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27・Long way to say good-bye──undo the chain──

あぁバタバタしていて更新が遅れました。

しかもついウトウトしていて、あとがきを書けてません。

早めにアップしておくべきでしたね。反省します。

次回更新は活動報告にて。





 目の前にはただ大きめに作られたソファーが置かれていた。

 別に豪奢な造りでも革張りなワケでもない、昔ならどこの家庭にあってもおかしくないような、ただ大きいだけのソファー。

 あたしの部屋にあるソファーよりちょっと大きいだけのソファー。

 ただ可愛げが全くないだけのソファーが、その部屋──ベルセリス要塞と呼ばれる城の奥にある事に、ちょっとした違和感を覚える。


 近衛の一人……らしい『左近』と名乗った気だるげな雰囲気を垂れ流す男に促されるまま、要塞と化した城の奥まった部屋へと入ると、そこは大きいだけのソファーが一つある部屋だった。

 そのソファーには、やや大柄で灰色の髪を短かくざっくり切り揃えた男が座っており、その両手の先は漆黒の何かに覆われているかのように黒ずんでいた。

 その態度は上から下まで怠そうで、横柄そのものである。


「……女、お前が今の黒鉄か」


 その声は、左近と名乗った男と同じく気だるげな声。

 ただしそれは、左近よりも圧倒的な威圧感を含んだモノで──


「アンタが将軍ね?」


 その正体をあたしに嫌でも実感させる。

 そんなあたしの言葉には、その黒光りする右手──指先にびっしりと細かい鱗が生えた右手をかざすだけで返し


「坂上だ。将軍の名前は一年前にちっと封印してる。坂上と呼びゃあいい」


 そう言って、いまだあたしの側に立ったままの左近へと、チラッとその灰色の視線を向けた。


「左近。お前は右近と一緒に、野郎の足留めをしてこい。餌に釣られた友枝のバカは──」


 そう言った所で、遠くから爆音が聞こえてきた。それに将軍──坂上は肩をすくめて嘆息を一つ。


「まぁ、今頃一人、先走ってる頃だろうからな」


「……いかほど足を留めれば?」


「出来る限り、だ。一時間もありゃ、俺の用事は終わる」


「それは難儀。まぁ頑張ってみますがね」


「ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 あくまでも淡々と。あたしなど眼中にない様子で、二人だけで話を進めていくのを遮るように、あたしは声を上げる。


「さっきの爆発音はなに!?足留めってシャクを?それに話って何よ!?」


 そんなあたしの言葉には何も返さず、左近は飄々としたまま踵を返し──


「悪ぃな。左近は右近や友枝……他の近衛と違って無口な野郎なんだ」


 代わりに坂上が返答を返してくれるのに、ちょっと面食らう。

 なんというか、思っていた人物像とはあまりにも違っていて。もちろんこれだけで『コイツって案外いいヤツ……』だなんて事を思ったりはしない。

 今までの事もあるし、何より──


「お前にゃちっと話に付き合ってもらうぜ?どのみち時間はあんまりねぇだろうがな」


 ──その瞳には狂気にも似た光が宿っているから。

 その灰色瞳には、ユラユラと怪しげな光が燃えているから。





「さて、話っつっても何からしたモンかな?」


「別にこっちに話なんかないわよ。それに話じゃなくても全然構わない」


 小さく天井を仰ぎ、顎に手をやりながら言う坂上に対して、あたしはゆっくりと間合いを図る。

 内に宿る炎は、何故か先ほど──表でヴァンプ共と向き合った時と比べて勢いが減じた感があるけど、それでも問題はない。


 戦う、戦う、戦う、戦う。

 戦え、戦え、戦え、戦え!

