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36・緋色の月






 轟──……

 そんな轟きにも似た声を上げながら、辺り一帯を強い風が凪いでいく。

 空には赤みがかった下弦の月が浮かび、昼に比べて冷えた夜気が満ちる。

 そんな中、再び向かいあったシャクと坂上。

 関西のロードと、それに抗い続けた黒鉄。

 血まみれのアイツと、何かを警戒するかのように緊張感を迸らせるあたし達の敵。


 シャクが──あいつがこの国を壊した、全てを台無しにした存在だ、なんて思っちゃいない。思えない。

 坂上の言葉の全てを鵜呑みにはしていないし、あいつ自身が例え坂上の話を全部認めても、その全部をキッチリ聞かせてもらうまでは、信じてなんかやらない。

 あたしが見てきた『シャクナゲ』を、あたし自身が信じると決めたのだから。

 あたしの友達に託されたあいつを、あたしは連れ帰ると決めているのだから。


 でも分かった事もあった。

 今になってようやく分かった事があったのだ。

 あいつはあたしと出会った頃からずっとシャクナゲだったけど、シャクナゲじゃなかった頃のあいつもあった、という事。

 それに今になってようやく気付いたのだ。


 シャクナゲとしてのあいつしか知らなくて、それしか見えていなかった事に気付いた。

 生まれた頃から、あいつはずっとシャクナゲだったとでも思っていたのだろうか。そんな今までのあたし自身がおかしくなる。

 そして悲しくなる。


 シャクがらしくない儚さを含んだ微笑みを見せて、あたしの言葉を嬉しかったと言ってくれて、そしてなんでか謝った後、『シャクナゲを持っていてくれ』と頼んできた時。その時、最後にあいつはなんと言っていたのか。

 あたしにはそれがさっぱり聞こえなくて、予想すらも出来なくて、それが悲しくなる。

 辛そうに、悲しそうに、苦しそうにしていたのに、あたしには何も言えなかった事が。

 放り投げられたシャクナゲを受け取るべきなのか、突っ返すべきなのかも分からない事が悲しくなったのだ。


 あたしには、その言葉がはっきりと理解が出来なかったから。

 その言葉は距離があったという以上に、一層小さな囁きとも言える程度の声音でしかなかったから。

 そして、シャクナゲ以外のアイツをあたしは見てきていないから。


 それでもシャクがその言葉をどんな想いで言ったのか、どんな想いを込めたモノなのか、それが容易に分かるほどにその言葉は小さくて──

 いつも皮肉げで、自信家なアイツからは想像出来ないほどに弱いモノで──

 懇願にも似た響きだけは伝わってきて、あたしはその言葉を聞き返すような真似は出来なかった。

 ただ『持っていてくれ』と放り投げられた『シャクナゲ』をなんとか受け止めるしか出来なかったのだ。


 受け止めたそれは、どこまでも無骨で、どこまでも重いモノだった。

 幾度あいつの手を他者の命で染めたのか、何度あいつ自身が望んでいない命のままに牙を剥いたのか、どれだけあいつ自身の心をズタズタにしたのか──あたしには想像もつかない。

 ただそれは、実際の重さ以上に重みを感じた。ひどく重く、どこまでも歪な感覚を覚えたのだ。


 そして──


「…………この世界に神はいない」


 蕩々と、でも深い苦渋を含んだ声が響きだす。

 いつもの常套句で、聞き慣れた口癖からアイツの異変は始まった。

 さっきまで、シャクのダメージの影響かどこか鈍い動きをしていた鎖達は、その身をブルブルと震わせる。

 まるで歓喜の猛りを……声なき狂喜の叫びを上げているかのような様子で五対の頭を空へともたげ、そしてアイツの周囲の地面へとその頭をうずめていく。


「認めず、在らず、その存在を否定する」


 彼の言葉が進む度に、鎖達はより深くその身を震わせ──

 その様子にまるで鎖達が生きているかのような、『生きている蛇』のような印象を受けた。

 五対の頭を持つ漆黒の蛇──そんなイメージに、背筋を冷たいモノが走る。


「紡ぎ手のみが世界にありて、カラカラと虚ろに響く歌を唄う」


 あたしはその様子に言葉も挟めない。

 嫌な予感がするのに──言いたい事はあるのに、考えが言葉に変換されない。

 さっきまであった『坂上に一矢報いてやろう』『黒鉄の意地を見せてやろう』という考えすら、さっきの強風に薙払われたかのように消え去って──ただ呆然とシャクの様子を見やる。


