2─31・最初の障害
「どうしても欲しいものがあったら──なんとしても手に入れたいものがあって、それが他の人の手の内にあったのなら、あなたはどうする?」
簡単に少し早めに野営の準備をした後で、エリカはそうカーリアンに問い掛けた。
野営の準備といっても至極簡単なもので、飲み水とする為に近くの貯水層の水をカーリアンがその力でもって沸騰殺菌し、夜に火を焚く為の木々をエリカが集めて回っただけでしかない。
寝る場所など雨が降っていなければ、外套やコートを広げるスペースさえあれば……そして関西軍の目が届きにくい場所であればどこでも構わない。
元より二人とも黒鉄と元黒鉄だ。どこであれ眠れる程度の神経の太さぐらいは持っている。そうでなければ、どんなに不利な局面であれ諦めず戦うなんて真似は出来ないのだ。
そんな野営というには簡素過ぎる準備をして、お互いに持っていた食料を口にしている最中に、エリカはなんとはなしを装ってそう会話を始めた。
対するカーリアンはと言うと、『とっておき』らしい干し肉を片手で掴み、軽く表面にその力の発露である赤い光を走らせて炙りながら、もう片方で沸かしたお湯を小さな器に入れていた。胡座を組んだ目の前には、味噌がはいった小さなアルミのパックが置かれている。
それら食事の準備をしながらエリカの言葉を正面から受け、カーリアンは小さく首を傾げてみせる。
「ものによるんじゃない?頼んでくれるものならいくらでも頼みこんでみるだろうし」
「それが普通かもね。でも頼みこんでも貰えないものなら──大事に抱え込んで、手放しそうにないものならどうする?」
「……」
「どうしても諦めきれない。ずっと憧れて、ずっと欲しくて欲しくて仕方がなくて、ふとした瞬間に想いを馳せると、狂おしいほどの衝動に駆られるような存在。
そんなものがあったら、あなたはどうする?」
エリカの言葉を受けながら、カーリアンは用意していた食事を手に持ったまま、心持ち軽く重心を後ろへと下げた。
今の会話、いきなり振ってきた『欲しいもの』に対する想いを述べた言葉。
それらが一体なにを意味しているのか彼女に分かったワケではない。
単に今のエリカの言葉に、『直感』と『紅』が動いた感覚があっただけだ。
自分の『女の勘』は直情型であるカーリアンにとって信頼に値するものだ。それだけではなく、『紅』が──他者からカーリアンに向けられる感情、中でも『害意』に反応する力が蠢いた事が彼女に悟らせたのである。
──今の会話にある『欲しいもの』に対する想いこそが、彼女を再び黒鉄へと誘ったのだと。
そしてエリカがその欲しいものを得る際に、自分は障害になりうるのだと。
「ウチにはね、そんな風にずっと欲しかったものがある。欲しくて欲しくて仕方なかったものがある。それは他人が欲しがっちゃいけないものなのかもしれないけれど、そんな理由じゃ到底諦められなんてしないわ。
ウチの憧れは──そんなに安い想いなんかじゃない」
「……それは」
──誰が持ってるの?
その言葉が開戦のゴングになる事は本能的に分かっていた。紅の蠢きがエリカの心情を教えてくれていたからだ。
エリカの視線を受けて自分の内で紅がたかぶっていく理由を考えたなら、その疑問をぶつけてしまった後、自分もエリカも引けなくなるのだろうとカーリアンは悟っていたのである。
恐らくまだ早い時間帯から野営の準備を始めたのも、このような会話を食事前に振ってきたのも、エリカなりに真っ正面からぶつかってきた末の結果なのだろう。
日は沈みかけているが、先が見えないほど暗いという時間帯ではない。夜通し歩いて帰るつもりだったカーリアンからすれば、こんな時間から野営の準備など不自然極まりない。
それでもエリカの言に従って食事の準備を始めたのは、単に彼女にはここがどの辺りなのかすら分からなかったから、先導役となったエリカに従う他なかったからだ。
何故エリカが、油断させておいて不意を討つような真似をしないのかはカーリアンにも分からない。
ただ開戦のゴングとなる疑問をぶつけずに、エリカの話を流すような真似をカーリアンには出来なかった。
今まではどこか探るようなものか、あるいは面白がるような色が含まれていた視線が、今は真摯な瞳で自分を見据えていたからだ。
それを見て、視線を合わせてしまって、その上で話を流せてしまうほどカーリアンは器用な少女ではないのだ。
そんな心情を読み取ったのか、はたまたエリカなりに何か想いを馳せる事があったのか、小さな笑みを漏らすとはっきりと告げたのだ。
「宵闇のシャクナゲ」
──二人がぶつかり合う理由に足る人物の名前を。
──『最初の黒鉄』と呼ばれる二人の内、今も生きて戦い続けている男の名前を。
──廃都と呼ばれる街を新たな故郷と定めたカーリアンにとって、自分を受け入れてくれている数少ない仲間の……かつて呼ばれていたコードを。
「ウチはね、その欲しいものを諦める為に廃都を捨てた。『閃光』の名前と家族とも思っていた仲間をも捨てた。
そうしなければ、いつかウチはシャクが持っている『それ』に手を伸ばしてしまう。力でもって『あれの所有者』だと認めさせたくなってしまう」
「……あんたが欲しいものって何よ?」
「つまらないものよ。本当につまらないもの。でも黒鉄にとっては大きな意味を持つものね」
「それはシャクが持っていて、シャクに所有権があって、あいつが大事に抱えてきたもの……そういったものなのね?」
「そうね。彼にとっては大事なものだと思うわ」
