2─25・夢現
人間には絶対に忘れちゃいけない事がある。
『忘れられない事』ではなく、『忘れてはならない事』。
忘れる事が許されない事。
受動的ではなく、能動的なもの。
それは今でも……こんな時でも、俺を縛り付ける。
『忘れるな』と──。
『忘れるな』と語り続けて、俺を縛り付ける。
灰色の呪縛でも暁の戒めでもなく、その声が俺に運命の否定から逃れる力をくれたのだとしたら……それは果たして喜ぶべき事なのだろうか。
灰色の無限を展開して、現界して、殲滅して、壊滅させて。
蹂躙して踏みにじって。
それを思い出したから、より強く心に声が響いたのだとしたら。
甘い甘い夢の中に、その声が微かな苦み(現実)を落としたのだとしたら、それは救いなんかじゃなく、報いなのだろう。
そう思う。
だってそれは、かつては甘い夢を見せてくれた『運命の否定』の力を持ってしても、今の俺には夢を見させられないという事の証明に他ならないから。
俺には甘い夢を見る資格すらない、そう宣告されたに等しいのだから。
今でも殺し続けている俺に対しての恨みの声が、『災厄』よりも大きくなったという証でしかないから。
それでも俺は……暁に照らされたシャクナゲは。
祈りを持って。
願いをかけて。
いつか在りし日を夢見て。
──この引き金を引こう。
まずはこの甘い夢を引き裂く為に。
狂おしいほどに懐かしいのに、唾棄するほどに嫌悪すべき幻を打ち抜く為に。
そして、いつかは本物の彼女に、あるべき終わりを見せてあげる為に。
「ねぇ、悠はさ、将来何になりたいとかってある?」
「……はっ?」
少年は身近なところからよく聞き慣れていた声でそう問いかけられてふと我に返った。
余りにも聞き慣れ過ぎた耳に馴染むその声に、どこかボーっとしていた意識がはっきりしていく。まさに『我に返った』といった不思議な感覚に、軽く頭を振るう。
「ん、あれ?」
現状の把握には手間取った。寝ていたワケではなかったはずなのに、どことなく意識に靄がかかったかのような不思議な感覚。
その靄は霧よりもなお深く、霞よりもなお濃い色彩で意識に滲み、ゆっくりと体に溶け込んでくる。
「……悠?」
「あぁ、悪い。で、なんだっけ?」
「将来なりたいものだよっ!ほら、進路調査書が配られたじゃん」
訝しむような声に、思わず自らに小さく渇を入れながら、少年は目の前にいる少女へと不器用な笑みを浮かべる。
見慣れた顔。見慣れ過ぎた顔。
サラサラと音をたてそうな腰まである黒髪に、細かな造形までが細部まで整っている顔立ち。
細身の体は、軽く抱き締めただけでもぽっきりと折れそうなほどなのに、内から発散されている生命力や意志の強さがその印象を覆している。
そう、細部の細部まで違和感一つなく整ったその顔立ちを、思わず穴が開くのではないかというほどにマジマジと見つめ……間違い探しでもしているかのように見つめ、思いっきり頭を叩かれた。
「ちょっとぉ!寝てんの?目は開いてるけど、頭だけ寝てんじゃないの?そんな面白特技はいいからさ、しっかり頭も起きなさいって!」
「いてっ、痛いって!壊れたテレビを叩いて直す昔のおっさんみたいに、俺の頭を気安くポンポン叩くな」
「だぁれがおっさんですってぇ〜!?」
「た、例えだろっ?単なる例え話なんだからさ、そんな目だけは笑っていない怖い顔で睨むなよ──」
──りぃ。
そう少女の愛称を呼んで。
呼び慣れていた愛称を小さな声で呼んで、少年はまた僅かに笑う。
