表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/112

2─20・不死身と不貫と水鏡と






 ──さて、どうしようか。


 陽も暮れていく黄昏刻に、そう考えを巡らせながら、彼女はその藍色の瞳を空へと向けた。

 六班に『幻影』が向かっているのを察知し、慌てて彼女は追っていった。その先で六班の副官と話をし、あちこちで不穏な動きを見せる要注意人物に目を光らせ、何事も無意識にやり過ぎである同僚を見張り、班員達が気を緩めないように見回りを続け……まさに休む間もなく動き回り、能力を使い続けていれば、さすがの彼女でも疲れを感じざるを得ない。


 ──副官さんがいてくれればもう少し楽なんだけれど……まぁないモノねだりしていても仕方ないわね。


 そう自らを納得させて、脳裏に次々と送られてくる各地の映像に目を光らせる。遠距離であれ、彼女の能力であれば視界に直接映し出す事も出来るが、それではいまいち使い勝手が悪い。なにしろ周りの光景まで映し出すと、能力的な容量をかなり使ってしまう。

 それにドアなどで完全に密封された箇所だといまいち能力の通りが悪く、光を単調に屈折させるだけでは視界が通らない。当然単純に屋外を見るよりも複雑な力を使う羽目になる。

 彼女の能力を知る者は、いつであれ見張られている感に陥りがちだが、別にそんな訳ではないのだ。いつどこであれ見張る事も出来るが、それでは他に回す能力が制限されてしまうのである。

 だから彼女は、固有の人物や場所のみへと繋がるように能力を使っている。ある程度見る場所を固定し、労力を減らしているのだ。

 それでも十数カ所に視線を送り、必要があれば幻像を作ってみせるには、相応に力を使ってしまう事になるのだが。


 今現在、彼女が特に注意を向けている人物は、敵対者である『不死身』と味方である『不貫』、現在副官補佐に収まった少女、そして『幻影』と『碧兵』、先程顔を合わせた『風塵』だ。

 場所としては、三班本部の入り口二カ所と、一班が本拠地を移した山頂周辺、五班本部と六班本部、そして民政部の本部だけである。

 四班も敵対してはいるのだが、そこの長であるオリヒメは、ライバル関係にある紅とは違って、かなり冷静に頭の回る人物だと彼女は見ている。だからこそ、能力の使用容量を減らす為に警戒地区に当てていなかった。三班本部に視界を回すだけで十分だと考えた。

 紅が本能と直感に非常に優れているのに対して、あの蒼は状況判断に優れ、周りを見渡す力に長けている。出来る事なら、一班が三班と争い、なんとか四班の仲間を傷付ける事なく問題に決着が付く事を望んでいるのではないか……そう彼女は見ているのだ。


 あの会議では敵対したものの、蒼のオリヒメがいまだ『不貫』を過小評価しがちな他の黒鉄達とは違って、不貫の異常さと怖さを正当に評価し、水鏡と呼ばれた彼女を警戒している事をスイレン自身が知っている。

 そしてオリヒメが、出来る事なら争う事なく、周りの仲間達にも納得させる形で、シャクナゲと話し合いたいと思っているであろう事も。

 今現在は相対してほとんど間もなく、四班の長として簡単に応じてみせるワケにもいかないが、いずれはなんとかなるだろうとスイレンは考えていた。

 その証拠に、四班は一班に同調こそしてはいるが、防衛態勢に入るだけであり、一班に呼応して動く様子は見られない。不貫に出会った際も、響音を抑えて引き下がっていたぐらいだ。


 ──紅に比べたら責任感があるのだろうけれど……辛くないのかしらね?まぁ、班員に好かれていたかいなかったかの違いもあるのだろうけれど。


 スイレンからすれば、カーリアンよりもオリヒメに同調出来る部分が多い。似ている性格をしているとすら思える。

 スイレンの力を持ってすれば四班本部に入り込み、彼女に会談を求める事ももちろん出来た。そうしようかと一時期は考えていたのだ。『水鏡』と呼ばれた彼女にはそれだけの力があるのだから。

