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35・灰色世界






『ねぇ、あんたはさぁ、やっぱいつかは向こうに帰んの?やり残した事があるんでしょ?』


 そうごく平然と俺の過去に触れてきたのは、全てを知っている黒鉄の中でも彼女くらいのモノだった。

 そのあっけらかんとした口調に、思わず呆気に取られた事をよく覚えている。

 黒鉄内で他者の過去を探る事は、暗黙の内でタブーとされている。そんなタブーがなくても、彼女はあまり他人の過去に立ち入ってくるような性格ではなかったけれど、時折こういった他の人ならまず聞いてこないような聞き方をする事があった。

 それでも彼女自身には、気安さと親近感を抱かずにいられないようなヤツで、そんな意表をついた言葉でさえも嫌な気分を持たせない。そんな独特の雰囲気が持っていたのだ。


 それでも一瞬の間を置いて俺の口から出てきた言葉は『帰れない』というモノ。

 それ以外に応えようもなく、それ以外の道もなかったから。

 俺の過去は真っ黒に彩られていて、もう全く何も見えない漆黒で──

 だから帰れるワケもない。そう思ったからそのまま答えたのだ。

 俺には帰る道は見えず、帰るべき家もないから。

 先に続く、より真っ暗な道しかもう見えないから。


『……そっか』


 ただ小さくそう返してきた彼女は、ただ小さく微笑んで──そして本当になんでもない気安さと、軽い世間話的なノリを持たせたままこう続けたのだ。


『もし帰る時が来たらさぁ、あたしも向こうに連れてってよ。ほら、結構ヤバいトコなんでしょ?あたしは絶対役に立つよぉ?あんたに心酔してるスイスイにも負けないかんねぇ。カブトみたいにあーだこーだ悩まないしさ、アカツキみたいに一点特化型でもないしぃ』


 ──まぁシャク兄にぞっこんのブラコンリンちゃんにゃ負けるけど。


 そう笑った。気を使っている素振りなんか全くないまま、朗らかに笑ってみせた。


 それに俺も笑い返そうとして──笑い返せなかった。返せるワケもない。

 故郷は壊れ、仲間達は狂ってしまった。もう俺には待っている人もいなくて、もう待つべき人もいない。

 帰る……そんな言葉でさえも重くて仕方なかった。

 そして例え帰ったとしても、眼前に広がるのは罪と罰の螺旋。

 他の3人の皇はそれから視線を外し、取り込まれてしまった。俺はそれが耐えきれなかった。

 きっとあの3人なら俺を嗤って許してくれるだろう。再び玉座へと押し上げてくれるだろう。そして、壊してしまった故郷の情景を、この国全土へと広げる為の闘いを再開するに違いない。

 それはもう──笑えないどころの話ではない。




 初めはただ変種も既存種も笑い合って、お互いがお互いを認めあって、ただの人間として生きていけるだけの場所が欲しかっただけなのに。

 俺は間違っていないと信じて、ただがむしゃらに突っ走って、ずっと前を見て目標さえ見失わければ、いつかはそれに届くと信じていたのに。

 裏切られれば、『俺の力がまだ足りないから』だと言い聞かせて、嘲笑われれば『俺がまだ子供だから』と我慢して、我慢し続けて。

 『世界』を完全に使いこなせれば──自分の『特殊な世界』を使いこなせれば、きっと誰もが分かってくれる。こんな能力があっても、嘲笑われた綺麗事を言えたならそれは『真実』として響く。

