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2─11・深淵の彼方






 ──この世界に神はいない。


 限りなく続く孤独な原野、際限なく広がる灰色の世界。

 そこで彼は一人、独りっきりで天に呪詛を吐き続けていた。そこに佇んでいた虚無感にその身を包まれながら。

 その時の痛みを、絶望を、彼は今でもはっきりと覚えている。否、忘れた事など一瞬たりともなかった、というべきか。


 ──認めず、在らず、その存在を否定する。


 幾百もの命を消し飛ばし、幾千もの想いをも飲み込んで。

 たった一人きりで残されてしまう結末を、ずっと胸に抱えて生きてきて。

 記憶のど真ん中に、孤独が居座り続ける中で、無力な『神様』を否定し続けてきたのだ。


 ──紡ぎ手のみが世界にありて、カラカラと虚ろに響く歌を唄う。


 顕現するありとあらゆる力、自分を取り巻く破壊の為だけの将兵達。

 守って欲しいなどと思わなくとも……いっその事消えてしまいたいとすら願っていても、それらは絶対に許してくれない。

 死にたくないという人々を踏みにじって、死ねないと縋ってくる者を消し飛ばして、自分一人を生かし続けてきたのだ。

 助けてくれ、と縋る者に思わず手を伸ばしても、間に合う事はなく──

 そんな行為ですらも、灰色世界は攻撃意志によるモノだと判断して。

 いつも一人だけが残される。

 たった一人だけで取り残される。

 カラカラと虚空に響く歯車の音だけを残して、彼はいつも独りの結末に取り残される。


 ──彼の者は最果ての日までただ独り、暗き血を流し、赤き涙を落とす。


 暗き血を浴び、赤き涙を流し続けた幾度もの戦いの場の中には……『仲間』を守る為に戦ってきた『故郷』では、戦場と呼べるようなモノはほとんどなかった。

 一方的に刈り取り、一方的に殺し尽くし、一方的に奪いさって、結果一方的な死を振りまく場でしかなかったのだ。

 命の価値が極端に軽い戦場にありながら、簡単に吹き消されるのはいつも相対する相手側。自らは血を流した事すらも数えるほどしかなく、命を奪った感慨や報いすらも残してはくれない。


 ──無限の灰色世界にて、幾千もの刻を刻み、幾万もの孤独に心を砕く。


 そんなモノを、果たして『戦い』と……そして『戦場』などと呼べるだろうか。

 華々しい決闘も、敵対者の想いを認める事もなければ、殺した相手の顔すらも知る事が出来ない。ただ幾千もの命を飲み込み、幾万もの罪悪にまみれる結末が残されるだけの場を、戦場などと呼んでいいものだろうか。