 しかし、その性格を考えた場合、下手に刺激しない方がいいと結果的に判断したのだ。

 紅とのいざこざからか周りからは勘違いされがちだが、彼女は紅よりもずっと理性的な面が強い。本来は激情にかられるタイプではないのだ。

 彼女が我を強くしたり、無差別に能力を使ったりする場合は、『紅』という反作用薬が刺激した場合がほとんどだ。

 もちろん紅の少女とて、その強過ぎる能力ゆえに『危険な爆薬』か何かと誤解されている面がある。能力制御の甘さもあるだろう。

 しかし本来は、非常に人懐っこい性格である事を彼女は知っていた。

 そうでなければ、三班に遊びに来る時に鼻歌混じりだったり、それを三班の班員達が苦笑混じりに見ていたり、いつの間にやら三班本部の入り口が顔パス化したりはしない。

 二人共に性格の違いや性質の違いはあるものの、話が全く通じないタイプではないのだ。単に紅にはあまり間を置かずに話を通した方がいいのに対して、蒼は彼女自身が考える時間を置いた方がいい、という違いがあるだけでしかない。

 彼女達が会う度に揉めているのは、性格の不一致……あるいは境遇が一致しすぎるあまり、お互いが反発しあっているに過ぎない。


 ──とりあえず警戒すべきは、やっぱり『幻影』かしら?副官さんが出ていった隙に、何かしらと動かれたのなら私もそちらにかかりきりになるし。


 そう思考を巡らせ、そちらに意識の重きを置こうとして……監視していた人物の一人に動きがあった事を知る。

 その視線と視界を支配する力で、脳裏の奥に水鏡のごとく映る光景を認識して、彼女は大きな溜め息を漏らした。


 ──貴方はひょっとしたら動き出すんじゃないかと予想してはいたけれど、ちょっとタイミングが悪いんじゃないかしら?今はそう手加減が出来そうにないのだけれど。


 その男は仲間を引き連れず一人で歩を進めていき……その行く先に気がついてしまって、スイレンは思わず舌打ちを漏らしそうになる。

 三班本部の裏口。

 今日もまた、あの壊れた不貫の楯が、猫達だけをお供に夕陽を眺めている場所。

 最近になって、何故か『不貫』のお気に入りとなり、侵入者にとっては鬼門と化している三班本部入り口の一つ。


「用があるのなら、正面から入ってきてくれた方がまだ救いがあるのに」


 立て込もった場所から、わざわざ不貫のヨツバがガーディアンを務める方面へと、向かう男に思わずそう毒付いて。

 彼女にしては珍しく、慌てたように本部へと帰還していく。

 つい先月までよりも、多少人通りが少なくなった廃都のメインストリートのただ中を、その艶やかな浴衣の裾を翻しながら。

 僅かながらもそこを行き交っていた人々は、その様子に気付いた様子もなく、目立つ風貌であり、この都市では有名人でもあるはずの彼女へ視線を向けもしない。


 今現在の廃都で最も苦労人であろう三班の幻は、どこであっても幻に過ぎず、いつであっても誰の視界にも映る事もなく、痕跡一つ残さないまま歩み去っていく。


 自班の本部である山頂から、たった一人で三班本部へと向かって歩いている『不死身』を冠された男を止める為に。






「止まりなさい」


 道を歩く男を遮るようにしてスイレンは鏡像を現した。本体はいまだ遠くにあっても、彼女の場合これぐらいはワケなく出来る。

 光を操り、視覚を支配する能力を持ってすれば、体から遠くに離れた場所に幻像を作る事も、その幻像を完全に支配下におき、存在感や言葉ですらも発しているように認識させられる。