親しい者にしか分からない、不器用で無愛想な微笑を浮かべてみせる。
その表情に一瞬だけ逡巡が垣間見えたが、それを掻き消すかのように彼は大きなあくびをもらした。
「で?何だって?」
「だぁからぁ〜!将来の夢みたいなもんは何って聞いてるんだってばっ!」
プクッと膨らせた頬が、少女の落ち着いた容貌にはアンバランスに見える。
それは見慣れた所作で、見飽きるほどに見てきた表情で、少年はまた小さく笑った。
まるで小さな子供のようにコロコロと変わる表情の少女と、どこか不器用に表情を変える少年の組み合わせは、端から見ればアンバランスなものに見えるだろう。
それでも、周りで騒ぐクラスメート達も本人同士も、この二人の在り方に違和感を覚えた事はなかった。
二人は産まれなじみと言ってもいいほどに小さな頃からの幼なじみで、同年同月同日に近所で産まれた、『異性でありながらも同姓同名を持った特別な二人』だと彼女は広言していたから。
それを周りのみんなも知っていたから、この二人はセットとして認識されていたのだ。
「夢、ねぇ。漠然とし過ぎて分かんねぇや」
「あ、ほら!昔言ってたおじさんの跡を継ぐって夢はどうなったのよ?」
「俺にカメラマンは向いてないよ。戦場に出て、その凄惨さを世界に伝えるなんて──」
──戦場。
その言葉に、少年の脳裏には凄惨な情景がフラッシュバックする。
目眩を覚え、吐き気がこみ上げ、頭がキリキリと痛みだす。
髪や肉が焼けたすえた臭気に、中身をぶちまけた人間だったものの生臭い匂い。
血の赤と、臓器や骨の白と、黄色ががった何か。
動かなくなった戦車に、堕ちた戦闘機。
誰かの名前を泣き叫ぶような声で呼びながら銃を乱射している兵士と、下半身が千切れた状況で呪いの言葉を吐く士官らしき男。
泣いて命乞いをする誰かの声と、小さな子供をまるで自らの体で守るかのように覆いながら、最後の子守歌を歌っている女性。
その果てに──
「悠く〜ん?起きてますかぁ?」
──その果てに、赤錆が浮いたような鈍い色に染まった剣を持つ女性と、痩せさらばえた金髪の男の幻影を見る。
コンコンと、どこか中身が詰まっているか試すような調子で頭を叩いてくる少女は……一番身近なハズの彼女は、そこにはいない。
いないと──いるはずがないと彼は『知っていた』。
初めから、意識がこちらの世界で覚醒してすぐに彼は気付いていたのだ。
この世界は夢なのだ、と。
単なる幻に過ぎないのだ、と。
自分の心が生み出した虚構の世界だと、少年である彼は知っていた。
それでもこの世界は居心地が良くて。
まだまっさらな……まっさらに感じられる自分がいて、同じような彼女がいる。
それが心にしこりを残し、膿をだし、甘えが顔をもたげてしまったのだ。
『もう少しだけ』
そんな考えを、覚醒しきっていない自らに許し
『状況を確かめてから』
そんな甘ったれた言い訳に溺れた。
そして──
意識がはっきりした今でも、溺れた膿から逃れられないでいる。心は捕らわれている。
今の自分がすべき事を知っていても。
ノーフェイトに捕らわれる事がないように、『取りたくない手段』までとったというのに。
結局は逃れられないでいる。
この甘ったるい、『理想』という名前の猛毒にまみれた世界から。
アカツキが残した絶望から。
そして自らの弱さからも。
辛い事や悲しい事には耐性が出来ていても。
苦しい事や絶望には慣れていても。
少年は……少年である彼は、致命的なまでに優しさや甘さには慣れていなかった。
