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33・マインドワード






 カーリアンが──あの『ヴァンプ嫌い』が穏やかに笑っていた。

 どこかで、いつかは見慣れていたような笑みを浮かべ笑っていた。

 俺の言葉を聞いて、色々考えてみせて、苦悩に顔を歪めて泣きそうになった後で、それでも照れなど一切ないままに笑っていたのだ。


 それはいつも見せてくれる彼女の笑みとはちょっとだけ違ったモノで。

 ずっと近くにいたスズカの笑みと似た暖かさと、でも少し違った別の誰かを連想させる強さを秘めた笑み。

 スズカはほんのりと光る夜空に浮かぶ満月のような淡い笑みを浮かべてくれる。そっと心に入り込み、ゆっくりと浸透していくような……そんな優しい笑顔を見せてくれる。ずっと側にいて、時折に見せてくれるその笑みは、俺にとって間違いなく救いだった。

 彼女の過去を思えば、その笑みだけでも十分すぎるほどに強さを感じるモノで……その過去の凄惨さを思えば、その儚い笑顔だけでも俺には過ぎた救いになっていた。


 それに対してのカーリアンは、その印象だけで例えるなら太陽だった。明るく照らしてくれるような、しっかりと温もりを広げるような笑顔をみせてくれていた。

 それも彼女の過去を思えば強さの証明にはなるだろう。出会ったばかりの頃とは雲泥の差だ。

 しかし、その笑みは強すぎるだけに時々無理が垣間見えるモノだ。

 まるで明るく見せる事を念頭においた『張りぼての太陽』……今にも雲に隠れそうな不安と危うさもあったのだ。

 だけど今の彼女からはそんな弱さなんか欠片も見えない、スズカと似ているようにも感じるのに、彼女らしい輝きを放つ笑みを浮かべて俺を見ていたのだ。


 ──こんな罪人には過ぎた、もったいないほどの笑みを。

 強さだけじゃない、しっかりとした存在感がある笑みを。


 ──なんで?

 思わず時と場所を忘れて、呆けたようにそう問いたくなる。胸に染みて頭が熱くなる。

 ──なんで俺をそんなに真っ直ぐに見るんだ?

 そう涙ながらに聞いて、自分に相応しい罵倒を望みそうになる。

 だって俺はバカな子供だった。自覚のない空っぽの皇だった。空虚な世界に似合った空の始祖だった。

 それに気付くとそこから一人逃げ出して、みんなを騙して安穏としていた。

 そして今も。今までも守る為に戦って、その為に命を手にして、それを贖罪だって言い聞かせてきたんだ。命の代価は命で。平穏の代価は自らの平穏で。

 そんな考えにすがっていた汚い罪人なんだ。

 なのになんで──

 なんでそんな俺に笑える?

 『本当に笑う事が出来る』んだ?

 泣けないから、泣いて許しを乞う価値もないから、だからどんな時でも笑うしかなかった俺に……造りモノの笑みしか持たない俺に本当の笑顔が浮かべられるんだ?



 そんな事を思っているのに、それは間違いないのに、それでも今まで色々と掻き乱されていた心が……思考が、スゥーっと落ち着いていくのを感じる。

 何故かその笑顔に救われた気になれる。

 そんなワケなんかないのに……そんな事を思う価値もないのに……そんな考えが勘違いも甚だしい事くらい分かりきっているのに、それでも救われたような気がして──




「……つまんねぇな」


 ──そんなつまらなそうな小さな呟きすらも聞き逃しそうになって、ハッと我に返った。

 まるで心底つまらない出し物を見させられた観客のような、期待していたモノとはまるで違う拙い物語に呆れ果てたような言葉で、自分が今すべき事を思い出した。

 それと共に無造作に振るわれる坂上の腕が視界の端に映り、俺はとっさに蛇達を走らせる。

 別に自分を守る為に蛇達を使う必要なんかない。こいつらは放っておいても『俺だけ』は守ってくれる。それを俺自身が望んでいなくても。


 俺が慌てて全速で蛇達を走らせたのは、『後でぶん殴るから』『話を聞くから』と言ってくれた──勘違いでも救いをくれた、『三人目』の少女のすぐ真ん前……そこに鈍色の壁を展開させる為だ。