 ある意味では最高の空間支配能力であり、最高の幻覚使役能力だと言えるだろう。

 その能力を持って、彼女は仲間から『水鏡』と呼ばれて信頼され、敵からはインペリアルキラーとして恐れられているのだ。

 しかし、そんな彼女の能力を目の当たりにしても、その男は一瞬だけ歩を止めただけで再び先へと歩き出した。


「止まりなさい、ナナシ。あなたの向かっている先は鬼門よ」


「そりゃあ、あの不貫がいるからか?」


「……そうよ。分かっていたのなら、その先がいかに危険か、あなたなら分かっているでしょう?」


 面倒くさそうに、でもようやく足を止めて、男は胡乱げな視線をスイレンへと向けた。

 ちょくちょく変わる男の髪の色は、現在抜けるような金髪に染め上げられていて、ソフトモヒカンのように逆立てられており、人相の悪さに拍車がかかっていた。

 あまりにも頻繁に髪の色を変える余り、もはや彼の地毛が何色なのかすらもスイレンは忘れてしまっている。

 しかし、バッチリと見事に逆立てられたその髪の毛からも、男の意志の硬さみたいなモノが見受けられた。


 ──『不死身』のナナシ。

 強行班にして強攻班たる、黒鉄第一班の長であるその男は、いつものように彼を慕う部下──彼は子分と呼んでいる──を一人も引き連れてはいない。

 親分肌であり、実際に元は義賊集団を自称していた連中の頭目だった男だ。いつであれ誰かしらが付いて歩いているのが常であったのに、今は一人で歩いている辺りからしても、今の彼が何を考えているのかが察せられて、スイレンはその表情を強ばらせた。


「何を考えているのかは聞かないわ。何も聞かない事にするから、今来た道を真っ直ぐに引き返しなさい」


「テメェの言い分を素直に聞いてやらなきゃなんねぇ理由があんのかよ?」


 背丈の割にヒョロっとした印象があり、黒のタンクトップと肩にかけただけのジャンパーがぶかぶかなところから、一見するとガリガリなイメージを持つだろう。

 しかしナナシの肉体は、限界ギリギリまで肉を削ぎ落とした戦闘仕様の身体である事をスイレンは知っていた。

 かの黒鉄と並び得るだけの身体能力を持つ者が、この不死身と呼ばれた男しかいないというのも伊達ではない。


「ヨツバが本気になったら、私でも止められないわ。彼を言葉で止められるのはシャクナゲだけよ」


「関係ねぇな。シャクナゲの野郎は俺がぶっ飛ばす。なんなら水鏡、テメェから相手をしてやろうか?」


 その言葉が大言壮語……などとはスイレンにも言えない。少なくともシャクナゲである彼や、高い攻撃力を持たないスイレンからすれば、不死身とまで呼ばれた自己治癒力を持つこの男は、天敵とも言える存在だ。

 圧縮空気の銃弾をモノともせず突っ込んでくるだけではなく、普通ならば自らの身体が壊れてしまいかねない力を振るってくるのだから、タチが悪いという一言では済まない。

 それだけではなく、この不死身と呼ばれた男は感覚や知覚能力が異常に高いのか、第六感や野生の勘とも言えるスキルまで持っていて、スイレンとの相性も非常によくない相手だった。

