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2─7・壊れきった不貫の楯





 彼は自分が一番強いという事を知っていた。

 自分が最強で最狂、そして最凶なんだと。

 噂に流れるように、『シャクナゲ』や『スズカ』などではなく、自分こそがそうなんだという事を、漠然とながらも確信していた。

 そして黒鉄の中で一番異質な存在も、彼ら『元皇』の二人などではなく、一介の黒鉄でしかない自分なのだという事も。


 彼には怖いモノなど何もなかった。死ぬ事は怖くなかったし、失う事を恐れたりもしない。

 善意も悪意もなく、常識も倫理観も全てが欠如して、なにもないただの力の塊。

 それが『彼』。

 彼は赤ん坊でも必要ならば殺せた。誰もが憎むような極悪人でも必要なければ殺さなかった。

 ただ『敵』だけを全て殺し、『敵』だけは誰一人として逃がした事がない。

 自らは何も持たず、何も求めない。

 そんな存在を壊せる者などいるワケがない。殺せる者も存在はしない。

 何故なら、元から壊れきっているモノは、どうやってもそれ以上壊せないのだから。元から生きてはいないモノを、どのような手段を用いても殺す事は出来ないのだから。

 だからこそ、誰を敵に回しても自分が負ける事は有り得ないと彼は知っていた。

 元から壊れきっているからこそ壊せない。

 それが『不貫』のコードフェンサーなのだ、と。


 一人である事にももう慣れた。孤独を費やす術も得た。

 『三班の楯』『不貫』と呼ばれ始めてから、多くを殺し、壊してきたが、それに対してもなんの感慨も浮かばない。浮かんだ事がない。思い返す価値すら見いだせない。

 罪悪感も、嫌悪感も、葛藤も、悲哀も、絶望も、彼には皆無だった。

 善意も、好意も、熱意も、歓喜も、希望でさえも、彼の中には根付いていなかった。

 何故なら彼は、本当の恐怖を知っていたから。

 嫌悪も葛藤も悲哀も超え、善意も熱意も希望をも砕く、本物の絶望を覚えているから。

 だから彼はいつも一人だった。孤独を望んだ。

 彼を知る者の中には、彼の強さ故に勘違いをしている者もいるが、彼が身を置いている立場は、『孤高』などと言った言葉で取り繕えるモノではなく、純然たる孤独だった。

 そんな彼に話しかけてくる者は、同じ三班の中でも、彼と同じく『本物』を知る人物だけだ。

 本物の絶望、本当の孤独を知る二人だけ。


 不貫のヨツバにはなにもない。同じ境遇の二人……『シャクナゲ』や『スイレン』のように、今の現状に対して足掻いているワケでもない。抱えているモノは『零』だった。

 彼はいつも暗闇を歩き続けているだけ。いつでもいつか来るであろう終わりに向かっているだけだ。

 いつ、どんな場所で訪れるかも分からない終点。彼が今現在従っている男がいなければ、とっくの昔に迎えていた終わりの場所へと、無作為に歩を進めているだけでしかない。


『俺がお前に意味のある終わりをやる。お前だけが生き残ってしまった意味を俺がやる』


 絶望に沈んでいたハズなのに、そんな言葉を何故か信じてしまったから、その見えてこない終点を目指して、ただ歩いているだけに過ぎない。


 彼には何も見えていない。何も見る必要がない。

 何故なら、目に見える範囲に求めるモノが転がっていない事を彼は知っているから。

 彼は他人の命になんの価値も見いだせない。

 何故なら、今の彼は自分の生き残ってしまっただけの命にも、なんの価値も見いだせないのだから。

 彼はただの楯で、目的を達した際には……つまり終わりがきてしまえば、壊れてしまうだけの存在。

 何かを……あるいは誰かを守った代わりに、自らが壊れてしまうだけのモノ。

 そう、壊れるに値する場所と価値を見いだすまで、彼はただ『不貫』であり続けるのだ。






 流麗な笛の音が夜の闇の中に響いていた。

 それは精巧に作られた竹笛の柔らかな音色のようでありながら、精緻なリズムで空間に刻まれていく。

 その音色に対する聴衆はなく、いるのは数匹の野良猫のみ。

 その場所が、黒鉄第三班本部の裏口……もっと言えば、『現状の黒鉄では孤立している第三班の入り口』の一つである事を考えれば、余りにも人気が無さ過ぎるとすら言えるだろう。

