2─23・提督少女
「お久しぶりです、提督。覚えておいででしょうか?シャクナゲの副官を務めておりますアオイと申します」
ゆっくりと腰を折り曲げ、慇懃に挨拶をしてくる男に、いかな荒くれ者揃いの水賊達とて呑まれずにはいられなかった。
島の守護者である『海の巨人』の警戒を抜けて本拠地にやってきたという事実もあったが、何よりその男が立っていた場所こそがあまりにも異常で、その異常を全く意に介していない丁寧さは不気味ですらあった。
そう、辺り一面の海水を凍りつかせ、その上を歩いてくる男がいたならば、いかに慇懃な仕草で挨拶をされようとも違和感を感じざるを得ない。
この辺りの海を良く知っていればいるほど、氷原と化した温暖な海は異常に見えた事だろう。
「アオイ……あぁ、覚えてるよ。シャクナゲの腰巾着だった事務屋だろー?名前は忘れてたけど、あんたの顔は覚えてる」
その中で唯一恐れを見せていない少女……キャプテンハットを模したハット帽と、小柄な体にはサイズが合っていないらしい、あちこちに金環をぶら下げた外套を肩に引っ掛けた少女だけが、平然とその男と向かい合い、小さな舌打ち混じりに肩をすくめてみせる。
──提督。
瀬戸内水賊衆頭目たる提督を名乗る少女。
中国地方では二人しか確認されていない純正型の一人にして、これからどこかに襲撃をかけるべく準備をしていたらしい海の男達の長。
しかし、数十隻からなる船団を束ね、島の防衛をもその能力でもって請け負っている割には、その体はあまりにも小柄で線が細い。
その整った顔立ちの中にある意志の強そうな瞳がなければ……そしてその首筋に純正型の証たる鰓のような切れ込みがなければ、アオイであってもそんな風評は信じられなかっただろう。
それほどに『提督』は小柄で、見た目まだ十代になったばかりにしか見えない少女なのだ。
「お、お嬢、どうしやす?」
「俺達じゃ、あんな海を凍らせちまうような野郎にゃ勝てやせんぜ」
「お嬢っ!」
「お嬢っ!」
周りの男達がアオイの異常さに若干の恐慌を来していても、お嬢と呼ばれた提督少女は慌てる事なく……一喝する。
「海の男がこれぐらいで狼狽えるなっ!この馬鹿たれ共ーっ!」
荒くれ揃いの男達を張り上げた声で一喝する。視線をアオイから逸らす事もなく、狼狽える男達に発破をかける。
「海が凍る?はん、だからどうしたー?その上に立ってる野郎がいる?だからってどうなったってんだー?その程度でビビるぐらいなら、陸で嫁さん達と網でも縫ってろってんだ、この馬鹿たれ共ー!」
嘲笑じみたものを浮かべ、部下の男達を叱咤してみせる。
その尊大に胸を逸らしてみせる様は、人の上に立つ事に慣れている人間のものだ。
「なんなら嫁さん達と立場を変わるかー?男なんざ、いざとなりゃ役に立たねぇって笑われたいのかー?」
そしてあっさりと凍りついた海へと飛びおり、無造作にテクテクと歩を進めていく。
氷に覆われた海面を恐れる事なく。
その先で不気味なほどに穏やかな笑みを向ける男に向かって。
「それからあたしの事をお嬢って呼ぶな。提督と呼べー。
……あんたはその点は合格だな。礼儀ってもんを分かってるー」
「恐れいります。提督」
「で、その事務屋が何しにきやがった?ウチに因縁つけよーってんなら、頼りにならねぇ野郎共に代わって、あたしが相手をしてやるー」
そしてそのまま両手を地面に付ける。
凍りついた海原、冷気すら上げている海面に。
もう片方の手で、キャプテンハットがずれ落ちないように、海色の髪ごとしっかり頭を押さえながら。
「島を荒らす不届き者はー、この提督様が直々に成敗してくれるー。きやがれー『だいだらっ』!!」
ペキッ。乾いた音が響き渡ると同時だった。提督と名乗った少女が上げた可愛らしい雄叫びに従うかのように、ゆっくりと氷原が『持ち上がった』かのような感覚をアオイは覚えた。
