2─28・光都の片隅にて
「自分らしく生きてくコツはね、絶対に譲らない一線を見つけることよ。そしてそれを本当に最後まで譲らないこと。それさえ守れれば、誇りなんてもんまで後からついてきたりするものよ」
そう師である女性は言っていた。
誰よりも強く、誰よりも明るく、誰よりも懸命に駆け続けたその女性は、決して迷う事なく走り続け、後輩達を導き続けた。
そんな師に、不出来な弟子である彼女が聞いたのだ。
『なんであんたはそんなに真っ直ぐでいられるの?』と。
『なんでそんなに楽しそうに笑えるの?』と。
その時の彼女は本当にどん底で。
気力は底辺を這いつくばったまま上昇する気配を一向に見せなくて。
ただがむしゃらに『敵』を探し続けて、その敵を傷つける事でなんとか自分の存在を確立していたような状態だったのだ。
だから師である女性の前向きさが不思議で、こんな世界でも朗らかに笑えるその明るさが分からなくて、もやもやがイライラに変わって毎度の師弟喧嘩をして。
結局ボコボコに剣の平で殴られた上マウントを取られた後になって、素直に聞いてしまったのである。
それに対しての答えが、『絶対に譲らないものを持っているから』であり、補足として冒頭の言葉が続いたのだ。
『絶対に譲れないもの』ではなく、『絶対に譲らないもの』である辺りがどこまでもその女性らしく、その補足に全く迷いがない辺りがさらにその女性らしく感じた事を、『紅』たる彼女は今でも覚えている。
彼女が絶対に『譲らない一線』については聞かなかった。聞くつもりはなかった。
彼女の生き様を見れば聞かなくても想像がついたのだ。
彼女は自分みたいに言い訳をしない。
自分みたいに過去を振り返ってばかりいない。
自分の行動について他人を理由にしない。
そして戦場に出れば、例え大怪我をしている時であれ『絶対に先陣に立つ男の背後を譲らない』。
そのどれかが彼女の譲らない一線であり、そのどれもが彼女の譲らないと決めた一線なのだろう。
「アカちゃんもさ、譲らない一線ってものを見つけなよ。どうせ不器用にしか生きられないんだからさ」
そう言ってニコッと笑ってみせて。
「あたしみたいな生き方をしてたらね、きっと死んでも天国になんて行けないんだろうけど、例え地獄の底に落ちても譲らないものは譲らないってあたしは決めてるの。そう決めたらさ、誰彼かまわず牙を剥く必要なんてないでしょ?牙を収めれば笑う事も出来るようになるよね」
──あたしが牙を剥くべき相手、剣を抜くべき相手は、自分が決めた一線を踏み越えようとする相手だけよ。
だからあたしは大抵の事なら笑って許せるの。
そう締めて、ノックアウトした弟子を軽く小突いて、手を差し伸べてくれたのだ。
廃都と呼ばれるカーリアンにとっての第二の故郷にあたる街に比べて、その光都と呼ばれる都市は雑然としていた。
あちこちに人はいる。廃品を拾っている女や、継ぎ接ぎの農具を抱えた男、へたり込んでボーっと空を眺めている子供。
確かに人数だけ見ればそれなりの数の人間がいた。
ただそんな人々の全てに活気というものがない。少しでも売れるものを得る為に仕方なく廃品を回収し、食べられる分を得る為だけに慣れない農具を担ぐ。
路地にいる子供達にもはしゃぐ元気はなく、親も近くには見当たらない。
真っ当な親がいるなら、治安が著しく悪化している街に子供を一人で外には出さないだろう。
(って事は、あの子達はストリートチルドレンって事かな)
そんな事を考えて、今日三度目の見回りを終え、待ち合わせ場所へと足を向ける。
元々情に厚い彼女だ。それに物に執着しないおおらかな性格だった師の影響もあり、他人に何かをあげる事も嫌いじゃない。
しかしいくら可哀想に思っても、今の自分の立場を考えれば無闇に目立つ真似は出来なかった。多少の施しをする余裕があっても、そんな目立つ真似は出来ないのだ。
この街で……活気もなければ長もいない名前ばかりの関西の首都で、誰かに何かを施す事ほど目立つ真似もないぐらいは理解しているのである。
「この街は好きになれそうにないや」
そう一人ごちて、彼女はそっと踵を返した。
一向に現れない待ち人をただ待ち続ける事にも飽き、無駄な時間を費やす事に限界が来てから何度となく『光都』の偵察には来ていたが、その度に憂鬱な気持ちが膨れ上がってくる。