 辺り一帯に敵がいる事を考えれば、口笛を吹いているだけの男がたった一人しかいない現状は、警戒心が無さ過ぎるとすら言えるかもしれない。

 そう、精緻で情感溢れる笛の音は、男が奏でる口笛によるモノだった。

 高価な楽器を使っても、ここまで見事な音色を奏でるには、相当な修練がいるだろう……そう感嘆させうるだけの音色を、彼は数匹の猫だけを観衆に奏でていたのだ。


 その両の眼を堅く閉じて。

 空に浮かぶ半月を見上げるようにして。

 傷一つない、どこか人形じみた面もちの男は一人、どこまでも一人で、その空間に存在していた。


「ここは通行止めやで」


 それまで頭を下げ、ただ男の聴衆に徹していただけの一匹の猫──漆黒の毛皮を持つ野良猫が、その寝そべっていた態勢から顔をあげ、背後にその金の瞳を向けたのと、その男が口笛を止めて少し先にそう声をかけたのは、ほぼ同時の事だった。

 その声は、男性にしては高くとても済んでおり、先ほどまでの口笛の続きであるかのようであった。

 決定的な違いがあるとすれば、その声には口笛に含まれていたような情感が、すっぽりと抜け落ちていた事だろう。

 その上、男はそう声をかけただけで、閉じられたままの瞳を開く事もせず、目蓋越しに月を見上げる事を止めもしない。

 それでも口笛を再開する事はなく、口笛の残り香にも感じられるヒュッと掠れるような音を上げる。それがなんらかの合図だったのか、単に別の誰かの気配をこの場に察したからか、猫達はのっそりと立ち上がると、闇に紛れるように立ち去っていった。


「……ここはあなた一人だけですか、ヨツバさん?」


「俺が通行止めや言うたら、ここは絶対に通れへんねん。せやったら人数なんかいらんやろ」


 闇に紛れるように、ゆっくりと現れたのは小柄な少女だった。

 ピンクの髪をローツインに纏め、タンクトップの上から薄手の丈の短いポンチョを羽織っている。その裾に隠れるオレンジ色のホットパンツと、お洒落なスニーカーは、見るからに動きやすそうな格好で、剥き出しの腕や太ももは健康的な魅力に溢れていた。


「四班のサクヤです。今の混乱を一番手っ取り早く解決する為に、こんな夜分に失礼させて頂きました」


「四班のサクヤ……あぁ、おったな、そんなコード持ち」


 響音のサクヤ──三班の『音速』に次いで若い、年少のコードフェンサーに、ヨツバと呼ばれた青年はこともなげにそう返し、月を見上げた姿勢を崩さないままその片腕をヒラヒラと振ってみせる。

 それは手招きをしているワケでもなければ、挨拶をしているワケでもない。明らかに『シッシッ』と猫でも追い払うような仕草だ。

 しかも彼が、猫をこんな風に追い払わない事は、先ほどの猫達の様子からしても分かる。

 そう、彼の言葉遣いからも明らかだったが、その仕草ですらも彼は少女を対等の相手として扱ってはいなかった。

 それが分かり、サクヤは思わずギリッと歯を鳴らして噛み締めるが、何度か深呼吸を繰り返してから落ち着いてみせる。


「私もコードフェンサーです。今の状況で通さないと言われて、『ハイ、そうですか』と帰るワケにはいきません」


「帰らん言われてもな。一番手っ取り早い手って、つまりは原因の削除……あの人の暗殺やろ?それが分かっとって、『不貫』の俺がここを通すワケないやろ」


「通してもらいます。このままだったら、ウチの姫がシャクナゲと戦う事になっちゃいます。そんな事になったら姫がかわいそう過ぎます!」


 激昂するように、でも声を静めたまま言葉を漏らす少女に、ヨツバはようやくその閉じられたままの視線を彼女へと向ける。

 それでもその顔には、表情を表すモノなど微塵も浮かんではいない。


「だから今のうちにあんたが……て事か?その決意は立派やけどな、結果は見えとる。俺がここにおらんでも、あんたじゃあの人には勝てん。決意だけが先行した犬死ににしかならへんわ」