むしろ絶望や悲哀を見すぎたからこそ、その甘い夢には逆らえなかったと言ってもいい。絶望で心が血を流す事に慣れ過ぎて、甘い夢が膿を出す事には耐えられないのだ。
「俺は……戦場なんかに行きたくないよ。だから無理だと思う。父さんの跡を継ぐ勇気なんて俺にはない」
「あ、起きてた。でも──」
そっかそっか。とふむふむ少女は頷いてみせて。
何故か嬉しそうに笑ってみせる。
「うん、それがいいよ。悠にはさ、戦場なんて向いてない。いくらおじさんの跡を継ぎたくってもさ、あたしは悠に危ない事をして欲しくないな」
そしてよしよしとばかりに少年の黒髪を撫でてから、ここぞとばかりに隠し持っていたらしいプリントを見せつけてくる。
大袈裟な所作で。
どこか誇らしそうな笑顔で。
そのプリントの頭にはこう書いてあった。
『進路調査書』と。
「あたしは保母さんになりたいなって思ってるんだ。
それで、良かったら──良かったらさ」
あぁ、そうだ。
少年は覚えている。片時たりとも忘れた事はない。
昔通っていた保育所。
すぐ近所にあった教会が運営していた懐かしき場所。
神の教えを信じ、暖かい優しさで自分たちを見守ってくれていた老神父と彼の娘。
子供達に分け隔てなく接し、慈しんでくれた先生達。
自分と彼女が、いまだ世界の汚さと絶望の意味を知らなかった時代の事を、彼は今でも鮮明に覚えている。
その時から彼女は面倒見が良く、年下の児童達を見守るリーダー格だった。
先頭に立って遊びまわり、いつも笑っていた。
年上の小学生を相手に揉めた時も、決して怯む事なく仲間の前で両手を広げて引く事がなかった。
神の教えを良く理解し、仲間達にもその尊さを語っていた。
彼女を嫌う友達は一人たりともいなかった。いるはずがなかった。
嫌っていたのは、友達の保護者や近隣の大人達だけだった。
その優秀さに。
大人顔負けの聡明さに。
言葉だけで大人の理不尽を言い負かしてしまう気の強さに。
──あぁ、そうだ。彼女は昔っから子供が好きだった。将来は保母さんになりたかったと言っていた。
彼は知っていた。
そしてそう言っていた時の彼女の悲しそうな笑みを……彼は覚えている。
『でもこんな血に濡れた手で抱いたりしたら──嫌われ者のあたしなんかが先生だったりしたら、子供達が可哀想だよね』
まだ狂う前の……世界の絶望に抗っていた時の彼女の言葉を。
そのいつも『僅かながら発光している瞳』に浮かんだ涙の揺らめきを。
今の彼女にその瞳はない。
普通の日本人らしい黒瞳で、感情の煌めきが輝いているだけだ。
彼女なら──『この彼女』なら、叶えられなかった夢を、叶える事を諦めてしまった夢を掴む事が出来るだろう。
それは彼にとっても甘美な夢で。
どこまでも心を惹きつける未来で。
その隣に自分が立てたなら、きっといつも笑って生きていられるだろう。
そう考えてしまう。
そう信じたくなってしまう。
「悠もさ、一緒に保母さん──じゃないや、保父さん目指さない?二人で一緒にさ、いつか近所の子供達を集めてこぢんまりとした保育園でもやれたらなぁ、って」
そう、その優しい戯れ言が耳に届くまでは……彼の心は完璧に甘い運命毒に負けていたのだ。
「悠にも向いてると思うんだよね。基本的に面倒見はいいし。見てくれも悪くないから、その不器用な笑顔だけもうちょっとなんとかすればね」
──この汚れきった手で子供達に接する?
彼女が悲哀した以上に血に染まってしまったこの汚い手で、彼女が手にする事を諦めてしまった未来を手に取る?