 自動制御に近い蛇達を……もっと言うなら、『世界の核たる俺以外の為には動きたがらない蛇達』を、叱咤して彼女を守る為に。


 突如ジャラジャラと音をたてながら這い寄ってくる蛇達にギョッとし、前方を覆うように展開していく鎖の群れに、さすがのカーリアンも多少腰がひけていた。

 そんな彼女の姿を見て……そのすぐ真ん前で間一髪間に合った蛇の壁が何かに軋むのを見て、思わず大きく安堵の息を吐く。

 とっさにコントロールをしてはみたが、久々でもなんとか思い通りに動いてくれた事に胸を撫で下ろした。


「はん、いい反応じゃねぇか?なんか必死みたいで笑えたぜ」


 真空を受け、小さな音を立て軋む蛇達を見てニヤリと笑う男──関西の将軍が、『証人』と称した彼女を狙って力を使うと思ったのは、半ば直感に近かった。直感に従ってそれに対した行動を取っただけだった。

 しかし、後一瞬でもその行動が遅ければ、真空は彼女に届いていただろう。

 そのカンが正しかった事は、坂上の小さな世界に生まれた黒い虚無の進行方向からすぐに確信出来たが、何故この男が彼女を狙ったのかは分からないままだ。

 坂上が彼女を狙うワケがないと、俺は思っていたから。


 証人──つまりは自分こそが、『新皇をも超えた皇だ』という証人として、彼女の存在は必要不可欠なハズだと思ってきたのだ。


「なんかよ、胸がムカつくくらい甘ぇ事になってやがるから、死なない程度に腕でもちょん切ってやろうかと思ったが……まぁ、テメェのその焦ったツラが見れたから良しとするか」


 しかし、そんな俺の疑問を嘲笑うようにそう言うと、坂上はその舌でペロリと唇を舐めてみせた。

 灰色の狂気をより増幅させながら。


「どうせならドロドロとした復讐劇とか見たかったのによぉ、芝浦がご執心の『死にたがり』も思ったよりつまんねぇ女だな」


 俺の神経を逆撫でする為に、敢えて俺以外を貶める。俺に向けるべき言葉の刃の代わりに、彼女へ──今のカーリアンへとその刃を振るう。

 それはあくまでも坂上らしく、どこまでも効果的な言葉の羅列だった。


「罵倒して、貶めて、怒り狂って、泣き叫んでくれりゃ、『新皇』に多少の意趣返しくらいならさせてやろうかと思ったのによ……ほんととんだ茶番だ。傷の舐め合いにしか見えねぇ、ほんとシラケるぜ」


 ケラケラと、ゲラゲラと、ヘラヘラと嗤ってみせる坂上は、そのまま無造作に大きく両腕を振るう。そして手首の先に付いた赤錆色の刃から、巨大な黒い虚無で出来た鋭利な刃を生んだ。

 それが無造作に周囲へと走り、そのままヤツの世界を出ると、部屋の外壁を微塵に切り刻む真空の刃へと変わる。続いてはぜた真空の収縮に床が、壁が、天井を造る建材が粉塵となり──

