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2─2・狂人





「あ〜ぁ、つまんないなぁ」


 そう小さく呟くと少年は大きく溜め息を漏らした。やや小柄なその体はどこまでも華奢で、ライトブラウンの長髪は女性の髪のように細くなめらかだ。

 その髪と真っ赤なスカーフを風と慣性で後方へと流しながら、そっと髪と同色の瞳で曇天の空を見上げていた。

 今にも冷たい雨が降り出しそうな厚い雲に覆われた空を。


「やっぱさ、美味しいモノは先に食べちゃわないとね。誰かに取られてから後悔するなんて間抜けな事極まりないしさぁ」


 ノロノロと走るオープン仕様のキャデラックの後部座席に、その華奢な身体を沈め、鈍い光沢を持つ重厚な革張りのシートにその頬をくっつけながら、誰に言うともなくただボヤくように独りごちる。

 黙々と運転に従事する男も、助手席に座る大柄な女も、少年の声には返事を返さない。

 助手席の女はただ雨が降り出さないかと心配するように空を仰ぎ、運転手は緊張に頬をひきつらせたまま前を見据えている。

 空を見上げる女性はともかく運転手である男は、少年の声が聞こえると同時に大きく体を震わせ、額を流れる粘っこい汗をハンカチで何度も拭っていた。その顔色は青を通り越して白く濁り、歯の根も合わないほどにガチガチと震えている。

 そんな男を、少年も女も気にした素振りすら見せず、ノロノロと走る車のシートに身を預けていた。


 三人が乗る磨きぬかれたブラックパールの車体は、後方に数十台規模の車の群れを引き連れて一路西へと向かっていた。

 砂塵を巻き上げ、排気ガスを撒き散らしながら、我が物顔で道いっぱいに広がって走る車達の群れの長がごとき威容で。

 その群れの中には大型トラックもあるし、軽トラもある。中型バイクや原付まである。一昔前なら間違いなく警察官により取り締まりを受け、集団暴走行為として検挙されていたであろう。

 ただ当時の暴走族とこの集団が一線を画す点を上げるとすれば、警察という機関がすでに力を持っていない事と、この集団が反社会的行為をする集団ではなく、この集団こそが一地方のヒエラルキーのトップである『為政者』のモノであるという点であろう。

 先頭の車以外には、それぞれ黒い逆十字と斜めに傾けたハーケンクロイツを合わせたようなペイントがボディに施され、その下に小さく記された三桁からなるナンバリングが刻まれていた。

 先頭のキャデラックには、黒地に白で描かれた同じ柄の旗。

 その下のナンバーは『001』。


「マスター、北陸の連中も南下を始めているようですが、いかがされますか?」


「あーはん、どうせ最後は関西を半々ってトコで手打ちになるんじゃない?向こうは古都、こっちは山都。後は早いモノ勝ちで取ったモン勝ちってトコかな。その辺りで向こうから停戦を申し込んてくるんじゃないかなぁ。中部の新羅もいろいろとうっさいしさぁ、長尾(向こう)としても僕と戦いたくはないだろうしね」


 その少年は『マスターシヴァ』と呼ばれていた。東海三県と関西東部を勢力圏とする勢力の支配者(マスター)シヴァと。

 その紋様こそが彼のシンボルであり、ナンバーこそが組織での序列そのものだった。

 彼の率いる東海軍の車両のみからなる部隊は、緩やかに……でも真っ直ぐに関西の中心へと軍勢を向けて走っているのだ。

 『狂人』とも呼ばれる指導者であり、地方最強の変種にして純正型である少年に率いられて。

 同じく暫定政府として機能し、関西西部地域を治めていた勢力『関西統括軍』が瓦解し、その影響から動乱に揺れる関西西部地域へと勢力を伸ばす為に。

 その手始めとして、彼らは動乱の余波を食って軍勢が撤退したらしい『山都』へと向かっているのだ。


「でもさぁ、あんまやる気出ないんだよねぇ。坂上がいない関西で僕らに抵抗するヤツなんていないだろうしさぁ。近衛の連中もいないんでしょ?」


「坂上がやられて、左右の近衛が生き残っているとは思えませんね」


 抑揚のない女性の言葉にシヴァは軽く肩をすくめてみせる。


「……やっぱそうだよねぇ。こんな事になるんなら、坂上はさっさと食っちゃえば良かったよ」


「マスター、退屈しのぎの八つ当たりは結構ですが、部下にはなるべくお止めくださいね。出来れば無抵抗な者にも止めて頂きたいのですが……」


 空を見上げたまま淡々とそういう女性の声は、あくまでも抑揚のないモノで……後部座席に座る少年は、それに対してつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「君が僕に指図するなよ、それから八つ当たりって言うな。カエラ、別に君がストレスの捌け口になってくれてもいいんだよ?」


