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2─27・灰色世界の二重奏






 ──神様って本当にいると思う?


 その問いに彼は何も返せなかった。

 そんなものはいないんだと本当は言ってしまいたかったけれど、そう正直に少女へと答えを返すには彼女は傷つき過ぎていた。

 例え偶像であれ……目に見えない虚構の存在にであれ、彼は少女に希望を持たせてやりたかったのだ。

 『神様はいるんだ』と。

 『いつかは報われるんだ』と。

 いつも少女が仲間達に言っているように──彼女を慕って集まった仲間達に諭しているように励ましてやりたかった。


 でもそう言ってやるには状況が悪すぎた。

 廃墟と化した街の片隅で……二人が壊してしまったほんの少し前まで街だった場所で……大勢の命の灯火を飲み込んだその直後に

『神様はいるんだよ』

『いつか俺達も幸せになれるんだよ』

 と言ってやれるほど、彼は無神経にはなれなかったのだ。


 ──あたしはいて欲しいな、神様。

 だってさ、もしいるのなら……あたし達の痛みを教えてあげたいじゃない。あたしの世界(力)で、自分だけは尊い存在でいる神様を汚してあげたいじゃない。


 いつから彼女が『神様』に対して呪詛の言葉を吐くようになったのか。

 いつから祈る事がなくなったのか。

 そしてその力を使う事に躊躇いを覚えなくなっていったのか。

 正直なところ、彼ははっきりと覚えてはいない。

 彼自身、自分が抱えていた力に押し潰されそうになっていたし、彼女は──彼女だけは『大丈夫だ』と思っていたから。

 例え自分が狂ってしまっても、仲間達みんなが誰かを傷つける事になんの感慨を抱かなくなってしまっても、そして誰もが現実に絶望してしまっても、彼女だけは『大丈夫なんだと思ってしまっていた』から。


 ──ねぇ、あたしの力ってね。神様を殺す為に与えられた力なんじゃないかって、最近はそんな事を思ったりもするの。

 全てを守れない自分の不完全さを嘆いた神様が、自らに死を与える為にわたしは生み出されたんじゃないかって。

 わたしなら……わたしの『毒』なら、きっと神様でも殺せちゃうから。


 彼女は圧倒的だった。

 いや、圧倒的というだけでは余りにも生ぬるい。比較すべき対象すらいないのだから、『圧倒的』という表現は間違っている。

 彼女は──『アブソリュート・ベノム』と呼ばれた彼女の力は、その名前の通りあらゆるモノに対して絶対的な効果を発揮する『絶対毒』だ。

 炎を汚せばその炎は熱を全て失い、鉄を汚せばその硬さを失う。

 大気を猛毒へと変え、大地を腐敗させて腐敗の過程で発する高熱を持ったヘドロへと変える。

 全ての生物が、そして全ての無機物が、彼女の領域では絶対にその『在り方』を歪めてしまった。

 耐えられるものなどありはしなかった。


 変種のあらゆる能力を。

 人間の叡智が生み出した兵器の力を。

 そして人間そのものをも汚す絶対の毒素。

 それは変種の極みである『純正型』の『世界』をも侵蝕し、その領域を自らの『アブソリュート・ベノム』の領域へと変換させた。絶対毒で在り方を歪めた。

 彼女の前に立ちはだかったあらゆる『世界の理』を『絶対毒』で侵略し、自らの領域へと変え、展開された世界を自らの力へと変えた。

 それは同じ新皇である彼でさえも──ある意味では彼女よりも異常な、『真なる新皇』である少年の『具現の灰色』でさえも抗いきれなかった反則過ぎる力だ。

 他の新皇の誰であれ……言霊の山吹色や重力の濃紺色、拒絶の銀色でさえ、無色透明の毒には抗えない。


 そう、彼女が言うように、その力であれば『神』でさえも汚せただろう。

 悪魔でさえも貶められただろう。

 邪神ですら歪められただろう。

 死神すらも殺せただろう。


 その世界は実質的な戦闘能力を持っていなかったが、汚す毒素は確実に全ての存在を凌駕していたのだ。



 ──でもさ、神様はきっといないんだよね?


 ──わたしが殺すべき神様は、この世界にはいないだよね?


 ──だからわたしの力は……『わたしは』きっとこの世界には不要なものなんだよね?