「彼の者は最果ての日までただ一人、暗き血を流し、赤き涙を落とす」


 その視線の向かう先──シャクは、『シャクだと思う彼』は感情の消えたまっさらな表情で淡々と言葉を連ねていく。

 まるで決められたプロセスを踏むかのように。ことさら表情を殺しているように言葉を重ね──震えながら地面に突き刺さっていた鎖が、ゆっくりとその『存在感』を消していった。

 まるで……なんて例え話じゃなく、白い霞へとその姿を変えていったのだ。


「無限の灰色の世界にて、ただ一人幾千もの刻を刻み、幾万もの孤独に心を砕く」


 白い、というにはやや濁った『灰色の霧』。

 それがアイツの周りに蠢いて……鎖が蠢いていた動きをそのままトレースしたように蠢いて、ゆっくりとシャクの周囲を霞んだ色へと変える。

 重苦しい無彩色に包まれた景色へと。


「その身はただ歯車を廻す虚空の歪み」


 あたしとアイツの中間に近い位置にいる坂上には──関西の純正型には、今の状況が分かっているのだろうか。

 何か……底知れない不気味さが、心を深く落としめる。

 シャクが関東の皇だと聞いた時よりも、ずっと遠くにアイツが行っちゃうような──そんな恐怖に体が我知らず震えていく。


「その心は数多の世界を歪むる輪廻の鏡」


 それでも淡々と続く言葉の羅列。シャクナゲの口から漏れる述懐にも似た響きの声。

 世界は……周囲の全ては、灰色に染められていく。

 坂上のごく周囲、わずか数メートルの範囲を除いて、灰色が侵食を深めていく。

 その中心にいるのは、間違いなくシャクナゲ。彼はシャクナゲ……だろうか?分からなくなる。頭が混乱する。灰色に酩酊した感覚に、クラクラとする。


「故に唄い手は今も独り、灰色の雪原にありて──」


 それでも世界はやがて完成へと近づいていく。現状がよく分かっていないあたしにもそれが分かるほどに、世界は灰色で満たされているのだ。

 その空に浮かぶのは、鈍い色をした半透明の歯車。

 それが、カラカラと乾いて軋んだ音を上げているような気がして、空を見上げる。

 そのさらに先、中天に浮かんでいたのは、真紅の月。

 深く染まった緋色の月。

 先ほどまでとは違った丸い満月。

 それに寒気を覚える。

 だってさっきまでは確かに細い下弦の月が浮かんでいたハズだから。

 この灰色の世界に浮かぶそれは、明らかに異質なそれで、あたしは本能的に悟ってしまった。

 ここは……この場所は、先ほどまでいた光都の中心と同じ場所でありながらも、すでに異界の地なんだという事を。

 これが坂上が先ほどまで言っていた『純正型に見える世界』、しかも『シャクの世界』なんだという事が……分かってしまった。



「──いつか在りし日の明日を唄う」



 そして、世界はシャクのその言葉と共に完成する。

 シャクを中心に、より深い灰色の霞みが爆発的に広がっていく。

 その勢いに一瞬目を瞑ってしまった後──そこに広がっていたのは、一面灰色の原野だった。

 宙には歯車が浮かぶ世界。中天には血のように赤い月が浮かぶ世界。

 そして大地には、土の代わりに粉雪のような細かい灰色が敷き詰められた世界だった。

 そこには、先ほどまでもあった建物の残骸があった。

 戦いの余韻もあったし、その余波で折れた樹木もあった。

 抉れた大地もその姿を晒していたし、壊れた外壁の向こうには『光都』の景色もあった。


 ただ、その全てが灰色に彩られていただけだ。大地の硬さが、柔らかい灰に変わっただけだ。

 そして月が満月に変わって、宙に歯車が浮かんでいるだけでしかない。

 それだけで異質だった。異界だった。心底震えがきた。