 今もこの鏡像が、空間に映っただけの単なる水鏡と見抜いているのだろう。その鳶色の瞳には鏡像を相手に警戒感は見られない。


 しかし、だ。いかにそんな戦闘向きの能力やスキルを持っていても、それ以上の存在という者は存在するのだ。

 少なくとも三班には、彼以上に人外で、彼以上に戦闘向きな能力を持っている者がいる。


「私やシャクナゲには勝てても彼には勝てないわよ。二代目『不貫』、貫くをあたわずと冠された三班の楯……ヨツバにはあなたじゃ勝てない」


 『不貫』のヨツバ。黒鉄の狂人。戦闘機械。盗賊殺し。そして三班の誇る絶対の楯。

 故事にあったように、三班の剣であり矛である『水鏡』と、楯である『不貫』がぶつかれば、あとに残る者は楯であるヨツバの方だとスイレンは思っている。

 故事のような『矛盾』などそこには欠片もなく、絶対の存在である楯だけが残る事になるだろう。


「私やあなた……いえ、他の班長達やコードフェンサーの誰が相手でもヨツバには勝てない。不可視の楯に阻まれ、弾き返されて傷一つ付けられないわ」


「……あいつの怖さはよく知ってるよ。闘り合った事ぁなくても肌で分かってる。『黒鉄』やテメェと闘り合う事は出来ても、あいつとは闘り合えねぇ。知ってんだよ、それぐらい」



「ならば引きなさい。それは決して恥じるべき事じゃないわ。絶対に勝てない相手というのは必ず存在するの。今の世界じゃ、そんな事は常識でしょう?」


 普通の人種や並みの変種では絶対に勝てない相手がいる事は、黒鉄のメンバーであれば誰しも知っている常識だ。

 それはあの坂上しかり、各地の皇しかり、黒鉄唯一の純正型である銀鈴もまたしかり。

 そしてあの『不貫』もまた、その対象になりうるとスイレンは言っているのだ。


 不貫のヨツバがボロボロになって帰ってきた事は幾度もあった。正確に言えば、『ボロボロになった服を体にひっかけて帰ってきた事は』。

 しかし、ヨツバ本人が傷を負ったところなど、あらゆる能力者を凌駕する視界を持つスイレンとて見た事がない。

 それが銃弾の雨が行き交う戦場帰りであれ、荒くれ揃いの盗賊団を殲滅した後であれ、近衛が出張るほどの激戦を潜り抜けた後であれ、だ。

 確かにヨツバは近衛を打ち破った事はない。しかしそれは、戦った事すらもないのだから当たり前だ。

 近衛殺しの名前などに本人は興味がなく、黒鉄のシャクナゲや水鏡のスイレン、かつていた『錬血』ほど有名ではない彼が近衛の標的とされた事もない。

 それは、近衛達にとって『運が良かった』だけになんだという事を、インペリアルキラー(近衛殺し)の一人である彼女は思っている。

 もし、『不貫』を標的になどすれば……そして戦場をフラフラと歩き回り、その先々で敵を殺し尽くしてきたヨツバと近衛達が出会っていたならば、いかな前近衛総長や『将軍の右腕』と称されていたほどの近衛であれ、自らが狩られる側の存在である事を思い知っただろう。

 ヨツバに今まで狩られてきた盗賊達と同じように、彼の『歪』の前にその命を散らされていたとスイレンは確信していた。


「ヨツバは純正型じゃないわ。彼は単なる普通の変種でしかない。でもね、彼は純正型以外の変種では、間違いなく最強の変種よ。彼の力の前では、私や五班の幻影でさえ万に一つの勝ちも拾えない。

 いえ、いかな純正型であれ、彼に勝てる存在なんてそうはいないわ」


「知ってる。だからそれぐらいは肌で感じてるっつってんだろ。でもよ、それならやっぱり俺ぁ行かなきゃなんねぇ」


 知ってる、そう言った言葉に偽りがない事は、ナナシの声音から判断が出来た。

 彼の──『不死身』と称された男の声からは、戦う前から敗北を口にする屈辱感と、僅かながら確かに存在する恐怖が見て取れたからだ。

 それは、強力な能力を持つ変種が多く所属するこの黒鉄でも、抜きん出た力や珍しい力、大きな発言力を持つ班長連の全てが、『不貫』のヨツバに対して感じているものだとスイレンは知っている。