 『屠殺場』や『処刑場』と呼んだ方が近くはないだろうか。

 そんな考えが、戦う度に自らを削り取っていく。精神を磨耗させ、ゆっくりと真綿で絞め殺すかのように心を壊していく。


 ──その身はただ歯車を廻す虚空の歪み。


 たまに──ごくたまにあった、同族の敵対者と向かい合った時ぐらいにしか、傷を負う事すらもなかった。

 それでも同じ地方に生まれた同族の中には、彼や仲間達以上の力を持つ者はおらず、僅かな手傷(報い)しかもらう事も出来なかった。

 違う地方の強い変種と向かい合った時ぐらいにしか、負けを期待する事も出来ず、それらの戦いでも結局は終わりを見る事など出来なかったのだ。

 そう……彼はいつしか報いを期待するほどに、終わりが来る事を切望するほどに、歪んでしまっていた。


 ──その心は数多の世界を歪むる輪廻の鏡。


 その歪な異界に見合うほどに、その異常な世界を反映するかのように、彼は歪んでいた。

 永遠に続く螺旋階段にも似た、終わりが見えないという苦痛に耐え続け、ほとんど彼は壊れかけていたのだ。

 あっさりと消えていく命に、自分は超越種なんだと『諦めて』しまいそうなほどに、折れかけている自らの心。

 相手がどれだけの兵数を用意していても、どれほどの力を持つ重装備であったとしても、いつも結末は変わらない。

 どれだけ心が悲鳴を上げ、魂が切り裂かれ、精神が壊れても。

 変わらない……変わってはくれないという絶望。


 ──故に紡ぎ手は今も独り、灰色の雪原にありて。


 そして残されるのはただ一人。

 だからいつもたった一人きり。

 いつであれ一人孤独に、灰色の原野で勝利の咆哮を上げる。

 絶望に苛まれた、孤独にまみれた、苦悩に溺れた悲痛の声を。

 その時の苦しみを、彼は今でも『悪夢』という形で覚えている。

 至る所で『忘れるな』と囁く亡者の声が聞こえてくる。


 ──いつか在りし日の明日を唄う。


 それでも──それを今でも覚えていても、彼はここへとやって来た。

 禁断の間にして、禁忌の地。

 誰にも踏み入る事を許さず、ここの所在すらも伝えず、ずっと思考の隅へとやってきた場所。

 黒鉄第三班の地下空間。

 『ノーフェイト』という名前の災厄が封じられてきた地へと。

 あの『孤独の戦場』の象徴たる灰色、心を壊し尽くしてきた灰色、自らの内で存在感を増してきた灰色を、自らの意志だけで使う覚悟を決めて。

 いつか在りし日には、完膚なきまでに敗北した『災厄』と向かい合う為に。





 軋むような重低音を響かせ、金属製の扉が開かれていく。

 何年も開かれる事のなかった地下深くへと続く……人に造られた『災厄』へと至る扉が。

 その先にあるモノは、ただ深い黒。淀んだ空気を持つ漆黒の闇。

 長きに渡って、太陽の光も人造の光も受け入れてこなかった黒一色の空間。

 それが一寸先の視界すらも奪い、あらゆる存在の侵入を拒むかのようにたゆたっていた。


「あれから四年か……」


 その闇の深淵へと、手にした懐中電灯で先を照らしながら歩を進め、シャクナゲは小さな吐息を漏らす。

 彼の歩みからは、闇に対する恐怖のようなモノは感じられない。ただ淡々と歩を進め、無表情に先を見据える。

 その様子は余りにも淡々とし過ぎているように……そしてほんの少しばかり無表情すぎるように見える。


「いつか、またいつか……そう先延ばしにして、ずっと逃げ続けて」


 迷いなく進み、滞りなく一人言葉を吐き出し続けて。


「結局はこんなにも時間がかかってしまった」


 真っ暗な空間を突っ切り、闇色の階段を下っていく。

 ひたすらに闇の奥深くを目指し、どこまでも深淵へと身を沈めて。


「でもよ、待たせた事に関しての文句なら受け付けないからな。お前も俺に後始末を任せたって事でお互い様だろ。

──どこか遠くからでもいい、見ていろ。今日ここで、今ここでお前の未練を断ち切ってやるから」


 宵闇の黒を越えて、深淵の闇を歩く。

 阻む者はなく、障害もない。

 ただ異質な遺物、歪な異物が眠る場所へ。


 そしてゆっくりと歩き続けて。

 迷いなく先へと進み続けて……その最奥に行き着く。

 一番深く、一番濃い闇の彼方。

 異常な冷気が満ちる扉の前に。





『甘い夢を見て、その夢にまみれてせめて死を迎えられたら……なんて、どれだけ甘ったれた考えだったんだろうな』


 そう言った友は、笑いながらも泣いていた。

 後悔にまみれた繰り言で、自らをより追い込みながら。

 自らの不明と、弱さを嘆きながら。

 浮かべている笑みですらも強がりにしか見えず、流している涙があっさりと頬を伝う。

 それはその男がシャクナゲに対して見せた唯一の弱さ。

 儚さも脆さも愚かしさも含めた脆弱さだった。


『現実の力には勝てないから、精神を絡め捕る。現実で歩んできた道のりの全てを問答無用で捨てさせて、彼方に置き去りにさせて、無理矢理最高の夢の中に絡め捕る。そんな力を持つ『アレ』が、最高に最低な……自分の罪悪感を薄れさせる為だけに産まれた結果なんだって思うと、自分をなぶり殺したくなる』