 みんながみんな、海外で革命を起こした連中みたいなヤツらばかりじゃないんだと分かってくれる。ただそう信じて走り続けきたのだ。

 それまでは、不信や疑心に傷つけられた人々をみんなで守って、みんなで寄り添って頑張っていくんだ……そう思ってきただけだ。


 ──まだ足りない。まだ能力が足りない。知識が足りない。仲間が足りない。理解が足りない。年齢が足りない。強さも想いも足りない。

 だから俺の『言葉』が届かない。

 何度もそう言い聞かせて、差別や暴力に傷つけられた変種や、逆に変種に傷つけられた既存種達を仲間にし続けて……勢力を増していって──


 気が付いたらこの国を壊せるほどの力が集まっていた。

 そんな事を望んでいなくても、それが出きる『力』があった。

 みんながそれを望んで、1から新しい国を望んで、新たな世界を望んで──

 そんな願望を重ねられた。


 足りない、まだ足りない、まだまだ足りないと足掻いて望んだ力も、知識も、仲間達でさえも、それを助ける力にしかなりえない。


 必死でそれを抑止しても、もう他の3人は止まらない。俺じゃ『彼女』は止められない。

 スズカが俺の為に5人目の新皇に名を連ねても、彼女に協力してもらって俺の失敗の尻拭いに奔走しても、狂い出した世界を修正しようと足掻いても──もうしがみついていた『過去』は戻らない。


 だから一人勝手に絶望して、逃げ出したというのに。

 だから今の俺があるというのに。


 それでも彼女はいつか『帰る』モノだと思い込んでいた。

 『帰る』という言葉を使ってみせた。


 だから──

 だから俺はこう答えたんだ。


『いつか……またいつか俺の『世界』が必要な時が来たら──俺がそれを望んだのなら、その時は付いてきてくれ』


 そう彼女に──『錬血』を冠した雅に約束したのだ。

 それが、彼女と交わした多くの約束の中でも、最後の約束。









 キチキチキチ……

 そんな耳障りな音が不安感を増大させる。

 俺を嘲笑うかのように響くそれは、今は俺じゃなく、向こう……紅を冠した彼女に向かう坂上の腕にある鱗のこすれる音だろうか?

 ただ不安感と不快感を煽るそれに声を上げる。


「やめ……」


 声を上げようとする。しかし漏れるように出たモノは掠れるようなそれで、満足に声が出ない。いや、声すら出ない、というべきか。

 もちろんそんな掠れた響きでは坂上は止まらない。力の盲信者で、真なる意味での『結城智哉の殉教者』が止まるワケもない。

 嘲笑うように腕を振り上げ……再度俺の周りが爆砕する。

 俺には直接当たらないように。でも鎖達の注意を俺にだけ向けられる程度の力で。


「はん、そのクソッタレな鎖共はテメェ優先なんだろ?分かってんぜ?なんせテメェの防衛はオート──無造作に守るに任せてたクセに、この女の防衛はマニュアル──テメェが鎖を操る為に集中してやがったからなぁ?」


「坂上……坂上ぃ!!」


 爆砕する地面。振動する大気。

 それに対抗するように張り上げた声に、なんの力も拘束力もない事は俺自身が知っていた。

 俺は一歩も動けず、ただ吼えてみせただけ。それだけしか出来ない事に歯噛みする。

 いかに鎖達に指示を出しても、いかに蛇達に願っても、『今のコイツら(五頭の蛇)』では俺を守るので精一杯なのだ。

 コイツらは俺に向かう力を優先的に迎撃する。オートで迎撃する。

 普通の変種の能力ならば、一本向かうだけで四散させるだろう。それだけの歪んだ『理』をコイツは宿している。

 それが迎撃に向かわないという事は、俺の周りには迎撃しきれないほどの数の力がある、という事に他ならない。

 迎撃するには多過ぎる数があり、専守防衛に徹するしかないという事だ。

 恐らく坂上が腕を振るって作った真空が、小さく『分散』して周囲一帯に広がっているのだろう。

 先ほど俺が吹き飛ばされたのも、恐らくはヤツが後方に配した『分裂した小さな真空の塊』によるモノだ。

 振るって作り出した真空よりずっと小さくても……一発一発の威力がそれほどではなくても、その数だけは対処しきれないほどにあるのだろう。

 それにいかに分裂した分威力が落ちているとは言っても、まともにその空間破砕に巻き込まれてはたまらない。

 それが今、俺じゃなく、彼女に──雅が可愛いがっていた最後の生徒、こんな所にまで付いてきて、『後で話を聞いてくれる』と言ってくれた彼女に向かおうとしている。スズカの大切な初めての友達に向かおうとしている。