「ごめんこうむります」


「だったら口は出さないで欲しいな。僕はやりたいようにやる。殺したかったら殺す。目に付いたから殺す。気分が良くても殺すし、悪くても殺す。雨が降りそうだから殺す。太陽が眩しいから殺す。それが僕という生き物の在り方さ」


 ──それぐらい知ってるでしょ?

 そう言いたげにルームミラー越しにカエラと呼んだ女性を見てから、少年はさらに言葉を続ける。


「君らはその死体の山の中で、今まで通り権力や利権を勝手に貪りあえばいい。それがお互い気楽で後腐れないでしょ?僕は誰かを殺す事に大きな理由を求めない。君達も理由は求めちゃいけない。代わりに君達が僕の力をどう利用して何をしていても詮索はしない」


 そう歌うように口ずさむと、血に濡れたように赤い舌で、その頬に刻まれた歪な形をしたファイヤーパターンのタトゥーへと舌を這わす。


「まぁ未確認だけどさ、向こうには僕の顔に傷をくれた(あか)もいるみたいだし、案外暇はしないかもね。しなかったらいいと思わない?暇だったら暇だったで死体の山が増えるだけだしさ」


「……死にたがりの紅、ですか。確かに彼女も厄介ではあるでしょうが、他にも少々気になる情報もございます。こちらも未確認ではございますが、マスターは関西に関東を抜けた皇もいるとの噂をご存知でしょうか?」


 女の言葉にその切れ長の瞳をスゥーッと細めると、少年は思案を巡らせるように空を見上げた。


「あん?関東を抜けた、ねぇ。聞かないなぁ」


 その気だるげな瞳には、感情らしき感情は浮かんでおらず、まるで今の天候のような鈍い輝きを放っている。


「でも抜けたってからにはひーくんかな?壊れちゃったって聞いてたから、どっかで首でも括ったんじゃないかと思ってたんだけど」


「もし、噂が事実で、新皇の一角が関西にいたとすればどうされます?念の為に連絡を入れて今からでも『アンチ』を呼びよせますか?」


「別に必要ないよ。もしひーくんがいるんだったら、数はいくらいても全然関係ない。アンチの数だけ死体が増えるだけさ。何しろあの『灰色』は、多数を相手に殲滅戦行う事においては最悪の災厄だからね」


「では──」


「だねぇ。ひーくんがいたら結構楽しそうだよね。だからさぁ……」


 そこまで無表情のまま言葉を交わし──少年はそっと前に座る女性の首元へと手を伸ばした。

 その端正な顔立ちとしなやかな体付きの中では、唯一歪で異形のごとき鉤爪を持った角張った手のひら……異様を現した『証』である指先をその首元へと押し当てる。


「……あんまり勝手はしないでね?君は優秀だから、僕の言いたい事ぐらい分かるでしょ?」


「了解しました。変わらずアンチクルセイダー(逆十字軍)は待機と伝えておきます」


 その突きつけられた指先に、当の女性ではなく隣の運転手が息を飲んだ。人の首ぐらいならあっさりと握り潰しそうなその鉤爪は、どこまでも異様で、凶器そのモノにしか見えない。

 それでもカエラ自身は気にした様子も見せず、再び空へと視線を向ける。

 その白目との境が薄い、薄銀色をした瞳で虚空に浮かぶ何かを見つめるかのように。

 そして何事かを呟くようにその口元をもごもごとさせながらも、その首筋にあてがわれた異形には目もくれない。


「ひーくんがいたら楽しいよね。ヒャハッ、結局なんだかんだで遊んだ事はなかったしさぁ。僕の力とあの殲滅世界、どっちが偉いんだろ、だろ」


「……連絡は付けました。アンチクルセイダー半数は中部との境界線に、残る半数は関東方面の境界線にて待機。以上です、マイマスター」


 ただ空を見上げながら、ぶつぶつと言っていただけのカエラのその言葉に、シヴァは満足したように小さく笑うと、その首もとへとあてがっていた手を引っ込める。そして再び後部座席にその身を沈めるようにして、曇天の空を見上げる事を再開した。