氷の下……いまだ凍っていなかった海から、まるで何か巨大なモノに殴り付けられたかのような振動が辺りに響き渡る。
「だいだらをこんなちっぽけな氷で封じこめたなんて思うなー、このバカ者がー」
得意げな提督の言葉に従うかのようにその振動は増していく。
そしてついにその振動源の辺りの氷が叩き割られ……そこから巨大な拳がゆっくりとその姿を現した。
海水で構成された、透明な拳。
拳だけでも、アオイよりもずっと巨大な巨人の拳。
その拳が辺り一面の氷を叩き割ろうと遮二無二暴れまわり、ささくれ立ったかのような氷柱を、歪なオブジェのごとく林立させていく。
「あたしのだいだらを舐めるなー。あたしのだいだらは最強だー。坂上もこいつがいたからウチとの喧嘩は避けたんだからなー」
「いやはや、全くもってお見それいたしました。こちらに来るまで、提督のお力を見くびっていた事を深く謝罪いたします」
それでもアオイはにこやかに笑い、慇懃な所作で一礼する。ついに分厚い氷の膜を破り、縛から逃れた巨人の労を労うかのような、どこかからかいが混じった仕草で。
「提督、あなたは生まれながらに『持つ側』に立つ人間だ。力を、人望を、チャンスを。そしてそれらに付随する銀色の未来を手に出来る側の人間だ」
そして手にした『運命のひと』をクルクルと回し始める。
空を切るかのように舞わし始める。
「ゴチャゴチャ言ってんなー。ぶっ潰せー、だいだらーっ!」
そんなアオイに、海の巨人を支配する少女は躊躇いなく攻撃命令を出す。
自分が生み出した巨人の強さに対して、絶対の信頼と自信を覗かせて。
「ですがね、生まれながらに『持つ側の人間』だからこそ、恐れるべき存在がこの世界にはいるんですよ。
──あなたはそれを知るべきだ。『何も持たない人間』の怖さをね」
そんな少女と、迫りくる巨人の拳に対して薄く嗤い……自らの恋人を踊りに誘う。
あらゆる物質を別の形に変換させる力を持つ、第四の遺物にして異物であるファム・ファタルの踊りを。
「……変換せよ、私のファム・ファタル」
アオイ自身よりも巨大な拳に向かって振るわれた剣閃は、大きさの比率からすれば、カッターナイフで薄く切ったかすり傷にも満たない大きさのものだった。
巨人からやや離れたところで見ていた提督が、せせら笑うような笑みを浮かべるほどに、薄く細い剣閃だった。
そう、余りにも薄過ぎて、その剣閃が刻んだ傷の深さが分からないほどに。
「……変換せよ」
その傷が拳を縦に切り裂き、続いて振るわれた剣閃が交差するように横に切り裂き、さらに次々と振るわれる深い剣閃が、巨人の拳を微細な水滴へと変えていき──呆然とその結末を見ていた提督へと、再度にっこりと笑って一礼をしてみせる。
「素晴らしい力です。軍勢を薙ぎ払う力としては、私が知る限りでも最高位の力です。この巨人ならば、かつてあった海上自衛軍など歯牙にもかけないでしょう」
その巨人を、再生する暇も与えず切り裂いていきながら、穏やかな笑みで笑いかける。
二心など一切感じさせない、この場には相応しくない笑みで嗤う。
「ですが、私の与えられた力の方に分があるみたいですね。ただ物質を変換させるだけのちっぽけな力なのですが、力にも相性というものがありますから」
「ちっぽけ……だぁ?あたしのだいだらを切り裂いておきながら、ちっぽけたぁふざけんのも大概にしとけよー?」
嗤うアオイにも呑まれず、悪態混じりに提督は舌打ちを漏らし、そっとその手を自らが立っている歪な流氷へと付ける。
そして切り裂かれながらも、自身を庇うように在り続ける巨人を見やった。
「てめぇごときには勿体ないがー、見せてやるー!瀬戸内水賊が提督、漣海月の本気をー!」
そして、最後にアオイを睨み据えてから、集中するかのように瞳を閉じた。
いや、閉じようとした。
「本気も結構ですが、これ以上やるのなら、私も本気でいかせて頂きますよ?後ろのお仲間さんや、あなたの本拠地が巻き添えになっても許して下さいね?