 彼女が坂上にとって脅威になるワケじゃないのに、彼女自身が坂上にとって目障りなワケでもないのに、彼女には『証人』を望んでいたハズなのに。


 俺が坂上にとって拍子抜けする程度の相手だったから。

 この一年、ヤツは血反吐を吐く思いで世界を使いこなす努力をしてきたんだろう。

 俺には俺の事情があって、俺の弱さがあって退いたに過ぎないけど、ヤツからしたら『見逃された』事に変わりはしない。

 その屈辱は分かる。分かるというよりも、努力に見合うだけの対応がなかったのなら、憤りを感じるのが当たり前だ。ただ俺を痛めつけて悦に入るほどには、坂上も腐ってはいないという事だろう。

 しかし、そのやり方は間違ってる。なんでその対価を関係のない彼女に求める?


「お前の相手は……お前が憎いのは俺だろうが!お前の代わりになって智哉の側にいた俺だろうがっ!俺を見ろ、俺はまだ立ってる、お前を傷つける力もまだある。ほら、かかってこいよ」


 その想いが俺に声を上げさせる。喉に絡みつくような鉄臭がこみ上げても、それを飲み下しながら、必死に蛇達へと指示を飛ばす。


「はん、半死人がキャンキャン吠えンなよ。結城が作ったそれ──なんらかの力が『付与』されたその銃が、テメェの力を抑えてるのはもう分かってンだ。前ン時も片方捨ててから純正型になりやがったし、何より今のお前には『証』がねぇ。『体の証』はともかく、『世界が展開』されてねぇ。相手がして欲しきゃ本気で来いや」


 『世界』を完璧に理解し、使いこなすには、核たる使用者にも多大な負担をかける。それは俺も知っている。

 あの本来人が持ちえないハズの力が、世界を知り構築する感覚が、どれだけ脳や精神に負担をかけるかを、俺はきっと誰よりも知っていると思う。

 それだけの努力を、力を過信していた坂上がしてきたのなら、今の俺の不甲斐なさは腹立たしいモノなのだろう。その声には苛立たしげなモノが混じり、その腕の一閃で一際大きくカーリアンのすぐ側の地面がはぜる。


「そいつは──カーリアンは関係ないだろう?彼女が憎いワケじゃ──」


 そんな坂上の力を目の当たりにして──思わず慈悲を乞うような言葉が漏れてしまう。

 だってその力は、彼女を殺してしまうには余りあるほどの力だ。殺し尽くせるだけの力だ。

 そしてヤツは間違いなく殺し尽くすだろう。即死はさせず、俺に見せ付ける為だけに、彼女をあらゆる面で殺し尽くすに違いない。

 自らの世界を知る努力をした純正型は、既存種にとっては純然たる脅威でしかない。それは俺自身の事を顧みるまでもなく分かる。


「関係ない……関係ないですって?」


 しかし、そんな俺の言葉を遮ったのはあろうことかカーリアンその人で──ピクンっと小さく震えると、その肩を震わせながら、一人やり取りの外にいた当事者は声を張り上げた。


「関係ない、関係ない?ふっざけんなっ!思いっきり関係あるでしょうが!あんたとあたしはまだ同僚でしょ!あたしは全然そのつもりなんだかんねっ!あたしは絶対関係ある!バッチリ大有りなんだからっ!」


 そう言って憤慨するように大きく鼻息を吐くと、彼女は独特のファイティングスタイル──右手を突き出した低い前傾姿勢を取ってみせる。

 右手を狙いを付けるスコープに見立てて突き出し、紅を飛ばす額をやや前にやった紅を使う為だけの戦闘スタイルだ。


「あたしの相手をしたいってんならしたげるよ。なんかいい加減蚊帳の外ってのも飽きたしさ。言っとくけど、あたしってば東海の狂人に一矢報いた事もあるんだかんね、舐めてたら黒こげにしてやるからっ」