「ありがと、『連絡役』。でもちょっとノリが悪いかなぁ、カエラは。ま、おしゃべりなだけのヤツよりはいいけどさ」


 ──おしゃべりは殺す。口だけしか取り柄がないのなら、そのよく回る舌を引き抜いて殺す。小うるさい口を引き裂いて殺す。


 そう歌うような声音で呟きながらマスターシヴァは笑う。

 口元を可笑しそうに、心底愉快げに歪めながら。

 それでも前方に見えてきた関西東部の要衝、『山都』を見据えたその瞳は、あくまでも無感情なモノでどこまでも機械的だった。

 シヴァが手を引くまで無表情を崩さなかったカエラではあったが、別に彼女とて狂人と呼ばれるマスターが怖くないわけでも、自分は殺されないと高を括っていたわけでもない。

 それどころかこのマスターは、下手を打てばあっさりと自分すらも殺すだろう、そう思ってもいた。

 それでも無表情を保っていられたのは、単にマスターシヴァという少年の事を彼女が深く理解しているからに過ぎない。あっさりとうろたえるような弱さを見せれば『弱いヤツは殺す。弱いから殺す』と、理由にもならない理由でこの少年はその牙を剥くだろう。

 今までに何人の側近や側仕えが殺されたか、何人の小間使いが精神的な緊張の余り発狂したか。その数はずっと側で『連絡役』をしていたカエラでさえも数えきれない。

 周りが何をしていようが気にもしない。殺したくなったら殺したい存在を殺すだけだから、周りは別に気にならない……そんな少年が一大勢力のトップに立てたのは、一重にその純正型としての力の強大さゆえでしかないのだ。

 その側近達は、狂人の興味を必要以上惹かないように精神を常にすり減らし、その代償として利権を得ているというのが、東海地方の政府の内情だったりする。


 ──まぁ見合っただけの代償なのかと言えば、ちょっと疑問があるところだけど。


 息も荒く油汗を流す運転手を見ながらそう思い、


 ──彼もそろそろダメか。


 そう溜め息混じりに今度は意味もなく空を見上げて──


「マスター!」


 カエラは真っ直ぐにこちらに向かい飛ぶ何かを『視た』。次から次へと凄まじい勢いで迫る『何か』。

 遥か彼方から迫るそれは、砲弾の一斉射を上回るほどの勢いでありながら、砲弾にしては歪な形をした力の群れだった。

 その内の一つ、一番間近まで迫ってきたモノが、相変わらず殺す殺すと歌うシヴァと、蒼白な顔色の運転手、そしてカエラが乗ったキャデラックを真っ直ぐに目指しているのを確認し、彼女は後ろに声だけをかけると、それ以上は顧みる事なく助手席から飛び降りた。

 カエラのかけた声の意味を理解したのか、それとも彼自身も何かを感じていたのか、シヴァは相も変わらず無表情に歌いながら、前方を確認しないまま慣性に任せて後方に転がり降りる。


「あーはん、エラく力持ちが投げつけた、とかぁ?力持ちは殺す、筋肉質は見ていて気持ち悪いから、肉を全て削ぎ落として殺す」


 直後、きれいにクルッと回転し、足から降り立ったシヴァの前で、グシャと鉄骨により潰される車体。直撃し肉片となった運転手は最後まで状況を掴めないままでも、狂人の車を傷つけない事に心を砕いていたのだろう、その片手は潰れた体から離れた後も、歪んだハンドルにかかったままで鮮血に塗れていた。


「ご無事ですか、マスター」



「一人だけ先に逃げといてご無事もないでしょ?カエラは相変わらず面白いなぁ、面白いから今は殺さない」


 そう笑うシヴァを囲むように、後方を走っていた車達が止まった。それを少年は軽く見やってからさらに歌う。

 無感情に、無慈悲に。


「ここは停車禁止ぃ。この辺りの天気はどうやら『曇り時々鉄骨、たまにコンクリートが突進してくるでしょう』……みたいだよ?バックしても間に合わないだろうから、運の悪いヤツは殺されろぉ」