「私をあんまり甘く見ないでください!私は絶対の覚悟を持ってここに来たんです!どうあっても通さないと言うのなら、私の力を持って押し通るまでっ!」


「……絶対の覚悟?笑わせんな。絶対なんてモンはあらへん。そんなモンあるワケないんや。あんたが絶対通る言うてもな、俺がここは通さへんって言うたら──」


 感情を高ぶらせる少女と、どこまでも起伏のない青年。その間には少女から向けられる戦意だけが高まっていき


「──通るん諦めてとっとと去ねや」


 そして一気に萎んでいく。

 青年は別に威迫したワケでも、荒々しく恫喝したワケでもない。もちろん力を持って黙らせてもいない。

 ただ淡々としたまま自分がここにいる意味を、改めて告げただけだ。

 そう、決して『貫く事が(なら)ない』三班班長の楯としての立場で。

 同じ『コード持ち』という同格の立場が邪魔をして、自分が『通さない』と言った言葉の意味が分かっていないらしい少女へと向かって。


「俺が通さん言うたら誰も先には通れへんねん。通るんを素直に諦めるか、命落として通るん諦めさせられるかしかないんや。他の選択肢はあらへん。それが例えあんたんとこの班長でも、五班の班長でもな」


 サクヤは、絶対の覚悟を持ってここにやってきたつもりだった。

 まだコードを持って一年。四班が出来てすぐに副官に抜擢されてから、一年しか立っていない。それでも自分が支える班長には信頼を置いていたし、信頼されているとも思っている。

 決して副官として見れば有能とは言えなくても、自分なりに一生懸命にやってきたこの一年を、誇りにすら思っていた。

 意外と子供っぽい班長には、なんだかんだで振り回されてばかりの一年ではあったが、その班長の側が自分には居心地のいい場所だった。

 その班長が、三班の『シャクナゲ』に拾われて黒鉄にやってきて以来、ずっと好意を寄せていた事をサクヤは知っている。

 それだけに、今の状況でどれだけ班長が傷ついているかを考えれば、サクヤの方が泣きたくなる程だった。

 この先実際に三班と刃を交えれば、恐らくシャクナゲとぶつかるのはその班長だろう。なにしろ『蒼のオリヒメ』は四班で一番強いのだから。

 サクヤが信頼する彼女は、その事実と四班の長という立場から、そうせざるを得ないのだ。

 黒鉄最強であり、『元ヴァンプの王』でもある三班班長が万全ならば、副官でしかないサクヤや、もう一人のコードフェンサー『スクナ』では、あまりにも勝ち目が薄すぎる。

 それがオリヒメにも分かっているだろうから、『黒鉄』には『蒼』が当たるしかないのだ。


 もし『シャクナゲ』が万全ならば、だが。

 そう、今のシャクナゲは決して万全などではないハズだった。

 仮にも『将軍』とまで呼ばれた関西のヴァンプの王とぶつかり合ったなら、無傷でいられるワケがないのだ。

 だからこそサクヤは、今この時にこの場所へとやってきた。

 そう、今の混乱の元凶たる『彼』を討つ為に。今ならば……今でなければ、自分が勝つ事など有り得ないと考えて。相討ちぐらいにはなんとか持ち込んでみせる、そう見積もって。


