆっくりと鋭くなっていく事に。
広がっていく銀鈴の世界に在りながら、その銀鈴が悲鳴を上げている事に。
銀色の鈴がその体に亀裂を入れていく事に。
あと一言告げて、自らの狂気をもって世界の境界を越えれば、先ほどシヴァが『皇の狂気』と言った言葉通りに、スズカの『白銀世界』があっさりと狂ってみせる事に。
「──白銀世界」
そして世界は白銀色に満たされ始める。
十メートル四方ほどだった世界は倍以上に広がり、様々な色を含んだ銀色の欠片が繚乱する。
壊れた銀鈴の欠片達が世界を満たす。
それはまるで雪原を思わせる美しい世界でありながら、生物の存在を許さない極寒の凍土のような死地を連想させる世界。
そんな世界の中心で、白銀の皇は鋭く尖った『証』をかざしながら産声を上げたのだ。