カーリアンには『シャクナゲが持つ』『黒鉄にとって大きな意味を持つもの』について、一つ心当たりがあった。
──『ノーフェイト』。
今、件のシャクナゲが対処に当たっている『死した最初の黒鉄が残した遺産』だ。
あるいはノーフェイト以外に残ったままとなっている『他の何か』かもしれない。
その『アカツキの遺産』について言えば、一つは今カーリアンが懐に大事に抱えている。
『二番目』にして所有者の男と同じ銘を持つ抑制器。変種の皇とまで呼ばれるほどの彼の力を抑えつける為の異物にして遺物。
二丁のオートマチックを象った異界の産物を。
エリカの欲するものが『シャクナゲ』に所有権があるものとするならば、今彼女が持っている『二番目』こそがそうだろう。
しかしそれらは、エリカの言葉には当てはまらない部分がある。
シャクナゲにしろノーフェイトにしろ、決して『つまらないもの』ではない。
黒鉄にとって大きな意味があるものであると同時に、この二つには大き過ぎる価値がある。
変種の皇の世界を『抑えるもの』と、変種の皇が創る世界をも『殺せるもの』。
これらより大きな価値と意味を持つものなど、色々と凄いものが眠っていそうな黒鉄の中にも、そうそうあるとはカーリアンには思えない。
アカツキの力が最強の変種である純正型の中でいかに異端のものであっても、この『災厄』と『威厳』の銘を持つ二つ以上の意味と力を持つ遺物などあってはたまらない、というのが正直なところだ。
ならばシャクナゲ個人にとって大事な、でも実質的には価値などないに等しいものだろうか。黒鉄という組織にとって大きな意味を持つというならば、『アカツキ』に関係するものである可能性もあった。
「ならご飯の後、それからでいいよね?」
それが何であってもカーリアンがどう動くべきかは決まっていた。エリカが欲するものがどんなものであっても、彼女には立ちはだからなければならない理由があったのだ。
カーリアンの決めた『一線』には触れていなくても、これ以上彼から何かを奪おうとする者を見過ごすワケにはいかなかったのである。
今の言葉がそれを宣告するものである事はエリカにも伝わったのだろう。
「ええ、それで構わない。ウチはあなたを『あれ』を得る為の最初の障害だと認めてる。あなたが今は亡き『彼女』に代わって最初に立ちはだかる者だと認めるわ」
「あたしはあたしよ。あたし自身の考えでしかあたしは動かない」
「そうね。ウチのつまらない感傷にあなたが付き合う理由なんてないわ。
でもね、あんまり期待はずれだったら──」
──殺しちゃうわよ?
その瞳の光にほんの僅かな、でも初めて深い狂気を垣間見せて、見せつけるかのように赤く濡れるチロッと舌で唇を潤してみせる。
「言っておくけどね、ギブなら早めにしてよ?あたしにはあんたを殺す気なんてさらさらないんだから」
それでもカーリアンは変わらず普段通りのままでそう告げて、『ご馳走』の準備を続けていた。
そんな彼女に、エリカの方がやや拍子抜けしたかのような表情で小さく目を見開く。
エリカが見せた狂気など、カーリアンには怖くもなんともなかった。
彼女は自分の中にエリカの狂気などよりも、もっとずっと恐れるべき『モノ』が眠っている事を知っていたからだ。
あらゆるものを焼き尽くす、憎悪の炎が今も自分の中にある事をカーリアンは忘れてはいない。
出生地であらゆる変種を、既存種を焼き尽くし、その地の皇にすら──今では誰であれ傷つけられないとまで言われている、『マスターシヴァ』にすら傷を負わせた紅色の狂気を覚えている。
そして他者の狂気や負の感情に一々過敏にカーリアンが反応していては、それらに彼女よりももっと鋭く反応する『紅』が、意志と本能だけに従って、理性による制御を離れて発露してしまう可能性もなくはない。
黒鉄に来て、毎日毎日飽きもせずに制御訓練をしてきたのも、そういった『自らの力に対する自覚』を持つ為だった面もあるのだ。
自分の力は、数ある変種の能力の中でも強力なもので、それに比例して制御の難しい部類の力なんだと彼女自身が自覚していた。それでもなんとか完全に能力を律する為だけに、一年間飽きもせずに訓練してきた結果が僅かなりとも実を結んでいたと言えるだろう。
「ただまぁ、あたしって性格的にか能力的にか手加減ってやつがつくづく向いてないみたいだからさ、ひょっとしたらやり過ぎちゃうかもしんない。
謝らないけど、恨まないでよね」
「……本当に面白いわね。あなたとはいいお友達になれそうだと思うんだけど、仕方ないわね?ウチもあなたも引けないんだから」
このような事態になっても、変わらずまっすぐに話を向けてくるカーリアンにエリカは嘆息混じりでそう言うと、水を入れる用に出していたアルミのコップを手に取って、それを軽く腕だけの力で空へと投げ上げた。
「あなたを気にいったというのは本当よ?だから、フェアになるようにウチの力も見せてあげる」
そのコップは不自然なほど高々と舞い上がり──軽い発破音とともに四散した。
僅かな閃光と、小さな金属片のみを残して。
それを見上げる事もなく、エリカは肩をすくめてみせると、本当につまらない一芸を披露したと言わんばかりの口調で続ける。
「ウチは『閃光』なんて仰々しい名前で呼ばれているわ。でも光を操るような能力を持っているワケじゃない。ウチの能力はあらゆるものを爆発物に変えるだけの──単なる『爆破能力』よ」
遅れました。
すみません、寝てました。
帰ってきてからバタンと倒れ、延々眠りこけてました。
来週こそは月曜日中に。