 しかし──


「俺の担当はお前ら四やない、一や。やから敵対しようとしてても、今ならまだ見逃したる言うてんねん」


 ──甘かった。

 どこまでも見積もりが甘かった事を、サクヤは痛感させられる。


「でもな、別に俺の相手はお前ら四でもええねんぞ?」



 自分が『不貫』と『水鏡』に勝てるなどとは思っていなかった。でも、彼らを夜闇の中で煙に撒いて、突破ぐらいは出来ると考えていた。

 自分も彼らと同じ『コードフェンサー』なのだから。同じように力ある人間だと認められた存在だったから、そう思っていたのだ。


「今でももう十分我慢したっとんや。シャクナゲの命令に対する義理は立っとる。次は言わへんぞ、とっとと去ね」


 それが勘違いだった事を理解させられる。

 単なる甘さでしかなかった事を痛感させられる。

 『響音』たる自分では、三班の『不貫』を相手にして、相討ちにすら持ち込めない事が分かってしまう。


 何故ならば、彼はずっと一人だったから。

 今までどんな作戦の時でも、たった一人っきりで行動してきた事を、サクヤは知っているから。

 その彼が、『一班を相手取る予定だ』という事は、彼は一人で黒鉄の一つの班を相手にするつもりだという事に他ならない。それなのに今向かい合う男からは、それに対する気概もなければ気負いも見えない。ごく当たり前に、割り当てられた一班をたった一人で相手取るつもりでいるのだ。


「……お迎えも来たみたいや。良かったな、帰る理由が出来て」


 その言葉を最後に、彼の視線──閉じられた目蓋越しの視線は、再び上空へと向けられた。

 そう、サクヤの背後から駆けてきた、彼女が信頼する『蒼』の気配ですらも、全く相手にしていない素振りで。


「サクヤ!やっぱここに来てたんやな!勝手な行動は……って不貫!?あんた、まさかあいつにケンカ売ってたんちゃうやろな?」


 相変わらず瞳を伏したままで、気を張り詰めていたサクヤよりも早く、近づいてくる気配に気づいた事からして異常だった。

 そして、夜も更けた頃にいなくなったサクヤを心配したのであろう蒼でさえも──敵対する四班班長を確認してさえも、全く動揺していない事も異様だった。

 むしろ蒼の方が動揺しているぐらいであり、そこになんの違和感も感じられない点がサクヤを混乱させた。


「まだなんもしてへん。アホな事言いよったけど、まだ我慢効く範囲やったし、手はまだ出してこんかったから、俺も手は出してへん。でもこれ以上ここらうろつきよったら……俺に対する宣戦布告やとみなすぞ」


 そう、不貫はどこまでも四班の二人を相手にしてはいなかった。

 対等どころか、敵だとすら認識していなかったのだ。

 単にサクヤとオリヒメが、自分が担当する一班の連中ではないから、というだけの理由で。

 もし彼の担当が四班だったら……そう考えると、サクヤには最悪の末路しか思い浮かばない。

 彼女はすでに──僅かに相対し、言葉を交わしただけで、その男に呑まれていたのだ。


「……行くよ、サクヤ」


「さいなら。もう来んなや」


「……ウチもあんたとは会いたないわ」


 その言葉を最後に、サクヤは蒼に引かれてその場を後にする。

 全く相手にされないまま、不貫というコードを持つ男の『異質さ』だけが心にしこりとなって残ったままで。


「不貫のコードフェンサーは敵にしたらアカン。あいつの事はよう分からんけど、あいつはウチらとどっかが違う。『何か』が違うんよ。副官のあんたは、今まであいつに会った事もあるし、それは分かってると思っててんけどな」