 だって灰色に染まっただけで──浮かんでいないはずのモノが浮かんでいるだけで、この光景は終末を連想させる。

 寂し過ぎる。悲し過ぎる。虚し過ぎる世界だ。


「これが俺の世界だ。ただ広大で、何もない純正型としての俺の世界」


 立ちすくむあたしに、シャクは視線も向けない。

 ただ淡々とした口調のまま言葉を連ね、その右手をかざす。

 今は鎖の消えた普通の右手を。

 あくまでも普通の人間と同じその右手を。


「坂上、お前には分かるか?この世界の『異常さ』が。お前の小さな世界に比べてだだっ広いだろ」


「……なんだよ」


「この灰色世界はな、俺が知る全ての純正型達の中でも一番広い。どこまで広いのか俺自身も分からないくらいに」


 見渡す限りの灰色。終末の連想を現した世界は、たしかに果てまで続いている。

 坂上の周囲だけを除いて、元の世界の余韻すらもない。


「なんだよ、こりゃ……」


 そう呆然とする坂上の様子からしても、この世界が純正型としても異常なのは間違いない。


 それでもシャクだけは淡々としていて。

 声に感情の欠片すらも見えなくて。

 あたしはいつしか膝を付いていた。


 こんな世界は……いくらなんでも酷すぎる。そう思った。

 こんな世界を一人で抱えていたなんて、いくらシャクが強くても酷すぎる。そう思ったのだ。


 この世界に神はいない。そう常々口にするのはもっともだ。

 こんな世界を自分だけが抱えこんでいたとしたら、狂ってしまってもおかしくない。いや、狂って当たり前だ。

 だってこの世界には、あたし達以外の生が感じられない。

 緑で存在を主張する草木もなければ、星々の瞬きもない。

 あるのは無機質な歯車と、灰色の原野。そして歪な月。


「そして……純正型以外にも認識出来る、多分唯一の世界。それが俺の『灰色世界』」


「有り得ねぇ、有り得ねぇだろ!なんでこんなはっきりとした世界を持ってやがるっ!?純正型の世界は、各々の内面世界だろ?精神の具現だろ?そのハズだろうが!」


「……言ったろ。俺の世界は『具現』を司っているんだ。だからはっきりと見えるのか、はたまた違う理由があるのかまでは分からない。ただ間違いないのは、俺の世界は『異常』だって事だけだ」


 そして、掲げたその手をゆっくりと振るう。

 別段力を入れた様子もなく、ただ振り下ろす程度の気概で。

 それだけで──たったそれだけの仕草で、宙を浮かぶ歯車が軋みを強くした。

 音無き奇声を上げた。

 そして宙から鎖が舞い降りた。

 先ほどまでシャクの右手に縛られていた鎖達が、より深い鈍色を持ってシャクの側に浮かんでいた。


「は、はっ!この世界は虚仮威しかよ!またその鎖かぁ?だったら──」


「確かにお前は強くなったよ。皇に相応しい……かどうかは分からないけど」


「……っ、俺が、俺が皇だ!関西の始祖だ!」


 坂上からは、余裕が消えていた。喚くように吼えてみせる。


 対するシャクに余裕が生まれたかと言えば、それもない。

 ただ二人とも淡々と余裕を削りあって──向かい合う。


「でもまだ俺には届かない。まだまだ届かない。俺が自分の命を削る思いで繰り返してきた、『世界の理解』へは届かない」


 ただ動くモノはと言えば、虚空から舞い降り、蠢いている鎖達だけ。

 一筋、二筋……五筋、十筋とその数を増していく鈍色の蛇達だけだ。


「アカツキの力は『ノルンズアート』と呼ばれていたけど、お前がそう呼び始めたんだってな?いい名前だと思うよ。運命の女神(ノルン)造物(アート)。あいつの力にはぴったりだ。でも──」