「それでも──それでもだ。芝浦の力と坂上の力じゃ違うんだ!相性が悪すぎる、坂上の力に紅は効かないんだよ!」


 それでも……そう声を張り上げても、カーリアンも坂上も止まらない。

 坂上は興が乗ったように笑いながら。カーリアンは堅い表情をしたまま。

 そして俺は──それを見ながらも、固まってしまったかのように動けない。



 間違いなくカーリアンは殺される。理不尽すぎる力の質の差に……押し潰される。

 そして恐らく──本当に多分、彼女自身もそれに気付いている。

 それでも戦う姿勢を見せる姿に頭が掻き乱された。体中のあちこちよりも頭がジクジクと痛みを訴えだすのだ。


 ──なんで?

 なんでなんだろう?

 なんでこんなに世界は狂ってるんだろう?

 思った通りにいかないんだろう?

 ここは俺と坂上だけが命を懸けるだけの場だったハズだ。

 本来ならカーリアンは、神杜にいたか、悪くてもこの光都の表で陽動をしていたハズなのだ。

 俺と坂上が傷つけあって、牙を剥きあって、世界を喰らいあって……その結果、片方が潰えるだけで全てが終わるハズだったのに。


 分かってる、俺が今すべき事は分かってる。

 片方のシャクナゲを手放す方法も、両方を俺から切り離す方法も智哉からは聞いている。


『いつか──いつかさ、悠莉が必要だって思う時が来たら、俺の世界の呪縛は切り捨てていいから』


 そう言って、俺に選択を任せてくれたのをよく覚えている。

 俺なんかに──間違いだらけの俺なんかに、大事な選択を託してくれた事を知っている。

 俺を抑える為に強力な変種達による楔を作り、暖かい環境による人間達の輪を作り、家族のような仲間達で心の防壁を作ってくれながらも、『選択』を任せてくれた信頼を覚えている。

 そしてその選択をすべき時が今なんだと分かっているつもりだ。

 それでも──それでも怖いのだ。

 また『世界』を展開させたら、俺自身も壊れてしまう気がする。狂ってしまいそうな気がする。流されてしまう気がする。

 力への衝動の強さ、人間の力への渇望、世界を展開させる歪んだ全能感を、俺はよく知っているから。


 そしてそれ以上に、彼女も──カーリアンも、その世界に魅せられるんじゃないか、そんな恐怖も強い。

 故郷の仲間達のように狂ってしまうんじゃないか、歪んでしまうんじゃないか……。

 それは間違いなく、今の俺にとって最大の恐怖だ。

 だから躊躇してしまう。

 躊躇ってしまうというのに──


「あたしはさ、いいと思うよ。誰だって戦いたくなんかない時もあるもんね。だからたまにはシャクもいいと思うよ、そんな時があってもさ。そんな時はあたしが代わりに戦ってあげる。あたしがそうしたいって思うからさ」