「……あいつ、なんなんですか?『あれ』って、なんなんですか!私と同じコードフェンサーなのに、なんで──」


 手を引いて、足早にその場を後にするオリヒメに、サクヤは思わず食ってかかるような物言いをしてしまう。


 色々考え過ぎて、気が逸ってサクヤでも、彼が自分に注意を向けたその瞬間に悟らざるを得なかった。

 防衛班という後方に位置する班に所属してはいたが、それでも何度かの激戦を経験してきたからこそ、『不貫』を冠する男の持つ異質を。


 ──不貫は誰にも興味を示さない。悪意も戦意も殺意も持つ事はない。殺す相手になんの感情も抱く事なく、敵は全てを殺す。

 ヨツバは楯としての役目を持っただけのただの殺人機械だ。


 そんな都市伝説にも近い噂が、限りなく事実に近かったという事を。

 自分に向けられた意識の中に、僅かたりとも感情が含まれていなかった事を。

 あの男には、戦場で嗅いだ事のある『狂気』や『憎悪』がないのだと。

 いやそれどころか、そういったもの含めた人間の持つ感情の全てを、あの男は何一つ持っていないのだという事を、向かい合った瞬間に分からされてしまった。

 伏せられたままだったその瞳の奥に、あらゆるモノを移さず、飲み込んでいく乾いた砂漠色の瞳を見たような気すらした。


「あいつにだけは目を付けられたらあかん。あいつは絶対に敵を許さんやつやから。絶対に敵を殺し尽くすまで止まらんやつやから。あいつに目を付けられたら、それはもう死神に目を付けられたようなもんや。やから三班の敵に回っても、あいつの敵にだけは回ったらあかん」


 そう言ったオリヒメ──『蒼のオリヒメ』の手は汗ばみ、わずかに震えていて。

 背後から迫る何かに怯えるかのように、ただ前へと歩を進めていて。

 サクヤも体の震えが止まらなくなる。頭から血の気が引き、体を包む強烈な寒気に吐き気すら覚える。


 ──蒼は、四班では三班に勝てない事を知っている。そうサクヤは思った。

 それでも許せなくて、混乱してしまって、周りの意見を気にしてしまって、三班を向こうに回すしかなかったのだ、という事が分かってしまった。

 だからこそ、今まで防衛網の構築にのみ労力を割いて、周囲に対して出来うる限りの『時間稼ぎ』を試みているのだと、理解してしまったのだ。

 そう、単にシャクナゲに対する恩義や思慕の念だけで、彼女は攻撃に移らなかったワケではないのだ、と。


「あいつが一班を相手に回すって言うたなら……もう一班は終わりや。それをあの連中が分かってるんか分かってへんのかは分からへんけど、あいつらはもう死神に目を付けられてもた」


 死神──。

 その表現をサクヤは笑う事は出来なかった。

 何故ならその『称号』は、先程向かい合った青年にどこまでもピッタリと当てはまっていたから。


「……ウチらはね、絶対に勝てん戦いをしてる。勝てん戦いをしてるんよ」


 その言葉が、今の今まで大した動きを見せなかった蒼の心情を表していて。

 今のサクヤの考えをも現していた。






 何事かを話しながら去っていく二人を見送って、ヨツバは小さく溜め息をもらした。


「暇になってもたな」


 別にそれを苦に思ったワケではなかった。

 それは彼にとってみれば、特に憂慮するに値しない些末な事柄だ。戦場で過ごす一時間も、退屈に過ごす一時間も、彼からしてみれば特に変わりのない一時間に過ぎないのだから。

 ただなんとなく何もする気にはなれず、半月が浮かぶ空を閉じられたままの瞳で見上げ続ける。そしてその端正な顔立ちにかかるほどに長い髪を、そっと夜風に流しながら細い指を空へと伸ばした。


「言われた通り手は出してへん。これでええんやろ」


「……ええ。彼女は私達と率先して争うつもりがないみたいだから」


 背後になんの気配もないまま現れた女性にも、顔を向ける事はせず、ただ真っ直ぐに空へと手を掲げ続ける。

 今も気配一つ感じられない女性──『水鏡』に、なんの興味も関心も示さない。

 相変わらず彼はただあるがままを受け入れて、ただ気の向くままに行動して、誰にも寄りかからずにそこにある。恐らく今月に手を伸ばしているのも、昔からシャクナゲがそうしていたのをたまに見てきたから、なんとなく自分も伸ばしてみたくなった……というような理由に過ぎないのだろう。