 枯れたように細い、生命力の感じられない指先で顔を覆い、嘲笑うというには苦いモノが含まれ過ぎた嗤いを漏らす。

 それを見て、そんな親友を見てしまって……それでも彼は浅はかに考えていた。

 アレが後悔の具現たるモノなら、壊せばいい。壊し尽くして、存在そのものをなかった事にすればいい。

 そう考えていたのだ。


『アレはもう、今の俺じゃ壊せない。今の弱った俺じゃ、制御するだけでも精一杯だ。俺以外には壊せないのに……使用者で、『夢』が効かない俺にしか壊せないないのに、俺にはもうそんな時間がない』


 その考えが、どこまでも甘い考えだった事はすぐさま思い知らされた。

 骨身に染み入るほどに理解させられた。

 一度は親友に代わって壊しに行って──

 結果、弱った親友が体に鞭打って救いにきてくれて、やっとの事で夢から逃れられたのだから。

 なんとか戻ってくる事が……覚める事が出来たのだから。


『この命に代えてアレを消せたならいいんだけどな。どうやら俺の絞りカスの命ぐらいじゃ、見合ってはくれないらしい』


 浅はかだった。愚かだった。

 『運命の造物』とまで呼ばれるほどの能力が産んだ、最初の力ある器物にして、最悪の異物。

 それを甘く見ていたのだ。

 だから『三番目』を壊せた『二番目』の所持者は、あっさりと毒に浸かりきってしまった。

 甘い甘い、狂いそうに甘い、狂いきってしまうほどに甘い運命毒に。




 あれから何年も経った今でも、最奥の扉の前に立ち、『災厄』の気配を感じただけで、皮膚という皮膚が、血という血が、肉という肉が、その気配に『惹かれている』事を彼は自覚していた。

 意識という意識が、精神という精神が、思考という思考が、『求めている』事が分かってしまうのだ。


 ──あの甘すぎる毒、心がとろけそうな運命毒に、どっぷりと頭の先まで浸かりたくなってしまっている事を。


「美味かった。カーリアンがこんなに料理が得意だったなんて初めて知ったよ。カクリが恨めしげに見てただけはある」


 その扉から少し離れた位置に、赤いハンカチに包まれた弁当箱を慎重に置くと、彼はそう小さく笑みを漏らす。

 昔からしょっちゅう三班の本部に顔を出し、いつしか顔パスで入り口を通りだして、普通に三班班長の執務室までやってくるようになった挙げ句、今では三班に籍を置くようになった少女。

 彼女と『料理』を結びつけて考える事自体なくて。

 そのイメージには余りにも合わなさ過ぎて。

 本格的な和風のお弁当に……和風御膳という呼び名すら似合いそうな弁当に、心底から驚かされた。


「自信作って言ってただけあって、出汁巻きは美味かったな。信じられないだろ。あの問題児筆頭だった紅が、実はすごく料理が得意だったなんてさ」


 扉の先には誰もいない。

 いるハズがない。

 彼自身が封印して、厳重に施錠して、管理してきたのだから誰かがいるハズもない。

 それでもシャクナゲはその扉の先にそう言葉をかけ、甘い毒を求め続けている自らを律してみせる。


「他にも色々と直接会って話したい事はあるけど……お前が知らなかった事を山ほど教えてやりたいんだけど。

今はまだダメだ。今はまだそっちには行けない。だから──」


 ──お前の後悔だけを先に送ってやるよ。


 そう言って、弁当箱を置いた位置よりもさらに先、扉のすぐ真ん前まで足を進める。

 その何も握っていない右腕を軽く掲げてみせながら。


「……今度こそだ。今度こそ壊しに来たぞ。暁が産んだ災厄(ノーフェイト)!」


 そして自らを鼓舞するように、吠えるようにそう言うと、軽く掲げただけの腕を扉へと振るう。


 ──Undo the chain(束縛の鎖を外す)。


 決意の後にそう告げて。ゆっくりと命じて。確実に宣告して。

 そしてその腕に朧気な現実感しか持たない鈍色の蛇達を呼び出した。

 彼の……『シャクナゲ』という枠を超えた彼そのモノの力を。


「──Bullet-Chain(弾丸の鎖蛇)」



 そしてその腕を這い回る蛇達を、目の前にある最奥部たる部屋へと続く扉へと飛ばす。

 五筋の弾丸、五本きりの弾幕として。

 そしてその扉の周囲ごと粉々に砕かれ、開かれてしまった禁断の封印地へと入っていく。


「あの時俺を捕らえた甘い幻想を……どこまでも心を捕らえた偽りの世界を……狂いそうになるほどに魅了した紛い物の希望を!俺の中にある灰色の絶望で壊し尽くし、殺し尽くしてやる」