 神はいない。いるわけがない。

 だから自分の『毒』は──神をも汚せる絶対毒は、人間の世界には存在してはならない力だと彼女は泣いた。

 自分は不要な存在なんだと、常に前を向いていた少女が認めてしまった。

 それが彼の見た少女の最後の涙で……最後の理性。

 自らの力を抑え続け、周りの理不尽に抗い続け、仲間達の為に走り続けてきた彼女の最後の姿。


 彼が『皇』とされ、同族となった日から数週間。

 たったそれだけの期間しか、二人は同じ境遇の仲間にはなれなかったのだ。

 自覚したばかりの人の純正型変種である少年と、真っ直ぐに生きる事に疲れた狂える変種の少女という違いが、二人の間に深い溝として刻まれて──そしてあの決別の日がやってきたのだ。


 『世界を変えるんだ』という少女と、『今までを捨てたくない』という少年。

 『もういいだろ』と諭す少年と、『まだこれからだ』と堕ちていく少女。

 二人は……今までどんな時であれ一緒にいた二人は、その日初めて争って、殺し合って。

 そして今の世界へと繋がっている。









 灰色の世界が弾けた──。

 文字通り『世界』が『弾けた』のだ。

 自分という狭い領域に抑えつけられた『世界』は、宿主の意志を受けて爆発的に広がっていく。

 彼に望まれて、『希望の幻』を塗り潰していく。


 ありふれた日常が。

 そこにいる、どこかで見た事のある級友達が。

 そして汚れなく笑っていた少女が、灰色に色を奪われ、次々と空間と同化していく。

 まるでキャンパスに描かれていた絵を、灰色の絵の具で塗り潰していくように。

 日常的な風景を撮った写真が、有り得ない速度で風化していくかのように。


 その中でいまだ照れたように笑っている少女へと、彼は思わず手を伸ばした。

 幻だと分かっていても──所詮は自分が望む歪な存在なのだと知っていても、なんとか彼女だけでも連れ出せないかと考えてしまった。

 なんとか彼女だけは『幻』から『現実』に連れてはいけないかと望んでしまった。

 自分が否定したのに……自分が否定した存在なのに、灰色に塗り潰されていく彼女を見ていられなかったのだ。


 一度は見捨てて。

 壊れた故郷に置き去りにして。

 そして今でも記憶の先で『自分はいらない存在なんだ』と泣いている少女を、目の前で失う事には耐えられなかった。

 幻なんだと、夢なんだと分かっていても手を伸ばしてしまったのだ。


 でもその手は空を切って。

 その瞬間に彼女は灰色の霞へと消えてしまう。

『ほら、所詮は造られた幻だった』

 そう宣言するかのように、灰色世界はなんの躊躇いもなく消し飛ばしてしまう。


 それに歯を噛み締めて。

 自分が望んだ結果だとは言え、手から血が滲むほどに強く拳を握って。


 灰色の空にシャクナゲは呪いの言葉を吐く。

 無力を呪う叫びを上げる。

 今も彼方で一人泣いている少女を、置き去りにしたままでいる自分に対して。

 こんな幻を生み出した『運命の否定』に対して。


「また……お前が嫌いになったよ」


 そして灰色の空に浮かぶ、緋色の月に対して。


「地獄で会ったら絶対ぶん殴ってやる」


 こんな事を自分に任せた親友に対して。


 親友である男にはきっと分かっていたのだろう。

 いや、少し考えれば分かる事だった。

 自分の望む夢の世界。

 それを消し飛ばすには、『運命の否定』の理をも越える力で──より強力な理で上塗りする他ない。

 甘い夢に飲み込まれた後も意識を保つには、自分を別の『世界』に置いて、幻から意識を守るしかないのだ。

 そこまで分かっていたのなら、その過程で甘い幻が消えていく様子を目前で眺める羽目になる事が分かっていないはずがない。

 目の前で望んだ世界が、存在が消えていく様を見ていなければならない苦痛を、創造者であり使用者である男が分かっていないはずがないのだ。


「……くそ、しかもまだ終わってないのかよ」


 そう毒づいて、シャクナゲは自らの領域──ノーフェイトが入り込んできていた自ら精神世界に、いまだ『甘い毒』が息づいている事を悟る。

 本当はすでにへたり込みたいぐらいに精神的に消耗していた。懐かしくも悲しい少女が心にしこりを残していた。

 それでも、まだ終わっていないという事実になんとか自らを奮い立たせ、自分が支配する領域『灰色世界』に僅かに紛れ込み、異物感を示している存在へと意識を向ける。


 いつもより──今までのどんな時よりもずっと一体感を感じる灰色の世界。

 手足の動きも、視界や声の響きすらもいつもと変わりがないのに、ただ現実感だけが圧倒的に足りていない世界。

 そんな不思議な感覚は、明らかに『ノーフェイト』の力によるものだ。『運命の否定』が作り出した明晰夢じみたものだ。

 自分には『灰色世界』──つまり『運命の否定』の力が完全には及ばない領域があった。それがノーフェイトの力を吹き飛ばし、ノーフェイトがそれに抗ったが為に今の状況に陥っているのだろう。