 その部屋……城塞の奥まった一角にある離れとも言える部屋が、その一角ごとあっさりと更地と化す。

 カーリアンの前に展開させた鎖と、自動的に俺の前に展開した鎖の守る後方以外──つまり坂上の周囲から後方にかけて、上方も左右もまっさらな更地へと。

 そこになんの躊躇いもなく、ただただ狂笑を深めてその体を震わせる。酔いしれるように大きく体を反らせて空を見上げる。


「まぁいいけどよ。なんせやっとこの時が来たんだしな。

 ……ほんと待ちくたびれたぜ。一年経ってようやくだ」


 そう呟いた声は、先ほどの嘲りよりもずっと小さく──でも深く黒い色を含んで俺の耳朶を打つ。


「今日やっと!あの夜と同じ舞台、あの時と似たこの夜に!この煮えたぎる屈辱が晴れるッ!やっと俺が『皇』として立てるッ!あいつに──結城の野郎に並べるッ!!」


 そこに俺を──そしてカーリアンを揶揄する色はもうない。もうそんな言葉のやり取りは不要とばかりに、空へと声をかけ続ける。

 その体を大きく反らせ、天に吠えるように。

 赤錆が浮いた世界を、その周囲で震わせながら。


 それが誰に対する言葉なのか……もちろん俺には分かった。俺だからこそ分かった。同じように『運命』に捕らわれていたからこそ分かった。


 坂上はその力の『強さ』に捕らわれ……

 俺はその世界の『優しさ』に捕らわれた。

 坂上はその力の『特異さ』に惹かれ……

 俺はその世界の『輝き』に惹かれた。


 表裏一体。まさに合わせ鏡。

 共に惹かれ、捕らわれ、引きずって──誰よりもあり方が近いクセに、誰よりも求めたモノが遠い反存在。

 だからこそお互いが許せず、お互いを認めたくない。


 どこかで違う選択をし、違う道を選んでいたら、俺は『新皇』として関西に攻め込んでいたかもしれない。皇の道に狂っていたかもしれない。始祖たる世界に酔っていたかもしれない。

 ひょっとしたら坂上は、智哉の『相棒』のままそんな俺の敵になっていたかもしれない。『ノルンズアート』で生まれた力を駆使した仲間達……『モノ(力)と一緒に変えられた運命』を受け入れた仲間達と、俺(新皇)達の前に立ちはだかっていたかもしれない。

 確実なのは、俺達が横に並ぶ事だけはなかっただろうという事だけ。俺達はどんな道を行っても、どこまで行っても『敵』だっただろうという事だけだ。


「あぁ、今夜やっと俺は一年前の清算が出来る──」


 だからその言葉は俺にも当てはまり──


「今夜こそ俺は皇になるんだ」


 ──俺の望みからはかけ離れている。





「俺の後ろに」


 それだけ言ってカーリアンを俺の背後へと移動させる。無論坂上には彼女を殺すつもりなどないだろう。彼女には『純粋な第三者としての証人』という役割(ロール)を期待しているハズだからだ。自分の敵側であり、自身自らが事情を語ったという背景がある彼女以上に、そのロールが相応しい人物もいまい。

 だが傷つけるつもりもないかと言えば、そうではないだろう。

 『腕一本くらい』切り飛ばされても、人間は簡単には死なないのだから。目や耳さえあれば、坂上からすれば十分なのだから。

 だから俺は彼女にそう声をかけ、蛇達を護衛につけたまま俺の背後へと移動させる。


 彼女の『紅』は非常に強力ではあるが、純正型の世界と比べるとやはり心許ない。

 なによりいかに彼女の能力でも、燃焼には『酸素』が必要不可欠だ。

 彼女の能力は『発火源』と『燃料』を能力で補えるが、酸素だけはどうしようもない。坂上の『真空』とは相性が悪過ぎる。

 そして恐らく彼女は、坂上から『純正型の世界』について詳しくは聞いていないだろう。そこまで話す必要性が坂上にはないし、それを理解させるだけの時間もなかったハズだ。

 だからこそカーリアンは戦うべきじゃない。

 もちろん、いまだ多少混乱しているであろう彼女は、多分能力をそう使いこなせないだろうという理由もある。


「はん、余所見たぁえらく余裕だな?ムカつくぜ、クソヤロウ!」


 吠える坂上はそのまま俺へと腕を振るい、それに対抗するかのように牙を剥く二筋の蛇と『力』をぶつけ合う。


「シャッ──!」


 空気が漏れるような坂上の声と、ジャラジャラとうねる音。しかし、坂上が放った真空は、唸りながら空間を乱舞する蛇達ではなく、飛翔する鎖にぶつかる前に地面へと突き刺さり粉塵を舞いあげる。もうもうと吹き上がる土煙の中、残る三筋の蛇達に守られたカーリアンが、ようやく背後へと来た事に安堵しつつも油断なく周囲を見渡した。