 本来ならば……もっと広い空間で、ここが地下でさえなければ、彼はあっさりと過去に決着を付けていた。

 こんな『運命毒』が滲み出し、体を蝕むような甘さが感じられる間近まで来る事はなかったと思う。

 彼が抱える灰色の力で、幾百、幾千もの力の渦で、破壊する方法を選んでいたに違いない。

 『いつかはこの手で……』

 そんな彼の思惑や望みを押し殺して、迷いなく安全で最善の方法を取っていただろう。

 その姿を視認し得ないほどの遠くから、自身の力が持つ広大な領域を最大限に使って、押し潰すように、擦り潰すように破壊する方法を選んでいたハズだ。

 辺り一帯ごと破壊し、灰燼に帰し、飲み込んで、諸共に砕き尽くす方法こそが一番確実なのだから。

 いかに取りたくない手段でも……忌避すべき力でも、それ以上に彼は『災厄』を恐れていたし、絶対に死ねない理由があったのだから。


 しかしここは地下深く。

 彼が管理してきた、黒鉄第三班の本部地下の最奥部で、かの『灰色に使役された、無差別に破壊を振りまく軍勢』を呼び出すワケにはいかなかった。

 そんな真似をすれば、間違いなく彼は土砂に埋もれ、圧死か窒息死という末路を辿る事になっていただろう。

 その結果、かの灰色が世界の核であるシャクナゲの危機に暴走し、ここの真上にある彼の家……そして仲間達にまで、とばっちりを食らわせないとも限らない。

 それほどに『灰色』は規格外なのだから。

 規格外の支配域を持っているのだから。

 運命毒が影響を与えないように、いつか時が来るまで誰もアレには関わらないようにと考えて、この地下深くに置いたに過ぎないのに、それが結局は彼が再び『災厄』とまみえる原因となっていたと言える。


 その皮肉を笑い、過去の自分の浅はかさを嗤い……そして覚悟を決める。

 向かい合うだけで甘い毒に惹かれてしまう本能を、抑えてみせる為に意志を強く深くして、彼は『ソレ』と相対した。

 無差別に放った鎖の弾丸ごときでは傷一つついていない、コンクリートに根元を埋められていた『災厄』。

 どこか無彩色な冷気を放つ、無骨な錫杖。

 ノーフェイト(運命の否定)と名付けられた、人の未来を殺す為だけの毒源と。


「Chain-dri──」


 それを視認して──今度こそ徹底的に破壊しようと、鎖達をより苛烈にして猛烈な勢いで飛ばそうとして。

 その両腕から飛ばせるだけの蛇を繰り出そうとして。

 それがすでに間に合わなかった事を思い知る。

 彼の『災厄』の毒素が、砕き開かれた扉から漏れ出し、自らを取り込もうと顎を開けている錯覚すらも見えた。

 そんなシャクナゲの危機感に、すでに具現化して虚空を這っていた五筋の蛇達も牙を剥くが、それすらもすでに手遅れで──。


「いいさ。俺を取り込めよ、ノーフェイト。でもな、あの時の俺と一緒にはするなよ」


 シャクナゲは、まるでその毒素を受け入れるかのように両腕を軽く広げてみせる。

 その口元に、彼らしい皮肉げな笑みを刻んで。


 ……そして『彼は白い霧に包まれていく』。

 その思考も、肉体も、魂ですらも。

 鈍色の蛇達が消え、闇色の世界も消えて、深くて甘い霧に覆われてしまう。


 最悪たる災厄。

 鎖の先制攻撃でさえも壊せなかった『運命毒の甘い吐息』に、彼はその身を捕らえられ、飲み込まれていった。





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