 あのカーリアンでさえ、ヨツバには少し引いたところが見受けられるほどだ。

 それは強者は強者を知る、などという曖昧な理由からではない。もちろんそれもあるのではあろうが、そんなものが最大の理由ではないのだろう。

 単に他の人々よりも背負うものが大きい存在ほど……守るものが多い者ほど、不貫の異質さが目に付くだけで、本能的な警戒心が働いているのだとスイレンは思っている。

 オリヒメが泡を食って先走ったサクヤを止めたのも、彼女にも多くの背負うものがあったからだ。彼女には班長としての自覚があり、あらゆるものから班員を守っていくという自負があったからこそ、黒鉄内でもっとも異質な男を警戒し、恐れていたのだろう。

 カブトやヘルメスといった、力を持たない班長や、戦う為の能力を持たない者ですら、裏では不貫のヨツバに対して最大限の警戒を敷いている。スイレンに対するものよりもずっと大きな警戒感が見て取れる。少なくとも、スイレンの視界にはその痕跡が見える。

 彼らには、オリヒメよりも背負う者達がたくさんおり、長としての責務をオリヒメよりも長く背負ってきた経験がある。

 カブトは、アカツキがいた頃から変種ではない人々をまとめていたし、ヘルメスは関西の第三勢力とまで呼ばれた『ゼフィーロス』の元女首領だ。

 オリヒメなどよりも、ずっと多くを背負ってきたという実績があり、今も背負い続けているという事実がある。

 不貫に対して特に何も思うところを見せていないのは、七班の銀鈴ぐらいであろう。

 それは自らも元新皇の一角であり、今も当時のガードに守られているスズカぐらいでなければ、あの不貫の異質さは恐れて当たり前だという事に他ならない。


 さらにナナシの場合は、武装盗賊あがりという事から、ヨツバの怖さを噂として聞いた事もあっただろう。同じ前衛部隊的な班に所属する者として、接する機会も多かった。それだけで、ヨツバを警戒するには十分すぎる下地と言える。


「ヨツバは俺らを狙ってんだろ。だったらヨツバの野郎が強けりゃ強いほど、俺ぁビビってるワケにゃ行かねぇ。

 俺がシャクナゲの野郎とケリを付けて……俺自身の問題にケリを付けて、終わりにしなきゃなんねぇんだ」


 しかし、そう言ったナナシの声からは堅い意志が見て取れた。

 不死身のナナシと呼ばれた男は、そう頭の回る人物ではないと思われている。スイレンもそう思っていたし、今向かい合っていても、その印象は覆らない。

 やはりこの男は頭が悪く──どこまでも不器用なのだろう。そう彼女は思う。

 ヨツバと相対する愚かしさを知りながらも、自分の中にあるシャクナゲに対する憤りも捨てられない。付いてきてくれている班員達の怒りも、この男は無視出来ないのだろう。

 ただ、そんな自分の考えに班員達の全てを巻き込めないとも考えているのだ。中には黒鉄同士での争いを嫌う者もいるはずだ。

 そう考えて、この男は自分一人で一班全ての総意を背負い、一班のメンバー全員の憤りを自分一人でぶつけると決めたのだろう。そうすれば一班の意地を通した上で、『ヨツバと仲間達が争う必要もない』。