 そして自身の周りを舞っていた蛇達は、坂上がいた辺りへと向かわせ、カーリアンの護衛の三筋はそのまま俺の防壁として呼び戻す。

 少し離れた後方にいる限り、カーリアンにまで攻撃が飛ぶ事はないだろうし、何より今のままでは手詰まりなのだ。

 一年前のように、油断を含んだまま真っ直ぐに向かってくるならまだしも、このように土煙を舞わせ視界を奪うような搦め手を使ってこられると、正直手を抜く余裕なんて全くない。


 一年前のままの坂上だと思っていてはさすがにマズいという事だろう。

 確かに坂上の『世界』を出た力がただの真空に変換されているかぎり、鎖の防壁で防ぐ事は間違いなく出来るだろう。俺の理の断片でしかない鎖でも、それだけは確信を持って言える。

 だけど、それは俺自身が攻撃を食らっても平気だという事と同義じゃない。

 やはりその殺傷能力は俺自身にとっても危険極まりないのだ。


 辺りからは対空迎撃の為に乱舞し、唸る蛇達のあげる甲高い金属音と、鈍い音を上げ何かが破砕する重低音。

 それらに紛れるように迫っていた黒い影にチラッと視線を走らせると、そちらへと残った左のシャクナゲから弾丸を撒き散らす。


「ウザッてぇンだ!そりゃ俺には効かねぇって分かってんだろッ!」


 しかしその黒い影は、幾多のヴァンプ達を葬ってきた空圧の弾丸を全く気にも止めない。

 手をかざしながら走るだけで常時その指先から黒い歪みを生み出していき、空圧の弾丸を飲み込んでいく。

 そしてそのままスピードを落とす事なく俺へと迫ると、両手首にある赤錆色の刃を蛇の防壁へと振りぬいた。

 もちろん蛇達も黙ってはいない。攻撃専任の二筋が取って返して牙を剥き、宙を走り、その金属の先端を赤錆の世界へと潜り込ませようと頭を振るう。

 それでも坂上は全く躊躇わない。自らの世界へと食い入ろうとする蛇を省みないまま、その手首の刃で鎖の防壁の一部を僅かに切り払う。

 ギィンと甲高い音が世界に響き、打ち合わされる世界の欠片と欠片。打ち負けたのは……刃ではなく蛇。

 打ち負けたと言っても、そこに出来たのはわずかな決壊だけだ。しかし坂上は、そのスペースに赤錆色の刃を強引にねじ込んできた。


 ──クッ、マズい。


 そう毒づく暇もなく、小さく開いた防壁の穴の向こうで笑う坂上が見えた。

 その次の瞬間には、動かすスペースの少ない中で、ねじ込んだ刃を僅かに振るう。

 ほんの数センチに満たないが確かに振るう。


 ──鎖の防壁の向こう……つまり守られていた俺へと向かって。


「──ッ!」


 生まれでる極小の黒い歪み。それがこちらへと走ってくるのを確認するまでもなく、とっさに大きく体をひねってかわす。態勢など気にする余裕もなく、不様に転げるようにして直撃をかわしたのだ。