 自らにそう言い聞かせ、ゆっくりと内で燃え盛る炎に、憎悪という薪をくべていく。

 いつもに比べて、炎の吹き上がりがやや不満だけど、それでもこの機会を逃す手はない。

 敵は座ったまま、動こうともしていないのだ。

 一気に駆け寄って、その首を炎で焼き切ればいい。

 そう決意して、一歩踏み出そうとした時だった。


「……あぁ、やめとけやめとけ。他の人種じゃ純正型にゃかなわねぇよ。そりゃ確定事項に近ぇ。もうこれは生まれついての差ってヤツで、基本的に別の生き物だって思った方がいい」


「ンなのやってみなきゃわかんないでしょうが!」


「はん、分かるさ。人間が猿と知恵比べをしようなんて思うか?仲間を狩られたヌーが、怒り狂ってライオンに逆襲を企むか?しねぇだろ、ンな真似。そりゃ『相手は自分とは違う生き物』だって分かっているからさ。相手との力量差以前に、存在のあり方自体が違うから、ンなバカな真似はしねぇんだ」


 ──純正型ってのはな、人間にとってそういう存在なんだよ。


 そう締めくくると、またもその右手を見せつけるように掲げてみせる。

 膝についたままの左手にも、同じような黒鱗が浮かんでいるが、そちらはいまだに……あたしを前にしても怠そうに力を抜いたままだ。


 もちろんそんな言い分に納得なんかしない。そんなのやってみなきゃわかんない……その考えも変わらない。

 それを認めてしまったら、スズカとの関係を否定するような気がするし、シャクとアカツキの関係までも否定するような気がするからだ。


 あたしはアカツキとはそれほど長い付き合いじゃなかったけど──長い付き合いにはなれなかったけど、シャクとアカツキは間違いなく『相棒』だった。

 間違いなく、それぞれがお互いを信じあっていた。

 あたしが今望む位置にあのスカシ野郎はいたのだ。

 それをあたしが否定出来るワケがない。そしてコイツにも否定なんてさせない。


 それでも……それでも、やや脱力感を覚えたのは何故だろう。

 まさか坂上に戦うつもりがない事が分かって、『安心したから』などとは絶対に思いたくないけど、なんとなく強張っていた身体から力が抜けたのは間違いない。


「ま、なんにしても、少しだけ俺の話に付き合ってくれりゃいいんだ」


「………」


 もちろんその言葉をそのまま信じて油断なんかしない。戦う覚悟も捨てない。

 コイツは将軍で、仲間達の仇で……シャクの敵だ。

 それだけは間違いない。

 そんな意志を沈黙で返すあたしに、坂上は大袈裟な所作で肩をすくめてみせる。


「まぁ、立場的にゃ仕方ねぇか。でも、これだけは聞かせろ……女、お前の名は?」


「……あたしの名前になんの関係があんのよ?」


 あくまでも面倒そうな態度は崩さないまま、ねめるように見やりながらの言葉に、あたしは露骨に舌打ち混じりでそう返すも、全く気にした素振りは見せずに坂上は言葉を続ける。


「もうすぐあの野郎がここに来る。元々友枝にゃなんも期待してねぇし、左近と右近だけじゃさすがにキツいだろ。田村と旭がここにいたら……って、いねぇモンをグダグダ言ってもしゃあねぇか」



 ──田村、そして旭。

 坂上の口から出たその名前に、思わず体が硬直するのが分かった。その名前には聞き覚えがあって当然だ。

 あたしが入ったばかりの頃の対黒鉄戦線において、何度も前線に出てきた近衛が『田村』。

 あまり黒鉄とはぶつからなかったけど、何度か出てきた際には何人もの仲間を殺した近衛が『旭』。

 この二つの名前だけは忘れたくても忘れられない。


 特に『旭』という近衛は、あの錬血のミヤビを……あたしや他のコードフェンサー達に、『生き残り方』を教えてくれた女性を殺した男なのだ。

 嫌でも脳裏にこびりついている。

 その姿も、その力も、その全てが。


「なんにしろ、そうなりゃ後は俺と野郎で殺し合うしかねぇ。つまりは、ここでの会話が最後かもしれねぇってこった、こうやって誰かとただ話すだけってのはな。その話相手の名前くらいは聞いておきてぇのよ。あぁ、もうっ!なんでもいいから教えろっ」