 ──なんて事をカーリアンは言ってきて。

 そして笑ってみせて。

 そんな言葉に心が震えるのを自覚する。

 スズカも同じような事を言ってくれた事はある。だけど、この場面でそれを聞かされた事に、カチッと心の深くで歯車(ギア)が噛み合ったような音が聞こえた。


 ──あぁ、やっぱりカーリアンは、スズカの初めての友達なだけはあるんだな。

 なんて、今の場面には似合わない事を考えて……


 ──やっぱりカーリアンは、雅の教え子なだけはあるな。

 なんて、今の場面には似つかわしい事も考えて……


 痛む体をそっと前に押しやった。

 骨が痛む。肉が痛む。筋が痛む。皮膚が痛む。眼球の奥が痛む。なにせ全身が痛む。

 痛くて痛くて仕方がない。

 それでも前へ、ただ前へと進む。


「坂上……お前の相手は俺だろ」


「はん、まだ言ってやがんのか。言っただろうが、腑抜けたまんまのテメェとは──」


 そこまで言って、坂上は一気に後ろへと飛びずさった。

 俺へと苛立たしげな言葉と共にその視線を向けた直後に。

 まだ何もにしていないのに、まるで『俺の灰色世界の気配』を感じ取ったかのように、余裕と苛立ちを合わせた表情を凍りつかせながら。


「お前は俺と──俺の世界と喰らい合いをしたいんだろ?潰し合いをしたいんだろ?」


 まだ俺は世界を発露させてはいないのに。

 俺一人では『絶対に世界は構築出来ない楔』が架されているのに。


「だったらカーリアンには……彼女には手を出すな。彼女がいなきゃ俺の本気は見られないんだから」


「……何を言ってやがる。世迷い言に付き合う気はねぇぞ?」


 それでも本能か、ただのカンなのか、それだけで距離を取ってみせた坂上は、もはや俺にしかその目を向けていない。

 さっきまでの余裕も苛立ちもなく、警戒したような低い姿勢でこちらを見やっている。

 相変わらず銃(楔)をぶら下げ、この部屋に来たばかりとは違う、一年前に来た時とも違う血まみれの俺を。

 さっきまでよりも、今までよりもずっと弱っている俺を──警戒するかのように見やる。


「……カーリアン。さっきの言葉、すごく嬉しかった。そんな事を言ってくれたのは、スズカだけだったから……アイツしかいなかったから──だからすごく嬉しかった」


 嬉しかった。それは本当。

 本当に嬉しくて体が震えた。

 躊躇いや恐怖による震えも消してくれるくらいに。

 そしてそれ以上に悲しくもあった。

 そんな言葉をくれた彼女に、俺は『重石』を預けなければならないから。

 新皇を抑えていた楔を預けなければならないから。


『シャクナゲと悠莉を結んだ因果を完全に断ち切るにはさ、シャクナゲを黒鉄の誰かに預ける事……それしかないんだ。俺がそう作ったから。一つだけなら──片方のシャクナゲだけならお前の意志だけで外せる。でも完璧にシャクナゲから離れるには、同じ黒鉄の誰かに──しかも力を持つ変種に預ける必要があるんだ』


 俺が世界を必要とする時なんか来ない、だから必要ない──そう言って耳を塞いでいた俺に『一応念の為さ』なんて言いながら、刷り込むかのように『シャクナゲ』の呪縛を解き放つ方法を言い聞かせてきたアイツは──あの最初の黒鉄は、全てを見通していたんじゃないか……そんな邪推をしてしまう。