「──Line drive!」


 それは間違いなく致命的な隙で──迷わず口の中で小さく蛇達に指示を飛ばした。それとほぼ同時に、かわしたすぐ真横で巻き起こった空間の収縮に思わずたたらを踏む。

 予想していたとはいえ、やはり体はその気流に大きく流された。蛇達の護りもなければ態勢も不利なのだからそれも仕方がない。

 そんな俺の動揺に合わせて僅かに乱れる防壁の蛇達。それを嘲笑うかのように、ニヤリと笑った坂上がその手を俺へと向けようとして──大きくその場を飛びずさった。


 直後、振るおうとした坂上の手のすぐ先に舞い落ちる二本の黒い鎖。それに続いて繰り返される絨毯爆撃じみた落下攻撃。

 『Line drive』という指示に従った蛇達による急降下攻撃だ。

 坂上の世界を浸食しようとしていた蛇達が、俺の指定した言葉に従って僅かに迂回すると、上方から一斉に突っ込んできたのである。

 それにより鈍い爆音が地面を削り、ボロボロの床が大きくはぜる。

 蛇達を的確に動かす為……そして少しでも自分の力による被害を抑える為だけに、昔やってきた『ワード作り』が役に立った。本来は出来るだけ最小限の力を、出来るだけ完璧に制御する為だけに作ってきたワード。

 それがこんな形で役に立つとはまさか思わなかった。

 その考えに、やはり坂上を侮っていたんだろうという思いが浮かぶ。



 今した事は、単純に言えば完璧な搦め手だ。世界に覆われた坂上に直接蛇達が喰らいつく事は出来なくても、その爆撃じみた力の余波や、飛ばされる瓦礫の威力だけでも脅威となる。それを狙っただけの単なる鎖の特攻だ。

 『純正型の世界に別の純正型の世界に属するモノは入り込めない』が、現実世界にある物理力だけは違う。

 黒い歪みや赤錆の刃は坂上の世界の中にしか存在しえないが、現実世界の修正を受け真空へと変換された歪みは、他の純正型の世界でも存在出来るのと同じだ。

 物理的な肉を持った核(坂上)がいるのだから、それはそうおかしな事ではない。

 本当に搦め手で、純正型の戦い方としてはお粗末極まりない。それだけに意表を付く意味では効果的とも言える。


 そんな考えは坂上も分かったのだろう。

 大きく後方へと飛ぶようにして鎖が弾いた瓦礫をかわしてみせる。

 そして小さく笑うと、首をコキコキと捻って鳴らしてみせた。


「はん、ちったぁ本気(マジ)になってきたかよ?」


 ……ペロッと唇を舐めて歪めながら、一片も侮りを見せる事なく、どこまでも楽しそうに。


「まぁ、えらく慌てた素振りでかわしやがるから、なんか企んでるんじゃねぇかとは思っちゃいたが、まさか直接ぶつけてこずに力の余波で飛ばされた瓦礫を使ってくるたぁびっくりしたがな」