 あたしの中にようやくくすぶってきた憎悪を、まるで気に留めるでもなく、坂上は面倒そうに言い放つ。



 その言葉遣いはあくまでも傲岸。

 どこまでも不遜。

 いきつくまで傍若無人。

 完全無欠に上位からのモノ。


 それが『完全別種』に対する侮蔑によるモノか、と言えばそれは違う気がした。

 なんというか、侮蔑というよりももっと違う何か──。

 それが何かは分からないけど、ただあたしを『別種』と見ているのは間違いない。

 その瞳は同じ種族、同じ人種を見ているとは思えない冷たい光を宿していたから。


 ……その視線には少しカチンときた。それは溜まり溜まった燃料に、いつもなら容易に点火しうるだけの火種となったと思う。

 なにしろ、感情に火が着きやすい事には自信がある。

 まぁ、なんの自慢にはならないけど。


 でも──


「カーリアンよ、二班班長カーリアン」


 でも、あたしはごく自然にその内なる点火元を飲み込んでいた。

 導火線に着火するまえに、その『点火源』がすぼんでしまうのを感じた。


 ──だけど、それは断じて『坂上』に呑まれたからじゃない。そんな簡単な事じゃないと思う。

 なにしろ、坂上がどれほどの力を持っているのかは知らないけど、別にコイツ自身に対しては『それほど恐怖を感じていない』のだから。


 その理由に、想像していたよりまだ話しやすいから……というのはある。

 もちろん、今まで直接戦場で向かい合った事がないから……というのもあるだろう。

 だけど一番の理由は、あたしが今まで想像し、恐怖し、否定した最悪に比べれば──カクリやスズカが死に、シャクまで消えて、たった一人でこんな世界(場所)に残される事を考えれば、坂上の圧力はどうってほどのモノじゃない。


 だからここで萎縮しているのは、『坂上に対してじゃない』……と思う。

 もっと何か──あたしが考えうる『最悪』にもっと近い何かが側にある気がして、体の内に無限とあるはずの憎悪が、深く深く落ち着いていくのを感じているのだ。

 それが何かは分からない。あたしには想像も付かない。

 ただ漠然とした予感が、あたしの火をくすぶらせる。


「ふん、お前が『芝浦』ご執心の死にたがりかよ。こりゃ、あながち運命ってのもバカにゃ出来ねぇなぁ」


「芝浦……」


 その名前に聞き覚えなんかない。坂上の口振りからすると、あたしの知己ではあるみたいだけど。

 あたしが言葉を反芻した意味が分かったのか、あるいはただ意味もなくなのか、坂上は座ったまま木造の天井を見上げた。

 その口元に笑みを刻みながら。


「純正型たる東海の始祖、マスター『シヴァ』。ヤツを傷つけたパイロキネシスト、死にたがりの紅。朱神、紅手の死神、etc.etc──。同族殺しは一杯いるがよ、『コイツ』ほど短期間で大勢の同族を殺しまくったヤツはそうはいねぇ。群れじゃなく個人でとなりゃ、まず一級の殺し屋だ」


「…………」


「そんなヤツが俺と野郎の決着の場にいる?なんの皮肉だ、こりゃ?『お前が否定した運命』ってヤツのイカしたジョークか?」


「……あたしをカーリアン以外の名前で呼ぶな」


 その言葉があたしに向けられたモノじゃない事は分かった。

 その視線があたしに向けられていない事も……。


 マスターシヴァの事については、あたし自身は何も思うところなんかない。

 アイツはもうあたしの中では過去の一部だ。かつて憎悪の余波を向けたヴァンプ集団の長で、手傷を負わせただけで襲撃が失敗した存在……。

 別に誰でも良かったから、二度は狙わなかった相手だ。

 そんなヤツが、今は故郷の支配者になっているに過ぎない。

 だからそれはどうでもいい。

 芝浦?あの『狂人』の名前すら、今初めて知ったくらいだ。

 そしてそんな事、今更知る必要もなかった。


 問題なのは、あたしを『カーリアン』以外の名前で呼んだ事。

 それだけがひどく不愉快だった。

 至極愉快そうに、最高に不愉快そうに顔を歪める坂上は、興が乗ったとばかりに笑みを崩し、あたしにではなく天井へと言葉をかけ続ける。

 いや、天井なんかじゃなく、そのずっと先にいる誰かへと語りかけるように。その瞳には狂気的な何かを感じるけど、それこそあたしにはよく見覚えがあり、今の世界では身近にあるモノだ。