「……くっ!総員──」


 退避と繋げる間もなく、空からはあらゆるモノが降ってくる。

 コンクリートの砕片から始まり、鉄骨、レンガ、車のドアやら屋根の瓦、さらには大型トラックのタイヤまでが、ごちゃ混ぜに降ってきたのだ。

 先頭を走ってきたキャデラックは、鉄骨によりスクラップと化した後も、ひたすらに異様な雨に打たれ続け、金属の摩擦により生まれた火花が燃料に引火したのか爆発炎上し、周りの車群も降り続ける重量級の廃材達により、次々と廃材の仲間入りを果たしていく。


「当てずっぽうに投げてるのかなぁ?メチャクチャだよね〜、グチャグチャだ〜」


 そんな光景の中心でもシヴァは歌い、可笑しそうに声を上げて笑う。無感情な瞳に僅かな喜悦を混ぜて。


「重力を操るぐーちゃんならこれくらいの真似、軽いモンだろうけどぉ、関東にいるはずのぐーちゃんがこんなトコにはいないよね〜。じゃあ誰かなぁ〜?あの車、結構お気にだったのにさぁ」


「マスター!一旦──」


 なんとか回避に成功した者、運良く砲弾の雨に巻き込まれなかった者達をまとめながらのカエラを尻目に、シヴァは興が乗ったかのように一人先へと歩き出す。


「ハイハイ、みんなは下がってよぉし!多分半数くらいミンチになっちゃったみたいだけどさぁ」


「マスター!」


「『ここは俺に任せて先に行け!』とかとかどう?なかなかパターンじゃない?もしくは『僕を止めたきゃ倒すしかないよ』とか。

……どっちがカエラの好みかなぁ、かな?」


 鈍く光る眼光をチラッとだけ後方にやり、試すかのように女性を見やる。

 そこには苛立ちも怒りも何も垣間見えず、だからこそこの少年の異質さがよく見てとれた。


「はぁ、では一旦下がります」


「あははっ!賢いヤツは殺さない〜、使える間は便利だからぁ〜」


 どこまでも自由奔放なシヴァの言葉に、カエラは諦めたように溜め息を吐きながら、いまだに喧騒醒めやらぬ生き残りをまとめ、後方へと下がっていく。

 ここで自分の我を通せば、このマスターは間違いなく癇癪を起こすだろう。そしてその癇癪は、さっきの暴悪な飛来物などよりも多大な被害を自軍にもたらすに違いない……そう分かったからこそ、カエラは素直にその言葉に従ったのだ。


「賢いから君は好き。賢いうちは殺されない」


 そう歌うように言いながらも、その視線は真っ直ぐに山都の方向を向いていて、後退していく連中を見向きもしない。


「面白いのかな〜、一発芸にしちゃ気が効いてたけど、あれっぽっちじゃダメダメだよ?同族の彼女ぉ」


 そう言った少年の視線の先にあったのは一つの人影だった。前方の虚空に浮かぶ一人の銀色の少女。

 やや長めのウルフボブは灰銀色で、それを包むニット帽は汚れのない純白。同色のファーを風に流して佇む、シヴァと同年代の少女が、どこまでも怜悧に少年を見つめていた。

 服装はチャコールグレイのデニムの上に、裾の長いシャツ。その上からはノースリーブの黒いジャケットを羽織っている。

 どこまでも服装に頓着のなさそうな雑な着こなし方の中で、そのファー付きのニット帽だけがやたらと可愛く見える。


「近衛……じゃないよねぇ。アサヒはもう壊れちゃったらしいし、あいつの力じゃさっきみたいな真似は無理だろうしさぁ。他に純正種はいなかったハズだけど君は誰かなぁ、かな?」


「……黒鉄」


「黒鉄、ねぇ。あぁあぁ、じゃあ君が坂上を殺しちゃったのかなぁ?見たところやってやれない事はなさそうだしぃ、坂上の力との相性も悪くなさそうだしさぁ」


 黒鉄という名前に、愉快げにシヴァはその相貌を初めて楽しげに歪めた。

 鈍い光を放つその双眸には、何か得体の知れないモノが燃え上がる。


 関西発祥の対ヴァンプレジスタンス『黒鉄』。

 この連中がいるが為に、関西圏ではレジスタンス組織が多いという事は、ちょっと世情に詳しいモノならば誰でも知っている事だった。

 街一つを関西軍より奪還し、要塞化して反政府体制を取っている点からすれば、レジスタンスというよりは、一つの小さな国家に近いと言ってもいいだろう。

 その組織最強と目される変種の男が、地方最強の純正型である『関西の将軍』を暗殺しようと企てた事や、関西軍のナンバー2だった純正型、『近衛・旭』を半死半生の段階まで追い詰め、関西軍を抜ける理由を作った事は、かなり大きなニュースとなって全国を駆け抜けたほどだ。