 だっていかにアイツのラストノートが不完全でも──どこまでいっても『欠陥予言書』でしかなくても、アイツ自身が俺の相棒で、坂上の親友だったのだから。

 俺達の事は多分、そんな欠陥品に頼らなくても分かっただろうから。

 でも、俺が世界を展開させる為に、『黒鉄』の存在が絶対に必要になるという枷。この枷を外す時に、彼女がいる事までは予測していなかっただろうな、と思う。

 多分、智哉がそれを期待していたのは『紅』たる彼女ではなく、彼女の師匠である『錬血』だったろうから。



「それでも……それでもゴメン、本当にゴメン。これを──シャクナゲを持ってて欲しい、そして許して欲しい、今ここで──」


 ──君にそれを預ける事によって、新皇と呼ばれていた頃の俺に戻る事を。


 そう言ってから返事も聞かずに、シャクナゲの片翼を彼女に向けて高く放る。

 ひどく残酷な事をしているのは自覚している。ヴァンプ嫌いの彼女に『因果を渡す』事によって、俺がヴァンプの始祖になる──それが胸をキリキリと締め付ける。


「智哉の力を知っているお前は気付かなかったのか?」


 それでも口調だけは淡々としたモノで語りながら、進める歩みのその先には、再び俺へと向き直った『関西の始祖』。結城智哉に代わって始祖となってしまった男。


「一つの物に与えられる運命は一つ、一つの結ばれた因果に対する代価も一つ。なのにシャクナゲは──俺の銃は二つあるんだ。不思議だと思わないか?」


「何が言いてぇンだ?」


「俺の世界を抑えるには、一つじゃ足りなかったって事だよ。智哉の世界でも一つだけじゃ抑えきれなかったんだ。だから二つに分けたんだよ」



 ──『世界の発露を抑えるモノ』と、『理を抑えるモノ』に。


 そう告げて、俺はゆっくりと体に力を巡らせていく。

 脳裏に浮かぶのは、『暁』が『新皇』に架した『徒花』の枷。


 アイツの世界はすごかった。本当に素晴らしい理を持っていた。

 使い方によっては、俺を殺す事も出来たかもしれない。俺と組めば、『彼女』にも勝てたかもしれない。

 それでも──それでも抑える事は不可能だった。

 一つっきりの運命で抑えるには、俺の世界は重すぎた。だからシャクナゲは二つ、両翼ある。


「さっきまでは理を抑える楔を外しただけだった。それが不満だったんだろう?」


 それぞれがお互いに補完しあって『シャクナゲ』は完成する。完全になる。

 それにより得られる能力(運命)が『無限の空間圧縮弾の精製』というモノ。

 片方は俺の理を食らって、もう片方は世界を食らって、両方とも空気を弾丸へと変える。

 両方とも同じ結果を生むモノではあるが、二つの『シャクナゲ』はあくまでも別のモノだ。

 単純に、二つとも外したら今までの倍という計算が成り立つワケではない。だってさっきまでの鎖達(蛇達)は、本来の世界(俺の世界)から無理矢理具現させたモノに過ぎないから。

 本来は存在しえない世界(現実)に、無理矢理力を及ぼしていたに過ぎないのだから。




「……だったら見せてやる。俺の『具現』を理とする灰色の世界を。この国が壊れた時より、俺を新皇と呼ばしめた無限の灰色を!」



 坂上は勘違いをしている。

 いや、俺と相対した純正型──もしくは純正型に詳しい者達は、みんな勘違いをする。

 この蛇達が『ハッキリと見え過ぎるから』勘違いをしてしまう。

 この蛇達を、俺が理によって操っている現実の鎖……もしくは俺の世界によって作られた『力の産物』だと思ってしまう。

 つまりは坂上の世界から出た『真空』、スズカの世界から放たれた『斥力』に近いモノだと認識するのだ。世界を出て、現実世界に修正されたモノが『鎖』の形を取っている、と考えるのだろう。

 そう考えるのが当たり前なのだ。だって純正型の世界は、『ハッキリと見えない事が当たり前』なんだから。


 でもコイツらは違う。これは──この蛇達はあくまでも『世界の一部』で『理の端末』でしかないのだ。

 言わばこの鎖達は、坂上の手首にはえた刃や、スズカの銀鈴と同じ類のモノ。

 智哉の『世界を抑えるシャクナゲ』でも、完全に抑えきれなかった理そのモノ。

 当たり前に『はっきりと見える』事こそが、俺を異常と言わしめた理由だとは誰も思わない。

 本来見えるハズがないモノだとは思わないのだ。




「…………この世界に神はいない」


 口をつくのは、使い慣れた常套句。それから始まる『解放のワード』。

 警戒を深めながら、それでも世界を発露しようとする俺を見やる坂上の向こう──こちらを見やる紅の彼女が、『シャクナゲ』をなんとか受け止めるのを見て、奥歯を強く噛み締める。