彼女の現在の故郷たる街、廃都と呼ばれる都市は、確かに建物のほとんどがボロボロになっている。幾度もの激戦で、攻め寄せる関西軍や、大規模な武装盗賊団を相手にフルに楯として鉄筋の建物を使ってきたのだ。無傷な建造物など一つとしてありはない。
身体のどこかが欠けた人間も珍しくないし、今までの防戦で費やした戦費や資材も莫大なものだ。
いざという時の為に備蓄する食糧と、配給する食糧だけでいっぱいいっぱいで、他の街に売りに出す余裕などありはしない。食うに困らないだけマシとはいえ、あくまでも『食うに困らない』というだけでしかないのである。
有り体に言えば貧乏であり、常に前線に立ち、命を張ってきた黒鉄といえども決して懐に余裕などありはしない。都市で作業する人々や、黒鉄や都市が所有する農園で働く人々よりは、多少マシといった程度でしかないのだ。
彼女も最近になって知った事ではあるが、現在所属している黒鉄第三班の長……そしてその側近連中など、自分に支給された賃金や物資ですらも多少は足しになるようにと班の備蓄に蓄えているほどなのである。
特にシャクナゲと呼ばれる班長は、副官が気を利かせなければロクに自分のための買い物すらしないらしく、副官の仕事に無欲過ぎる班長の私物の管理まである事をカーリアンは最近になって知った。
住民達が着ているものも大抵は手縫いで作られたものだから、華やかさなどもないに等しい。
カーリアンの着衣は黒鉄の給金から大枚を叩いて買ったものだが、他の一般市民にそんな余裕などありはしない。
それでもこの街よりはあの廃墟ばかりの『廃都』の方が彼女は好きだった。
まだ綺麗な整った街並みを持つ光都よりも、あの活気ある廃都の方が好ましく思えたのだ。
「いつまでこんなとこにいなきゃなんないってのよ。偵察ばっかりじゃ飽きちゃうわ」
それでもそれぐらいしかする事がないのだから仕方がない。
あのレッドコードの前で、下手に力を使うワケにもいかないと判断した為に力の制御訓練も出来ないし、馴れ合う事が自分の性格にとって危険な事も彼女には分かっている。
彼女は必要とあらば力を他人に向けられる人間ではあったが、顔見知りや知人に力を向ける事が出来ないタイプだ。正確に言えば条件次第ではできなくもないが、その条件に踏み入って来ない限りは躊躇して力を減じてしまうのである。
だが、世の中には知人であれあっさりと力を向けてくるタイプがいる事もまた彼女は知っていた。
例えるなら三班の狂戦士ヨツバ。同じく三班の副官アオイ。五班のアゲハや六班のマルスもそういったタイプだと彼女は判断している。
その判断の理由は主に『女のカン』でしかなかったが、カーリアンは自分の『予感』や『直感』の正確さには自信があった。
そしてそのカンは、あのレッドコードもそういった『知人』という枠組み程度では躊躇いを覚えないタイプだと告げていたのだ。
だからこそ無駄に話をする事を避け、己の力を見せる事も控えたのである。
その直感は、いずれあのレッドコードと戦う羽目になるんじゃないかと警鐘を鳴らしていたのだから。
そういった理由から彼女はする事もなく、散歩がてら光都を偵察していたのだ。
初めは大人しく待ち合わせ場所の橋の下にいたのだが、聞いていた落ち合う刻限を過ぎても誰も来ず、やがて手持ち無沙汰になり、暇を持て余しだした。
もとよりじっとしている事が出来ない性格だ。じっとしている事が苦手なのではなく、出来ないタイプなのである。
今回の偵察ですでに三度目となっているのは、そういった諸々の理由によるものだった。
「帰ったわよ、ってあんた落ち着き過ぎなのよっ!」
「座ってお茶を飲んでいるだけでしょう?あ、このクッキーは自前よ。信頼してくれるのなら食べてもいいけれどいかが?本はかさばるから小説しか持っていないのだけれど」
「お茶飲んで小説片手にクッキー摘む、とかここはあんたんチの庭かっ!?」
そういった理由から一人ヤキモキしながら橋の下に帰ると、彼女には似合わない事を考えさせられている理由たる女がクッキーを食べながら小説を読んでいた。
ご丁寧にもどこからか拾ってきたらしい車の座席らしきものに座っていたりまでする。
「この座椅子なら向こうの廃品置き場にまだあったわよ?ひょっとして売り物だったのかしらね?誰かさんが追い払った連中が集めていたのかもしれないわ」
「あ、なら一つ持ってこよっかな……って違うわっ!」
出会ったばかりのレッドコードと二人連れ立って、待ちぼうけを食らっているカーリアンは途方にくれていた。