 ──コイツら……ウロボロスも、響きだけは負けず劣らずぴったりだろ。


 小さなつぶやきに過ぎなかった『ウロボロス』という言葉……その名前には聞き覚えがあったけど、その意味は分からなかった。

 ただ不吉な響きである事だけは感じられた。


「広大な世界にある無限の蛇……だからウロボロス。ぴったり過ぎて反吐が出る」


 そう言うシャクの周囲で、舞い降りた鎖達が逆巻くようにうねり狂う。

 すでにその数は、目視では数え切れないほどとなり、飄々と灰色の空間を踊る。


「またこの鎖か、この世界は虚仮威しか、そう言ってたな?確かに五筋じゃお前の領域には踏み込めなかったよ。一筋たりとも傷を与えられなかった。でも一筋じゃ足りないのなら五筋、五筋で足りないのならば十、十で足りなければ──」


 ──百の鎖でお前を討つだけさ。


 その言葉を最後に、向かい合ったままシャクはその手を振るう。大きくはない。小さな……ゴーサインとも思えない、僅かなハンドサイン。

 それに従って、舞い踊っていた鎖達が鎌首をもたげ、いまだに混乱をきたしていた坂上へと猛然と飛び向かう。

 その数は、すでに五筋では収まらない。四方八方から飛ぶ。獲物に向かう蛇のごとき勢いで宙を駆ける。


「もともとこの鎖は、この世界のモノだった。それが最初からハッキリ見えるだけでも異常だったんだ。分かるか?俺の異常さは、ずっとお前の目の前にあったんだよ」


 語るシャクの言葉は静かなモノで──感情を消した響きで、灰色の空間に染み渡る。

 それは感情が感じられないのではない。感情を消した響きの言葉だ。

 迫る蛇達の勢いからすれば、存在感の薄い響きだ。それが分かるよりもなお早く、宙を走る鎖達は坂上の周囲へと到達する。

 そしてこの灰色の世界の中で、唯一色を保っていた坂上の周辺の空間を食い破るかのごとき勢いで、その先端を突っ込ませる。


 ギシッ───

 そんな世界が軋む音が聞こえ、坂上の周囲の空間が歪んだ。

 まるで、『灰色に坂上の周囲の空間が食われ、悲鳴を上げているかのように』。


「……っ、くそったれ!」


 悪態をつきながらも大きく下がる坂上は、その腕を大きく振るい──


「あっ……」


 呆けたような声を上げた。

 信じられないモノを見たかのように。信じたくないモノを見たかのように。

 腕を振るった瞬間、シャクの上方の虚空から新たに舞い降りた鎖が、幾重にも重なって格子状の壁を作ったのを見て。


「……言ったろ、俺の蛇達はウロボロスと呼ばれてるんだ。世界を一周出来る無限大の蛇じゃなく『無限の頭を持つ蛇』、だからウロボロス」


 ──コイツらを相手に数の有利で攻めるには、お前の『空間断裂』じゃ脆弱すぎる。


 その言葉を最後に、新たに壁となった鎖──シャクが言うには蛇達も、その鎌首を坂上へと向けた。

 まるで効いていないのは明らかなのに、攻撃を受けた事へと反応するかのように。


「バカな!真空の刃が防がれんのは分かる!でも……でもなんで、『空間の破砕』まで起こらねぇ!?なんで、お前の近くで『力が掻き消えた』!?」


「言わなかったか?俺の世界は『鎖の世界』じゃない。そんな理は有り得ない。コイツらはあくまでも『具現の理』を宿しただけ端末。存在自体は、『お前の手首にある刃と変わらない』んだよ」


 狼狽する坂上に対するシャクの声音はどこまでも淡々としたモノ。諦観すら含んだ空虚な響きが感じられる。

 その中で、また出てきた『理』という言葉。

 世界というのは分かる。今の状況からして分からざるを得ない、と言うべきか。

 純正型には、シャクの灰色の世界みたいな、自分だけの空間、力を自在に振るえる世界を構築出来る能力があるのだろう。

 それは、純正型以外には『普通は認識出来ない空間』で、シャクの『灰色の世界』は特殊な部類なんだと思う。

 多少の間違いはあるかもしれないけど、大筋は間違っていないだろう。少なくともスズカが力を振るっている時に、そんな空間を見た事なんかない。

 あのコはまさに遠近スタイル問わず、圧倒的な強さを持っていたけど、そんな異変が周囲に起これば忘れるワケがない。

 でも『理』という言葉の意味が分からない。


「俺の世界の理は『力の具現』。力の具現……つまり『力の在り方そのモノ』。『この鎖は触れた力のベクトルを、無効に近い値まで下げる』事も出来るんだ。消失は出来なくても、そのベクトルを零の近似値にまで下げられたなら──それは絶対防御に近いだろ?」


 理……ことわり。つまり法則という事だろうか?