 だからそんな坂上なんかよりも、『名前』の方がずっと重要だった。

 あたしはカーリアン。それ以外の名前で呼ばれる事だけは看過しえない。

 あたしの大事な人達は、みんなあたしの事をそう呼ぶから。それだけで、その名前には大き過ぎる価値があるから。


 坂上はそんなあたしの反応をつまらなそうに見るけど、そんな視線を向けられるいわれなんかない。


「ンな昔の二つ名にゃあ興味ねぇっ……てか?過去は変わんねぇのによ」


「アンタなんかに言われる筋合いない。それに、将軍なんてふざけた呼び名を持つアンタには分かんないでしょうね」


「はん、俺だってな、別に将軍なんてダセェ呼び名が好きなワケじゃねぇ。今は江戸時代かってんだ。単にブラフとして大層な呼び名が必要だったから使ってるだけだ」


 ──まぁそんな事ぁどうでもいい。

 そう締めくくって、坂上はそっと唇を舐める。唇を潤す為というより、ちょっとした間を取るかのように。


「まぁ、なんにせよ感謝するぜ、死にたがり。お前が派手にやってくれたおかげで、あの野郎が来たのが分かったからよ。一応一年前のあの時から、網はあちこちに張っといたんだが、お前が派手に暴れてくれなきゃもうちっと後手を踏んでただろうからな」


「…………」


 それは──どういう事だろう?

 つまりあたしが派手に狼煙を上げたからこそあの野郎──つまりシャクがここに来た事が分かった……という事だろうか?


 ……だけどそれはちょっとおかしい。

 陽動に引っかからなかったのは理解出来る。

 単純に街での騒動を切り捨てただけだろう。どんな騒動が起きても、どんな混乱が起きても捨て置くつもりだったとすれば簡単に説明がつく。

 街が壊されても、気にしなければいいだけだ。どうせ壊された街の復興作業に従事するのは、ヴァンプじゃない。支配される側の人々だ。

 そもそも陽動なんてモノは、相手の心がけ次第で意味を成さないのは常の事だ。

 それが理解出来るくらいには、戦闘経験もあるつもりだ。


 しかしその口振りだと、侵入者を『シャク』だと断定しているように感じられる。

 侵入者が北陸や東海、中部の連中じゃなく、何故『黒鉄のシャクナゲ』だと思ったのか?

 それが分からない。


「ンな怖ぇ顔で睨むなよ。代わりにお前には、俺が直々に『真実』ってヤツを教えてやる。一年前の事も、俺がこの一年間調べ上げた『腐った真実』ってヤツも。結城──お前にはアカツキって言った方が通りがいいか?アイツが隠してきた『全て』を教えてやる。そうすりゃ今のお前の疑問も全て理解出来るだろうさ」