 その実力やネームバリューだけではなく、反体制的な組織に属するという点を警戒して、関西圏以外の地方でも、その男の首にはかなり高額の賞金がかけられている。

 その男が所属する『黒鉄』という組織の連中が、今までずっと関西統括軍とぶつかり合ってきた事や、今回の関西動乱の原因となった事をシヴァは思い出した。

 それでも彼は無造作にテクテクと歩を進めていく。


「シヴァ、芝浦、東海の始祖にして、関東を追われた狂える純正型……だよね?」


 彼女はシヴァの言葉に答える事もなく、そして返事を待つ事もなく──近づいてくる少年へ向けてゆっくりと集中を高めていく。

 虚空を浮かぶその細い体を風になびかせながら、彼女はスッと無造作にその手をかざした。

 途端、広がっていく異界をシヴァは視る。銀色の鈴が少女を中心に弧を描き、その鈴の鈴が広がった分だけ違う色を持った領域が広がっていく様を。

 それはまっさらな銀色の世界、雪原を思わせる白銀の世界だ。

 銀色の鱗粉が、厳かに響く鈍い鐘の音に合わせて震え、明確な意志を持って、シヴァの歩みを阻害しようと力を放つ。


「あはっ、綺麗な世界じゃん。銀色の鈴がクルクル〜って。だから殺す、綺麗だから綺麗に殺す」


 それに対抗するようにシヴァも集中を高め、大きく舐めるように舌を唇へと這わせていく。


「マスターシヴァは……嫌い!」


 しかし、マスターシヴァがその力を展開するよりも前、力に阻害された歩みを再開するよりもさらに早くに、不可視の力がその身を襲う。

 それは風に押しやられるようなモノでも、物理的な何かがぶつかってきたワケでもなく、まるで後ろに引っ張られているかのような──後ろに重力源があるかのような力の奔流。それに見事にシヴァは吹き飛ばされ……そんな流されるシヴァよりもさらに早い動きで銀色の影が肉薄する。


「……大嫌い」


 そして態勢の崩れたシヴァの腹にそっと拳を当てると、なんの力も加えた様子がないままで、さらに大きく後方へと吹き飛ばす。

 後方に吹っ飛ばされながらもなんとか態勢を取り直したシヴァの口元からは、多量の赤黒い鮮血が滴り落ちる。それを特に気にした素振りも見せないままで、僅かに驚いたようにその目を見張った。

 力を込めた様子どころか、触れたか触れていないかすらも微妙な、攻撃とも言えない接触に過ぎなかったのに、少女はマスターシヴァを吐血させるほどの勢いで吹き飛ばしたのだ。

 そしてそのままさらに追い討ちをかけるワケでもなく、彼女は軽く距離を取ると、サッと地面に手を付き、転がったいた石ころを数個軽く放り投げた。


「……嫌い。大地のカケラは大嫌い」


 続いてそんな小さな呟きと共に、彼女は軽くその右手を掲げる。

 膝を付きながらもなんとか態勢を保っていたシヴァへ……そして先ほどそちらに軽く放り投げた石ころへと向けて。

 その呟きと銀色の領域は鈍い音を増していき、その音に触発されたかのように、数個の石ころは弾丸を上回る速度を得て真っ直ぐにシヴァへと飛び向かう。

 一発目は外れ、二発目は軽く身をよじるだけで服を引きちぎるに留まり、直撃しそうな三発目だけをシヴァはこともなげに異形の手で受け止めてみせる。

 苛烈な速度で飛ばされ、摩擦熱で軽く熱せられるほどの力が込められたただの石ころを、その歪な証であっさりと受け止めてみせたのだ。


「あーはん、やるぅ。痛い痛い。しかも陽動を交えて、最後の一発だけは顔面直撃コースとか容赦ないねぇ。当たったらザクロだったかもぉ。脳漿飛び散ったりとかぁ」


 そう言って受け止めた石ころを放り捨てると、軽く口内に残った血反吐を吐き捨てる。あれほどの速度、力が込められた弾丸を受け止めても、全く傷一つついていない手のひらを見せつけながら。