それはいかな『夢』の世界でも、希望に擬態した擬似世界であっても、彼には看過しえない事だった。
彼女は彼女の希望に反しながらも、自らの意志でその手を汚して絶望に抗ってみせた。
それでもその手を『汚れている』と悲しんでいたのだ。
自分の手はそんな彼女以上に汚れてしまっている……そう考えたら、夢に浸る甘さが凍りついたかのような感覚を覚えた。
ここで目の前の彼女の言葉に目を瞑ってしまえば、あの時の彼女の悲しみや、それを目にした時に感じた心を締め付ける痛みの全てに、目を背けてしまう事になる。
死ぬ覚悟すら決めて『絶対毒の皇』と化した彼女と相対した『あの時』──大勢の仲間達の犠牲のもと、『捨てたくない』と想いを込めて言ったあの言葉を嘘にしてしまう。
「あ、あれ?悠?聞いてる?結構重要な事を言ってるつもりなんだけど……」
誰かを守るという事に逃げて、償いという言葉に縋って、自らの手を命の赤で染めてきた自分。
居場所に縋って、理想に寄りかかって、他人を理由にして戦ってきたという過去。
それは決して誇れるものではないだろうけれど、そんな自分でも絶対に嘘にしてはいけない言葉……捨ててはならない誓いがある。そんな自分だからこそ、最後の最後まで見据えていかなければならないものがある。
それは一度でも安易に目を背けてしまえば、二度と言葉にする資格を失ってしまう誓いだ。二度と誰にも語る事が出来なくなってしまう想いだ。
彼を仲間と呼び、友と呼び、願いを託して散っていった者達を裏切る事になってしまう。
例え一時であれ、彼らを忘れる事になってしまう。
もしここで彼女の望みのままに、そして自らの安逸の為に『甘い夢の言葉』を受け入れたのなら……一度でも自らの罪と願いから目を逸らしたのなら、彼はこの四年以上もの間、本当に立ち止まって足踏みをしていただけになるだろう。
手を汚した時の心の痛みや、誰かを失った時の悲しみを一時でも忘れる事。
それはそこで命を散らした者達が、本当の意味で無駄に命を落としたと認める事に他ならないのだから。
そして同時に、『彼女』が願った……でも叶わなかった普通の未来を今の自分が掴むなど、絶望に抗っていた頃の『彼女』に対する侮辱でしかない。
そこまで考えた時、彼の脳裏には逃げ続けてきた数年間で出会った仲間達がはっきりと浮かんだ。
誰も彼もがたった一つしかない自分の命をベットし、懸命に認められない現実に抗っていた姿が鮮明に蘇った。
──あぁ、俺は忘れていない。忘れてなんかやらない。
似合わない無骨な刃を翻し、鮮血で赤く染まった少女がいた。
いつも明るく、強く、賑やかな、背中を預けあった相棒たる少女だ。
背後に感じる彼女のか細い背中に幾度命を助けられた事か。
どれほどその存在感を心強く感じていた事か。
──忘れられるわけなんかない。
そんな彼女が夜中になれば、すでに綺麗になった手からなおも血の赤を落とそうとするかのように、必死に何度も手をこすっていた事を彼は知っている。
時折、自らの体にこびりついた『匂い』を気にする仕草を見せていた事を知っている。
誰もいないところで自らの頬を張って、必死に心を奮い立たせていた事を彼は知っているのだ。
年々痩せさらばえ、命を削って情報を取り出しながらも、普段は不敵な笑みを絶やさなかった青年がいる。
彼にとっては親友で救い手でもあったその青年は、甘ったるい性格には似合っていない皮肉げな言動を好んでとっていた。
しかし、そんな彼が一人になれば『死にたくない』と呟いていた事を、一番身近にいた彼だけは知っているのだ。
そしてそれを知っていて、何も出来なかった無力感を彼ははっきりと覚えている。
何も出来るはずがなかったのだ。
何故ならそこは彼にとって贖罪の場所であり、抜け出す事など到底出来ない場所だったから。
身近な誰かの苦しみを背負う余裕はなく、その苦しみを拾う力もない。彼に出来た事はその苦しみを見て見ぬフリをする事だけだった。
隠していた本音に、気付かないフリをしてやる事だけだったのだ。
もし自分に本音が気付かれてしまった事が分かれば、きっとあの二人は弱音を吐く場所を無くしてしまうだろうから。
強くあろうとして、実際に最後の最後まで強かったあの二人が、弱さをみせられる場所をなくさせるワケにはいかなかったから。
だからそんな彼らの本音の痛みを自らの胸に刻みつけて、持っていく事だけしか出来なかったのだ。
それが──その痛みが、『この世界』にはなかった。
刻みつけ、忘れないと誓った数々の大事なものがこの幻の中にはなかった。