 ──あの人が不思議とナナシを気に入っていた理由がよく分かる。


 そんなナナシの考えが分かってしまい、思わずスイレンの口元には笑みが浮かびそうになる。

 彼女が従う青年が、何度ナナシに勝負をふっかけられても邪険に扱わなかったのは、その真っ直ぐさが彼には好ましかったからだと思ったのだ。

 隠し事をしていた彼には、ナナシが羨ましく思えていたのかもしれない。

 それでもスイレンは、その鏡像の口元を引き締めて、強い視線でナナシを見据える。

 いよいよこの先にナナシを行かせるワケにはいかなくなった、そう思ったからだ。

 あのヨツバには、こんな真っ直ぐさは通じない。不器用さなど意味を持たない。

 躊躇いなく異質を纏い、迷いなく歪を掲げて、ナナシに力を向けるだろう。

 しかし、この男がヨツバに殺されては、今一人で黒鉄の負の遺産と向かい合っている青年が悲しむに違いないのだ。

 それはスイレンには耐えられない事だ。


 役立たずの近衛。ロクな力を持っていなかった少年に、手前勝手な期待を寄せた不忠の側近。

 そして『灰色』の世界に絶望した少年を見続けてきた最後の友として、例え僅かな悲しみとはいえども、彼にはこれ以上背負わせたくはなかった。

 彼女はその為に、今も生き恥を晒しているのだから。


「あなたが何を考えているのか、想像しか出来ないけれど、もう一度だけ言うわ。

 この道を引き返しなさい、ナナシ」


「何度言われても答えは変わらねぇよ。

 俺ならあのヨツバにもそう簡単にゃ殺されねぇ。なんせ俺ぁ『不死身』のナナシ様だ。この身体の頑丈さは伊達じゃねぇ。ヨツバをなんとか撒いて、シャクナゲのツラに一撃入れてやるぐらいは出来んだろうさ」


「それを聞いて私がこの先へ通すとでも?私の視界とヨツバの歪が組めば、いかなあなたでもシャクナゲの元にはたどり着けないわよ?」


「ふん、そうなりゃ仕方ねぇな。テメェら相手で我慢してやる。生き汚く精々抗って、不様な手傷くらいは与えてやるさ。

 でもよ、そうなったら最後だぜ?黒鉄は本当に真っ二つだ。俺一人をテメェら二人がかりで殺したとなりゃ、ウチの子分共は絶対に降伏なんかしねぇぞ?」


 ナナシに引く様子は見られない。そんな程度の覚悟ではないと示すかのように、僅かな殺気をその身に纏わせる。


「ナナシ……あなたはバカな人ね」


 そんなナナシに見据えられ、スイレンは思わず視線を伏せてしまった。


 確かにナナシとシャクナゲだけで決着を着けられるのなら、それが最善だろう。

 反シャクナゲの筆頭格であるナナシと、三班の長であるシャクナゲだけで問題を解決出来たなら、おそらくどこの班からも犠牲を出さずに済む。出たとしても最小限で済むだろう。

 もちろん二人のうちのどちらかは死ぬ事になるかもしれない。いや、間違いなくナナシは、シャクナゲと闘り合えば、自分が死ぬ事になると分かっているはずだ。

 『シャクナゲ』ならばともかく、遺産を捨てた彼には『不完全な不死身』では届かない。

 『黒鉄最強』ではなく、この国最初のヴァンプであり、この国最強の純正型『元新皇』の一角を相手に、一黒鉄でしかないナナシが抗えるハズもない。

 それでも彼に退く意志が見られないのは、やはり彼が長だからだろう。

 二人だけでの決着の後には、三班と反三班のぶつかり合いの結末よりも、ずっと多くの仲間達が残る事が、ナナシにも分かっているのだ。


「俺を行かせろよ、あのクソ野郎のところまで。そうすりゃ俺だけで全てにケリを付けてやるさ。負けるつもりなんざさらさらねぇが、俺が倒れたら負けを認めっちまえって書き置きも残してある」


