6・コード
4年前の事だった。
オヤジと共に関西の港町、神杜市へと引っ越す事になったのは。
かなり栄えた港街。関東に住んでいた俺でも、名前ぐらいは聞いた事がある大きな街。
そんな街に、高校に入ってすぐの時期に急に引っ越す事になったのだ。幾つもの県を跨いで。
──その頃の世界情勢はとことん混迷を極めており、あちこちで『国が倒れた』『革命が起きた』というニュースを毎日のように聞く時代だった。
この国でもそんな世界情勢の余波を受け、故郷である関東の方では『変種』……不思議な力に高い身体能力を持つ人間と、持たない人間との間で、毎日いざこざが絶えなかった。
オヤジが引っ越しを決めたのはそれもあっただろうし、関東の騒乱にこれ以上俺が巻き込まれないように、と考えての事だと思う。
オヤジは俺の為に……いや、はっきり言おう。『俺のせいで』故郷を捨てる事になったのだ。
そうして故郷から逃げ出すように神杜にやってきた。
あの人──オヤジは俺にはほとんど構ってはくれず、一緒に過ごした記憶はあまりなかった。それでも小さな頃に母親を亡くしてから、なんの不自由もなく生活させてくれた。
プレゼントとケーキを用意するだけではあったけど、誕生日やクリスマスにそれを欠かした事は一度としてない。
多分不器用な人だったんだと思う。俺に対する気遣いも分かりにくい人だった。
それでも高校生になろうかという年だったし、俺もそんなオヤジの不器用さを理解出来る程度には大人だった。
──それまで俺が育った地方では、『力を持つ変種』が徒党を組み、持たない人間も護身用の得物を堂々とかざしながら、これまた徒党を組んで練り歩いていた。
あちこちでぶつかり合い傷つけあって、毎日どこかしらで火の手が上がるような場所だったのだ。
昔からの友人達もご近所さんも、それぞれが変種と人間の側に分かれ、睨み合うようなギスギスした場所──。
さながら狂ってしまった世界の縮図であるかのように、見事なまでに紛争多発地帯と化していた。
そんな中でも主に犠牲になるのは『力を持たない人間側』。そして『それを守ろうとした警官隊』。
『力を持つ人間達』……中でも『新皇』と呼ばれるクソ野郎を中心としていた勢力が、かなりの範囲を占拠し、事実上関東の大部分を支配しているような状況だったのだ。
そこから逃げるように引っ越したとて、臆病者と謗られる事はないだろう。
──だがこの神杜市も、引っ越してすぐに混迷の余波を受けたのは皮肉な話だった。
それでもまだ地元だった場所よりは幾分マシではあったけど。
だが関西も俺達が引っ越して間もない頃から、あちこちで様々な勢力が割拠し、ぶつかり合いを始めるようになった。
『人』と『変種』で集団が分かれるようになっていた。
あちこちで小競り合いが起き、そこら中をギスギスした空気が蔓延し始めていた。
──俺は知っていた。
メチャクチャになった地方の……しかもその割と中心近くで、日常が壊れゆく様子見ていた俺は知っていたのだ。
──これが崩壊へと至る序章だと。
すでに数ヶ月前に関東で見ていたから、数ヶ月後にはここが関東と同じ状況に……人と人とが傷つけあう『地獄』に陥る事が予見できたのだ。
今は『神皇軍』なんて自意識過剰な名称を使っている勢力に替わるモノが、この地域一帯を治めるという事以外は……
ここも関東と全く同じ道を辿るのだろう、そんな諦観にも似た思いを抱き、それでも少しでも長く普通の日常を過ごそう……そう諦めていたのだ。
そんな時だった。
俺がアイツに会ったのは──。
場所と状況はよく覚えている。
俺が『力を持たない人間』に『敵』として追われ、仕方なく逃げ回っていた時の事だ。
もちろん俺の身体能力なら簡単に撒く事が出来た。
簡単に追っ手を撒いて、時間潰しに路地裏で缶コーヒーを飲みながらボーっとしていた時の事だ。
座り込んでいた通りを取り囲む建物の一つ──薄汚い二階建ての事務所の屋上に、だらしなく座って空を見上げていた男がいたんだ。
日本人には有り得ない金の髪と、同色の瞳を持った整い過ぎた容貌をもった少年が。
そしてその儚げで悲しげでありながらも、強い意志みたいなモノを感じさせる瞳をこちらに向ける。
──そいつが最初にかけてきた言葉もよく覚えている。