 それをスイレンは少しだけ苦々しく思ってしまう。


 彼からは相変わらず生きている気配がしないのだ。今の彼女のように、視覚の中だけにその存在を現しているワケではないのに、全くといっていいほどに生気がない。

 必死で足掻いて生きている三班のメンバー中でも、二代目の不貫は明らかに異質な存在だ。

 綺麗な音楽の中にある僅かな不協和音が気にかかるように、彼の存在そのモノが不協和音として気にかかるのか、あるいは自分に匹敵しうる彼が本能的に気にかかってしまうのか……それは水鏡と呼ばれる彼女にも分からない。

 ただ画用紙に一滴落ちた黒いインクのように、彼には気にかかるような部分があったのだ。


「……全く、こんな風に現れても二人揃って驚かないんだから、少しだけ自信をなくしちゃうわね」


「あんたはそんな人やって知っとる。あんたは一人しかおらんけど、どこにでもおる。あっさりと霞んでまう水鏡のように虚ろやけど、あっさり消えてまうほど弱ぁない。ここにおっても驚く必要はあらへん」


「あっさりそう納得されちゃってるから自信をなくしちゃうのよ」


「……そうか」


 相変わらず顔を向けない青年に、スイレンは小さな笑みを漏らしてみせる。


「あなたは変わらず待機よ。入り込んできた相手は好きにしちゃっていいから。でもなるべくは殺さないであげてね?」


「まぁ、努力はするわ」


「……うそつき」


 そんなやり取りを最後に、その空間にはまた男が一人だけしかいなくなる。

 無表情に、無感情に、無愛想と言えるほどの色もない、無色透明をイメージさせるような男だけが残る。


 辺りに響くのは流麗な笛の音と、郷愁をさそう半分に欠けた朧月。

 それに手を真っ直ぐ伸ばして……何かを求めるかのように伸ばして、男はその手を握りしめた。


 まるで欠けた朧月ごと、望んでいたモノを閉じ込めてしまうかのように。


ヨツバについて。


ヨツバが口笛を吹いている設定は、平敦盛の『青葉の笛』から取りました。

青葉→四つ葉のイメージで。

この人に関してはまだ全然何も出てませんが、ちゃんとエピソードや今後についてもしっかりと決めている、数少ない人物です。

割と書いていると感情移入してしまうクチで、元の設定から変わってしまう事がたまにあるのですが(といっても大筋に影響出ないようには心がけています。影響出そうでかなり変わった部分は、一部ラストの将軍と右近についてぐらい)、この人は絶対に変わらないだろうな、と思います。

スイレンやオリヒメなどは、多分今後次第で結構変わりそうですし、スズカやカーリアン、シャクナゲでさえ変わるかもしれません。

何気にスズカとスイレンさんは書いている間に、思っていた以上にお気に入りになってますしね。


でもこの人は変わらない。変えたくないと思っています。

これぐらいしっかりとエピソードや行く末が決まっているのは、ヨツバとアオイとカクリ、後はラストの敵性存在ぐらいです。



今回と前回は、もう裏方話と化してますが、書いてて結構楽しかったです。

今回はかんなり書くのに手間取りましたし、色々変な箇所があるかと思いますが、苦労だけは二部史上最大でした。

まぁ、二部自体十話も行ってないんですけど。

何か気にかかる点等ありましたら、ぜひお知らせ下さいませ。



最後に。

気付いたら、お気に入りにしてくださっている方が結構増えてました。

全くもってありがたい事です。

それがノクターンを書く意欲に繋がって、ストックが溜まった理由なのは秘密です。

感想なくてもテンションは全く下がらないのに、あれば上がるのが我ながら不思議です。


本来はあとがきに台本調の話、座談会みたいなのをしてみようかと思っていましたが(台本調ってのはあれです。

カーリアン「」

みたいに名前を付けて、会話をメインに書くやり方です)、非常に向いていないみたいで苦労しています。

多分挫折しそうなので、もし折れちゃったら、次は前話みたいに前後編で小話を載せます。


……こっちは簡単に書けるんですよね。




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