「真実……?アカツキ?」


 ……気に入らない。

 そう思う。

 あたしの考えを──疑問を理解しているような口振りが気に入らない。

 そうは思ったけど、コイツはあのスカシ野郎をよく知っている、という事があたしの中にある戦闘意欲を押さえこませた。


 『アカツキ』の名前を出した瞬間に見せた、その表情。

 郷愁にも似た懐かしさと、嫌悪感にも似た憎しみ。

 ゆうき……と呼んだ時には前者が、アカツキと言い直した時には後者が、より色濃く見られて──

 あたしは思わず息を呑んだ。

 アカツキの名前を出した時に、ここまで複雑な感情を見せるのは『アイツ』しかいなかったから。

 あたしの周りには、無条件でアカツキを特別視し、慕うヤツらが大半だったからだ。

 たった一人──アカツキの親友であるシャクナゲを除いて。

 それが坂上と被って見えた。

 しかも、コイツにとってアカツキは天敵ともいえる立場だ。仲間ですらないのに、『シャク』と被って見えたのが不思議で──あたしは大きく息を吐いた。


 ここまで話をしてしまったのなら、もう今更後には引けない事を本当に今更ながら理解してしまい、溜め息が漏れたのだ。

 何も聞かないという選択肢は……問答無用という行動はもう取れない。もうあたしは、それじゃ納得出来そうにない。


「じゃあ、いつの事から話そうか?話の分岐点っつうのは山ほどあるんだがな」


 そんなあたしの内心が分かったのか、坂上は小さく唇を歪めて笑うと、どこか物思いにふけるような視線を中空へと向け──『歪んだ真実』への扉をゆっくりと開けた。






****






 ジャラジャラ……

 表へと続く扉の向こうから、金属みたいなモノが重なり合いながら鳴る音が聞こえ、彼──左近と呼ばれる男は小さな嘆息を漏らした。

 自分の同僚──力だけはあれど、あの軽薄で俗物な女が敗れたのは間違いない。それは確信出来た。

 そうでなければ……もし万が一にも、あのやかましい同僚が予想以上の結果を出したのなら、彼女はそれこそ鬼の首を取ったかのように喧伝するだろう。

 なにしろ本当に軽薄で俗物な女だから。

 近衛などと称されても、所詮は噛ませ犬に近いと思えば、その結果にもそれほど落胆はしなかったが。

 しかしそれでも、やはり溜め息くらいは漏れてしまうのは仕方がない。


「あぁ、面倒くさい面倒くさい」


 そう呟くと、今は高級嗜好品と化したシガーレットを壁にこすりて消す。

 ほとんど吸っていなかったが、その様子からはそれほど頓着した様子を見せてない。

 しかし、単に落ち着かない心境を抑えこむ為だけにくわえていただけだから、その吸い殻は用はすでに達しているといえた。


 一年前、侵攻してきた東海の軍勢を迎え討つ為、彼と妹が山都へと出向いている隙に、この街へと侵入してきた一人のネオ。

 同僚の一人を殺し、別の同僚の一人が出奔する理由を作った男。

 戦都の知事だけが、他都市に比べてやたらと代替わりが早い理由たる敵。

 そして関西の始祖──将軍と呼ばれる主と共に、双璧を為す関西の顔。

 そんな男を相手にすると思えば、高級嗜好品と分かっていても本数が抑えられないのだ。

 自分ですらそうなのに、あの女は本当に勝てるつもりでいたのだから、もはや左近には嘲笑すら浮かばない。


「俺だけで一時間押さえられたらいいんだがね。そうもいかないかな」


 主からの要望は『一時間』。

 そう内心で繰り返し、小さくニコチンで濁った唾を吐き捨てる。

 自分だけでその時間を稼げたなら、次の間で待つ妹──『右近』は戦わなくて済む。

 そんな計算が彼の頭の中では立っているが、それがどれほど至難な事かも彼自身は自覚していた。

 自分よりはやや力は弱くとも、戦歴だけで言えば上回る『田村』という名前の同僚を殺した男。

 そして自分よりも強い、将軍と同じ純正型だった『旭』という近衛が、出奔する原因を作った男。

 戦都の知事を、三代──つい最近四代になったが、四代に渡って潰したネオ。


 そんな男を相手に、どれだけ時間を稼げたモノか……正直なところ彼にはあまり自信がない。

 元々、敵を甘く見ないクチだからこそ、左近にはその一時間がいかに長いモノになるかが分かっていたのだ。

 広い場所で向かい合えたならば、妹と一緒に戦う道を選んだだろう。そうすれば『一時間』くらいならなんとでもなったと思う。

 でも真っ直ぐに奥を目指す相手に、向かい合う場所の選り好みなどしてはいられない。

 そして妹である右近はともかく、自分の能力が広範囲に渡り力を及ぼすタイプの能力だという事を考慮すれば、ここは別れて足留めを試みるしかなかったのだ。それはやはり痛手でしかない。

 しかし狭い室内では、妹をも巻き込む可能性がかなり高い事も考慮すれば、選択の余地はなかったのだ。


 だから彼は一人、ここで待っていた。

 たった一人、一年前に同僚が殺された廊下で。

 大きな窓が取り付けられた、廊下の割には幅も高さもそこそこある場所で、壁にその背を預け、タバコの本数のみを消費しながら。


 ギィ……と軋む扉。

 その音に『後で油を指さなきゃな……』なんて事を思いながら、彼がその音源の方向を見やれば、そこには片手に大型のオートマチックを握った男が一人。ぶら下げた右手には、黒っぽい何かが這っている誰か。