まぁ話を聞こうともせずに、いきなり攻撃してきたのはそちらなんですから、恨むなんてお門違いってものですけど」
どこか憂慮を含んだ、どこまでも聞こえよがしなそんな言葉が聞こえてこなければ。
「最初に言っておきますが、私はあなたの『家』と『お仲間』から狙います。いやはや、非才なこの身でお強い提督を相手にするのですから、目の前にある『足枷』を上手く使わない手はありません。
大変心は痛みますが……仕方ないですよね?」
「……ちっ」
今も巨人を無力化すべく切り刻んでいる剣のもう一対、男の腕に絡まっていた方の刃が、ゆっくりと頭をもたげてみせるのを見て、提督は小さく舌打ちを漏らした。
目の前の男が何を言いたいかは明らかだ。
そして巨人の攻撃をかいくぐり、本気の自分とやり合いながらそれが実践出来るかと言うと、恐らく出来なくはないのだろう。
なにしろ目の前の男は、底を見せていない。『変換するだけの能力』とうそぶいてはいたが、『何をどこまで変換出来る』のかは全く言及していないのだ。
海水を氷へと変えられる。潮風を鎌鼬へと変えられる。それを実践してみせた上で、『変換しか出来ない』と自称してみせただけに過ぎない。
「……話がどうとか言ってたなー?」
それが分かった以上、そして自らの後ろに守るべき存在がある以上、男の手のひらの上と分かっていても、提督には乗ってみせるしかない。
「えぇ。まずは話し合い。そこで平和的解決を望みたいところですね」
「それが決裂したら?」
「その時は殺し合いも致し方ないでしょう」
腹立ち紛れに即座に切り返した言葉にも、目の前の男は躊躇なくそう返し
「でも私と提督が話し合いをしている内に、女性や子供達を別の島に逃す事は出来ますよ」
にこやかにそう切り込んでくる。
話し合いに応じなければ、まずは一番無力な者達から狙う……そう言っているように聞こえてしまうのは、提督少女の気のせいではないだろう。
「……つまんねー話だったら、楽に死ねるとは思うなよ、事務屋ー!」
「残念ながら私は楽に死ねない事を約束されたクチでね、そんな事はもう何年も前に覚悟しています。もっとも、ここで死ぬつもりは毛頭ありませんけど」
辺りは再度氷で覆われ、遮二無二攻撃を繰り返していた巨人は、三度体を海水で再構成させ、唯一氷に覆われていない地点にぼーっと立つ。
提督を名乗る漣海月という少女は、内心で自らの誤算に軽く顔をしかめながら、目の前の男を見やった。
今の関西以西の地域には、自分に匹敵する能力者など、学園の『委員』を束ねる存在と銀鈴を名乗る女しかいないと思っていた。
自分達を抑えつけていた関西の将軍はすでに亡く、その将軍を殺した男は、部隊指揮に優れただけの単なる暗殺者だ。
今まで何度となく関西軍の高官を暗殺してきたように、今度は上手く将軍を暗殺し得たのだろう……そう考えていたのである。
その男とは、実際に向き合った事も、闘り合った事もあったが、その男などよりも周りの人間の方が厄介だったぐらいだ。
特にあの銀髪の女──銀鈴を名乗る女は、間違いなく強大な理を持った純正型で、一度廃都に海賊行為を行った際に力を見た時には、何故レジスタンスなどに参加しているのか首を傾げたものだ。
あの女一人に、自身のだいだらを抑え込まれ、百に迫る剣を飛ばす女に何隻もの船を沈められて撃退された事は、彼女にとって苦い思い出となって脳裏に刻まれている。
しかし、その剣を飛ばす女はすでに関西軍との争いで散り、銀鈴を名乗る女が廃都を出て行った事は配下の密偵が確認していた。どこに向かったのかは聞いていなくとも、今いない事は間違いない。
つまり、食糧自給率の高い廃都を攻め落とすには、今が絶好の機会だったのだ。
懸念があるとすれば、将軍を殺したとされる男。将軍には勝てるハズがないと思えたのに、勝ってしまった男ぐらいなものだ。
上手くやっただけなら……将軍が油断しただけならば問題ない。かつて近衛総長だった『旭』を奇襲し、瀕死の重傷を負わせたほどの暗殺技能者なのだから、その可能性は高いだろうと思えた。
しかし、彼が予想外の能力を隠し持っていたのなら──『もしも真っ向から坂上と向かい合って勝ちを拾ったのなら』、事態は一気に悪くなる。
自分じゃ勝てないかもしれない。
そんな可能性も出てくる。