気怠げな口調でこう言ったんだ。
『やっぱりこの街も壊れっちまうんだな……』
悲しそうな、でも俺と同じ『諦め』を含んだ声で。
『もう、この街が──この国が壊れっちまうのは止められないみたいだ』
俺と同じ事を考えていた金髪の男は、そう言って悲しげに笑ったのだ。
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コード……それをそのまま和訳するなら『規定、符号の体系、暗号』である。
簡単に符号と訳して事足りるだろう。
だが、黒鉄が規定するコードには特別な意味があった。
私が大好きな彼女にはコードがある。
『紅のカーリアン』というコードが。
意味的に分けるなら『紅』が彼女のコードであり、『カーリアン』はコードネームと言えるかも知れない。
だが、同じ変種である私にはそれがない。
私の呼ばれる名前は、彼女が私に付けてくれた本名だ。
私も彼女と同じように家族を殺された境遇であるのに……同じように黒鉄に拾われたのに、私にはコードがない。
まぁ、殺されたと言っても違いはあるらしいが。
おぼろげな記憶しかないが、後で詳しく調べたところによると、私の家族は『力のない人間』に殺されたらしい。
私に変種特有の力がある……というだけで、私の暮らしていた家は襲われ、普通に暮らしていた私の家族は殺されたのだ。
だが、彼女は違う。
彼女の家族はヴァンプに殺された。
ここで似ているのは、同じく殺されたという事と、家族の代わりに生き延びた事だけ……。
他の点では、私には産まれた頃から変種としての力があったが、彼女は突如変種の力に目覚めたという違いはある。
だがこの違いも、コード持ちとそれ以外の差にはなりえない。
何故そう言えるかと言うと、『黒鉄』と言えば誰でも思い浮かぶ人物……『シャクナゲ』は、私と同じように『自然発生型』──産まれた時から変種だったらしいから。
そして4班のリーダー『オリヒメ』は、カーリアンと同じく『突然変異型』だ。
この2つにはもちろん違いがある。
自然型は持っている力にかなりの個人差があるが、突然型は全体的に力の強いモノが多い。
その証拠に自然型である私はシャクナゲとは違い、知能と知覚能力以外は全く普通の人間だ。むしろ体を動かす事に関しては、普通以下と言えるぐらいだろう。
また、自然型はその力をいつでもだいたい一定して発揮出来るが、突然型は感情による波が激しいようなのだ。
これは私の仮説に過ぎないが、シャクナゲとカーリアンを見ていればほぼ間違いないように思える。
シャクナゲはいつでも一定以上の力を示すが、カーリアンは場合によっては全く力が発露しなかったりするのだ。
調べたところによると、オリヒメにも似た傾向があるらしい。
この点から考えてみれば、『シャクナゲ』が黒鉄最強だというのはあながち間違いじゃない。
自然発生型なのに、突然変異型にひけを取らない力をいつでも発揮出来るのだから。
まぁ、力を全然発揮出来ない時に、オロオロしてみせるカーリアンは特に可愛いのだが……。
話は逸れたが、つまりこの2つの『発生条件』にコードを得るほどの差はないのだ。
全体的に強力だがムラがある突然型と、弱い力を持つ者も多いが、強く安定した力を持つ者もいる自然型。
コード持ちが大体半々な点もこれを裏付けていると言えよう。
もう一つ、『純正型』と呼ぶ発生系列も存在するが、これは除外する事にする。
数自体非常に少ない発生系列であるし、何よりこの発生系列の変種はシャクナゲ級に──そして全開カーリアン級に、強力過ぎる力を持っている連中ばかりだからだ。
黒鉄にも1人いるが、彼女は当然コード持ちである。
だがここまで考えた時点で、コードフェンサーとはどんな存在か、の答えは出ていたりする。
……つまりコードを持つ者全員が、『強力すぎる力を持った人間』という事だ。全員が非常に危険視されうる存在だ、という事でもある。
だが、コードとはあくまでも『2つ名』の類ではない。
2つ名ならば、カーリアンは文字通り山ほど持っているが、今の彼女はあくまでも『コードフェンサー』なのだ。
──コードとは符号。
コードとは符号というのが、やはりコードの在り方だろうか?