 まだ若い──自分や将軍よりもやや若く、妹と同じ年頃らしき、黒髪黒瞳を持つネオに左近はゆっくりとその視線を細める。


 今まで直接相対した事はなかった。それでも『この男』の噂だけは嫌というほど聞いていた。

 何度もその姿に想像だけは巡らしてきたが、やはり実物と相対すれば、『噂がいかに噂に過ぎなかったか』が分かる。

 それほどの存在感を、漆黒の外套に覆いながらも、その男は淡々と歩を進めていた。

 壁にもたれかかる近衛を、全く歯牙にもかけていない様子で。その歩みは、なんの躊躇いもなく、奥へ──壁に背を預けたままの彼の元へと歩を進める。


「アンタがシャクナゲか?」


「…………」


「悪いが今は取り込み中でな、ここから先は一時行き止まりだ。少しばかり待ってくれれば通れるようになるが……どうする?」


 歩む男はあくまでも無言。

 ただ沈黙でもって答えを返し、歩みでもってその意志を示す。


「そうか……」


 ──問答無用ってワケか。

 そう小さく吐き捨てると、濃紺色のコートをまとった近衛・左近はその手をかざす。

 パキパキっと乾いた小枝を踏みしめるかのような音と共に、そのかざした両手から冷気が溢れていく。


 それは左近にとっては慣れた力を使う感覚。

 空中にある極小の水気──水蒸気を固め、壁に染み込んだ湿気を水分に還元する感覚。

 そしてそれを極小の雹の群れへと変換し、前に伸びる廊下へと放つ。

 狙いは付けない。その極小全てに指向性だけをつける。確実に狙いなど付けなくても、極小の群れをかわす事など出来るハズもないからだ。


 しかし歩みを進める黒いコートの男は、全く慌てずに廊下を蹴り、壁を蹴り上げ、天井を蹴ると、そのまま重力に逆らうかのように天井を駆ける。

 そしてそのまま自らの頭上……中空を抜ける極小の雹群には目もくれず、その片手に握ったオートマチックをポイントする。


「……っ、聞いてた以上に化け物じみた身体能力してやがる!」


 思わず悪態を吐きながら、慌ててその銃撃をかわしつつも、左近にはどうやって天井を駆けてみせたのかが分かった。

 単純に重力に従って落ちるよりも早く──より強い力で天井面を前へと蹴り出しただけだ。

 落ちるスピードよりも強く天井蹴り、その力で天井を駆けるように見えただけに過ぎない。

 真っ直ぐ進む力の方が強ければ、落ちる力は微々たるモノとなる。それを段差のほとんどない天井面でやってのけるには、天性のバランス感覚と強い筋力、身体を上手く使う術を持っていなければならないだろう。


 そんな相手の芸当に舌打ちしつつも、中空を舞う雹の向かうベクトルを天井へと変える。

 しかし相手もその動きを察したのか、天井を蹴り、壁を蹴り、地面を蹴って、廊下という面の全てを利用しながら、確実に奥へと進む。


「一時間か……人生最悪最長の一時間になりそうだ」


 そして多分最後の──

 そんな思いに小さく唾を吐き捨て、より深く、より強く力を集中していく。

 まだ前哨戦を済ませたに過ぎないのに──邂逅したばかりだというのに、左近の背には冷たい汗がとめどなく流れ落ちていた。

 それをなんとか無視し、さらにずっと力の集中を重ねていく。

 それと共に、パキパキっと乾いた音が重なり合い、極小の雹が合わさっていき、空中に煌めく氷の刃を幾つも形成されていく。


「関西統括軍所属、近衛左近……参るッ!!」


 左近は吠えた。近衛軍に入ってから、誰にも見せた事のない猛々しさで吠えて見せた。

 その両手を前へと突き出し、濃紺のコートを力の余波でたなびかせながら。

 それに合わせ舞い狂う氷刃は、廊下のあらゆる面を切り刻み、引き裂きながら、佇む黒へと迫っていく。


 それに合わせるかのように、黒コートの男──シャクナゲも、今までダラリと下げたままだったその右手を、ゆっくりと掲げてみせる。


 ──ジャラジャラ

 そううねる金属音と共に、その右手にはうねうねと蠢く鈍色の鎖の群れが這っていて……

 それが迫る氷刃を威嚇するように鎌首をもたげてみせる。

 そしてそっと──ここに来てから初めて、そっとその口を開いた。

 吐き捨てるように。唾棄すべきモノを口にするかのように。


「──Undo the chain(束縛の鎖を外す)」


 目の前に立ちふさがる左近へと、様々な感情のこもった視線を向けながら。



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