 そしてシャクの世界──この灰色の世界の法則は、『力の具現度の操作』?

 だとしたら、『ベクトルの操作』と言うべきじゃないか?

 『具現』という言葉が当てはまっているとは言い難くはないか?


「少なくとも、お前の空間を『削る』だけの力じゃ、この壁は超えられない。余波すらも残らない。微風すらも起こせない」


 そんな疑問を抱くあたしを意にも介さず、攻防は一方的に進んでいく。

 蛇達とよんだ鎖の群れが、大きく飛んでかわす坂上を追い回し、時折攻撃に転じた……らしい坂上の見えない攻撃を、何事もなく新たな鎖が防ぐ。


 それはいたちごっこというには、圧倒的に矛盾を含んだ攻防。

 鬼ごっこというには、鬼が有利過ぎるやりとり。

 それが永遠に続くワケもなく、ついに一筋の鎖が坂上の周囲の空間を食い破り、突き入っていく。


「……ふざけろ!」


 しかしその鎖を、坂上は大声一喝と共に腕を振るって弾き返すと、辺り一帯を爆砕させた。

 自らの周辺一帯を、自分をも巻き込む形で。


 ──自爆!?

 一瞬本気でそう思ったけど、そんなワケがない事ぐらいはすでに理解していた。

 あの坂上が、本気でシャクと戦いたいと望んでいた将軍が、将軍の名前を自ら封じてこの時を待っていた男が、そんなに諦めがいいワケがない。

 案の定、その粉塵が収まった頃には、やや離れた位置に灰色の髪の変種は立っていた。

 体のあちこちをボロボロにして、血で真っ赤に染まって……それでも笑いながら立っていたのだ。


「一瞬面食らっちまったぜ。お前の世界があんまりにも異常過ぎてよ」


「…………」


 返す言葉もなく無言で佇むシャクを、坂上は嗤いながら見据える。

 狂気を溢れさせながら、その身を震わせていた。

 どこまでも好戦的に嘲っていた。


「でもよ、お前の……具現だっけか?その力にも穴はあるみてぇだな?」


 ……穴?

 さっきの自爆じみた行動で、坂上は何かを試したとでも言うのだろうか?

 少なくともあたしには『力の在り方を決める法則』に穴は見えない。

 だってそれは、『攻撃』という行動で生まれた力──あたしの紅のような力を、限りなく無効化するという事だ。

 防御に関しての穴なんて、少なくともあたしには思いつかない。


「テメェの理が在り方を操れるのは、単純に力だけだろ?『力のみであるモノ』だけで、他の純正型の『世界内にある力』や、腕を振るう事で生まれるような、肉体に付随する力は操れねぇんじゃねぇか?」


 喜々として語る坂上の言葉にも、あたしの理解は追いついていかない。

 いや、世界云々は置いといて、肉体に付随する力までは操れないという事の意味は分かる。

 しかし、なんでそれが坂上には分かったのか。それが分からないのだ。


「さっき俺はテメェの鎖を俺の腕で払ったよな?腕の刃で払ったつもりだったけどよ、少しばっかり掠っちまった。でも俺の体にゃ異常はねぇ。つまりお前の鎖は、『俺の行動を起こす力』をどうこう出来てねぇってこった。違うか?」


「…………」


「そしてさっきの空間破砕。俺の世界の外に溢れた力は見事に掻き消されてるけどよ、俺の『世界内の力だけは消されてねぇ』。俺の周囲にある『真空に変換される前の空間の断裂による破砕』だけは、きっかり生まれてる。つまりテメェの鎖は、他の純正型の領域じゃ理を行使出来ねぇ」