 シャクナゲは灰色世界の中にありながら、ノーフェイトが作り出した『夢』からも、いまだ完全に抜け出せてはいないという事である。



 そこまでは、灰色世界そのものを内包しているシャクナゲには分かった。

 おそらくノーフェイトが封印されていた部屋で倒れているだけで……きっと強制的に夢を見させられているだけなのだろう。

 自分の世界が僅かとはいえかき乱されている感覚には、さすがにいい気分がしなかったけれど、それはまだ我慢は出来た。

 あの性格のひねくれた創造者が、あれで全てを終わりにはしてくれなかった事も『あいつらしい』で済ませられた。

 そんな現状の中でただ一つ、どうしても許せないものがあるとすれば──



「運命を冒す運命毒、ね。まさしくだな」


 そう毒づくように呟く彼の目の前には見慣れた人物が立っていた。

 いや、『見慣れていた』というべきか。

 その人物は背を向けて立っていて、顔も表情も窺えない。それでも彼がその人物を誰かと見間違うハズがなかった。

 見間違いようがなかったのだ。


「…………この世界に神はいない」


 その人物を認識して、理解して、

 あり得ない存在だと意識して。

 それでもシャクナゲは躊躇いなく己の内側へと手を伸ばす。

 今自らの周りに展開していて、その無彩色な存り方を主張する寂しい世界へと。

 少し前まで……ほんの十日ほど前まで、四年以上も目を逸らしていた灰色(過去)へと手を伸ばす為に。


「認めず、在らず、その存在を否定する」


 背を向けて立つ人物がそこにいる事。それがいかに異常な事かぐらいは、シャクナゲ自身が一番分かっている。

 でも、この世界では何が起こってもおかしくない事も、また分かっていたのだ。

 この運命を冒す運命毒──運命を否定する『ノーフェイト』の力が及ぶ領域では。


「紡ぎ手のみが世界にありて、カラカラと虚ろに響く歌を唄う」


 目の前の人物がゆっくりと振り返る。

 そしてその見慣れた虚ろな黒髪を揺らし、濁った黒瞳をゆっくりと向けてきて──記憶の中にある通りの絶望を溢れさせた色を向けてきて、小さく何事かを呟いた。


「彼の者は最果ての日までただ独り、暗き血を流し、赤き涙を落とす」


 その呟きが何と言ったのかは当然聞こえない。聞こえるワケがない。

 轟々と鳴る世界の風が、自らの口をつくワードが、そして内から溢れてくる世界の侵攻とノーフェイトの異物感が、それに耳を傾ける事を徒労とさせた。


 ──それでも……それでも、彼には『その人物』がなんと言ったのかが容易に想像ができた。



「無限の灰色世界にて、幾千もの刻を刻み、幾万もの孤独に心を砕く」


 どうせ、『今だけだ』、『いつかはこんな事をしなくてもよくなるようになる』、そんな事を言っているのだろう……そう思えば、頭の片隅がチリチリと焦げるような感覚を覚える。

 目の前に立つのが誰かなんて事は関係なく、自らの内側にある世界に怯えながら、『いつかは』とか『もうすぐ』とか考えて期待して、そうやって自分を追い込んでいるのだろう。

 それはとても彼自身には馴染みのある考え方で……泣きたくなる。嗤いたくなってしまう。


「その身はただ歯車を廻す虚空の歪み」

『その心は数多の世界を歪むる輪廻の鏡』


 そして──

 反響するかのように重なる同列のワード。彼特有で彼固有の広大なる無彩色、灰色世界を現す言葉の羅列が完璧に連なった。

 それが二つ重なって、吹き荒れる風の中に紛れる。

 一つは彼自身の声で……もう一つは目の前の『幾分若いもう一人の彼自身』の声。

 ノーフェイトが作り出した、シャクナゲを捕らえる為の『毒の象徴』たる存在にして、異物感の根源たる少年の言葉が。


「故に紡ぎ手は今も独り」

『灰色の雪原にありて──』


 重なって響くのは、虚ろで、濁って、落ち込んで、歪んで、壊れかけの彼の声。

 目の前にいるのは、最強最初のヴァンプと呼ばれた『新皇』の象徴たる一人の姿。

 かつての彼自身の声と姿を持った、唯一人新皇と称されてしまったこの国のロードヴァンプ。


「──いつか在りし日の明日を唄う」

『──いつか在りし日の明日を唄う』


 それが彼、シャクナゲの声と重なって──

 世界には『二色の灰色』が具現した。


活動報告にも書きましたが、二部冒頭の小話で書いたシーンが出てきます。

活動報告にて毎回アップ前にはお知らせをしていますが、良ければそちらにもいろいろと書いていますのでご一読ください。

来週からはカーリアンシーンが続きます。


彼女だけ話が全く進んでいない事実に気付いて愕然としていたりなんかしませんよ?

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