「…………」


 無言で見据えていても、なお坂上は上機嫌で、その黒鱗が手の甲にびっしりはえた右手を、ギリギリと音が聞こえてきそうなほど強く握ってみせた。


「でもよ、今のは意表を付かれたから少しばっかり焦っただけだ、二度は通じねぇぞ?俺にゃ真空の刃だけじゃなく、『歪み』の盾がある事も知ってんだろ?」


 そう言ってニヤリと笑うとさらに大きく飛んで距離を取り、腕をダラリと垂れさせた。


 ギチギチギチ──


 その手の先、赤錆色の刃の辺りから、そんな何かがこすれる音が聞こえ……薄い黒色の膜が生まれそれが坂上を薄く包んでいく。

 それに思わず目を見張る俺を愉快そうに見つめ、そのまま俺の後ろ──離れた位置に立っていたカーリアンへと向き直る。


「女ぁ、もっと下がってろ!テメェが近くにいちゃこいつが気にして本気を出せねぇだろうが!本気のこいつでなきゃ意味がねぇんだ、邪魔すんな!」


 その言葉と共に後方──カーリアンと俺の中間地点がはぜる。抉れるように大地がかける。

 それはヤツの真空がはぜた時と同じ現象で……思わず舌打ちが漏れた。


 どちらの力を振るう時にも、ヤツの腕は……力を生み出すのに必要なプロセスであるハズの『腕は振るう』という行為が含まれていなかった事に。


「不思議そうだな、あん?腕を振るってねぇのに、なんで空間が弾けたかわかんねえんだろ?」


「──Piercer(射し貫くモノ)」


 坂上が昔のままだとは思ってはいなかった。確かに思ってはいなかったが、それでもまだ考え方が甘かったらしい。そんな思いに思わず小さく歯を軋らせる。

 しかし、そんな事は表に出さないまま蛇達に指示を飛ばす。


 坂上の『理の全て』は分からなくても──いや、分からないからこそ、攻撃の手は緩められない。

 俺のそんな思いを知ってか、あるいは小さな単語による指示に従っただけか、二筋の蛇達は再度牙を剥き宙を走る。

 愚直なほど、そして一切他に気を向けない速さで、二対の蛇が真っ直ぐに坂上へと走る。

 それに俺は平行するように足を踏み出しかけて──

 残る三対の蛇達が、その進行方向を遮るように壁となった。

 まるで坂上へと向かおうとしていた俺を留めるかのように。


 蛇達は自動的に俺へと向かってくる『力に反応するだけだから』──そして真空は『無色透明だから』俺自身にも良く分からないが、恐らくは踏み出そうとした先に無色の刃があったのだろう。

 それを鎖が踏み砕いたんだと悟り、進行方向を変えて慌てて距離を取った。


 ……もう間違いない。坂上の真空は『腕の振りだけで生まれているワケじゃない』。


「はん、その鎖はやっぱ厄介だな。自動制御か、はたまたなんか別の法則でもあんのか、そこまでは分からねぇけどよ」


 ただ一心に突っ込んできた蛇達を、その赤錆色の世界の境界線で受け止めながら語る坂上。その声にはなんの感慨もなく、蛇達を気にした素振りもない。

 一年前はあっさりと食い荒らされていたのに、今は蛇達の全力の特攻を全く意にも介していない。


「まぁ、あっさり決着がつくたぁ思っちゃいねぇが。でもよ、今の俺があの時のまんまたぁ思ってねぇだろ?」


 むしろ悠々とした歩調でこちらへと歩みを進め──


「そろそろ本気で行くぜ?ちっとずつ刻まれたくなきゃ──」


 そう言って、まるで見せ付けるかのように、その表情へと深い笑みを刻む。


「──お前ぇも本気で来な」




 その笑みに今までにない嫌な予感が走り──直後には俺の周囲の大地が、小規模な空間破砕に包まれていた。


次回更新は月曜日。月曜日は毎回(何かない限り)更新致します。

前書きも後書きもあったらさすがにちょっと鬱陶しいかと思いまして、今後はお知らせ、御礼、設定解説や紹介は、まとめて後書きでいたします。



今回は『ワード』について。




関西に比べて強力な純正型が多く、その数自体も多い関東の純正型達が寄り合って『世界』を制御する為に編み出した方法の一つ。

自分自身に対する暗示や刷り込みにも似た方法であり、至極単純な理論によって確立されている。

つまり『特定の言葉に反応して、それに沿った動きを世界が見せる』事を目指しただけの単純なモノである。

シャクナゲの蛇とスズカの鈴(というより鐘)は、これら決められた幾つかのワードに従って動かす事がほとんど。

刷り込みに近いだけあり、反射に近い形での単純な迎撃行動(になりうる形での理の行使)しか出来ないが、二人の場合はもともと力を効果的に最小限の形で使う事を目的としている為、このワード方式を使っている。


その上二人は、無意識に世界が展開されないように、解放用ワードを設けようと試みてはいたが、そちらは半分しか成功していない。

つまりいかに幾度も刷り込みをしても、完全に肉体とは別物である内面世界を抑え込む事は出来なかったのだ。

ちなみに、今でもこの試みは継続中だったりする。



なお、ワード式以外にも自己催眠による『ミラー式』や、特定動作を組みこむ肉体連動の刷り込み『アクセル式』など、それぞれの地方や所属団体によって違いもある。

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