 ……なんていうか、さっきまでなんとか場の中心にいたハズなのに、いきなり置いてきぼりにされてる気がする。

 全く理解が付いていかなくなったけど、つまり──


「変種の能力みたいなモンは効かないけど、ぶん殴る事は出来るし、純正型なら力をシャクにぶつける事も出来るって事?」


「はっ、理解が早ぇな?簡単に言やぁそういうこった。他の……普通の変種に対しては間違いなく『最強』だろうよ。変種が一番の強みとする能力も、肉体強化や肉体変化みたいなモン以外は、その鎖の壁を抜ける事も出来ねぇ。でも──同じ純正型なら、勝ち目は普通にある。そうだろ?新皇っ!!」


 そう言って、今度は坂上が攻撃に転じた。鎖の間を縫うようにシャクの元へと走り寄る。

 腕は振るわない。何か他にしている様子もない。ただ雄叫びをあげながらシャクへと向かう。

 対するシャクはどこまでも無言を貫きながら、身動き一つしない。ただ向かいくる坂上を見やるだけだ。

 その代わり……というべきか否か、鈍色の鎖達が坂上の進路を妨げるようにその身を壁となし、坂上を食い破る為の刃と化す。

 なんの指示も受けないままで猛るそれは、まるで意志を持っているかのように、宙を自在に走り、坂上の周囲の大地を抉り、灰色の土を舞い上げる。


 ──しかし、それでも坂上は止まらない。

 前方を舞う鎖達を意にも介さず、迫る無限の蛇を腕を振るって薙ぎ払い、自身の色ある空間で防ぎながらもシャクに迫る。

 接近さえしてしまえば──

 そう考えているのだろう。その瞳に浮かぶ狂気じみた光には寸分の迷いもない。

 それでもシャクは動かない。動けないのか、と疑ってしまうほどに微動だにもしない。

 あそこまで血を流せば、体力を消耗してしまうのは当たり前だ。それに、こんな世界を展開させるのに、なんの代価も必要ないとは思えない。

 体力や精神力、あたしの想像もつかないなんらかの負荷がシャクの身にかかっているのかもしれないのだ。


 そんな考えを巡らせるあたしの前で、坂上はシャクの前方に築かれた鎖の壁をこじ開けてみせる。

 その腕で、周囲の空間で、強引な力技でシャクへと迫る。

 周囲一帯に浮かぶ鎖達も、坂上を留めようとその身を振るっているが、関西のロードヴァンプは止まらない。

 鎖の先端が坂上の周囲の空間──『世界』を削ろうとも、坂上の進行の方が早い。より早くにシャクまでたどり着く。


「オラァァァ──ッ!!」


 坂上の太い腕が雄叫びにも似た声と共に唸りを上げる頃になって、ノロノロと顔をその拳へと向け──シャクは見事に殴り飛ばされた。


 確かに反応はしていた。まだかわせる間合いだった。

 ただ……シャクはかわそうとしなかったように見えた。

 鎖のやりたいようにやらせ、迫る拳にもやりたいようにやらせた。そうあたしには見えたのだ。

 しかし、続いて巻き起こった空間の破裂だけは、大きく飛びずさってかわしてみせる。

 その動きにもぎこちなさはなく、動けなかったワケじゃない事は明白だ。

 しかし、坂上はそんな事は気にもしないのか、僅かに舌打ちを漏らしただけでニヤリと笑ってみせる。



「やっぱ殴る事は出来るみてぇだな、あん?だったらやりようはいくらでもある。テメェのくそったれな鎖共が俺の世界を食い破る直前まで殴って殴って、ヤバそうになったら離脱する──ヒット&アウェイなんてぇのは趣味じゃねぇが──」


「やりようはある?たった一発『殴らせてやっただけで』あんまり吹き上がるなよ、坂上」


 得意げに、でも歪んだ笑みを浮かべる坂上の言葉を遮ったその声は──坂上の言葉を遮った声には、何故か見下すような響きがあった。

 そして哀れむような色が垣間見えた。


「……結城智哉が初めて俺の前に立った時、アイツは念には念を入れて、全てをかける必要がある『強力な運命』を与えた武器を用意していたよ。俺に万が一話が通じなかった時の事を考えて、最悪の武器──全てを与えて力を得る『ノーフェイト』を作っていた」