「でっもぉ、残念無念、こんぐらいの力じゃ殺せない。これぐらいじゃ届かない」


「……あなたの力はかなり特殊なモノだと聞いている。今の攻撃を防いだのも、あなたの世界の理のおかげ?」


 しかし少女もそれぐらいなら出来て当たり前、と言わんばかりに気にした様子を見せず、真っ直ぐにシヴァへと視線を返した。


「そりゃ秘密だよ。話したらつまんないでしょ?そっちは多分質量加速……じゃないね、多分斥力かな?最初は重力の親戚みたいなモンでも使ってんのかと思ったけどさ、それじゃ僕を吹っ飛ばしたやり口がちょっと説明つかないし」


「……秘密」


 あくまでも、そしてどこまでも様子の変わらないシヴァに、少女は小さく溜め息を漏らす。

 さすがに彼女も、これぐらいでかの『狂人』を仕留められるとは端から思ってはいなかった。

 同じ変種、純正型、地方によっては純正種と呼ばれる同族。

 中でも皇、始祖とも呼ばれる連中と向かい合うのは、実は彼女にとっては初めての事だった。

 しかし、そういった連中がどれほど異常な力を持っているかという事はよく知っていた。

 人の変種の中でも最強の種、『現実とは違う理を持つ異世界を現せる』純正型として生まれた彼女。純正型の中でも『あらゆる物質、力の拒絶』という、強大な能力を秘めた領域を作り上げられる彼女は、数ある純正型の中でもかなり高位の能力を持っていると言えるだろう。

 しかしその弊害として、『互角以上の敵と相対した事がない』という経験不足が付加される事は、ある意味当然だと言える。変種と既存種が対立する現状で、彼女が今まで出会ってきた強い力を持つ変種は、全て味方側の人間だった。

 今目の前にいる少年のように、敵だとはっきり言える立場の相手とこうして向かい合う事はなかったのだ。


「私はスズカ。黒鉄第七班班長、銀鈴のスズカ。ここから先には行かせない」


 それでも自身の内から這い上がる不安を押し殺し、『拒絶の理が支配する領域』を、より強く強固に広げていく。

 そして震えそうになる心を叱咤して、ことさら冷静な声音を装って目の前の同族へと死の宣告を告げた。


「シヴァだよ。ちなみにこの名前は、ヒンドゥーの破壊神の方じゃなくて、マヤの死神シバルバーからだからさぁ、そこんとこはヨロシクぅ。あっ、これは一応こだわりってヤツね」


 ──ほら、シバウラーって響きも似てるしぃ。

 滴る血も、広がる異界すらも気にせず、マスターシヴァは笑う。口元だけを歪めて嗤う。


「君は綺麗だから殺す、強いから殺す、殺したいから殺す、雨が降りそうだから殺す、雨が降ったら濡れるから殺す、雨がやんでも太陽が出るから殺す」


 そしてシヴァはゆっくりと地面に手を付き、空に向かって吠えるように顎を突き上げた。

 己の領域──マスターシヴァとしての世界を広げる事なく、ただ狂喜だけを空間に現していく。

 その奇形の腕の先……左右にある五対の指先にある爪を、それぞれ鈍い赤色を持つ鉤爪へと変貌させる。


「殺す、殺す。殺されたくなかったら殺せ、殺せ。死にたくなかったらただ殺せ」


 そう歌うように呟いて、シヴァはその先端が赤く染まった異形の腕を持ち上げた。

 その細い体躯を大きく反り、空に向かって甲高い狂笑を振りまきながら。


あとがきストーリーはナシ、というより出来ませんでした。

2話に分ける段階にすらなりません。

つまり書けてません。締めが難しいんですよね、ショートストーリーは。

シバウラーさんがなんかキャラ薄い気がしたとしたら、なかなか鋭いです。

この方は一応色んな人と面識がある設定ですが、その辺りも含めて今後を期待してくださいませ。

キャラ薄いのは三人称にいまだ慣れないから……じゃないと思います……よ?多分。

次回はノクターン本編を来週にアップ予定です。


……はい、マークの次話が書けていないのです。

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