それでも、食糧を心配しなくても済む土地が目の前にあるのに……瀬戸内の小さな島々ではまかないきれない食糧を、補えるだけの都市が目の前に転がっているのに、『今は様子を見よう』などと酷な事を仲間達には言えなかった。
彼女は頭領として、島民達を満足に食わせていく義務があり、将来に不安なく生活させてやる義務がある。
まだ若くとも……いっそ幼いと言ってもいいほどに若くとも、代々島の網元家系で、付近の漁師達の頭格であった『漣家』に生まれたという誇りがある。
何より、不当に変種を差別した国の政策をはねのけ、関西軍の侵攻からも島々を守る為に戦った、誇り高い父や兄達と同じ血を引いているのだという自負がある。
だからこそ廃都と水都への侵攻を決意したというのに。
自ら先頭に立ち、廃都の勢力や水都の関西軍残党と戦う覚悟をしたというのに。
こんなダークホースが単なる事務屋として廃都の勢力に隠れていたとなれば、その侵攻計画自体が危ういものとなる。
水都は落とせても、目的の廃都は落とせないかもしれない。それどころか逆襲を受け、取り返しの付かないダメージを受けてしまうかもしれない。
提督を自称し、水賊衆をまとめ上げてきただけあり、彼女は年相応以上に聡かった。また聡くあるべく努力をしてきた。
関西軍と渡りを付け、その配下に加わる代わりに、瀬戸内での自治権をもぎ取れるほどに。
父や兄が争ってきた関西軍に対して、苦汁を飲みながらも膝を折ってしまえるほどに。
だからこそ、内心では『話し合い』で済むのなら──これ以上力を示さず、自らの本気を見せずとも、こちらの意を汲んでもらえるのならば、それはそれで悪くはない……そんな事を考えていたのだ。
舌打ちを漏らし、盛大に悪態を付いてみせながらも、実は内ではしっかり打算が働いていたのである。
海の男達を率いる為には、豪放に振る舞ってみせる必要があるからこそ、そのような言動を心掛けてはいたが……年相応な言動に交えて、豪快に振る舞ってみせていたが、実際の彼女は危険を犯す事を好まない。
提督少女、水賊頭と称された漣海月とは、そんな少女なのである。
まだ提督場面(?)は続きます。
提督、漣海月という名前と共に、非常に気に入ってしまってたりして。
なんか新キャラクターを文に起こす度に言ってそうですが。
実はナナシも結構好きですしね(汗
お気に入りキャラクターが多すぎて困ってます。
人物紹介・ネームレス・ワン
名無しの壱、黒鉄の裏の一人、コードを持たないコードフェンサーの一番。
遺物にして異物たるアカツキの遺産の四番目を持つ男。
その遺物とは二本の小剣(片刃の脇差し)の柄を、鈍色の鎖で繋いだモノで、『恭順』の銘と共にファム・ファタルの名前が与えられたモノ。
普段は飾り気のない鞘にその刃を収めているが、一度抜けば刃に触れ合ったものに『変換』の理を刻む。
水を凍てつく氷に、潮風を切り裂く烈風に、兵器を形造る鉄材を酸化させ、炎を起こす燃料を還元して散らす。
物質が持ちうる形へと瞬時に変換する能力がファム・ファタルの能力である。
『変換せよ』という言葉は文字通りの力を促すモノであるが、『踊れ』などの言葉はファム・ファタルを戦場に誘うモノとして使っている。
この事や文中で語りかけるシーンからもわかるように、彼はファム・ファタルを一人の人間として扱っている。またファム・ファタルの考えすらも分かっているような表記があるが、それが実際のモノなのか、はたまた単に彼の中だけの事実なのかは分かっていない。
彼が遺物であるファム・ファタルへの繋がり(代償)として捧げたモノがモノだけに、『感情』を持っていると考えている可能性もある。
ただ、オートで動いてみせる辺りからして、他の遺物達とは一線を画している事も間違いない。
ファム・ファタルの事を女性のごとく扱う割に、刀身が鞘に入っている時の扱いがぞんざいなのは、なんらかのこだわりがあるらしい。
ファム・ファタルに彼が代償として捧げたものは、自らの感情。
最も多彩に変化し、刻々と変わり続けるものを『変換』の理の代償として捧げた。
今までに『遺物に全てを捧げた』という表記があったのは、人が生まれつき持つモノの中で、普通は失わないあるべきモノを失ったからだろうか?
なお、今まで感情があるように見せていたのは、あらゆる場面でどのように行動すべきか、付随する表情はどうすべきかを、パターンとして覚えこんできたから。
笑みを絶やさないのは、それがほとんどの場合一番無難な表情であるから、作り慣れている為。