 ──結局、『アレ』は日の目を見る事はなかったけど、いざとなれば『新皇』一人と相討つ覚悟くらいは持っていた。


 そう語る口調にも、蔑みが見える。殴られた箇所も気にしなければ、頬を新たに流れる血を拭いもしない。

 ただ、シャクが殴られた事を怒るような蛇達が、坂上へと鎌首をもたげるだけだ。


「それがお前はたった一発殴れただけで満足なのか?それで勝ちを確信出来たのか?だとしたら……関西の皇を自称するには随分と温いな?」


「はん、ボロボロの体で吠えンな、囀ンな、吹いてンな!今のテメェよりゃ俺のが身体能力は高ぇ!そしてその大層な名前が付いた鎖共じゃ、俺の接近は防げねぇ!いくら増やしてもそれは変わンねぇ!テメェが出血多量で動けなくなるのが早いか、殴り殺されるのが早いかしかねぇ!」


 カラカラカラ──

 坂上の声に被せるように……どこかから空虚な音が響く。

 単調な調べが、灰色の世界に響き渡る。

 それは世界のあちこちから響いて聞こえた。


「……本当に温い。自分が本気だから──俺が世界を見せたから、それだけで対等だとでも?自分が本気なんだから、相手ももう本気なハズだとでも信じているのか?」


 ガラガラガラ──

 その音源を見極める欲求に勝てず、あたしは空を見上げる。

 どこから聞こえるのか確信があったワケじゃない。

 ただ何かが単調に回っているように聞こえたから、見上げただけだ。

 存在感が希薄な、異界に浮かぶ歯車を。


「温くて甘い。甘くて温い。だからお前は智哉の後を付いて歩けなかった。お前にはあいつが目指した世界が眩し過ぎて、同じ方向を見ていられなくなったんだろ?」


「ふざけろ、俺があいつを見限ったんだ!見限ったのは──」


「ふん、別に水掛け論をする気はないよ。どう言ったところで、お前が温くて甘いという認識は変わらない」


 ゴロゴロゴロ──

 重々しい響きが世界を揺らす。この音は……なんなのだろうか?

 音だけなのか、地響きを伴っているのか、はたまた無音なのにそういった幻聴が聞こえているのか。

 分からない。分からないままで──見上げた先の月が『欠けていく』。

 ゆっくりと円形に欠けていくワケじゃなく、端っこがポロポロと欠けていくのだ。

 血のように赤い、緋色の月が。

 この灰色だらけの世界で唯一色を持つ、空の主然とした満月が。


「でも、そんな温い一撃だから消えた。あぁ、一発食らったおかげでようやく頭がクリアになった。頭に掠るノイズが消えた」


 シャクはそんな世界の中心でその身を大きくのけぞらせ、中天を見上げていた。

 ポロポロと欠けていく月を笑っていた。その表情を歪めていた。

 それは決して心から笑っていた表情じゃない。嘲りも他者に向けたモノじゃない。

 何故かそれが確信出来た。

 その頬を流れる一筋の涙を見るまでもなく確信出来たのだ。


「俺が新皇なのか、はたまた比良野悠莉なのか、それともシャクナゲなのか……この灰色世界そのものなのか。力の衝動、歪んだ全能感、そんなノイズが消えた」


 そこにいたのは紛れもなく見慣れたあいつで、どこまでも黒鉄のシャクナゲだった。

 さっきまで見違えそうだった不安感が、綺麗に消えたのだ。

 だって今のあいつの表情は──見慣れた『弱いあいつ』だったから。


「俺はシャクナゲ。どこまでいってもただのシャクナゲ。黒鉄に咲く徒花。アカツキの枷が消えてもそれは変わらない。俺は──」


 ──ただのシャクナゲだ。


 そう言って初めてその腕を振りかぶる。その身をのけぞらせながら、さらに大きく腕を振り上げる。

 それを前に降り下ろすと同時に、小さな言葉を漏らした。

 たった一つ、でもあたしから見ても『力ある言葉を』。




「Set--Shift up 2nd-World──アナザーバースディ──」




きわきわです。ちょこっとおかしい箇所もあるかと思います。

そこはあったかく見守ってください。

また直します。

アカツキの造物については次回あとがき、灰色世界についてはさらにその次に載せられるかと思います。

次回はスズカ視点です。

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