シャクナゲと共に黒鉄を作った『アカツキ』の考えは分からない。
黒鉄の体制と、『コード』を作ったアカツキと言うコードフェンサー。
私が来てすぐに『アカツキ』が死んでしまったのは残念で仕方がない。彼と話せれば黒鉄や世界情勢について、さぞ実のある話し合いが出来ただろうに、と思うのだ。
だが彼と話せなくても、コードに込められた意味──その符号が指す意味と願いは分かる。
黒鉄では当たり前で……黒鉄では常識だから。
差別を助長しそうな『コード』というシステムを作ったのは、ひょっとしたら黒鉄を崩壊させる原因になったかもしれない。コードフェンサー達が増長し、黒鉄というレジスタンス組織を、単なる変種が支配する組織へと変えていたかもしれないのだ。
だが、それでも彼はコードを作った。
──願いを込めて。
『強力な力を持っていても、人である事を誓った者』の符号を。
「カクリぃ!ご飯行くわよぉ!?」
私が自分の考察を纏めたノートをパタンと閉じると、それを見計らったかのように声がかけられた。
廃墟の一つにある私の住居には本しか置いていないが、それがいつも通りに整理されている様を確認してから部屋のドアを開ける。
「……行く」
「さっ、行こ。今日のご飯はなんだろね?」
そうやって機嫌よく笑う彼女──私の唯一の上官の姿に、私は小さく溜め息をもらした。
彼女は誰が見ても間違いなく美人だと思うだろう。スタイルも抜群だし、背も平均より高い。小顔の中にある意志が強そうな赤い瞳も人の目を惹くと思う。
何より時折見せる子供っぽい仕草や表情が、ルックスの大人っぽさとのギャップを持っている時なんか、犯罪級の可愛さだと思う。
小柄でツルペタ、無表情と分類される私とは大違いだ。
でも──
「……カーリアン……シャクナゲが目を覚ましたのね?」
「あれ?もう連絡行ってるの?あたしもさっき聞いたばかりなんだけど」
「…………」
この分かりやすすぎるところだけは子供だと思う。
昨日までの情緒不安定さがシャクナゲの容態のせいなら、いきなり機嫌がよくなればその理由も分かるというモノだ。
「カーリアンは……可愛いね……」
「………?あ、ありがと?」
おまけに『機嫌がいい時』は、皮肉もあまり通じないときてる。
まぁそこが『私のカーリアン』の一番可愛いところであるのは間違いないのだけれど。
「ったく。シャクったらっ!三班も二班もあたしが駆け付けなきゃ危なかったんだからねっ!ご飯持って一緒に文句言いに行きましょ!!」
「……はいはい」
どうせ散々悪態をつきながらも、ニコニコ笑っているだけでしょうに……。
そんな事を思いながらも、私はカーリアンに引っ張られて食堂へと向かったのだった。
まぁ、内心では……
あぁ、カメラが欲しい。使い捨てで構わない。プリンター付きのデジカメなら最高だ。
ご機嫌なカーリアンの様子を後世まで残せないなんて、それだけで世界情勢を乱したヴァンプ共は万死に値する……
そんな事も考えてはいたけど。
今回のあとがきは紹介はナシです。アカツキとシャクナゲの紹介は、もっと後になる予定です。
次のあとがき紹介は三班副官の予定。