「……一班の連中がそれに従うかしら?」


「あんまウチの子分共を舐めてんじゃねぇぞ、水鏡。俺んとこにはな、仲間の最後の言葉を無視するヤツなんて一人もいねぇ」


「…………」


「あいつらの代わりにな、俺がシャクナゲの野郎をぶん殴ってやるって書いておいた。俺が全部の憎しみや怒り、精一杯の恨みをあいつにぶつけてやるってな。

 こんな八つ当たりじみた無様な真似はよ、親分の俺一人が肩代わりすりゃいいんだ」


 ナナシがシャクナゲの正体を話した時に見せた怒りは嘘ではない。それでも仲間達に『怒りと恨みのままに戦え』などと言える人間でもない。

 彼は不器用な男で、王や指導者ではなくあくまでも『親分』なのだから。


「必要なのは勝ち負けなんかじゃねぇ、負けても別にいいんだ。キッカケが必要なんだよ。俺ら全員の意地を見せたって証……それをあいつらにくれてやりてぇ。

 それを最後に、あいつらはお前らが言う『本当の意味での黒鉄』になる。俺の子分共は巣立ってくんだ」


 もしナナシが人の上に立つだけの指導者だったならば、彼は黒鉄に迎え入れられてはいないだろう。

 アオイに煽られ過去を嘲られても、落ち着いて考えれば一番に仲間達の事を考えられる男だからこそ……多くの人々を束ねられる『親分』だったからこそ、ナナシは黒鉄に受け入れられたのだ。


「そっちこそこれが最後だぜ?多分、一番犠牲が少ない結末ってヤツを得られる、最初で最後のチャンスだ。

 分かったらここを通しな」


 言葉では説得が無理な事は明らかだ。逆にスイレンが説得されそうな気すらもした。

 このまま時間を置けば、一班のメンバーは独自に動き始めてしまうかもしれない。鉄拳のカリヤのように先走る者も出てくるだろう。そうなればヨツバを止める事は出来ない。

 鎖を放たれたシロツメ草は、今度は一班の血に濡れて、新たな異名を増やす事になるだろう。

 すなわち『黒鉄殺しの黒鉄』と呼ばれる事になる。

 そんな状況で、シャクナゲが戻ってくるまで待っていて欲しいなどと言えはしない。すでに、いつ一班のメンバーとヨツバがぶつかる事になるかも分からないのだから。





「──通す必要なんかあらへん。不死身はここで死んで、一班も全部綺麗に消えたらそれで仕舞いや」


 そんなスイレンの葛藤に終止符を打ったのは、今ここでは絶対に聞きたくない男の声だった。

 感情の感じられない、男性にしては高い掠れるかのようなアルト。

 茫洋とした雰囲気を、その声からも滲ませる単調な声音。



「あんたが最初や、不死身。心配せんでも後からみんな追わせたる。一人っきりっていうんは、普通なら寂しいもんらしいからな」


「……ヨツバ、あなたなんでこんなところまで──」


 『不貫』のヨツバ。

 本物の不死身を気取る五班の『幻影』ですらも、かつて三班本部でぶつかった際は這々の体で逃げ出し、スイレンの力を持ってしても勝てないと言わしめる、黒鉄第三班が誇る最凶にして最狂。

 薄い色の髪と、白磁のような肌。いつであれ閉じられたままの瞳と、その戦歴からは想像も出来ないほどの細身の身体。

 機械と向き合っているかのような違和感を感じさせる、黒鉄で最も歪な青年。

 向かい合った敵の全てに、レクイエム代わりの口笛を贈りながら殺し尽くしてきた、二人目の『貫くをあたわず』と呼ばれた楯。


「あかんで、スイレン。考えるまでもない、迷うたらあかん。ウチに入り込むヤツはみんな敵や。見逃すなんてあり得へん。

 でも、スイレンが黒鉄とは戦いたないっていうんなら、俺一人で全部片すわ。

 一班以外は誰も傷つかん。この結果ならなんの問題もないやろ?」


 彼は一人、なんの気概もなく、躊躇いもなく、ゆらゆらとした歩調で歩み寄ってくる。先ほどまで佇んでいたはずの裏門がある方向から。

 ほんの僅か……一分にも満たない僅かな間、ナナシへと意識のほとんどが向かってしまったスイレンの隙を突くかのように。


「さて、殺し合おか、『不死身』のナナシ。

 その不完全な不死身で、俺を貫けるもんかどうか……試したるわ」


 声に僅かな抑揚すらも感じさせないままそう言うと、壊れきった不貫の楯は、仲間であるはずの黒鉄に対して、特になんの感情も見せないまま──その瞳を伏せたままで細い指先を掲げた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