というよりも、『出会ったばかりのレッドコードにも』カーリアンは途方にくれていた。
直感を裏切るかのように、最初に出会った時の緊張感からすれば妙に緩い所がある彼女の性格や、待ち時間を全く苦痛に思っていないらしい落ち着きぶりに。
そして何より──
「約束の時間になっても人っ子一人来ないじゃないのよっ!どうなってんのっ!?」
「ウチに聞かれても困るのだけどね」
「じゃあ誰に聞けっての!?」
「少なくともウチ以外の誰かに聞く事をオススメするわ。私は任務の詳細自体知らないんだもの」
「って読書の片手間に適当に相槌打ってんじゃないわよっ!」
散歩(彼女は本当に散歩気分)から帰ってくる度に増えていく『くつろぎグッズ』に。
ボロボロにすす切れた小説、お茶の入った水筒(買ってきたらしい)、座椅子と来たのだから、次辺り何が増えているのか想像もつかない。
「くっそぉ、副官のヤツっ!絶対帰ったら泣いてもぶん殴ってやるっ!」
面倒な事を押し付けた副官を呪い、いつまで経ってもやって来ない諜報員達をどの程度燃やしても許されるか真剣に検討し、楽しげに待ち時間を過ごしているエリカを脇に、カーリアンが光都にやってきてから最初の日が暮れようとしていた。
「ねぇ、カーリアン。一つ提案があるのだけど」
「なによ?」
二人揃って自前の簡易食料を腹に収め、建ち並ぶビルの一つに入って小休止をしていたところで、エリカがいつもの調子で声をかけてきた。
黒の外套を直接地面に敷き、その上に胡座をかいている姿は気楽な様子に見えなくもないが、一足飛びではギリギリ届かない距離をカーリアンとの間に置いている辺り抜かりがない。
もっともそれは、いまだに警戒を解いていないカーリアンに気を使っている部分もあるのだろう。
近接戦ではなく中距離戦になる距離、つまりカーリアンの紅が最も力を発揮するミドルレンジ。今までエリカとの間にカーリアンが取ってきた間合いから、彼女が近接戦よりもどちらかというと少し距離を置いた中距離戦を得意としている事を、この元コードフェンサーは悟っているのだろう。
そしてそれを悟られている事を知っていて、カーリアンは敢えてその距離を置いていた。
紅の特性上、近距離よりは中距離、両手の範囲からさらに数メートル離れた間合いが理想的な事は間違いない。
ただしそれは、近距離での肉弾戦が全く出来ない事と同義ではない。
なにしろ彼女の師は、接近戦ならばかの『黒鉄』よりも上だとまで言われた『剣匠』なのだ。
弟子達が総掛かりで挑んでも、剣の平でボコボコに打ち据え、軽く全員を返り討ちにしてしまうような接近戦のスペシャリストだったのである。
その師がいた頃に鉄拳混じりで鍛え上げられたスキルと、師がいなくなってからの一年で磨かれた経験値は、元は殴り合いや殺し合いに全く縁のなかった彼女に、紅を効果的に接近戦で用いるすべを体得させている。
だが、無闇やたらとそれを晒す必要もない。ましてやこの『レッドコード』が相手では、警戒をしてし過ぎるという事もないだろう。
他の大多数のパイロキネシスト達のように、距離を置いた戦い方しかしないタイプだと思ってくれているのならそれにこした事はない。
もちろんそんな考えすらも読まれている可能性はあったが、何も手を打たず自然体でいるよりはマシだと考えた為に、カーリアンは距離をそれなりに取ったままにしているのだ。
「さずかに日が暮れるまで待ち合わせの相手が来ないなんて異常でしょう?」
「まぁ、確かにね」
そんな精神戦を会話の最中も続けるカーリアンに比べるとエリカはどこまでも泰然自若としていた。
これまたどこからか拾ってきたらしいクッションにもたれかかり、ジッと見据えてくる瞳にも余裕のようなものが見て取れる。
「だったら一度帰還するべきじゃないかしら?正直に言うなら、ウチが早く廃都に帰りたいからというのももちろんあるのだけれど、もし待ち人にアクシデントがあって合流出来ないのなら時間を無駄にしてしまうわ」
「ま、そうかもね。時間厳守は作戦行動に当たっては基本中の基本だし」
『閃光』などという、いかにもなコードで呼ばれていたと自称する程には、エリカの気配には戦い慣れた者が持つ匂いがあった。
それは元二班班長として戦線の後方にいる事が多かった、紅のカーリアンが持っていない歴戦の戦士の気配だ。
圧倒的な力を持っているスズカや、その能力から黒鉄では支援や裏方に回る事が多かったスイレン、カーリアンと同じく後方部隊所属のオリヒメが持っていないものだ。