「認めず、在らず、その存在を否定する」


 彼女の故郷を壊す間接的な原因になったのは、間違いなく俺だ。俺の驕りと過信だ。

 周囲で蠢く蛇達を見やりながら、脳裏には灰色の世界を思い浮かべる。嫌悪するそれが、彼女をこれ以上傷つけない事を願う。


「紡ぎ手のみが世界にありて、カラカラと虚ろに響く歌を唄う」


 その世界は強大だった。脆弱で霞んだ他の純正型の世界とは違い、ハッキリとした存在感を持っていた。

 『純正型以外にも、その世界の端末が見えるほどに』。

 その『無限の灰色世界』が見えるほどに。

 その世界そのモノが、全ての人々に認識出来るほどに強大だった。

 全ての人々が狂えるほどに、はっきりとした存在感があった。


「彼の者は最果ての日までただ独り、暗き血を流し、赤き涙を落とす」


 それが──その異質さが、俺のみを指して『新皇』と呼ばしめた。

 力の強大さだけではなく、その異質な世界こそが『旗印』とされた。


「無限の灰色世界にて、幾千もの刻を刻み、幾万もの孤独に心を砕く」


 それは孤独の象徴だった。ただ孤独だった。

 世界をより完璧に理解すればするほど、俺は祭り上げられ、より独りきりになった。

 それでも──それでも良かった、それも今だけだと言い聞かせて走り続けてきた。

 そうすれば、いずれは俺がいてもいい場所が出来ると思ったから。

 昔みたいにみんなが笑えると思ったから。


「その身はただ歯車を廻す虚空の歪み」


 その想いは、多分夜の夢よりも儚いモノだったんだろう。一人で見るには、大き過ぎたんだろう。どこまで行っても幻想に過ぎなかったんだと思う。


 それでもいい──そんな考えこそが過信だった。間違いだった。狂っていた。俺自身も狂っていた。

 泣いて助けを求めるべきだった。独りは嫌だというべきだった。

 今も多分、俺は間違っている。間違い続けている。

 また独りの道を──孤独になる道を行こうとしているのだから。


「その心は数多の世界を歪むる輪廻の鏡」


 灰色の霧が周囲に立ち上り、ゆっくりとその領域を広げていく。その輪郭が薄く霞んでいく蛇達は、そんな周囲の変化に歓喜するかのように、大きく震えを見せる。

 灰色の霧は浸食するように現実を侵し……世界を侵す。


「故に紡ぎ手は今も独り、灰色の雪原にありて──」


 この霧が晴れた後、俺は彼女を見る事が出来ないだろう。

 怖くて視線を合わせられないだろう。

 それでも……それでもいい。

 最後にもう一度だけそう言い聞かせて──最後のワードを口にする。

 ずっと『シャクナゲ』に抑えられてきた『世界』を具現化させる言葉を。






「──いつか在りし日の明日を唄う」






 その言葉を最後に──

 世界は灰色の雪原へと変えた。

 真紅の月が浮かぶ灰色の原野。ただ灰色が彼方まで広がる終末を連想させる世界へと。



一週間ぶりの更新です。

灰色世界、シャクナゲの世界について書こうかと思いましたが、まだ完璧には出てきていないのでまた次回かその次に。


ですから補足です。

シンフォニアでは、シャクナゲが率いる第三班のあり方が、家族のようだと表現しております。

今回の話では、シャクナゲを抑える為にアカツキがそういった黒鉄を望んで作った、としていますが(仲間達の人の輪で心の防壁がうんたらかんたら……って辺り一帯)、シャクナゲは第三班を、アカツキの作りたかった黒鉄をモデルにしているワケです。


つまり強力な変種……自分を含め、スイレンやヒナギクやヨツバ、それ以外の変種達が、力に酔わないように、狂わないように望んだ結果が、アカツキの作りたかった黒鉄と類似しているワケです。

やっぱり自分よりも強い変種が身近にいたら、自分の力に狂ったり、その衝動に負けたりしないですし、仲間達を家族だと思えれば、簡単にヴァンプに堕ちたりはしませんから。

そういった辺りとかも考えて、あちこちに伏線張って(シンフォニアにも張ってどうするんでしょうね?)、今回収に向かっているところです。

そこにも気づいて頂けたら嬉しいですね。


もちろん『狐』や『今現在のスズカ』についても考えています。

そこも見所……かなぁ、多分。


では、次回はカーリアン視点での世界解放です。

よろしくお願いします。

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