痛いだけで、悲しいだけで、苦しかっただけの大切な時がこの場所にはなかった。
理想の幼なじみはいる。
恐らく探せば、理想の親友や理想の相棒も見つかるだろう。それも彼が望めば存外簡単に。
理想の妹分や、その親友たる少女もいるに違いない。
ただそこには、忘れられない、忘れるわけにはいかない痛みだけがない。
忘れないと誓った過去だけがない。
叶わなかった未来はあっても、そこに繋がる痛みを抱えた昨日がない。
──自らの中で広がっている世界に、灰色の風が吹いた。
──理想と現実、夢と現の合間に鎖状の亀裂が入った。
──そして、吹き荒ぶ世界の風の音がはっきりと耳に聞こえる。
カラカラと。
ガラガラと。
ゴロゴロと。
その音達も言っていた。
ここは『在りし日の明日ではない』と。
単なる幻で、薄っぺらな夢で、自分だけが満足出来るちっぽけな虚ろの世界なのだと。
昔は捉えられた。捕まった。離れられなかった。弱くて脆くて、安易に薄っぺらなものにくるまってしまうほどに、心が壊れかけていたから。
でも、今の彼ははっきりと思い出せた。
心の内で灰色の世界を展開しているから──地下に入った瞬間からワードを紡ぎ、世界に手を伸ばしていたから、『運命の否定』の甘い毒に浸かりきっていなかった今の彼は、『自身の名前』をはっきりと思い出せたのだ。
その名前は、『比良野悠莉』なんて名前じゃない。その名前を呼ぶ資格など今は誰にもない。夢の中の綺麗な彼女にもその資格などありはしない。
『彼女』に名前を呼ばれる資格など彼にはないのだ。
今の彼にあるのは、青年が、相棒たる彼女が、仲間達が呼んでくれた名前……呼びやすいように短い愛称まで付けられた名前だけなのだから。
それは『威厳』の銘を持つ、誇り高き徒花の名前だ。自分には見合わない、でもいつかは見合う存在になりたいと願った名前だ。
自らの命すらも惜しまない彼が、唯一惜しむものがあるとすれば、それは仲間達が呼んでくれたその『名前』だけだ。
後ろ向きで、足踏みを繰り返していた自分に、今も傍にいる紅の少女や銀色の妹分が呼びかけてくれるその名前だけが、彼にとっては唯一のものなのだ。
目の前では今も少女が何かを言っていた。しかし、それはもはや耳に届かなかった。
もはや輝かしいはずの『夢の中の彼女』の言葉は軽く感じられてしまう。
痛みを知らない彼女は確かに綺麗で、絶望を見た事がない彼女は本当に尊くて……でも希薄なそれでは『彼』の心はつかめない。
彼が知っている昔の彼女は、もっと綺麗だった。
死した今でも相棒である剣の少女は、この幻よりもずっと尊かった。
親友だった男は……苦しみ抜いても最後に笑っていたあの男は、運命の否定よりもなお強く心に根を張っている。
だから彼は──シャクナゲは小さく宣告したのだ。
唐突に。でも確かな言葉で。
ほんの少し、あと少しだけ今の彼女と言葉を交わしたいという想いはあったけれども、そんな甘い誘惑は乾く事のない血が滲む痛みで抑え付けて。
この綺麗で、でもどこか醜悪な悪夢を壊す為に。
幻の世界をも覆う、灰色の領域を開く一つの言葉を。
幻よりも広大な灰色世界を現すワードを。
「Set─Open the Another first……開け、灰色世界へと至る最初の境界」
ゆっくりと確実に世界を開く為の長々としたワードではなく、一瞬でも早くこの心を膿ませる幻を切り開く為の『強制展開』の言葉を。
ちょっとどころかかなり駆け足で、唐突です。
でもこの形にしたのは伏線の関係と次話の関係です。
以後のシャクナゲ編で補足する為にこの形にしました。
本当はもっと現実っぽいやり取りがあったんですが……ネタに引っかかるので以上自粛。
シャクナゲが地下に入った際の冒頭、唐突な世界展開ワードの羅列は今回の伏線でした。
つまり自身の内側から溢れ出す灰色世界の圧力で、運命毒の領域に支配される事を逃れたワケです。
また二部の最初、シャクナゲでなければ運命毒に抗えないとアカツキが言っていたのも、ここに関係していたりします。
これだけだと同じ純正型であるスズカ辺りでもなんとか出来そうな感じですが、彼女の境遇や性格からして、幻だと分かっていても逃れられないだろう、というのは分かって下さい。
彼女は日常的な現実に憧れている、それを想像する事が大好きだ、という彼女のシーンでの記述はこれを補足する為です。
多分ごっちゃごちゃになっていて分かりにくいでしょうから、一応このあとがきを補足あとがきとして書いておきます。
分からない、忘れたという方はこの機会にでも読み返して下されば幸いです。