シャクナゲやナナシ、ミヤビが持っていた命を晒して戦う者が持つ、感じ慣れた気配なのである。
「もちろんあなたになんらかの理由があって、それでまだしばらくここで待つというのならそれに従う事は吝かではないのよ?ウチはあなたを頼っている身だものね。でも意固地になって、来ないかもしれない待ち人を待っているのならそれは勘弁してほしいわ」
「あたしだって待つのは嫌いよ。でも……」
このレッドコードの提案に乗る事も嫌だった。
意固地になっているつもりはカーリアンにもなかったが、『レッドコード』という名前に持っている嫌悪感はどうしようもない。
本来ならば、待ち合わせの刻限を過ぎた時点でカーリアンは即時撤退していただろう。彼女は徹底的に『待ち』に向いていない性格なのだ。
そうしなかったのは、ひとえにこのレッドコードの存在によるものだ。
このレッドコードを『廃都』に連れていっていいものか。『彼』に会わせていいものかを、少しでも見極めようと考えたのである。
一度は連れていく事を承諾したものの、即時実行というワケにはいかない。現在の彼女には、班長補佐として班長の考えを汲む必要があったが、それ以上に班長や仲間に降りかかる火の粉を払う義務もあるのだ。
甘い考えを持つ班長を補佐するには、同じように甘い考えに殉じるだけではいけない。
時には副官のアオイが持つような、シビアさが必要な事を彼女は学んでいたのである。
「……でも、そうね。明日の待ち合わせ時間までは待ってみて、それでも来なかったのなら帰る事にしましょうか」
しかし、さすがに何日も待ち続けるワケにはいかない。すでに待ち過ぎなほど待っているぐらいだ。
ここで帰ったとしても誰にも文句を言われる筋合いはない。それどころか、逆に文句を言う資格すらあるだろう。
そしてこのレッドコードを警戒して様子を見るにしても、一日以上はさすがに無理がある。
それらを考慮し、しばし黙考した後、彼女はそう決断を下した。
「言っておくけど、あなたの提案に乗ったワケじゃないのよ?勘違いしないでね」
もちろんそうエリカに釘を刺しておく事も忘れない。
「ええ、わかっているわよ」
「わかってるっていうなら、その意味深なニヤニヤ笑いはやめてっ!」
もちろんカーリアンが軽く刺した程度の釘では、エリカの態度は小揺るぎもしない。普段の不器用な笑みではなく、やたら晴れやかな笑みでカーリアンの言葉にうんうんと頷いてみせる。
しかしその笑みに擬音を付けるなら、『ニコリ』ではなく『ニヤリ』だろう。少なくともその笑みを向けられたカーリアンにはそう感じられた。
「あら、心外ね。精一杯晴れやかな笑みを向けているつもりなのだけれど」
「言ってなさい。明日は刻限を過ぎたら一気に帰還するからねっ!」
そう言ってコートにくるまると、カーリアンはコロンと横になった。
衣類の詰まったバッグを枕に、結局拾いに行った車の座席を寝具にする。それらを気にした様子もなく、寝苦しさを感じる事もない。
出生地である東海地方にいた頃は、とてもこんな環境では寝られなかったが、そんな甘ったれた根性は抜けきっている。
師であるミヤビなど、カーリアンよりも小柄で可愛らしいスタイルだったのに、ダンボールを布団に地べたでグースカ眠っていたぐらいだ。そんな彼女に徹底的にしごかれた経験はこんなところにも生きていたりする。
「……やっと帰れる」
そんなやりとりからでも、帰還すると決めたらやはりカーリアンの心は軽くなった。
思わずそんな言葉が口を付く程度には。
かつて黒鉄だったと名乗る女。
エリカ。
──明日はきっと今日よりも疲れる事になるだろう。
そんな予感を胸に、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。
題名めちゃ悩んだ……。
使いたい題名がふと浮かんだ時、本を読んでいて使いたいフレーズがあった時などは携帯のメール欄にメモっているんですが、これってなかなか使う機会がないんですよね。
話に合う題名でなきゃならないし、題名に合わせて話を書くワケにもいかないですしね。
次回もカーリアンターン。
というか何週間かはカーリアンターン。
エリカの目的が出るまでぐらいは続きます。
そしてスズカターン、アオイターン、スイレンとヨツバ、カーリアン、シャクナゲと続きます。
半分は終わったかな。
後半もよろしくお願いします。




